2024/02/22

たゆたえども沈まず

2月15日に宝塚大劇場にて花組公演「アルカンシェル」~パリに架かる虹~を見てきました。

観劇直後は唖然とするばかりでしたが、これはちゃんと怒るべきなんじゃないかと思えてきました。
この脚本にGOサインを出してしまう(出さざるを得ない?)、そこに宝塚歌劇を危機たらしめている要因が潜んでいるのではないかと。
なかったのは時間? それとも別の何か?

わざわざ「ドイツ占領下のパリ」~「パリ解放」という特殊な時代を物語の舞台に選んでいるのだから、密告、猜疑心、自己保身か正義かの葛藤など、極限状況で揺れる感情や人間模様を丁寧に緻密に描かないと意味がないと思いました。分断や集団による私刑を招く群集心理も。
そこからいまにも通じる普遍的な人間の有り様、人間の尊厳や崇高な魂を見出すことができたら素晴らしい観劇体験になっただろうに。
なぜこうなってしまったのだろうと思いました。

フリードリッヒの当事者意識のない能天気さ

永久輝せあさん演じるフリードリッヒ・アドラーは、ホーゼンフェルト大尉(WW2中にユダヤ系ポーランド人ピアニストのシュピルマンらの命を救うも終戦後にソ連の強制収容所で死去したドイツ人将校)を念頭に創作されたのかなと思ったのですが、このお気楽さはなんなのだろうと呆然としました。

「エンターテインメントは世界をひとつにする」をお題目に、ナチス上層部を欺いて禁止されているジャズを上演するように柚香さん演じるマルセルたちに提案しますが、自分が当のジャズを禁止しマルセルたちパリ市民を苦しめているナチス政権下のドイツ将校(文化統制官)である自覚のないこと、ディートリッヒの亡命を語る時の軽さにしても、戦争も虐殺も自分には関係のないところで起きている他人事のように認識している人物でした。
ただただ自分が好きなエンターテインメントをやりたいだけの人物。そのためにマルセルたちに危険を冒させることにも無頓着。
キラキラしたスローガンで情緒的に訴えるやり方は薄ら寒ささえ感じました。

そのフリードリッヒの提案というのが、表向きはウィンナワルツのショーを上演していることにして、実際にはジャズの演目を上演するというもの。
そのために並行して2つのショーを構成・制作し、両方のショーができるように稽古をし、ナチスの前ではウィンナワルツを、それ以外ではジャズの演目を上演するという、思いつきはイージーだけど上演する側にはハードなもの。
これが露見すればどうなるか。相手は収容所送りや拷問もするナチスです。

フリードリッヒがマルセルたちにジャズを上演するよう説得する時に、「占領下のパリで観客の多くを占めるドイツ兵が求めているのはジャズだから」と言っていたことにもフリードリッヒの人間性を疑いました。
マルセルたちがどういう状況下に生きているかを理解していたらこういう言い方はできないでしょう。
フリードリッヒをとことん馬鹿に描こうとしているのか、もう訳が分かりませんでした。
そしてこの提案にのるマルセルたちもよくわかりません。
マルセルの側にそこまでしてもジャズを上演したいという動機があるように描かれていないので。

マルセルたちがジャズに自分たちの自由精神を託してなんとしてもやりたいと、表現者として手段を考え、それにフリードリッヒが協力する設定ならわからなくもないですが、あくまでフリードリッヒ主導なのが、その彼が自分の立場の自覚もなく、万一発覚した場合はどのような手立てがあるのかについての言及もなく、とてつもなく能天気なのが「どうゆうこと?」でした。

作品の見せ場として『ウィンナワルツのショーを上演する体でジャズショーを上演し、軍幹部の入場を知るや急遽ウィンナワルツに変更というスペクタキュラーな展開の場面を作る』のが目的なのかな?とも思いましたが(そうなら見てみたかったりはしたのですが)そういう場面はありませんでした。

加えて、彼のアネット(星空美咲さん)への積極的すぎるアプローチも疑問でした。
まともな大人なら、占領側のナチスドイツの将校である自分が被占領側の女性と特別な関係になるとはどういうことか、彼女がどういう目で見られるか考えられるはずなのに、その視点がないこと。彼女に対して本気であれば葛藤があると思うのにそれもないのかと。
自分のことしか考えられない、いつまでも大人になりきれていない人物なんだなと。ラストの言葉も含めてそう思いました。

占領下のパリで、人を踏みつけにしている側である自覚もなく(つまりナチスドイツに些かの非も感じていない)、自分に悪意がないから踏みつけにしている相手からも受け容れられると信じて疑わない様子も、虐げられている人びとの中から1人だけをピックアップして救出する残酷さの自覚もない、その独善さに何度も抵抗を感じました。
このキャラクターを「いい人」と描く脚本に疑問を抱かずにいられませんでした。

歴史的事実を軽んじていること/茶番が過ぎる

偽ってジャズをやっていることはすぐに発覚し、フリードリッヒは降格の上前線の任務に。
劇団は無期の公演中止でマルセルはSSによる厳しい取り調べ(拷問)を受け、星風まどかちゃん演じる花形歌手カトリーヌは交換条件をのまされて無理やり単独ドイツ本国に巡業へ。劇団員の1人ぺぺ(一樹千尋さん)は言動をとがめられて思想犯として子どもを残して強制労働収容所送りに。
結果はかくも悲惨です。

フリードリッヒの計画は最初から能天気すぎるし、占領軍を欺いたことが露見すればこうなることは当然予測できたことですが、にもかかわらず「のった俺たちもわるかった」と『フリードリッヒ無罪』みたいなダニエル(希波らいとさん)の軽いエクスキューズも含め、なんだこの茶番は?と思いました。
親を連行された少年イブ(湖春ひめ花さん)に対する周りの態度も鬼かと思いました。「思想犯として収容所に送られる」ということがどういうことか、歴史的事実の認識が軽すぎて容認できませんでした。
さらにその後のぺぺ救出茶番劇には、こんな描き方がゆるされるのかと疑問でいっぱいになりました。

公演中止が解かれたのち、一座の花形カトリーヌを失った劇団はアネット(星空美咲さん)を中心に華やかにラテンショーを上演。ジャズは禁止だけどラテン音楽はOKなんだそうです。
えーそうなんだ、あの危険極まりない無謀なジャズの上演とはなんだったのか状態です。
あれだけのことを引き起こしておきながら、どうしてもジャズでなければならなかった理由付けが弱すぎだと思います。

さらにナチスがジャズを解禁すると、それをフリードリッヒが自分たちの勝利のように言うことも、ちょっと待った、と思いました。
ナチスは彼らに屈したのではなく、ジャズの人気が侮れないことを察知してプロバガンダの喧伝に利用しただけ。いくらフィクションでもそこは曲げてはいけないと思います。
エンターテインメントをプロバガンダに利用するのに長けていたのがナチスドイツだし、日本においても宝塚歌劇が戦争に利用されていた時代もあるくらい。
能天気な「エンターテインメントは世界をひとつにする」は危険で害悪だと思います。

プロットをなぞるだけの2幕/占領下のパリの人々の解像度の低さ

1幕のあいだはまだ華やかなレヴューシーンや柚香光さん&星風まどかさんのトップコンビの美に目が喜んでもいたので、これを2幕でどう収拾するのだろう? フリードリッヒの背景や事情を知ったら納得できるのかも? などと思ったのですが、期待は裏切られ・・2幕はプロットをそのまま、なにも肉付けせずに見せられているようでした。
時間が足りていなかったのは間違いなさそうです。

なぜ上手く事が運んだのか、どんな葛藤がそこにはあったのか、主人公まわりの人々(劇団員たち)はそれぞれどんな背景をもつ人々でそれぞれに何を考えてそういう行動をしているのかの描写が二幕を通じてありませんでした。
レジスタンスに入るかどうか1つとっても人それぞれに葛藤や背景があるでしょうに。まるで部活の勧誘のような軽さで、露見したら拷問や収容所送りになるかもしれない重い決断であることも伝わってきませんでした。
ドイツに協力的な人、そうせざるを得ない人、反独感情が強い人、ユダヤ人への感情などさまざまな人がいるはずなのにそれもわからない。
そもそもなぜ彼らは占領下のパリにいるのか、パリを離れる選択だってできたはずなのに。家族は恋人は。
せめてアルカンシェルのダンサー役の帆純まひろさん、希波らいとさん、美羽愛さんくらいにはストーリーがあっていいんじゃないのかな。
せっかく見た目は目立っているのにもったいないと思いました。

パリ解放に至っても一様に喜ぶのっぺりとした人々がいるだけになっていて、あえてこの設定にする意味があったのかと疑問でした。
パリ解放後の対独協力者への私刑(特にドイツ兵の恋人を持った女性に対して)を知っていれば、アネットはもちろんカトリーヌも無事だったのかと心配になるのは当然だと思うのですが、その後についてはなにも触れられず、ハッピーエンドでめでたしめでたし。
人々が苦難を強いられた時代背景を拝借して実相とはかけ離れた安易な世界観で描くことに嫌悪感がありました。
積み重ねてきた歴史や命の重みを疎かにしていること、しかもこのやっつけ感に憤りを覚えました。

好きだったところ/まどかちゃんのドレス姿と役

柚香光さんのピエロのマイムはもっと見ていたいほどでしたし、このスーツ姿と完璧な後頭部も見納めかと思うとせつなさでいっぱいになりました。
星風まどかちゃんのお芝居の衣装は過去最高に好きでした。腰高で細いウエストに高い胸の位置、ゴージャスなまどかちゃんの体型にぴったりで。やっとまどかちゃんの美しい肢体にフィットしたドレス姿が見れたと嬉しかったです。
柚香さんとまどかちゃんが向き合っている横からのシルエットが美しくて愛おしかったです。
そしてまどかちゃんの役が、人生に仕事に責任をもって生き、愛し苦悩するカトリーヌという自立した女性だったのもエモーショナルでした。何か(誰か)に巻き込まれる役やキャンキャンした役が続いた頃もあったのに、見事に大人の女性の役で卒業するのだなぁと。

つくづくこんなにセンシティブで難しい時代設定でなくてもよかったのになぁと思えてなりません。
せめて占領下のパリでレヴューの火を絶やさないように奮闘する人々のお話ではだめだったのかなぁ。
永久輝さんは潜伏するレジスタンス運動家でエトワール歌手をめざず星空美咲さんと恋に落ちる設定とか。
もしドイツ人を絡めるなら、若いドイツ兵と淡い恋に落ちる美羽愛ちゃん、相手のドイツ兵は若手のたとえば希波らいとさんとか・・。(お2人が可愛くてとても目立っていたのにストーリーがなかったのがとても残念で・・)
ジャズやシャンソンなどあの時代ならではの音楽や歌でをふんだんにちりばめ、苦難の時代に屈しない人々の群像劇だったらなぁ・・(妄想)。

ともあれ東京公演では良くなっていることを切に願っています。

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2024/02/04

ホームズは生きていた

2月1日に東京宝塚劇場にて雪組公演「ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル」「FROZEN HOLIDAY」を見てきました。
昨年の11月に宝塚大劇場で見るはずの公演でしたが、中止になってしまったので1回限りの観劇になりました。

生田先生、アタマ沸いてる?

作者のコナン・ドイルと架空のシャーロック・ホームズの対話という興味深い発想に期待して見た「ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル」は、生田先生アタマ沸いてる?という作品でした。
このかんじ、「Shakespeare 〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜」の時と一緒だ・・期待が大きいとこうなるんだ・・涙。
生田先生の作品解説がすこぶる刺さって甚大な期待で見てしまい撃沈・・このパターンを何度か繰り返しています。
着眼や発想は面白そう!とっかかりも面白い!・・けれどいつしか行方知れずの迷作に・・迷い込んだ感覚に陥ってしまう。
今回、ポスターもプログラムも刺さりまくったためにその感覚が大きいです。
生田先生は自分ひとりで散々楽しんで、アウトプットする頃には飽きてしまうのかしら・・。

ルイーザやばいよ?

受け容れ難かったのは、過剰に妻にケアされて当然なドイルの感覚です。
妻ルイーザのあのテンションは心を病んでいるんじゃないかと思いました。
ひたすらドイルのことばかりに一生懸命で、彼を鼓舞するためにつねにハイテンションで明るく振舞い、彼ができない出版社との交渉にも出かけて、アルコール依存症で施設に入所しているドイルの父親にも会いに行き心を尽くす。そんな場面が次から次に織りなされていて。
家族的な幸福に恵まれなかったドイルの願いを知っているから。彼が医者であることより作家になりたいのを知っているから。本当に書きたいのはホームズシリーズではなく歴史小説なのを知っているから。
・・なのでしょうが、それにしても自分のことは一切捨て置いてドイルの希望を叶えることばかり。
いったいどうして?と思わずにいられませんでした。彼女の心の中には得体の知れない不安が巣食っているように見えました。まるでドイルの落ち込んだ顔を目にすることに強迫観念があるみたいに。
この人(ルイーザ)やばいよ・・?と思いながら見ていました。
いつかプツンといってしまうよ・・と。
(劇中で彼女自身については、日常のこともバックボーンにも一切触れられていないのも疑問でした)

精神がプツンといってしまう前に、ルイーザは病(結核?)に倒れてスイスに療養に行くことになりましたが、そこでもケアされるのは彼女ではなくてドイルのほう。
ドイルは彼女を療養させる資金は出しているのかもしれないけれど、彼女の心身のために何一つするではなく、反対にチアされてホームズシリーズを再開させる。
それがうまくいってルイーザの病気も完治して手を取り合って大団円??でしたが、これはもうドイルの妄想の世界だよねと思いました。
ルイーザが亡くなったことを認められない最後まで身勝手な人だったんじゃない?と。

家族に対してもおなじで、自分がほしかった家族的な幸福を再建するために豪華な容れ物を用意して、個々の気持ちはおかまいなしに呼び寄せようとする。
彼の夢を邪魔するでもなく自分の人生を生きている母親の立場も考えずに。

コンポジションは観客にお任せ

『現実を生きている人びとや、目の前にいる妻のこともまともに見もせず、対話もできず、妄想の中に生きているコナン・ドイル』を描きたい作品だったのかな?
シャーロック・ホームズたち、妻、父母、妹たち。物語を面白くしそうなピースをあちこちに置くだけ置いて、コンポジションは観客にまかせるパターン?
作者が散々ひとりで楽しんだ玩具を、ハイッどうぞ!こんどは君が好きなように楽しんでね!と渡されたようなそんな感覚になった作品でした。
役者も物語のピースも私には魅力的だっただけに戸惑いが大きいです。
(プログラムの彩風咲奈さんのドイル、どれもこれも好きです)
(次の作品解説にもまたわくわくして、こんどはと信じて見に行ってしまうんだろうなぁ)

「FROZEN HOLIDAY」

「FROZEN HOLIDAY」は雪組らしいピュアで美しいショーでしたが、雪に覆われた館のホリデーシーズンという縛りが強すぎて、各スターのもっと別の魅力も見たかったなぁと思いました。
時空を飛び越えてアジアンテイストな春節などもあったらよかったのになぁと。
夢白あやちゃんのいちごのショートケーキみたいなドレスがとても可愛かったです。
和希そら君の空気を操る感じが素敵でした。卒業さみしいです。

CAST

アーサー・コナン・ドイル(彩風咲奈) シャーロック・ホームズシリーズの作者
ルイーザ・ドイル(夢白あや) アーサー・コナン・ドイルの妻
シャーロック・ホームズ000(朝美 絢)ドイルの書いた小説の主人公
ハーバート・グリーンハウス・スミス(和希そら) 「ストランド・マガジン」の編集長

チャールズ・ドイル(奏乃はると) アーサー・コナン・ドイルの父
ヘンリー・シジヴィック(透真かずき) 心霊現象研究協会の現職の会長
ウィリアム・ブート(諏訪さき) 「ストランド・マガジン」の副編集長
ロティ・ドイル(野々花ひまり) アーサー・コナン・ドイルの妹
ミロ・デ・メイヤー教授(縣 千) 心霊現象研究協会に招かれてやってきたフランスの催眠術師
ビアトリス・エリザベス・B・ハリスン(音彩 唯) 「ストランド・マガジン」の編集部員
アーサー・バルフォア(華世 京) アイルランド問題担当大臣、心霊現象研究協会の会長

 

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2024/02/03

怪盗紳士現る!

博多座にてミュージカル・ピカレスク「LUPIN~カリオストロ伯爵夫人の秘密~」の1月22日初日と24日マチネ、そして28日千穐楽を見てきました。

豪華なキャストとスタッフによるライトなエンタメ

華やかな出演者+小池修一郎×ドーヴ・アチアによる新作ミュージカル、果たしてどのような作品になるのかと思いましたが、豪華な演者とスタッフによる遊び心満載のライトなエンタメというかんじの作品でした。
名場面やあっという仕掛けがあるという訳ではなく、演者のパフォーマンスを愉しむ趣向で面白かったです。
「純潔」連呼とか女性参政権運動の描写などは感覚が古い気がしてどう受け止めたらよいのか戸惑うところもありました。

私は古川雄大さん目当てで見に行ったのですが、私が見たかった古川君とはちょっと違ったかな。ミステリアスなゴシック・ロマンス的な雰囲気を期待していたのです。ご本人はとても楽しそうに演じられていて、だんだんと見ている私も愉しくなりました。
ほかの演者の皆さんも楽しそうで、これはそういうところを面白がって見る作品なんだなと思いました。

真彩希帆さんのクラリス最高

劇中でいちばんツボだったのは、真彩希帆さん演じるクラリスです。
3階から躊躇なく飛び降りたり、自分をめぐって美男2人が戦うのを目を皿のようにして見物してたり、特段活躍したわけでもないのに「財宝は君のものだ」と言われたら遠慮なく受け取っているのも、挙動のいちいちがツボにはまってしまって、クラリスいいわぁと思いました。
なにより彼女には未来に目的があるのがいいなと思いました。夢を叶えるにはお金が必要なのです。
ロマンスを夢見たりもするけれど恋愛依存ではなくて、自ら責任のあるポジションに就いて自分の人生を歩んでいるのが凄く好きでした。
原作とはちがってこのクラリスなら長生きしそう!きっと幸せになりそう!と見ていて楽しくなりました。
どのみちルパンはアバンチュール(冒険)をやめられないのだから、クラリスも自分がやりたいことに夢中になるのがいいよねと。
真彩希帆さんの明るい個性が活きている役でした。もちろん歌は抜群。

柚希礼音さんと真風涼帆さんのカリオストロ伯爵夫人

カリオストロ伯爵夫人ことジョジーヌ役は柚希礼音さんと真風涼帆さんのWキャスト。
柚希ジョジーヌは博多座公演は初日の1回のみの出演でチケットが手に入るかドキドキでしたが、幸運なことに見ることができました。
スワローテールを翻してルパンと踊ったり、ドレス姿でルパンにタンゴを教えたりするミステリアスな悪女で、華と存在感が半端ないちえさん(柚希さん)にピッタリの役だなぁと思いました。柚希ジョジーヌを見終わった後は、同じ役を真風さんが演じるのが想像ができないなぁと思ったのですが、真風さんは真風さんでまったくタイプの異なる色香の漂う魅惑的なジョジーヌでした。
柚希ジョジーヌはモーションが大胆でどこにいても目を惹くセレブリティなかんじで、真風ジョジーヌはどの角度から見てもエレガントなマダムな雰囲気がありました。
なにより2人ともとても大部屋俳優には見えません。ゆえによくも化けおったなぁと思いました。才能ありすぎ笑。

立石俊樹さんのボーマニャン

「世界をこの手に」と歌ういかにも小池作品の悪役らしいボーマニャンは博多座では立石俊樹さんがシングルで演じていました。
キャスト発表の時にいちばん驚いたのがこのボーマニャン役のお2人(もう1人は黒羽麻璃央さん)でした。ルパンよりずっと年上なイメージがあるボーマニャンに若手俳優さんがキャスティングされていたので。
ですが舞台を見ていたらすでにルパンは怪盗紳士として世間に名を馳せている設定だったので(20歳そこそこの若造ではない)合点がいきました。
小池作品らしく、古川ルパンの美しき敵役がボーマニャンという設定なんだなと。
立石俊樹さんは去年の「エリザベート」のナルシスティックに悩めるルドルフ役がお似合いの役者さんという認識だったので、ボーマニャン役で躊躇のない悪役を活き活きと演じられていてさいしょはびっくりしました。
さらにどこから湧いて出たのか怪しい手下たち(黒鷲団)を率いて「俺はルシファー 神に見放された・・」と歌いだしたときは、どどどうした?!と頭がついていきませんでした。いきなりそんなあなた。いったい過去に何があったのかと彼の過去が気になりすぎて初見はその後のストーリーを見失いかけました。
全編を通してかなりクラリスに執着はあるのだけど、でもそれは恋とか愛情とかではなさそうで、ではなぜ?と私なりに考えた結論としては、自分が大好きゆえにクラリスが自分を選ばない現状が受け入れられないのではと。そのクラリスが選んだ相手であるがゆえにルパンに対する敵対心も強烈なのかなとも思いました。自分をないがしろにするルパン(認知のゆがみ)を叩きのめさないと生きていられないのかなと。
エギュイーユ・クルーズでの古川ルパンとの決闘シーンはとてもカッコよくて見入ってしまいました。うん、絶対にあるべきシーンだなとしみじみ思いました。古川雄大さんと立石俊樹さんがキャスティングされている意味をしっかりと回収していたなと。
ボーマニャンが行動してくれなかったらクラリスの愛よりアバンチュール(財宝発見と伯爵夫人の誘惑)に奔った挙句にまんまとしてやられて無様を晒すところだったルパン。歪で華やかな敵役として、主人公の面目を保つ役割を果たしたボーマニャンは最後まで良い仕事をしていたと思います。

加藤清史郎さんのイジドールと小西遼生さんのホームズ

イジドール・ボードルレ役の加藤清史郎さん、非の打ち所がない良い役者さんでびっくりでした。
歌も良いし間も良いしセリフも明瞭だしすばしっこい身のこなしも・・ホームズ役の小西遼生さんとガニマール警部役の勝矢さんとの連係プレーもいつも面白くて信頼を寄せて見ることができる役者さんに出遭ったなぁと脳内メモリに記録しました。
小西遼生さん演じるシャーロック・ホームズは、ルパンシリーズに出てくるホームズ(ショルメ)よりかはドイルの原作に近い気がします。ベーカー街221Bのワトソンに電報を打っていたりしてましたしコカイン常用など本家のホームズに通じる符号が。自分を出し抜く悪女に惹かれるところも本家ホームズっぽいかなぁと思いました。
でもおマヌケなかんじは本家とは別物で、いつのまにかイジドール君とコンビとなっていて面白かったです。ルパンを永遠のライバルと見做して自らの女装についてもルパンとのクオリティの差を検証しているところとかも小西さんがいい味を付けていてくすりとさせられました。
クラリスとルパンの愛の抱擁を阻む自分勝手な決闘宣言も、クラリスといっしょに『え?』となりました笑。でもたしかに見たいルパン対ホームズ笑。本家ではボクシングにフェンシングの名手で日本武術にも通じているし、ルパンもボクシングと日本武術の使い手ですしね。
ルパンが主役だから勝利はルパンのはずと見ていたら、いいかんじに投げ飛ばされて・・大団円への布石、古に張られた仕掛けを回収という超重要な役割を果たすんですね。毎回ちゃんとあの位置に飛ばされるの凄いなぁと感心しました。

古川雄大さんのアルセーヌ・ルパン

古川雄大さんのルパン、登場は腰の曲がった考古学者のマシバン博士で声もおじいさん、デティーグ男爵家の夜会ではアメリカ帰りの実業家ヴァルメラで若干声が高めなキザ男、アジトでの本名のラウール・ダンドレジーの時はピュアな青年のよう、赤毛の新聞記者のエミールは腕まくりのあまり冴えない風貌で、カンカンダンサーのアネットの時は声もうんと高くてしぐさも可愛い女の子になりきり、そして伯爵夫人の誘惑をためらいもなく受け入れるアルセーヌ・ルパンといくつもの顔を見せていました。
母親のアンリエットのような清廉な令嬢タイプを前にした時だけ、クラリスが感じた少年のような純粋な人格が顔を出すのかも。とはいえアルセーヌ・ルパンの人格でいる時間の方が長いし、それ以外のさまざまな人格にも変貌してしまうし、ラウールでいる時間はほんのつかの間のような・・。
このルパンとクラリスが今後もおつきあいするなら、そのつかの間を愛して、それ以外の時は自分がやりたいことに夢中になっていたほうがクラリスらしくいられるよ、とおせっかいなことを思いました。
ルパンもきっとそんなクラリスが好きだよねと。アバンチュール(冒険)は絶対にやめられそうにないから。
クラリスもルパンの女装にすこぶる協力的だったり(彼が歌えないキーを舞台裏で歌ってあげてるし)、面白いことには前のめりですよね笑。ルパンの冒険譚も面白がって聞いていそう。悲劇が似合わない2人でとても素敵だなと思いました。

その他キャストと千穐楽カーテンコール

そういえば、フレンチカンカンの場面、女性参政権運動のご婦人方とフレンチカンカンのメンバーを合わせると女性キャストの人数が足りなくない??と不思議に思っていたところ、カンカンに男性キャストも混じってる??と気づいたのですが、女性参政権運動のご婦人方にも男性キャストが混じっていたんですね。いやちょっとそんな気配は感じていたのですが・・汗。
カッコイイ黒鷲団にも女性がいて、皆さんなんでもできて素敵だなと思いました。
そして20世紀騎士団は良いお声の持ち主にしかボーマニャンさんの入団許可がおりないのかなと。秘密のお話のはずなのに皆さん声が通り過ぎ・・笑。

千穐楽のカーテンコールでは最初から客席スタオベで、挨拶が長くなることを見越して古川君が着席を促したら、その横でぺたんと舞台上に座ってニコニコ古川君を見上げていた真彩希帆さんと小西遼生さんが可愛かったです笑。こんなお茶目ができる雰囲気のカンパニーなんだなぁと思いました。
そして千穐楽の1月28日はクラリスのパパ、デティーグ男爵役の宮川浩さんのお誕生日で還暦を迎えられたそうで、カーテンコールでは舞台と客席の皆でバースデーソングを歌いました。
宮川さんが帝劇の舞台に初めて立ったのが36年前、古川君が生まれた年だそうです。今年生まれた子が帝劇の舞台に立つまで自分も舞台に立ち続けると古川君が決意表明をされていました。
そんな古川君曰く『エモい』お話の流れから急に話しを振られた立石君、宮川さんへの思いをしっかりとお話されてて古川君的には苦笑だったようでした。(突然だから辞退されると予想されていたようです)
古川君のツッコミもよくわかってないようで場を『かっさらって』いた立石君、さすがだなぁと微笑ましかったです。舞台ではあんなに闇落ちしているボーマニャンを演じていた彼の素の雰囲気、そして宮川さんへの思いを知れて個人的には嬉しかったです。
こんなに和気あいあいとしたカンパニーで何か月も過ごして来られたのだなぁと思いました。

博多座の後は公演最終地で古川君の故郷でもある長野での公演が控えています。
公演日程発表時には長野公演に行く計画も立てたのですが、あれよと言う間に完売で諦めました。(真冬の公演でなければもっと真剣に計画したのに・・と思っていましたが長野公演千穐楽の配信が発表されて良かったです)
佳き大千穐楽を迎えられますように。

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2024/01/23

ナートゥをご存知か?

1月16日と17日に宝塚大劇場にて星組公演「RRR×TAKA”R”AZUKA~√Bheem~」「VIOLETOPIA」を見てきました。

暁ラーマ事変

暁千星さん演じるラーマがカッコよすぎて大変です。
歩き方、体重の乗せ方、肩の上げ方下げ方、少し振り向く時、髭眉毛額後頭部横顔脚胸板、私の喜びのツボをすべて圧していかれる感じです。
どの動きも隙の無いソルジャーなのにビームといるときだけはラフなお兄さんなのも素敵です。
険しい表情の時と甘い瞳のギャップも危険です。
弓を弾く暁ラーマに射抜かれとどめを刺されました。
暁千星ラーマ事変です。
(自分で何を言っているのかよくわからない)

「Dosti」の尊さ

「Dosti」の尊さはその後の展開を知ればこそ。
2回目の観劇では泣きました。
諸行無常。
1回見た後だと礼真琴さん演じる“あの超人的なビーム”がラーマ兄貴に懐く姿がよりいっそう愛おしくなりました。
(礼さん相手に兄貴ぶっている暁さんがたまらないと騒ぐもう1人の私がうるさくて大変)

圧巻の「コムラム・ビーム」

礼さんビームが歌う「コムラム・ビーム」は圧巻でした。
表現力に震えました。
鞭打たれるたびに体を震わせ、あの体勢で、どうしてあんなに歌えるのかと。
ラーマの真実を知って覚醒後の長槍を投げる構えは、それだけで類稀な身体能力がわかる完璧な美しさでした。

天晴れの宝塚化

映画を見て、その綿密な脚本力とそれをなんとしても映像化しようとする強烈な意志に驚き、果たしてこれをどう舞台にするのだろうと思っていましたが、宝塚歌劇ならではの舞台美術・技術、そして演者の能力をもって見事に「宝塚化」したなぁと思います。

ビーム役の礼真琴さん、ラーマ役の暁千星さんの身体能力、歌唱力は言わずもがな。
冒頭のWATERRR男女の希沙薫さん水乃ゆりさんのダンスで「これは宝塚のRRRなんだなぁ」と印象付けてからの、深い森に心地よく響くマッリ役の瑠璃花夏さんの歌声で一気に心は「RRR」の世界へ。

スペクタクルな場面を水と火の群舞で表現されているのも、タイミングを計算された電飾もわくわくさせられました。
SINGERRRの美稀千種さんと都優奈さんが本当に良い仕事をされていて「RRR」を見ているのだという気持ちが盛り上がりました。
映画でビームとラーマの属性がそれぞれ水と火であったように、水と火それぞれのダンサーたちが2人の登場に合わせて心情や情景を表現するのも見応えがありました。
WATERRR女の水乃ゆりさんの優美で涼やかな表現と、FIRRRE女の鳳花るりなさんの目力のある力強さが対照的で目を引きました。

「インドの誇り」は薄め

映画で強く感じた「インドの誇り」は宝塚版では薄めに感じました。
映画ほどスコット総督(輝咲玲央さん)は憎々し気ではないし夫人のキャサリン(小桜ほのかさん)も残酷ではないので、英国の統治下で虐げられるインドの人々の印象が薄いからでしょうか。のちにインド独立運動の英雄となる2人の前日譚という印象はほぼないかなと。

「ナートゥ」の場面は映画では、白人の価値観が唯一無二で世界を統べるとばかりに得意げに西洋のダンスを踊って見せ、それを知らないインド人を貶める英国人に対して、自分たちの踊りで彼らの度肝を抜いて周囲を席巻し相手側の英国人女性たちの称賛の的になるという、英国に対するインドの誇りと高揚(とてもホモソーシャル的な勝利)が描かれているなと思いましたが、そこもふんわりになっていたように思います。
ビームを侮辱するジェイク(極美慎さん)の描かれ方が英国紳士の可笑しみを纏う憎めないやつ(というかむしろ愛すべきやつ)になっていることもあり、宝塚版では英国人全般の印象がそれほど悪くないのだと思います。ジェニー(舞空瞳さん)はもちろんだし。

そして上記のようにスコット提督夫妻がそこまで悪辣に見えないので、インドを支配する大英帝国の象徴であるスコット提督とその軍隊を相手に戦う2人というよりは、マッリという少女を救出するため個人的に共闘する2人という意味合いに変貌していました。
(ビームを主役においてラーマの過去がばっさり割愛されているのでそうなるよねと思います)
宝塚版でいちばん憎々し気なエドワード(碧海さりおさん)でさえもやっぱり憎めず「ほうほう言いよるな」とすら思ってしまうのは私がヅカファンゆえですかね。(さりおちゃん良いなぁ~としみじみ思ってました)
やはり全体を通して映画ほど残酷な場面がないからですよね。きっと。

「RRR」に嵌った俄か者の戯言

映画で個人的にツボだった場面がほぼすべて割愛されていたのはしょうがないかなぁ。しょうがないよねぇと思います。
水と森と大地とともに生きるゴーンド族のビームがそのへんの薬草でなんでも治してしまうのとか、ジェニーが話す英語がわからないところとか、虎さえ倒すビームがやたらと可愛いところのすべてとか。

映画では偽名を使って潜伏するビームを親身になって居候させ、ともに逃亡もしてくれる(ビームを当局に売るほうが簡単だし利益になるにもかかわらず)親切なムスリムの親方とその一家が描かれていましたが、宝塚版ではその親方(大輝真琴さん)とその一家がムスリムの装束ではなかったのが気になりました。
毒蛇の解毒もゴーンド族のビームよりも心得ていそうだし、やはりあの親方一家はムスリムではない設定なのかな。
ビームを匿うのがムスリムの人たちであることに意味があると思うのでその設定はなくしてほしくはないのですが。

それとシータがビームたちを助ける場面やラーマ王子とシータ姫の祠の前に腰かけるシータの場面がとても好きだったのですが(ようはシータが大好きだったんです)、ラーマを主役にしていないので割愛されてもしょうがないのかな。しょうがないとは思いつつもっとシータ(詩ちづるさん)に登場してほしかったのでした。
3時間の映画を1時間半の舞台にするのだから諦観大事。。

「映画を見ておいた方が宝塚版をより楽しめますよ」とアドバイスを受けて、そのためにだけに見たつもりなのにあまりにも緻密にできた脚本に目を瞠り、描かれる内容の社会性や細部に宿る気配りに感銘を受けたばかりの俄か者の戯言ですね。
宝塚歌劇で上演するにあたって日本ではなじみのないディテールを入れて観客を混乱させては意味がないですから。
映画でツボったところは映画で楽しもうと思います。
(Amazonプライムでレンタルして見たのですが、宝塚観劇後思わず購入してしまいました)

「ダウントンアビー」に登場するシュリンピーことフリントシャー侯爵(ローズの父)が高官としてインドに赴任するとかなんとか言っていたのがちょうどこの「RRR」の頃だなぁとか。スコット提督がナイトに叙勲されたパーティを開くってことは、彼は貴族の出身ではないのだなぁ。その彼が提督に登りつめたということはそうとうなやり手で本国に対してのアピールも凄かったんだろうなぁ。なんて思います。

「RRR」最高!!

舞台や映画を見ていろいろ考察するのもまた楽しいものです。
そんな機会を与えてくれたこと、なによりこの作品に出会わせてくれたことに感謝です。
そして映画の世界観を崩さず宝塚化し、楽しませてくれた星組と宝塚歌劇のスタッフに心からの敬意を。

「VIOLETOPIA」

併演のショー「VIOLETOPIA」は指田珠子先生の大劇場デビュー作でした。
指田ワールドが心地よかったです。
個人的にいちばん盛り上がったのは「ハイウェイ・スター」から「リストマニア」の場面です。
このナンバーを歌いこなし踊りこなすタカラジェンヌに時代は変わったなぁとしみじみしました。
礼真琴さんのヘビのダンスもとても印象的でした。
パレードで大羽根を背負って降りてきた暁千星さんを見ておもわず涙ぐむ幸せ(・・ただの1観客でしかないのに・・)これが宝塚だなぁ。

両演目とも浮世を忘れてとても楽しかったです。
宝塚歌劇に幸あれ。

CAST

コムラム・ビーム(礼 真琴)
ジェニー(舞空 瞳)
A・ラーマ・ラージュ(暁 千星)
ジェイク(極美 慎)

バッジュ/SINGERRR男(美稀千種)
ネハ(白妙なつ)
オム(大輝真琴)
スコット提督(輝咲玲央)
ペッダイヤ(天華えま)
キャサリン(小桜ほのか)
エドワード(碧海さりお)
ジャング(天飛華音)
シータ(詩ちづる)

ヴェンカテシュワルル(ひろ香祐)
ロキ(紫 りら)
ヴェンカタ(朝水りょう)
ステファニー(澪乃桜季)
FIRRRE男(夕渚りょう)
ジェームズ(天希ほまれ)
カマル(世晴あさ)
ユクタ(七星美妃)
ポピー(二條 華)
WATERRR男(希沙 薫)
ヘンリー(煌えりせ)
アヴァダニ(颯香 凜)
オリヴァー(夕陽真輝)
リリー(彩園ひな)
ルードラ(奏碧タケル)
SINGERRR女(都 優奈)
ロバート(鳳真斗愛)
WATERRR女(水乃ゆり)
マッリ(瑠璃花夏)
チャーリー(紘希柚葉)
アルジュン(碧音斗和)
カーター(御剣 海)
FIRRRE女(鳳花るりな)
ラッチュ(稀惺かずと)
ライアン(大希 颯)

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2023/12/24

ルパン三世たぁ俺がことだぁ

12月15日に新橋演舞場にて新作歌舞伎「流白浪燦星」を見てきました。

白浪とは盗賊のこと。「流白浪燦星」と書いてルパン三世と読みます。
あの劇画やアニメで有名なルパン三世が安土桃山時代に居たら?という荒唐無稽な設定です。
ルパン三世が安土桃山時代(秀吉の晩年として1590年代?)にいたとして、そしたらおじいさんのアルセーヌ・ルパンは大航海時代の序盤に活躍した人になってしまう???ってくらいに笑。
なんですが、「細けぇこたぁいいんだよ」ってことでサクッと物語世界に入っていけるのが歌舞伎の良いところかな。

14日に観劇する歌舞伎座の天守物語が夜の公演のため宿泊は必至、翌15日はどう過ごそうかなぁと考えておりました。
宙組が公演するなら滑り込めないかなぁとギリギリまで粘ってみましたが中止となってしまったので気になっていたこの新作歌舞伎のルパン三世を見ることに決めました。

そんなかんじで気軽にチケットを取ったのですが、これが期待以上によかったです。
エンタメに振り切った初心者でも楽しめる舞台でありつつしっかり歌舞伎!!でした。

石川五右衛門の楼門五三桐(「絶景かな絶景かな」)に峰不二子の花魁道中、「白浪五人男」を模したルパン・次元・不二子・五ェ門・銭形の口上まである贅沢三昧な出し物でした。
他にも歌舞伎の名シーンを彷彿とさせる場面や有名なルパン一味の決めゼリフもふんだんで「待ってました!!」と心で快哉を叫びまくりました。
「ルパン三世」はテレビアニメを毎週見ていた世代でだいたいのキャラクターや決めゼリフは知っているつもりですが、おそらく私にはわからないけれどコアな笑いもとっていたみたいで原作ファンは嬉しいだろうなぁと思いました。

筋書きは荒唐無稽ながら筋が通っていて風刺も効いているし傾城糸星あたりの物語は思わず涙したりして。
決戦の舞台が伊都国(糸島)なのも福岡県民としては嬉しかったです。
糸星=いとほし(愛おし)=伊都☆☆☆・・なるほど。頭いいなぁ。と脚本とネーミングにも感心。

早替りに本水とケレンもたっぷり、荒唐無稽に傾奇いて江戸時代の芝居小屋ってこんな感じだったのかも。
浄瑠璃はもとより大薩摩も聞けてそれもびっくり。
歌舞伎役者の矜持も感じられ感心しつつ、これでもかのエンタメ三昧で大満足でした。

しかし宝塚歌劇では18世紀末のフランスでマリー・アントワネットやカリオストロ伯爵と絡んでいたし、歌舞伎では安土桃山(16世紀末)で石川五ェ門に真柴久吉(豊臣秀吉)と・・。次なるルパン三世はどこでどういう演出で見られるのかなぁと新たな楽しみもできました。

CAST

ルパン三世☆片岡 愛之助 愛嬌たっぷりの愛之助さんらしいルパンでした。やっぱりもみあげはないとね。声もアニメに寄せていて達者。巻き舌の「ルパァ~ン三世」や「不二子ちゃ~ぁん」が聞けて最高でした。
石川五ェ門☆尾上 松也
 まだルパンの仲間になる前という設定。やっぱり楼門五三桐やるんだ~~~からのいつものルパン三世の五ェ門スタイルへの早替えに爆上がりしました。傾城糸星との仲はさすが二枚目、せつない場面も見どころでした。
次元大介☆市川 笑三郎
 ルパンがだたの理解不能なお調子者に見えないのは次元がルパンへのセリフの返し、ルパンの真意をさりげなく言葉にするからこそなんだなぁと思いました。紙巻煙草ではなく煙管、トレードマークの顎鬚はそのままにハット代わりに伸び放題の(にしてはきれいに揃っている)月代。やっぱり次元はダンディでニヒル。股旅姿の道中合羽の裏地が緑でおしゃれでした。
峰不二子☆市川 笑也
 ルパンとの関係性、敵役との関係性、やっぱり不二子はこうでなくちゃ。不二子のテーマにのせた2幕頭の花魁道中は見応えがありました。あの高下駄であの優雅さ。素敵でした。
銭形警部☆市川 中車
 愛之助さんルパンなら中車さんが銭形でしょ。と思っていたらそのとおりに笑。銭形警部が銭形刑部に。投げ銭も寛永通宝じゃなくて永楽通宝に。その永楽通宝を染め抜いた着物がおしゃれ。テンガロンハットの代わりに変わり烏帽子、手にする十手はむしろ先祖返り??? ていうか銭形警部のおじいさん銭形平次(江戸時代)との関係は??とか考えても仕方がないか。細けぇことは・・(以下略)

傾城糸星/伊都之大王☆尾上 右近
 見ているだけでうっとりの花魁姿。ゴージャス&マーヴェラス。嫋やかな花魁とラスボスの早替えにびっくりしました。(個人的に9年前に見た愛らしい亀姫が・・と)大詰めの五ェ門との場面は泣けました。
長須登美衛門☆中村 鷹之資
 見るからに忠心の端正な侍姿で話す内容がぶっとんでいるギャップに萌えました。
牢名主九十三郎☆市川 寿猿
 役名に齢が~老美男子寿猿さんがこの役名で牢名主として舞台に存在することが楽しくて思わず笑みが・・。ルパン三世のことはご存知じゃなかったらしいのも流石です。
唐句麗屋銀座衛門☆市川 猿弥
 丸菱商事の部長さんが唐句麗屋さんに??あれ逆かな(わかる人にはわかるネタらしい「VIVANT」?)。
真柴久吉☆坂東 彌十郎
 北条時政の生まれ変わりと言われていたのは「鎌倉殿の13人」で演じられていたからですよね笑。さすがの久吉(秀吉)で説得力ありありでした。

2幕頭の片岡千壽さん演じる通人萬望軒さん(マモーではないの?)の説明もためになって面白かったです。
あらゆるところで初心者にやさしい演目でありがたかったです。
これは皆でみてワイワイやりたい演目だなぁと思いました。
(お正月に家族で見逃し配信見ようかな)

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2023/12/23

お言葉の花が蝶のように飛びましてお美しい事でござる

12月14日に歌舞伎座で十二月大歌舞伎の「猩々」と「天守物語」を見てきました。3部制で第3部の演目でした。

今年5月の平成中村座が姫路城天守の下で七之助さんが富姫の「天守物語」と知り、見たかったなぁと残念に思っていたところ12月に歌舞伎座で上演とな。しかも亀姫がなななんと玉三郎さん?!と聞いてはどうしても見に行きたいと思い、上京のスケジュールを練りに練り、めでたく見ることができました。

「天守物語」はその世界観が大好きでシネマ歌舞伎でも見ましたがどうしても生で見たくて9年前にはじめて歌舞伎座に行き観劇した演目です。
その時は富姫が玉三郎さん、亀姫が尾上右近さん、図書之助が海老蔵さん(團十郎さん)だったと記憶しています。
富姫と亀姫の戯れを自分の目で覗き込むように見て(3階席でした)嬉しくて涙したことを覚えています。

今回は1階席のセンター席で見たのですが、歌舞伎座は座席が千鳥になっていないのですね。衛門之介の首のやりとりのあたりが丁度前の方の頭にかぶってしまって見づらかったのがちょっと残念ではありましたが、1階席ならではの幸せもありました。

七之助さんの富姫はきっぱりと臈長けた美しさ。言葉の一つ一つがとても明晰に聞こえておっしゃるとおりと感心してしまいます。
玉三郎さんの亀姫はあどけなさと残酷さのあわいが絶妙で言の葉に光る怜悧さにはっとさせられます。したたかに愛嬌があり甘えているようで突き放す感じがたまらない。

「このごろは召し上がるそうだね」と富姫が吸いさしの煙管を差し出すのを受け取って、吸口に口を当て「ええ、どちらも」と別の手で杯を傾ける真似をする亀姫。こういうところ大好きです。愛らしいけれど何も知らないお姫様ではないのです。
猪苗代から姫路まで五百里の通い路を「手鞠をつきにわざわざここまでおいでだね」と富姫に話を向けられて、
「でございますから、おあねえさまはわたくしがお可愛うございましょう」
「いいえ、お憎らしい」
「ご勝手」
「やっぱりお可愛い」
富姫と亀姫の言葉のやりとりは夢を見ているようで、頬寄せ合う2人の姿に涙目になりました。なんて満たされる世界観なのだろう。
このやりとりを眺め暮らしていられたらと。
「お仲が良くてお争い、お言葉の花が蝶のように飛びましてお美しいことでござる」という朱の盤のセリフに心の底から肯きました。
会話の内容はなかなかぞっとするものだったりするのだけども。その、人ならざるものゆえの清々しさにしばし心が解き放たれました。

亀姫とは反対に涼しい女主人然とした富姫ですが、登場の場面で蓑を被った姿を腰元に誉められて「嘘ばっかり、小山田の案山子に借りてきたのだものを」「誉められてちっと重くなった」とさっさと脱ごうとするところの機微は案外可愛らしい面が感じられてこれもとても好きでした。腰元たちもこんな夫人にお仕えできてうれしいだろうなぁ。

2014年に見た時はこの人ではないものたちの世界を眺めているのがあまりにも幸せすぎて心がいっぱいで、その後に人間の図書之助たちが天守に登ってきて以降の記憶が飛んでしまっているのです。
おそらく心が人間の世界に戻りたくなくて拒否してしまったのかもと思います。

今回は富姫と図書之助とのやりとりがちゃんと心に入ってきました。
演出も変わったのかなと思いますが、七之助さんの富姫は言葉が明晰に響いてくるように感じました。虎之介さんの図書之助も言葉が涼しくはっきりと聞こえました。
そういうことだったのか、なるほどそうだったのか、と合点がいくことしきり。(9年前はなにを見ていたのかな?と)
小田原修理の説明もクリアに頭に入りました。
獅子の動きも変わったのではないかな? 動きがとても素早くてリアルでかつ可愛かったです。

「たった一度の恋だのに」
お互い目が見えなくなって死を覚悟するも一目お互いの顔が見たいと嘆く場面は涙しました。
富姫と図書之助の物語に没入できたせいか、工人の近江之丞桃六が登場して鑿で獅子の眼を開いたときは心から良かったなぁと思いました。
こんなにもハッピーエンドだったんだと。
おそらく以前に見た時は事の成り行きがよくわかっていなくて戸惑ってしまったのじゃないかなぁと思います。
今回の観劇でようやく自分が作品に追いついたかんじです。近江之丞桃六の言葉がとても心に染み入りました。

いつかまたこの演目を見てみたいなぁ。その時はどんな心持ちになるのかなと思いながら、とても満たされた気持ちで帰路に就きました。

覚書

「猩々」
猩々 尾上松緑
酒売り 中村種之助
猩々 中村勘九郎

「天守物語」
富姫 中村七之助
姫川図書之助 中村虎之介
舌長姥/近江之丞桃六 中村勘九郎
薄 上村吉弥
小田原修理 片岡亀蔵
朱の盤坊 中村獅童
亀姫 坂東玉三郎

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2023/12/19

未来と引き換えに今を得たんだ

12月13日と14日に東京芸術劇場プレイハウスにてフレンチロックミュージカル「赤と黒」を見てきました。
今回は2泊3日で3演目の観劇旅行でしたので駆け足で感想を残しておこうと思います。

このフレンチロックミュージカル「赤と黒」は、主人公のジュリアンの生い立ちには触れられず、ナポレオンについてや世情についてもざっくりとしか言及されていないので、セリフや演者の表現からそれらを感じ理解していくことになるのですが、今回見た梅芸版ではジュリアンのセリフの中にあった「身の程知らず」という言葉がすべてに繋がっているようだと思いました。

ジュリアンはこの「身の程知らず」という言葉を幼い頃から何百回と言われて来たのではないかなぁと思いました。
本を読んでいるのが見つかった時、ラテン語を学んでいるのを知られた時、ふと憧れを口にした時、なにかに立ち向かおうとした時、等々。
なにをしても「身の程知らず」という罵倒がついてまわるそういう生い立ちを背負っている青年なんだなぁと。
それゆえ口を噤んで野心は心の奥底に秘め、注意深くそして誇り高く生きているんだなぁと思いました。
「身の程知らず」が原動力でもあるのかなと。それを実行していくことが。

町長家の家庭教師になること、町長夫人ルイーズと恋愛関係になること、由緒ある侯爵家の秘書となること、高慢な侯爵令嬢マチルドと恋愛関係になること・・ジュリアンにとってはどれもが「身の程知らず」な行いになるかと思います。これらのみならずジュリアンにとっては望むことすべて、生きることすべてが「身の程知らず」と思えるのかもとも思います。

そんなジュリアンが成し遂げた最高の「身の程知らず」が、真実ルイーズから愛されたという実感なのでは、と思いました。
騎士(シュヴァリエ)の称号を与えられ貴族に連なりラ・モール侯爵家の一員としてそののちも地位を上り詰め権力を手にすることのほうがよほど「身の程知らず」な野心に思えますが、ジュリアンにとってはそれと同等かそれ以上に「真実愛される」ということに価値があったのかなぁと、独房を訪ねてきたルイーズとの美しいシーンを見ていて思いました。
愛されなかった子どもが、いまこの瞬間満たされたのだなぁと。

ラストシーンは納得のようなせつなさのようななんともいえない感情を味わいつつ、作品全体から、いまもなお「身の程知らず」という概念が存在する世界への若い人の憤りのようなものも感じました。
それがこの梅芸版からうけた独自の印象でした。

東京芸術劇場プレイハウスに行くまで

フレンチロックミュージカル版の「赤と黒」は、礼真琴さん主演の宝塚歌劇星組版Blu-rayをお買い上げしてしまうくらいその楽曲が好きだったので、梅芸版の上演が発表され主演のジュリアン・ソレル役が三浦宏規さんと知ってこれはなんとしても見に行きたいなと思いました。
公演日程を確認すると梅田芸術劇場ドラマシティ公演が1月3日~9日。東京芸術劇場プレイハウス公演が12月8日~27日。
常なら関西公演に行くところですが、お正月休みは家族の帰省に対応しなくてはいけないし、お正月休み明けは有給も取りにくいので無理。
ということで、12月に人生初の東京芸術劇場に行く決意をしました。

蛇足ながら池袋は20年以上まえにサンシャインシティの某同人誌即売会に行ったのと3年前にヅカ友さんに某元ジェンヌさんのコラボカフェに連れて行ってもらったことがある程度という極めて不案内な状態でした。
池袋駅の改札を出てふと、3年前に案内してくださった方が「西口にあるのが東武百貨店、東口にあるのが西武百貨店」とおっしゃっていたことを思い出したことが、本当に役に立ちましたです涙。
あれがなかったら見当違いの方向に進んでいたかも。
ひたすら「TOBU」というロゴを横目に見て自分を励ましながら地下通路を進んで無事に劇場にたどり着くことができました。

演出他について

私にとってフレンチロックミュージカルの愉しみは、心躍る楽曲とそれを活かすヴォーカルとダンスのパフォーマンスです。
その点で礼真琴さんは最高。
そして三浦宏規さんもその歌唱力としなやかなダンスパフォーマンスできっと満足させてくれるにちがいない!と期待でいっぱいで観劇しました。

13日のソワレは席が1階前方の超端っこ。隣の席には布が掛けられていました。(見切れになるからかな?)
スピーカーが近いせいか音のバランスが悪くて、いまいち気持ちがのれませんでした。(心臓が圧迫されるような圧が・・)
ていうか三浦宏規さんの登場が思ったよりも少ない??
脳裏に宝塚版が残り過ぎて、自分で勝手に盛り上がろうとしたところで逸らされてしまう感覚に「え?」っとなってしまったりというのもあります。
演出がちがうのだから盛り上げる箇所がちがうのも当然なんですけど、初見はそれに適応できずもっと楽しめるはずなのにおかしいな?と不全感に陥ってしまっていたみたいです。

14日はとちり席のセンター。これはもう最高でした。
我ながら現金ですが前日の感想撤回でとても楽しめました。
音のバランスもよかったですし、アンサンブルの方たちのダンスパフォーマンスもそのセンターで踊る三浦宏規さんも正面から見るとその凄さがよくわかりました。
メインキャストが舞台中央の扉から登場してパフォーマンスがはじまる演出が多いので前日はそれが見えていなかったのだということに気づきました。
やはり何にも勝るセンター席です。
前日に一度観劇しており宝塚版との違いを体験できていたことも大きいのかもしれません。

宝塚版と梅芸版を両方見たうえで思うのは、宝塚版はキャラクターを象徴的にわかりやすく強調していたのだなということ、舞台美術や演出も上下奥行きを存分に使いダイナミックに派手にしていたのだなということです。
年齢層の偏った女性だけで演じる舞台なので美術、装置、衣装、メイクで演者を盛ることが求められるからだと思います。(宝塚ならではの裏方さんの力が不可欠)

対して梅芸版は舞台美術もシックでシンプル、衣装も落ち着いた色合いのコートやドレスで、自身の演技力で勝負する役者さんを引き立てるようになっているのだなと思いました。
シックだった壁がダンスパフォーマンスになると瞬間で深紅に変わったり、マチルドのキュートなドレスが彼女の動きでウエストあたりの素肌が見えたりと、細かな部分の意匠がキャラクターやパフォーマンスを光らせるのが素敵でした。
敬虔なレナール夫人の人柄を表現したような質素なドレスも夢咲ねねさんのスタイルの良さを引き立たせて見惚れる美しさで作品の上で納得でした。ジュリアンが知らず知らず惹かれ、ヴァルノ氏が羨みレナール氏が自慢に思う夫人なんだなぁと。

歴戦の巧者を集めたキャスト陣なので皆さん1人で場面を持たせられるし動かせる。役者さん自身のキャラクターもとても濃くて芝居部分はストプレを見ているようでした。
と思っていると内心を吐露するロックナンバーのヴォーカルがはじまる・・という感じで初見はそれも世界観に没入し難かった理由かもと思います。
方向性が見えなくて自分だけ置いて行かれたような心地になってしまったのかなとも思います。しかしその方向がわかって見ると個々のエネルギーの凄さとその集合体の素晴らしさに心躍りました。

まったくの私の主観ですけども、13日ソワレと14日マチネでは客席の雰囲気も異なっていた気がします。その雰囲気を察知する能力に長けた役者さんが13日ソワレは客席の反応を呼び起こすためにちょっとばかりやり過ぎなところがあったのではないかなと、14日マチネのすべてが転がるように滑らかに物語世界に引き込まれる舞台を見て思いました。

CAST

三浦宏規(ジュリアン・ソレル) あの愚直で熱い「キングダム」の信だった人とは思えないほどすっとしていて大人しそうで、でも内になにを秘めているかわからない複雑な雰囲気を醸し出すジュリアンでした。(体型まで変わった??) 打って変わって抑えていた思いを爆発させる歌とダンスでは熱い内面の葛藤を激しく表現していて心奪われました。もっと歌って踊ってほしかったなと。
夢咲ねね(ルイーズ・ド・レナール) 一見敬虔そうでお淑やかな中流階級のお手本みたいな女性っぽいけれど内には激しい面も持ち合わせているのがよくわかるレナール夫人でした。密告書を全否定でバシバシとレナール氏に指示する場面が好きでした。シンプルなドレスの立ち姿や身のこなしの繊細さはさすが。獄中のジュリアンとのキスはキラキラの粉が舞い落ちていました。
田村芽実(マチルド・ド・ラ・モール) 2幕冒頭の可愛いのにお下品な顔芸のダンスパフォーマンスがとっても好きでした。ジュリアンが窓から入ってくる時の「コケるとこだった」「コケてたじゃない」は毎回?アドリブ?プライドは高いけれど不安定な心が痛々しくていいなぁ。この公演にはなかったけれど処刑されたジュリアンの首を抱えて接吻するシーンも見てみたかったです。終演後に若い観客の方が「めいめい、また幸せになれなかったね」と話していらして「うんうん、ほんとに」と思いました。
東山光明(ムッシュー・ド・レナール) ブルジョワ(中流階級)の滑稽さと悲哀を象徴するとてもスノッブな人物でした。でも小説(舞台)じゃなかったらそんなに侮られる人物じゃないだろうになぁ。名士であるために努力してて、それが家族の幸せにつながっているのだし、現実を生き抜くって大変なことだよねぇと彼なりの思いを歌うナンバーに「うんうんわかるよ」と思いながら聞きました。原作者に意地悪されている人だなぁと思いました。
川口竜也(ラ・モール侯爵) ラ・モール侯爵とマチルドを見てマチルドは「父の娘」なんだなぁとつくづく思いました。「パパみたいになりたい」シシィのように。父の価値観を内含し、よりそれを尖らせていく娘。それによって父を喜ばせ父に可愛がられ自尊心を満足させるもその「蜜月」は永遠には続かず、世間的に結婚させようとする父親に戸惑う。父が尊ぶ価値観に沿って俗物たちを見下して永遠に愛されていたいのにそこから切り離そうとする父への失望と抵抗、いら立ちが2幕冒頭のマチルドの尊大な態度なんだろうなぁと。それを甘やかす父ラ・モール侯爵。もうねーと思いました。そんな父が誉めるジュリアンに関心がいくのは当然。娘が自分から離れていくことを嘆いていたけれど、違う違う裏切ったのはそちらが先ーと思いました。いかにも娘に愛されそうな無自覚に罪深いパパでした。
東山義久(ジェロニモ) あやしい、踊るとカッコイイ、妙な存在感のジェロニモさん。客席とのやりとりも担当。2幕のはじまり、14日マチネはお客さんの反応がよくて嬉しそうに見えました笑。もっとジュリアンと絡むのかなと思っていましたがそうでもなかった? 神学校のくだりがないので、パリで著名なジェロニモさんがジュリアンをラ・モール侯爵に紹介する役割なんですね。飄々としているけれどジュリアンの立場をいちばん理解している人なのかな。ジュリアンの死、ジュリアンの生き方に感銘を受けてもいるように思いました。そしてどう思うかと観客につきつけてもいる・・。
駒田一(ムッシュー・ヴァルノ) テナルディエだ。いやいやヴァルノさんだ。あ、テナルディエ。ちがうヴァルノさん。を心の中で何回も繰り返してしまいました笑。ジュリアンの運命を狂わせる策謀家なんだけど悪者とまでは言えないのかなぁ。嫌なやつではあるけれど。おそらくブルボン朝~フランス革命~ナポレオン時代~王政復古~ナポレオンの百日天下~第二次王政復古と怒涛のような時代を生き抜いている人だからこそ、自分の才能や立場を鑑みてなりふり構わず足掻かなくては生き残れないと悟っているのかな。ヴァルノ夫人(遠藤瑠美子さん)とのナンバーがなかなか難曲そうでしたが流石でした。

エリザ役の池尻香波さんもとても気になりました。これから活躍される方なのかな。

思い切ってはじめての東京芸術劇場まで出かけてよかったなぁと満足の観劇となりました。

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2023/11/29

ナバーラ*式の構えだな

(*12月9日に鑑賞したライブ配信で演者の方々が「ナバーラ」とスペイン語風に発音されているのを確認したので、フランス語風の「ナバール」を改めました。引っ掛かってはいたのですがメリメが書いたフランス語の小説が原作だからかなぁと思っていました)

11月20日に梅田芸術劇場メインホールにて宝塚歌劇花組全国ツアー公演「激情」と「GRAND MIRAGE」を見てきました。

「激情」は2016年に月組全国ツアー公演を地元で観劇した時の印象が強く残っています。
当時はトップスター就任前の月組2番手男役だった珠城りょうさんが主役のホセを務め、トップ娘役の愛希れいかさんがカルメンを演じていました。

今回の花組も2番手男役の永久輝せあさんが主役のホセ役。
現花組トップスター柚香光さんが次回大劇場公演の演目をもって退団を発表されているので、次期花組トップスターは未発表だけど永久輝さんで決定でこの全国ツアーが顔見世的公演ということなのかなあ。
実力、経験ともに永久輝さんはいつトップに就任されても大丈夫だしあとは発表のタイミングの問題かなと思っています。

今回のカルメン役は星空美咲さん。別箱公演や新人公演でのヒロイン役を幾度も務めていてこちらも実力、実績ともに問題なし。
ただ今回にかぎっては、カルメンがカルメンでなくては作品が成立しないけど大丈夫かなぁという心配はありました。

2016年月組版ではカルメンを演じた愛希れいかさんのしなやかで精気溢れるダンス。心を振り絞るような声。どうにもならない葛藤に激しく心が泣いているように聞こえた「カルメンはどこまでも自由なカルメンでいたいんだ!」に心を揺さぶられた記憶がいまも脳裏に刻まれています。
けれどその近代的な葛藤がどうにも私が思い描いていたカルメン像としっくりこなくて・・すごく心を揺さぶられとても共感を覚えたのだけど複雑な思いになった記憶があります。
のちに愛希さんのエリザベートを見てこれだ!と膝を幾度も打ち鳴らしたい衝動に駆られました。いま生きている場所に対する居心地の悪さ、抗ってもどうにもならない無力さに地団駄を踏んで泣いているような愛希さんが演じる女性像に私は心を掴まれるのだとわかりました。
ただそれは私の中ではカルメンではなくエリザベートだったんだなと。

そんなふうにカルメン像にこだわりが強いため、星空さんはどんなカルメンを見せてくれるのかなぁとドキドキしながら観劇しました。

星空さんのカルメンは、最初はとても幼いカルメンだなぁという印象でした。身のくねらせ方やフラメンコは頭の中の愛希カルメンと比べてしまってぎこちない気がしていたのですが、見ているうちにどんどんカルメンとしての生き様に引き込まれていきました。

束縛されるのは嫌。所有物にされて囲い込まれたくない。ホセが勝手に思い描く「彼が心地よい人生」の一部にされたくない。
先の約束なんてできない。いまこの刹那に心が動くものを追いかけたい。
幼さもありながら迷いなくがんがん突き進む、この強さはどこから来るのだろう・・。
星空カルメンの「カルメンはどこまでも自由なカルメンでいたいんだ」にガツンとやられました。

彼女の気持ちを無視して自分のために彼女を縛り付けようとするホセに嫌気がさしているのもエスカミリオに惹かれるのもよくわかりましたし、自分を貫き通して死んでいく自分に納得しているのもよくわかりました。

ホセはポテンシャルは十分にあるのに、それを他人が作った規律の中でしか活かせない、どの集団に属しても有能なのに「自分の外の何か」にしがみついていないと生きていけない「自分が自分の王」にはなれない人なんだなぁと思いました。
カルメンが「あたいはオオカミ、あんたは犬」と言うのが胸にストンと堕ちました。

自由なカルメンに魅せられながらも、彼女を既成の檻の中に閉じ込めないと不安でしようがなくて彼女の芯から目を逸らすホセ。
彼女の本質を潰しても自分の囲いの中に置いて自分が安心したい。結局カルメンにミカエラのように生きることを望んでいる。
根本的な価値観が「ナバーラ式」なんだろうなぁ。それならミカエラと結婚すればいいのにと思いながら見ていました。
けっきょく「男らしい」という借り物の規範に自分が縛られて「男らしく女を従わせるという幻想」に囚われて自滅したんじゃないかなぁと。

19世紀のパリに生まれ洗練された時代の先端を生きるメリメには、自分にはできない純粋で泥臭い人生を生きたホセへの憧れと共感があるのだろうなぁとも思いました。
現代を生きている私がカルメンに強く惹かれるものがあるように。

そのホセがカルメンを刺殺してから処刑されるまで。
舞台だとほんの刹那ですが、その時の永久輝ホセの瞳がとても印象的でした。
それまでとはまったく違う顔をしていて、ああホセはたどり着いたんだなぁと思いました。
メリメもこのホセの瞳に触発されて小説を書いたんじゃないかと思うほど。
そうかホセがこの境地にたどり着くまでの物語だったのだなぁと勝手に納得してしまいました。
永久輝さん凄いなと。

永久輝さんのホセも星空さんのカルメンも、2人を取り巻く人々もとても解像度が高くてクリアでした。
いままで漠然としていた「カルメン」という物語に一瞬眩しい光が当たって明るく見えたような感覚を覚えました。
書物の中では感じ得なかった19世紀の感触が一瞬掴めたような・・それが現代と交錯した瞬間を私は見たんじゃないかなぁと思いました。

ロマのカルメン、誇り高く勤勉で真面目といわれるバスク人のホセ、そこにブルジョワ青年でフランス人作家のメリメの視点が加わる。
交わるはずのない3人がスペインのセビリアで出遭う。
人物配置が決まった瞬間からもうドラマが起きないわけがないやんという神設定の物語だったのかとあらためて気づきました。

2016年の月組版では、ホセ役の珠城さんとカルメン役の愛希さんが激しく心をぶつけ合っているそばで、ふわふわしたモラトリアム青年のメリメがお花畑の人みたいで正直イラっとしたのを覚えています。
メリメが説明しているようなことは言われなくても珠城さん愛希さんの芝居でわかっているのにいまさら?みたいに。

ところが今回はそう感じませんでした。
脚本は変わっていないはずなのに。演じているのも月組版の時とおなじ凪七瑠海さんなのに。

今回のメリメは小説家だなぁという印象でした。
このホセとカルメンについて受容しリスペクトしながらも異なる文化を生きている人だったように感じました。
ホセ、カルメン、メリメのバランスの違いで見える景色が変わったのかなぁ。

月組版の時は私の気持ちが「ホセ」と「カルメン」に引っ張られて行っていたのかもしれません。それはそれでとても見応えがあってよかったと思います。
今回はメリメの存在を視野に入れることで引きの目線で「ホセとカルメン」を感じることができたのかなと思います。

同じ作品でもこんなに異なった印象や感想になるなんて、やっぱりお芝居は面白いなぁと思います。

「GRAND MIRAGE」は今年大劇場で上演したばかりの岡田敬二先生のロマンチック・レビューの新作の再演。
大劇場公演での観劇では、新作だけど新場面だけど既視感があるのが面白いなーと思った作品でした。

全国ツアー版では少人数になって主演コンビが変わって、どうなるのかなぁと軽めの気持ちで見ていたら、プロローグからうるうるしてしまって結局最後まで涙目のままの観劇になりました。

舞台の上のタカラジェンヌの皆さんが煌めいていて華やかで気品があって・・。それを間近に見るだけでこんなにも心震えるんだと思いました。
「岡田先生のいつものレビュー」なんて軽い気持ちで見てゴメンナサイでした。
「岡田先生のいつものレビュー」・・なんて貴い・・と感動しました。

全身紫陽花色のくすみパステルの夢夢しいスワローテイルにロングドレス。
こんなコスチュームが似合う人たちがこれだけ舞台に揃うってあり得る?
どれだけの努力をしたらこのコスチュームが似合うフェアリーになれるの?
と。

美しさに感動できる体験なんて日常のなかでそうそうあるものではないのに。それをこんなに間近に感じられる幸せに涙しました。

カーテンコールの挨拶で永久輝さんが「皆さまが愛する宝塚、私たちが愛する宝塚を全国に届けてまいります」とおっしゃったことも胸に沁みました。
この幸せな体験がたくさんの方に届きますように。
そして花組の皆さんが健やかに全国を巡られますように。
心から祈っています。

「激情」CAST

ドン・ホセ(永久輝せあ) 
カルメン(星空美咲)
プロスペル・メリメ/ガルシア(凪七瑠海)

フラスキータ(美風舞良)
スニーガ(紫門ゆりや)
エスカミリオ(綺城ひか理)
ダンカイレ(帆純まひろ)
レメンダート(一之瀬航季)
ミカエラ(咲乃深音)
モラレス(侑輝大弥)

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2023/11/20

完璧じゃない生きてくことは(Eres mi amor ―大切な人―)

11月14日付で宝塚歌劇団が発表した調査報告書を読みました。

さまざまなことが千々に思い巡らされ、文字にしようとしてもとてもまとめることができませんが、なにか一つを考えるごとに、これだけの放置状態であのとてつもない舞台をとてつもない数こなしていたんだなぁという驚きが心の中から溢れてきます。

「すみれコード」や「フェアリー」という呼称に代表されるような夢の世界にそぐわないからと「存在しないもの」「無いもの」とされていたもの。
それは彼女たちを守るためのものではなく彼女たちの人間としての尊厳そのものを犠牲にさせることだったとあらためて悟りダメージを受けています。
機関誌や専門チャンネル、お茶会などでの彼女たちの発言から断片的に感じるものはあったのにその本質を見ないようにしていた自分が情けないです。

阪急電鉄本体、そして歌劇団の運営側にとっても、彼女たちが命を燃やして頑張っていることは「勝手にやっていること」という認識だったのだなぁと報告書の文面を追いながら考えました。組織全体として俯瞰的な現状把握もなく意識改革もされず、無理が生じるたびに部分最適を繰り返してきた結果が一般社会の常識とはかけはなれた文化の形成につながり、そのことが彼女たちにますます負荷をかけ今回の出来事につながってしまったのだろうと推測して遣る瀬無い思いに心塞がれています。

世間一般から隔絶され放置された状況であれだけの数のあれだけのクオリティの公演(一つ間違うと危険を伴うパフォーマンス)をこなしていくために形成されたガラパゴス的文化はとうてい1人だけで担えるものではなく現場にいる人びとの途切れぬ協力があってこそのはず。
そこに過ちがあったことは間違いはないと考えますが、支え合うことでなんとか成り立っていたものがなにかをきっかけに崩壊してしまった。
それがなんだったのか。それを審らかにできなくては、この先の安全な公演も無理な気がしてなりません。
もちろんなによりも全構成員の意識改革が最優先だと思います。

罪の意識がなかろうと構成員の誰もが加害者であり被害者であり得たこと。
同時に彼女たちに身勝手な夢を託していたファンもまた加害の一端を担っていたことを認める必要があると思っています。

認めるにはつらいことがたくさんありますが、彼女たちが人として尊重されますよういまは心から願っています。

Eres mi amor ―大切な人―/星組公演「シークレットハンター」

 

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2023/11/12

みんながhappy!

10月31日と11月2日に博多座にて宝塚歌劇星組博多座公演 「ME AND MY GIRL」を見てきました。
この公演は主役のビルと遺言執行人のジョン卿を、専科の水美舞斗さんと星組2番手の暁千星さんが役替わりで演じていました。
10月31日の観劇はソワレで水美舞斗さんビルの千秋楽、11月2日は大千穐楽で暁千星さんがビルを演じていました。

お二方とも初日に比べると余裕綽々。アドリブも満載でした。
11月2日の千秋楽では次回大劇場公演「RRR」のPRがチョイチョイ入っていて期待を膨らませました。
どちらのビルもパーティのレッスンの場面などで小桜ほのかさん演じるディーン公爵夫人マリアに対していく通りものアドリブを仕掛けて思わず公爵夫人も笑いそうになっていました。

暁さんビルは公爵夫人が目を離した隙に机の下にするりと隠れてしまいました。落ち着きのないビルならやりそうです。
急に消えてしまったビルに小桜さんは内心とても焦ったようですが、公爵夫人としてビルを探し心配し叱責していた小桜さんはさすがでした。
小桜さんの公爵夫人は怒っていてもどこか可愛らしいところがあるのですが、急に隠れてしまったビルにプンプンしながらもちゃんと舞台にいたことに内心ほっとしている様子もうかがえてさらにチャーミングさが増していました。
ジョン卿が30年以上愛し続けた理由がよくわかりました。
私も公爵夫人がさらに好きになりました。

この博多座公演でビルの役替わりという世にも稀なものを見ることができましたが、演じる人によってこんなにも印象が変わるのだなぁとあらためて思いました。
多動で落ち着かなくて礼儀知らず、でもその人間的な魅力で人々を巻き込んでしまう水美ビル。
危なっかしくて悪戯っ子、内省的で人々との関わりによって気づきを得て変わっていく暁ビル。
そんな印象をうけました。

「私が考える理想のビル」にしっくり合ったのは水美さんですが、暁さんビルと舞空瞳さんサリーの対はこれはまた「私の理想の一対」で、けっきょくどちらも好き❤というのが結論です。

舞空瞳さんはこの個性の異なる2人のビルとそれぞれに心を通わせて、はつらつと陽気に愉快に登場し、健気でせつない心情を歌にのせ、最後はメイフェアレディに大変身というヒロインのサリーを魅力いっぱいに演じていてとても素敵でした。
泣きそうなのに「笑ってるのさ」と言うときのお芝居などなど、本当に表情ゆたかで見ていて胸がきゅんとしました。

ジェラルド役の天華えまさん、ジャッキー役の極美慎さん、パーチェスター役のひろ香祐さん、ジャスパー卿役の蒼舞咲歩さん・・と役のひとりひとりが予想以上にクオリティの高いパフォーマンスで最高にたのしかったです。

それから輝咲玲央さんが演じたヘザーセットがもうこれぞ英国貴族の邸の執事!という感じがして内心たいへん興奮しました。
口には出さないけれど目がものを言っているところとか。目に映る人物ひとりひとりについて、尊敬、愛情、侮蔑・・等々思うところがあるようだけど、それを匿しつつ慇懃な物腰で余計なことは一切言わないかんじがとてもプロフェッショナルで好き❤と思いました。

そういえば、ふつう支配階級の人は邸の執事のことは敬称なしで姓を呼ぶと思うんですが、ジャッキーは彼を「チャールズ」とファーストネームで呼んでいたのが、なにか意味があるのかなと気になりました。邸の人間ではないから? 世代的なもの? なぞです。
それからアドリブだったのか、誰かが「チャーリー」と呼んでいたようにも思います。
(ミーマイは次々に物語が展開していくので思考を止める暇がなくて記憶が曖昧になります・・汗)

あんまりヘザーセットが好きすぎて彼の周辺、彼の反応だけを見ていたい気持ちも湧きましたが、そんなことは無理!(登場人物ひとりひとりが面白くて目が足りない!)
でも叶うなら「ヘザーセットの一日」とか「ヘザーセットの一週間」とか彼の目線でお邸の人々を見てみたいです。
(スカイステージでやりませんか?)

ところでプログラムによると舞台はメイフェアのヘアフォード家の邸宅ということらしいのだけど、冒頭で招待客がトランクを積んだ車に乗り込んでヘアフォード邸での休日の滞在を楽しみにしていると歌っていたり、彼らが領地内でクリケットやテニスやガーデンパーティをしていたり、ビルが狩りや乗馬をしていること、階下にたくさんの使用人がいること、領地内にパブがあることなど(パブの客がビルのことをご領主様と呼んでいる)を見ると、舞台となるお屋敷「ヘアフォード・ホール」はロンドンの邸宅(タウンハウス)ではなくてロンドンから車で小一時間くらいの郊外のカントリーハウスだと思うんです。
たとえば「ダウントン・アビー」に使用されたハイクレア城みたいな。

上級階級といっても皆が皆、カントリーハウスを所有しているわけではないと思いますし、時代的(1930年代)にもカントリーハウスは手放してロンドンに常住している貴族も多いと思うんですが、ヘアフォード伯爵家は領地とそこに歴史ある屋敷を所有している由緒正しい貴族ということだと思います。

その継嗣が他人のポケットからモノを掏るのが特技というランベス育ちでコクニー訛りの行商人ときては、反発が強いのが本当だと思うんです。
ジョン卿が難色を示すのは当然だし、ジェラルドが繰り返しビルの訛りについて言及し我慢がならないと口にするのもまあそうだろうなぁと思うのです。

ですが、ビルの信じられない無作法さを見ても兄の息子なら伯爵に相応しい紳士になる(血筋が必ずものを言う)と公言する公爵夫人も凄いし、お金持ちの伯爵であれば無作法さは不問にできるジャッキーも凄いと思いました。
2人ともとてつもなく器の大きい寛容な心の持ち主なんじゃ・・? それこそ血筋?

ジャッキーのような英国の上流階級の娘にとって爵位と財産がある貴族の長男と結婚できるかどうかは人生の最重要課題。
なりふりかまわず「自分のことだけ考えて」行動するのは至極当然で、現代の受験や就活以上に一生を左右するシビアな問題なのですよね。
自分の力を100%発揮して幸福を掴もうと努力する心意気は立派だと思いました。
こんな彼女ならおそらくこの先の世界の変化にもついていけそうな気がします。仕事に就いても成功しそうです。

ビルだって「伯爵家を継ぎ愛するサリーと結婚してハッピーエンド」のその先は・・その領地やお屋敷を維持していくのはかなりの困難になりそうな時代です。
数年後には第二次世界大戦が勃発しますし英国もこの先いろいろな問題が待ち受けているわけで。
などど、ついつい暗いことも考えてしまいますが、ビルならなんでもやれそうだし、職業を持つことにも抵抗がないだろうし。セールスなんてお手の物じゃないかなと思います。
この時代にビルを第14代伯爵として迎えたことはヘアフォード家にとってなにより幸運といえるかもしれないなぁなんて想像しました。

サリーもジャッキーもたくましくて頼りになりそうです。
2人でメイフェアにブティックを共同経営したりしてたらいいなぁ。
あ、たぶんジェラルドは働いていないと思います・・笑。
でも彼は彼でなんとなくそこにいるだけでいいような・・誰かの対話の相手であったり時代を共有する仲間であったり、その存在が関わる人の安らぎになりそうだなと思います。なにより突っ走るジャッキーを引き留めたりは彼にしかできない役割じゃないかなと。

そんなふうに時が経ってもみんながハッピーでいたらいいなぁと想像しています。

2023年の10月に博多座でこの星組公演「ME AND MY GIRL」を見れたことはずっとずっと私の大切な思い出になると思います。

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2023/11/06

夢を見たの

10月25日と26日に宝塚バウホールにて星組公演「My Last Joke -虚構に生きる-」を見てきました。

天飛華音さんの初主演公演で主人公はエドガー・アラン・ポー、詩ちづるさんが彼の妻となるヒロインのヴァージニアを演じていました。
作演出は竹田悠一郎先生。場面ごとの登場人物たちの有様と言葉を追いながら読み解いていくような宝塚バウホールだからこそできる作品で、脚本は役者を得てはじめて命を宿すのだということがわかる公演でした。
手島恭子先生作曲の憂いを帯びた美しい音楽が舞台を包み込み物語世界に刹那の煌めきをつくり出していました。

肉親の縁に薄く愛着に問題を抱え誰とも信頼関係を築けぬまま、亡くなった母を理想化している青年の物語。
天飛さん演じるエドガー・アラン・ポーの印象は幼児性が抜けきれない癇癪持ち。
人としてしてはならないルールををすでに36破っています。とミーマイのディーン公爵夫人マリアの声が聞こえてきました。

相手に罪悪感を抱かせて行動や考えを支配してはいけません。
「離して」と言われたら離さなくてはいけません。
反論できないからといって癇癪を起こして怒鳴ってはいけません。
自死を示唆して恐喝してはいけません。
病に冒され心細がる妻を独りで放っておいてはいけません・・

独善的でどうしようもない人間でした。エドガー・アラン・ポーという人は。

エドガーに取り憑かれ命をすり減らしていくヴァージニアが不憫でなりませんでした。
最初は興味本位で近づいた年上の男性に手懐けられ、その寂しさに引き寄せられ、激しく責め立てられて彼の世界に取り込まれてしまう彼女が。
おそらく女手一つで娘を育てているヴァージニアの母マリアの心中を思うと心が痛みました。
彼女の真っ当な意見にも癇癪を起こし冷静な話もできない男に、まだまだ手許で愛しんでいたい年頃の娘を・・。委ねたくて委ねるのではないでしょう。

初見ではヒロインの母の心情に共鳴してしまい、エドガー・アラン・ポー、とんでもないやつだと思いました。
とはいえ娘の結婚相手を見つけるために観劇しているわけではないのだから、気持ちを新たに見てみようと翌日の観劇に臨みました。

2回目に見たエドガーも、やっぱりどうしようもない人でした。
恐ろしいほど幼くて純真で邪悪。

他人を陥れる企てに躊躇もなく、期待以上の才を発揮して相手を打ちのめしていました。
これには顔も人も好いロングフェローはひとたまりもない。豆鉄砲を食らった鳩みたいに立ち尽くすだけ。

初めて自分の領域に入り込んで来た人類であるヴァージニアを手放すことができず彼女が自分から離れることを恐れるあまりに無理な結婚をする、まるで孤独な冥王のようでした。

彼女を自分の世界に縛り付けておきながら自分の心の暗黒の淵から目を離すことができず現実の彼女を見ることができない。
ヴァージニアを伴侶に得たことでさらに彼の不安は大きくなってしまったみたいです。
喪失が耐えられなくて病に冒されたヴァージニアを抱きしめにも行けない。
ヴァージニアが彼に捧げる真の言葉も彼の耳には届かない。
かわいそうなヴァージニア。

物心ついてからずっとエドガーにとってのリアリティは憎しみや誹りや妬みに満ちた世界に立ち尽くす孤独で、愛とは儚く指の間からすり抜けるもの。
独りで見る夢の中にだけ在るものだったのかもしれません。
幼い頃に築けなかった愛着の関係が彼の人生に影を落としているように思いました。

幼い子どもが向き合うにはあまりに過酷な環境にいたから夢の世界、自分の内的世界に没入したのかもしれません。
夢想の中の母はやさしく儚く彼に微笑み彼に夢を見させる。
思い出を煌めくような言葉で書きつけておくことで自分の世界を作り出し、内的世界を広げて育っていった人なのではないかと思いました。

海原に浮かぶ砂上の机に向かい、ひとりペンを走らせている青年、そんな心の風景が浮かびました。
喪失の怯えに苛まれ続けた彼は、愛する人がこの世のものではなくなってやっと安心して愛せたのかもしれません。

誰しもが抱える心の奥に潜む影に怯えながらも目をそらさず見つめ続けた人だったのかなぁと舞台を見て考えました。
決して誉められはしない人生かもしれないけれど、だからと言って断罪して終わりにはできない。
そんなエドガー・アラン・ポーの魂の断片は、いまも世界のどこかで誰かの心に沁みているのだろうなと思います。

CAST

エドガー・アラン・ポー(天飛華音) 親切な脚本とはいえない分、天飛さんが繊細な芝居で時々の心情を表現しているのが凄いなぁと思いました。エドガーから感じられた幼さと純心は天飛さんに由来するものかもしれないなとも思います。いきなり感情を爆発させるところはびっくりでした。
ヴァージニア・クレム(詩ちづる) 生命力溢れる少女がおとなしい女性になってしまうのがせつなかったです。詩さんの透明感と安心感、すべてを包み込むような歌声が印象に残っています。
ルーファス・W・グリスウォルド(碧海さりお) 自分の感性に絶対的な自信があり創作物に対する見切りも異常に早い編集者。その裏には創作の苦しみを味わった経験と創作を続ける人への妬心もあるのかな。しかしそれゆえに素晴らしい創作物に出遭った時の衝撃も大きくそれを認めざるを得ない葛藤がある複雑な人物を碧海さんは絶妙に演じていました。個人的には「ベアタ・ベアトリクス」でダメダメな主人公を最後まで見捨てない好い人を演じていた碧海さんが真反対の役を演じられていた衝撃が大きかったです。
大鴉(鳳真斗愛) エドガーの心象が具現化したような役。登場が禍事の予兆であったり葛藤するエドガーの影のように踊ったり佇んだりという存在でした。セリフもない役でしたがその存在に自然と目が行き、とくに長い手足で禍々しくも美しく踊る姿には引き込まれて見てしまいました。
フランシス・S・オズグッド(瑠璃花夏) 自らも詩人でありエドガーが書く詩を心から愛しているという役どころ。現実のエドガーと恋愛したりともに暮らしたりすることがどれほど危ういことかを知っているくらい大人なのだと思いました。だからこそヴァージニアが心配なのだろうと思いますし、でもヴァージニアがエドガーの創作の源であることもわかっていて、エドガーの創作を愛しているゆえにエドガーから彼女を引き離すことができないのではないか、だから彼女がヴァージニアに寄り添うのは贖罪の意味もあるのかなと思いました。瑠璃さんの鈴の音のような声がとても心地よかったです。
ナサニエル・P・ウィリス(稀惺かずと) エドガーの同業者で理解者。エドガーとロングフェローとの文学的論争をけしかけたりする曲者でもあり、1840年代の米国文学界を簡単に説明する狂言回し役も担っていましたが、稀惺さんの流暢な説明セリフがとても聞き取りやすくてその口跡のよさ、話を聞かせる技量に驚きました。これからもさらに注目したいと思いました。
ヘンリー・W・ロングフェロー(大希颯) エドガーの同業者で顔も良い育ちも良い人物。グリスウォルドに気に入られて一躍有名人になったけれどもエドガーに一方的に批判されて豆鉄砲を食らった鳩のような顔がまた人の好さと育ちの良さを表していました。エドガーが「大鴉」で成功を収めたときも潔く負けを認め受容するところもまったく嫌味がない好人物に見える大希さんのお芝居がよかったです。

そのほかの演者の皆さんについても、それぞれが自分の役と向き合い作品世界での居方を考えて演じているのがつたわる舞台でした。
この経験はきっと実を結び次の作品につながるはずだと期待しています。
こういう作品を上演できることがバウホールという劇場が存在する意義なのだと思う公演でした。

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2023/10/23

離さないよこの手を‥

10月9日と13日に博多座にて宝塚歌劇星組公演「ME AND MY GIRL」を見てきました。
この公演は、主人公の下町育ちの青年ビルと遺言の執行人である貴族の紳士ジョン卿を、専科の水美舞斗さんと星組2番手の暁千星さんが役替わりで演じるのですが、それぞれの初日を見ることができました。

それぞれの初日

10月9日の正真正銘の初日。
きっと出演者全員が緊張していたことと思います。(開演に先立って理事長の挨拶もありましたし)
けれどそんなことを微塵も感じさせない素晴らしい舞台で、ミーマイってこんなに泣ける作品だったっけ?と驚きでした。

カーテンコールの水美さんの挨拶で、開演前にサリー役の舞空瞳さんと顔を見合わせて泣きそうになっていた話をされて、えっそうだったのかと思いました。
ハットトリックも懐中時計の出し方もとってもスムーズでステップも軽やか、これが初日かと思うくらいだったのに。
でも言われてみると、水美さんは緊張するとテンション高めに陽気になる人なのかも。
それが、じっとしているのが苦手で片時もなにかしていないといられなくて人をからかったり悪戯をしたりと表面上はふざけている(ふざけるしかない)けれど、本当はとても考えていて心優しいビルという人物造形と重なって、物語の本質をわかりやすくしていたのかもと思います。

逆に暁さんは緊張するとおとなしくなるタイプなのかなと思いました。
10月13日の役替わり初日では、さいしょのうちは少々ぎこちなさも感じましたし段取りが大変そうだなとも感じました。でもまっすぐにサリーを愛するビルでした。
敵わない相手にも真正直に打ちのめされて傷ついても一途にサリーを愛する健気なビルが涙を誘いました。
対立する公爵夫人やジョン卿に対しても無意識に甘えているところがあって、それがチャーミングだなぁと思いました。彼らが次第にビルを愛していくのがよくわかりました。
そんな彼に別れを覚悟した公爵夫人が呼び掛けた「ビル」がとても心に沁みました。

わかりやすい演出

以前のヴァージョンと比べて物語がとてもクリアになっているように感じました。(以前のヴァージョンって一体どれやねんですけど)

記憶ですと執事のヘザーセットあたりの英国らしい慇懃なセリフがあったと思いますしビルももっと無礼なことや皮肉を言っていた気がしますが、今回の公演ではそのあたりが控えめになって物語の核心を追いやすく、セリフやナンバーの一つ一つが心に沁みました。
ミュージカルコメディなので笑いも大事なのですが、今回はテーマを人が人に持つ愛にフォーカスしていたのがとても効いていたと思います。

英国の貴族社会の奇妙さや労働階級との対比が滑稽に描かれていることがこの作品の面白さでもありますが、本国では常識でも日本ではあまり知られていない事柄をネタにしたものやサリーたちが話しているコックニーについてなど、日本語で演じるにあたって何を削って何を残すか、どう表現するかは大事かなと思います。

また初演の頃は問題視されなかった差別的なジョークなどはカットが正解だと思いますし、宝塚歌劇は観客がオトナなリアクションを取りづらい演劇でもあることも踏まえての取捨選択も必要かと思います。
再演を重ねるごとにそういった部分が洗練されていくのか、今回は細かなところで引っ掛からずに観劇できました。
(ジャッキーのラスト近くのアレはギリギリかなぁ・・)

そのほかに「ONCE YOU LOSE YOUR HEART」をはじめ、以前から訳詞がおかしいとの指摘がある作品ですのでそこはどうするのかなと思っていましたが、そのままの歌詞で歌われていました。
今回は焦点を人と人との愛情に絞って、それ以外のところに引っ掛かりをつくらない芝居が功を奏したといいますか、各登場人物の心情に心を動かされる作品になっていたので歌詞に違和感を持たずにすみました。
原作に忠実というより歌詞に合わせた宝塚版らしい心のやりとりの作品になっているなと思いました。

ザ・ミュージカル

メインの3人(水美さん、暁さん、舞空さん)が現在の宝塚でも屈指のダンサーであることはもちろん知っていましたが、やはりダンスシーンは期待以上に素晴らしかったです。
また、この3人だけでなくアンサンブルもダンサー揃いなのにびっくりしました。
「街灯によりかかって」でビルの両サイドの男役さんたちのダンス。そのあとの娘役さんたちも加わったダンスシーンはとても素敵で、わぁミュージカルだー!と心躍りました。
主題歌のタップダンス、「ランベス・ウォーク」、「太陽が帽子をかぶってる」、公爵夫人とご先祖様たちの「ヘアフォードの歌」、ビルとジョン卿の「愛が世界を回らせる」どのダンスナンバーも愉しかったです。
ダンスだけではなくて歌も素晴らしくて、お屋敷の階下で使用人たちが歌う「英国紳士(English Gentleman)」のコーラスは気持ちがよかったです。
「ヘアフォードの歌」の公爵夫人マリア役の小桜ほのかさんにも聞きほれました。
総じて歌・ダンスのレベルが高いことも観劇後の満足感の高さにつながっていたと思います。

舞空瞳さんのサリー

舞空瞳さんが演じるサリーは、まず登場でたいへん元気でガサツな下町っ子という風情を前面に出していて、その後の物語の流れにメリハリをつけていてとてもよかったです。
ビルとの阿吽のやりとりに深い愛を感じました。
最初の印象とかちがい、じつは学校でもよく学んでいて、でも自分の境遇もよくわかっていてそれに相応しいふるまいをしている、とても聡明な女性なんだな思いました。
生まれ育った町を受け容れ、その町でビルと一緒に愛を育んで生きていこうと最善を尽くしているところだったのだろうに、いきなりその柱であった愛するビルがかけ離れた世界の人間になってしまった。
愛するビルに最良の人生を送ってもらいたい、そこには自分の居場所はないのだと自覚していく流れがとてもせつなかったです。

キャスト

ビル・スナイブン(水美舞斗/暁千星) 水美舞斗さんのビルは次から次へと思いつくものを口にするような落ち着きのなさがいかにもコメディアンらしいビルだなぁと思いました。するりと懐中時計を差し出すタイミングも絶妙。いつもひとをおちょくって馬耳東風みたいな彼が実は心の奥では傷つき真摯な思いを秘めていることがわかるところのギャップがよかったです。サンドイッチのハムの比喩の身の置きどころないせつなさが無性に沁みました。サリーが幸せでないと彼も幸せでいられない魂の結びつきを感じました。「街灯によりかかって」の後ろ向きのステップがとても洒脱で思わずステキ!と心で叫びました。
暁千星さんのビルは隠し事ができない真正直さが見えるビル。笑顔で振り払いながらもヘアフォード家の人々の言葉が刺さり揺れ動いているのが見えるビルでした。サリーと生家の人々両方のために最善を尽くしたいけれどどうしたら良いのか混乱した彼がせつなさといろんな形の愛を受け取りながらアイデンティティを再構築していく物語に見えました。サリーが笑うと彼も輝くサリーの表情が曇ると彼も曇る合わせ鏡のようなサリーとビル。「街灯によりかって」の幻想のデュエットダンスが夢のような2人でした。

サリー・スミス(舞空瞳) 登場時のインパクトがとても強いサリーでした。それは愛するビルのキャラに合わせたものなのだ、見かけよりずっと聡明な娘なのだとわかると懸命にガサツにふるまっている彼女がいっそう愛おしかったです。
それからフィナーレです。こういうフィナーレを見てみたかった!と思いました。ラインダンスのレディルージュ、そしてデュエットダンスの前のソロダンス、存在感が素晴らしかったです。水美さんとのペアの時のピンクのドレス姿の可愛らしさ、暁さんとペアの時のアイスブルーのドレス姿の気品。うっとりでした。

ジョン・トレメイン卿(水美舞斗/暁千星) 水美さんは頼りない感じがチャーミング。優しさと包容力を感じるジョン卿でした。ビルに向ける瞳もサリーに向ける瞳も温かくて、この瞳で何十年もマリアをみつめていたんだろうなぁと。
暁さんは予想外にダンディで厳しさもあるジョン卿でした。ロマンティックな物語を紡ぎそうな甘さも魅力的でした。いかにも貴族らしい上品な立ち振る舞いは月城かなとさんを彷彿させるところもあり月組で培ったものが活きているのかなと思いました。
どちらのジョン卿もビルとのブラザーフッドが楽しくて「愛が世界を回らせる」が最高でした。

ディーン公爵夫人マリア(小桜ほのか) 若めの公爵夫人ですが、宝塚版はビルも若いのでその叔母だとしたら40代くらいに見えたらいいのかも。なにより水美さん暁さんのジョン卿ともお似合いですし。小桜さんは声がとてもよくて「フェアフォードの歌」も素晴らしかったです。ビルとのパーティのレッスンで笑いを誘い、彼が出ていく決意をした時にいつも呼んでいる「ウィリアム」ではなく「ビル」と呼び掛けるのが涙を誘いました。ラストのウェディングドレスはチャーミングでとっても素敵でした。

ジャクリーン・カーストン(極美慎) 美しかったです。まずは極美さんにジャッキーをキャスティングしてくださったことに感謝。「美しい」と思うこの気持ちって何なんでしょうか。いつかは答えが出ることなのでしょうか。美しいとはなんぞと自分に問いかけるほど美しかったです。相手によって態度をコロコロと変える抜け目のなさ、でも嫌な女に見えないのは彼女が自分の人生を主体的に生きようと必死なのがわかるからでしょうか。結婚相手を間違えないことはとっても大切ですよね! 綺麗事で自分を誤魔化さないところにも惹かれるのかな。水美さんビルと暁さんビルによっても反応がちがうのも面白かったです。フィナーレのタンゴも眼福。水美さんとのペア、暁さんとのペアそれぞれ見られてラッキーでした。(ウィッグもそれぞれに違ってどちらも素敵でした)
今回は美しい娘役姿を堪能させていただきましたが、存在感や実力も着実に身に着けている極美さんの男役姿も楽しみになりました。

ジェラルド・ボリンブローク(天華えま) 労働は不名誉だと思っているいかにも貴族の子息。オナラブルという儀礼称号保持者なので(以前のヴァージョンだとセリフでそのことに触れていた気がするのだけど今回は言及がなかったような)彼自身に受け継ぐ爵位はないみたいだけど、なにか偶然が重なれば転がり込んでくる可能性も0ではない・・かな。でもほぼ可能性はないのでしょう。だから継嗣が行方不明のヘアフォード家の財産を狙っていたのにビルが現れてしまい目論見は水の泡。そのうえフィアンセまで取られてしまいそうという踏んだり蹴ったりの状況なんだけど、その割には自分から動いてなにかをしようとは思っていなさそうなのがジェラルドという人物の面白さかなぁ。(そもそもヘアフォード家の財産を狙っていたのもジャッキー主導で彼は口車にのせられていただけかも) いかにも英国の貴族社会の一隅にいそうな青年を天華さんがいい塩梅で演じていて面白かったです。
そんな彼が初めて主体的に行動したのが例のアレなんでしょうね。前時代的な価値観が反映されていてやっぱりうーん・・とは思います(ほかに替わる象徴的な行為があればと思うんですけど)。
フィナーレの冒頭で公爵夫人役の小桜ほのかさんと一緒に歌う主題歌が小粋で素敵でした。センスのある人がどんどん起用されるのはいいなぁと思います。

パーチェスター(ひろ香祐) とっても楽しい家付き弁護士さん。彼が歌い踊るとヘアフォードの皆さんも一緒に踊る不思議。弁護士さんも奇妙だけどヘアフォードの皆さんも変わってるなぁと思います。
ひろ香さん良い味出してるなぁと思いました。財産のある貴族にくっついて生きる彼には役に立っているアピールはとっても大事なことなんだろうなぁと思いました。
ところで彼のファーストネームは本当にセドリックなのか問題は解決しているんでしたっけ。あれはビルが勝手に言っていることなのかな?(本国版では役名がハーバート・パーチェスターになっているのがずっと気になっています)

ジャスパー・トリング卿(蒼舞咲歩) 蒼舞さんのジャスパー卿はセリフを発するタイミングが絶妙で独特の可笑しみを醸し出していました。ヘアフォード家に彼がいることの意味は大きいなと。彼の椅子はいつも用意されていて何をするわけでもないけれど若い人たちが自らに問いかけて答えを出していく場に居合わせるそんな存在のよう。相手によって態度を変えるわけでもなく、そもそも相手の属性に気が回っているふうでもない、誰の利害にもならない。それがいいのかなぁ。「泣いているのかね」「泣いてないよ」というサリーとの禅問答みたいなやりとりに毎度涙腺がやられます。

チャールズ・ヘザーセット(輝咲玲央) お屋敷の執事。お屋敷の皆さんが大騒ぎしていても寡黙に端正に佇んでいる様子が素敵でした。以前のヴァージョンだとなにか慇懃なセリフがあったような気がしますが今回はそれもなく由緒あるヘアフォード家を陰で支える頼りになる執事という印象が強かったです。

メインキャストはもちろん助演、アンサンブルキャストの1人1人の力が感じられる公演でした。
今月は宝塚バウホールにておなじ星組の別公演「My Last Joke-虚構に生きる-」も見に行く予定なので、次の「ME AND MY GIRL」観劇は公演日程の終盤になってしまうのですが、どれだけ進化しているか楽しみにしています。

 

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2023/10/10

私たちは正しい扱いをうけると心を動かされがちになるのです

10月9日、博多座に宝塚歌劇星組公演「ME AND MY GIRL」の初日を見に行きました。
開演に先立って歌劇団理事長より急逝された歌劇団生徒への哀悼の意とお客様に心配をおかけしていることについての謝罪、そして今後は出演者の心身に配慮して公演を行っていくこと、その判断のもと博多座公演については予定通りに上演することなどのお話がありました。

歌劇団には二度とこのようなことが起きないように従業者のメンタルヘルス対策にしっかりと取り組んでいただきたいですし、変えるべき体質は変えていただきたいと思います。

それと同時に私たち宝塚ファンの在り方も、団員のメンタルに深く関わっているということを認識して改めるべきことは改める必要があると考えます。
「タカラジェンヌなのに」「娘役なのに」「男役なのに」「下級生なのに」と属性についての過剰な理想を投影して青年期にある彼女たちの個々の人格を否定してはいないか。彼女たちの健全な成長を阻害してはいないかと。

『私たちは正しい扱いをうけると心を動かされがちになるのです』
「ME AND MY GIRL」のサリーの言葉の一つ一つが心に沁みる観劇でした。

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2023/08/13

朝まで歩こう肩を組み。

8月4日東京宝塚劇場にて星組公演「1789」を見てきました。

終演直後自分は成仏したんじゃないかなと思いました。
もしかして私は迦陵頻伽の聲を聞いていたんじゃないかなと。
これが法悦というものなのかな。
自分の語彙では表現できない満足感に脳がバグを起こしておりました。

数日経ち幾分冷静になってきたので感想を書こうとするのですが、やはりなかなか言葉がみつかりません。
刹那刹那に感じた技術的な凄さや舞台の上の1人1人から漲っていたものを表現する言葉を知らない自分にがっかりです。
でも感動を書き残しておきたいのでどうにか書いてみようと思います。

1か月ちょっと前に宝塚大劇場で見たものとは別物だと感じました。
あの時は大好きなナンバーをようやく自分の耳で生で聴けたことに心が震えましたが、今回は1つの作品としての完成度の高さに打ちのめされました。
舞台の上にいる1人1人から漲るものが凄まじかったです。
オケも宝塚大劇場よりもドラマティックで色っぽい印象でした。(音の聞こえ自体は大劇場の方がよかったのですが)

「ロミジュリ」初演を観劇してから13年(私は博多座で観劇)、タカラジェンヌがフレンチロックミュージカルをここまでアーティスティックに上演する日が来ようとは。頭を抱えたあの時には想像もできませんでした。

あの時は宝塚とフレンチロックとの音楽性のあまりの乖離に頭を抱えてしまったのでした。
宝塚には音楽性よりも「宝塚らしいもの」をという思いをいっそう強く抱き、以来宝塚で上演されるフレンチロックミュージカルには食指が動かなかったのですが、礼真琴さんなら・・とロックオペラ「モーツァルト」を見に行き「ロミジュリ」を見に行き、そのたしかな実力と感性に心酔し礼真琴さんの星組で「1789」が上演されることを熱望して、いまここ。
そしてこの満足感たるや。

でもこれはメインキャストだけが巧くてもどうにもならないことだということも実感しました。
この10余年で宝塚歌劇の音楽性が大きく変わったこと。下級生に至るまで1人1人の体にこのリズムが沁み込んでいるんだということをしみじみと感じました。
あの時無謀ともいえる挑戦をし宝塚ファンに衝撃を与えた初演「ロミジュリ」のメンバー・関係者の手探りの努力があってこそのいまなんだなぁということも強く思います。
さらに、宝塚の番手主義とは相容れない群像劇をそのヒエラルキーを崩してまでも上演した、2015年のあの「1789」月組初演があったからこそ。

すべてはあの一歩から。生みの苦しみを経て、綿々と積み重ねられた努力の末に結実した一つの公演がこの「1789」であり、そしてこれから生み出されていく作品なんだなぁと深く思います。

話を今回観劇した「1789」東京公演に戻します。
大劇場の観劇時にはもどかしく思ったところも、今回の観劇ではまったく感じませんでした。
それどころか期待以上のものを体感することができて感激もひとしお。

ラストのロナンのせり上がりも心の準備ができていたので問題なしでした。
座席の位置も関係があったのかもしれません。今回は1階の下手端っこだったので人権宣言をじっくり堪能してからロナンが登場した印象でした。(大劇場では2階最前センターだったので人権宣言が終わるか否かで目に入って来たのが大いに戸惑った原因ではと思います。座席位置大事)

礼真琴さんは私の快感のツボを全部圧していかれました。
こんなふうに歌って聞かせてもらえたらもう思い残すことはござらん・・です。
いえチケットさえあれば何回でも見たいし聞きたいですが。

父親を殺され農地を奪われて衝動的に故郷を飛び出したロナンが、若き革命家たちやともに働く印刷工たち、再会した妹、フェルゼン伯爵らを通じて成長しながら恋をし、憎しみや疑念、葛藤を抱きもがきながら成長していく様が手に取るように伝わり物語世界にどっぷりとはまりました。

「革命の兄弟」のロナンと、デムーランとロベスピエールとのやり取りは1人1人のキャラクターの違い、立ち位置、考え方、受け取り方の違いがよく見えました。
理想主義でロマンティストのデムーラン。懐疑的で原理主義のロベスピエール。

ロナンが「俺にも幸せ求める権利がある」と言えば「当然だ」と肯定するロペスピエール。
ロナンの「やりたい仕事につく権利がある」にはデムーランが「勿論だ」。
さらに「誰が誰を好きになってもかまわない」には前のめりに「その通りだ」と返すデムーランに対して反応薄めのロベスピエール笑。
さらに「自由と平等」でその違いが際立ちます。

ダントンは人情派で寛容、ファシリテーター的なところもある。デムーランとロベスピエールがかなり強烈なのでその努力が不発に終わることもあるみたい・・天華えまさん演じるこの作品のダントンはそんな立ち位置かな。
「パレ・ロワイヤル」はそんな彼がよくわかるナンバーだなぁと思います。
「氏素性なんて関係ない」「学問がなくてもかまわない」――その意味のリアルがわかっているのは実は革命家3人のうちではダントンだけなのではないかなと思いました。
だからソレーヌも彼の言葉に耳を傾けることができたんじゃないかな。
デムーランとロベスピエールがそのことを理解するのはもっと後、ロナンという存在に関わって現実を突きつけられ、その行動力と人々からの信頼を目の当たりにしてからだと思います。

「サ・イラ・モナムール」での恋人との関係も三者三様で面白かったです。
同じ理想を目指していることが大事なデムーランとリュシル。そばにいて共に戦うのが当たり前なダントンとソレーヌ。
危険行動に恋人を連れていく気がないロベスピエール。そもそも志を共有するという気がないのかな。また後顧の憂いは断ちたい人なのかなと。

私が「1789」が好きな理由はやはりこの革命家たちにワクワクさせられるからだと思いました。
革命家それぞれがセンターに立つナンバーが、その大勢のダンスパフォーマンスも含めて心が昂るところ、三者三様の個性がはっきりしてそれぞれに異なったロナンとの絡み方が面白いからなのだということを実感しました。

大劇場で喉を傷めている様子だった極美さんも難なく高音で歌い上げていて最高でした。
「誰のために踊らされているのか」のダンスパフォーマンスは舞台上の全員がいっそう力強くなっていて、見ていてドーパミン的幸福感が凄かったです。依存性が高いナンバーだなと再確認。

暁さんの朗々とした歌声と礼さんとのハモリも最高。
声が安定しているからこそフェイクも効いていて心地よかったです。

大劇場公演では大人しめに感じた有沙瞳さんのマリー・アントワネットも印象がまったく違いました。
1幕では誰よりも華やかで無邪気にチャーミングだったアントワネットが、2幕では動じない威厳を身に纏い質素なドレスを着ても存在感が滲み出ていました。自分自身の人生を自分で選び択る決意に溢れた「神様の裁き」は感動しました。

オランプは居方が難しい役なんだなとあらためて思いました。
猪突猛進でロナンの人生を変えてしまう、無茶ぶりで父親を危険に巻き込んでしまう。一歩間違うと反感をもたれてしまいそうなキャラを舞空瞳さんはいい塩梅で演じているなぁと思いました。
これこそがヒロイン力かなぁと。

東宝版を見ていた時にも思っていましたが、オランプは平民なんだろうかそれとも下級貴族なんだろうかと今回もやはり思いました。
姓にDuがつくので貴族かなと思っていたのですがアルトワ伯がオランプに銃を突き付けられた時に「平民に武器を持たせるとろくなことはない」と言うのがちょっと引っ掛かったり。

お父さんは中尉ということなので、平民から中尉なら出世した方だと思うし平民の中では裕福な部類かなと思うけれど、貴族なら年齢的にも中尉止まりだと名ばかりの底辺の貴族ってことになるなぁと。
いずれにしても娘に王太子の養育係ができるほどの教育を受けさせているのは凄いことだなと思います。
そしてアントワネットは意外とそういう倹しげで教養の高い人が好きですよね。
マリア・テレジアの教育の賜物でしょうか。

「神様の裁き」を歌うアントワネットの背後で戯れるルイ16世と子どもたち。この後のルイ・シャルルの運命を思うと、この愛らしいマリー・テレーズがのちにアルトワ伯以上に怖い人になるのだと思うとなんともやりきれない思いになりました。
(マリー・テレーズにとって母はどんな人だったのだろう・・)

瀬央ゆりあさん演じるアルトワ伯は、大劇場よりさらにクセの強い印象でした。
妖しくてシニカルで。
国王の孫で王太子の弟として生まれ、国王の末弟として育つってどんな感覚だったんだろうと思わず考えてしまいました。
アルトワ伯の人生にとても興味が湧きました。
それから今のこの瀬央ゆりあさんにオスカー・ワイルドの戯曲の主人公を演じてもらいたいなぁと思いました。田渕作品なんて面白そう。
(いやそれって「ザ・ジェントル・ライヤー」やんって思いますが、いまの瀬央さんの「ザ・ジェントル・ライアー」を見てみたいなぁと)

どの登場人物も魅力的で、この作品を上演する星組は幸運だなぁと思いました。
作品を引き寄せるのも実力のうちだなぁとも。

幸せな体験に感謝です。

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2023/07/23

これはチャンス。

6月24日にキャナルシティ劇場にてミュージカル「ファクトリー・ガールズ」を見てきました。

出演者の1人1人が素晴らしくて脚本もナンバーも良くて作品ファンになりました。
いつかまた再演される時があれば見てみたいと思います。
その時自分自身がどう思うかも含めて関心があります。

サラたち女性の工場労働者が言っていることもとても頷けましたし、サラたちのラディカルな思想と行動がこれまで自分が地道に活動してやっと得た賛同者とのあいだに軋轢を生むのではないかと懸念し葛藤するハリエットの気持ちもわかります。

企業や政治家のイメージアップのために女性の自己表現を利用し、しかし根本的には女性差別を利用している経営者と政治家は、サラたちが核心を突きだすとその口を塞ぐために卑劣な画策をはじめる。
彼らが漏らす残酷な本音や彼女たちの葛藤の一つ一つが今日もなおあるあるで膝を打ちたくなりました。

彼女たちよりも上の世代の女性(ラーコム夫人)の存在がまた綿々とつづく問題の根深さを浮き彫りにしていたと思います。
サラたちの思いを理解し背中を押してもいたのに、経営者や政治家に真っ向から立ち向かうとなるととたんに止めさせようと必死になる。そんなことをしたらどんな酷い目に遭わされるか、女性として長く生きた分その結果が容易に想像できてしまうから。惨い現実を身をもって知っているからこその葛藤と行動だと胸が詰りました。

家族からの性的虐待を受けていた女性の描き方にしても1つの典型に囚われず、心を開けず神経症的になる人も逆に性的魅力を利用して上昇していこうとする人も登場するのが凄いなぁと思いました。
本当にエピソードや人物の行動に無駄がなく意味があり効果的に描かれていて心のうちで唸るばかりでした。

舞台が1840年代前半ということにも驚きがありました。
シシィ(エリザベート)はまだバイエルンで父マックス公爵と大道芸人の真似事をして戯れていた頃。
フランスはシャルル10世(アルトワ伯)が1830年の7月革命で退位してブルジョワジーが推すルイ・オルレアンが王位に就いていた7月王政時代。
イタリア統一運動をはじめヨーロッパ各地で1848年革命が起きる前夜で、どこも国情が不安定な時代。

新しい概念が生まれて「民衆」「国民」が主体的に生きる自覚をもった時代だと頭で理解しているつもりでしたが、こうして目の前で肉声でその体温ある身体で感情を込めて表現されてはじめて自分に降りてくるものがあり、その感覚はなんとも言えないものでした。

歴史というと国政やそれに関わった有名な人のことを学ぶことはありますが、そこに生きる人々ことはなかなか考えることはなかったなぁと。
サラたちのように自分の人生を生きて芽生えた疑問に向きあい、行きついた信念を胸にいま在る問題を変えるために立ち上がった人々のこと。その1人ひとりに物語があったのだということを。

長い歴史の中で綿々とつづいてきた不平等さは問題が根深いゆえに彼女たちが起こした行動で一気に覆ったわけではないけれど、サラやサラと一緒に行動した彼女たちの一歩があったからこその今日なのだということ。現代の私たちにはあたりまえに取り除かれている苦しみを受け、抗ってくれた先人がいてくれたからこその今なのだということ(そんな勇敢な彼女たちは舞台となったマサチューセッツ州ローウェルだけではなくて世界のいたるところに居たのだということも)に思いを巡らせてそのことを噛みしめ、いま在る先人からの恩恵を易々と手放すわけにはいかないと思いました。

舞台と同年代にはヨーロッパをジャガイモ疫病菌が襲い、それがアイルランドに悲惨な大飢饉をもたらしたそうです。アイルランドからアメリカへの移民が増加したのもこの頃で。
劇中でも女性たちとともにアイルランド系の労働者が半分の賃金で酷使されていました。そういうことも織り込まれていることにあっと目が覚めるようでした。

ちなみに日本は天保年間。大飢饉から一揆や乱が起き、天保の改革による綱紀粛正と奢侈禁止でエンタメ(芝居小屋や寄席など)が厳しく取り締まられていた時代。
そんなことにも思いを致すとますます大切にしたいものはなにかを、それを守るために進んではいけない道はと考えさせられます。


観劇して感想を書きかけてから数週間経ってしまいいまさら続きを書くのもと躊躇いましたが、いつかまたこの作品を観劇した時に過去の自分が何を思ったかわかるように残しておこうと思いました。

<CAST>

サラ・バグリー(柚希礼音)
ハリエット・ファーリー(ソニン)
アビゲイル(実咲凜音)
ルーシー・ラーコム(清水くるみ)
マーシャ(平野綾)

ベンジャミン・カーティス(水田航生)
シェイマス(寺西拓人)
ヘプサベス(松原凜子)
グレイディーズ(谷口ゆうな)
フローリア(能條愛未)
アボット・ローレンス(原田優一)
ウィリアム・スクーラー(戸井勝海)
ラーコム夫人/オールドルーシー(春風ひとみ)

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2023/07/17

日傘さす人つくる人。

7月7日に宝塚大劇場にて花組公演「鴛鴦歌合戦」と「GRAND MIRAGE!」の初日を見てきました。

6月28日に星組公演「1789」を観劇した後、宝塚ホテルの部屋で何気なくCSを付けていたら、次回大劇場公演のPR番組で柚香光さんが着物の組紋のことなどを朗らかにお話しされていてなんだか楽しそうな作品だなぁと興味が湧いたのですが、「1789」にかまけて花組公演のチケットを手に入れていなかったことに気づいてがっかり。
その話を翌日ヅカ友さんにお話ししたら青天の霹靂のように初日に見に行けることになり(急展開)1週間後の再遠征と相成りました。

今回は諦めていたところからの奇跡のような出来事でしたがまず滅多に起きることではないし、こんな迂闊な人間にもチャンスがあるように観劇できなくなった人が譲りたい相手に譲渡できる公式のシステムがあるといいなぁと思います。

「鴛鴦歌合戦」は昔のオペレッタ映画が元ネタということだけは事前に知っていましたが、それ以外の知識も情報もなく、ただただ「柚香さんが公演について朗らかにお話ししている」という印象だけで観劇しました。
その光景が胸に刺さった訳が観劇してなんとなくですがわかった気がします。

ここ最近観劇した「ファクトリー・ガールズ」や「1789」とは真逆の世界観で、誰も世の中を変えようなんて思っていない!
彼らはユートピアみたいな世界に生きているから。
お米がなくてもヒロインは飢えないし可愛いおべべを着ているし、親のない子は優しい誰かに育んでもらえる。
まさに小柳ワールド。

取り巻きを大勢連れている大店のお嬢さんが恋のライバルで、父親は生活費を使い込んで晴れ着も買えないし、フェティシズム強めなお殿様には好かれてしまうし、なにより好きな礼三さんは態度をはっきりしてくれないし!ヒロインお春ちゃんの日常はなかなか困難。思わずがんばれ~~!と思ってしまう。

いやいや、父親が生活費を使い込んでしまってお米が買えないとか、その父親が奸計に嵌って大金を工面できなければ殿様の妾にされてしまうとか、現実的に考えたらかなり深刻な状況、経済的虐待だし性搾取未遂。がんばれ~とかヘラヘラ言ってる場合じゃないと思うんですけどそこはさらっとノンキな演出に。それこそがこの作品なのかな。

社会を変えなくてもヒロインを困らせている人たちが改心すればそれで解決。(登場人物は皆素直なので気づいたら改心も早い)
経済的な問題も思いもよらぬことで解決。(最初から匂わせているのでわかりやすい)

唯一変わらないのが礼三郎。
金持ちは嫌いだと言って決別を匂わせて彼女に決心させる。
礼三郎に対して自分が変わらないことを証明するために彼女は国家予算に匹敵するものをふいにする。
あれまぁ。(心の声)

この展開は往年の喜劇っぽくて懐かしいけれど。
自分が支配できない女性とは添えないってことか。
と今の世に見るとついそんな感想ももっちゃうかな。
そのお金で世の中に貢献して人々を幸せにすることもできるのだけど、社会的な責任を負うよりもささやかな幸せ、という人なんだよね礼三郎は。
たしかにお殿様の器ではないな。

ツッコミ出すといろいろあることはあるのだけど、見ているひとときは登場人物たちへの愛おしさに涙し、演じる人たちに対する愛しみが溢れて心が癒されました。
役として人として葛藤し魂を振り絞るような舞台に深く感動もしますが、このような演者の魅力を前面に出した「上質な学芸会」を楽しめるのも宝塚の懐の深さだなぁと思いながらほのぼのとした気持ちで帰路につきました。

結論「これはこれであり」。

(・・・がしかし、どのへんが「鴛鴦」で「歌合戦」だったのかな)

<CAST>
浅井礼三郎(柚香光) 涼しい顔をして自分の領域を守って生きている人。そこに皆が憧れて方々から縁談話が持ち込まれるのだと思うけど本人は嫌気がさしていそう。山寺で子どもたちに剣術の指南をしている姿がいちばん清々しくて彼らしくて目に麗しかったです。これを見られるのは山寺の尼さまたちだけなんですよね笑。
客席から登場して振り向いた時の懐から出る手が色っぽくて反則だと思いました。

お春(星風まどか) チェッが可愛い。お父さんがあんなだから生活の苦労を背負って強がって生きているところが愛おしい。時折こぼす少女らしい愚痴もまた可愛いのだけど、お父さんにしろ礼三さんにしろ、自分の世界に没頭するタイプだから一生生活の苦労は絶えなそう。この先も自分のほうを見てくれない礼三さんにやきもきしそうだし・・強くなるしか仕様がないなぁ。
料亭のお嬢さんおとみちゃんが傘を売ってというのに「うちは小売りはしてません!」って突っぱねるのが超絶可愛かったです。その後の2人のやりとりも。

峰沢丹波守(永久輝せあ) 「ぼくは若い殿様~♪」なんて歌いながら登場するお殿様ははじめて見ました笑。大好き。楽しそうに演じている永久輝さん大好き。はちゃめちゃな役なのに塩梅がわかっているのさすがだなぁ。途中からうっすらと悲哀を感じさせるところも巧いなと思いました。
殿様本人は軽い気持ちでもそれを聞いた家来はそれを叶えるために悪知恵を働かせ非道なこともやってしまいかねないので言動には気をつけましょうねと思いました。

秀千代(聖乃あすか) とにかく可愛い弟君。皆に愛される末っ子というかんじ。頭をふるふるふるとさせるところはたまらなく可愛かったです。ちょとした仕草でも客席の目が止まるのはさすがだなぁ。舞台にいると思わず目が行ってしまいます。
どうしてこんなにもやさしい兄おとうとが生まれるのでしょうか。(あの方のお子様だからかなぁ)

道具屋六兵衛(航琉ひびき) みんなに同じものを二つとない一品と売りつけて平気な顔でいるのが笑えました。自分が売りつけておいて買い取る時には偽物扱いで二束三文で平然としているのも。商いとはこんなものだから引っ掛かる方が悪いのだという前提なのですね。
この作品で卒業される航琉さんにたくさん場面があるのが愛を感じました。(宝塚のこういう学芸会っぽい愛情も嫌いじゃないです)

志村狂斎(和海しょう) ヒロインのすべての困りごとの原因をつくっているのはこのお父様だと思います。なのに憎めない役に作っているのは凄いなぁと思いました。
最後まで道具屋さんのこと微塵も疑っていないように演じる方が難しそう笑。
和海さんもこの公演で卒業されるのでラストがこの役でよかったなぁと思いました。(主役の柚香さんより舞台にいた記憶が・・)

麗姫(春妃うらら) ある意味お家騒動の黒幕??(可愛い黒幕だけど) 妄想劇場気味で愛するお殿様と倹しく市井で暮らしても良いって言うあたりは案外本気ですよね。
春妃さんも卒業されるこの公演で天然風味全開の可愛い奥方様の役でよかったなぁと思います。

遠山満右衛門(綺城ひか理) 娘の藤尾の恋心を知ってなんとかしてやりたい親ばか全開のお武家様で礼三郎の義理の叔父。
縁談の話の時に藤尾ちゃんを礼三さんにもっと近づけと唆すのが可笑しくて可愛くて好きでした。

藤尾(美羽愛) 親同士が決めた礼三郎の許嫁。礼三さんのことは憧れの君って感じなのかな。親に言われつづけて自分も礼三が好きという暗示にかかっているのかなとも思う素直で愛らしい武家のお嬢様。
恋煩いの病鉢巻で登場する場面は凛として新しい心境に立ったことを感じさせて印象的でした。(そんな娘に慌てふためくお父様も好き)
ラストでお春ちゃんとおとみちゃんとのわたしたちお友達になりましょうね♡は最高でした。

おとみ(星空美咲) いつも取り巻きを引き連れて登場するのですがそれだけで可笑しい。
お春ちゃんとの日傘を売る売らないの場面はもう1回(というかなんどでも)見たいくらい好きでした。
自分が恵まれていることを知らないで育ったとても素直なお嬢様キャラが愛おしかったです。
お春ちゃん藤尾さんとはしゃいでいる姿を見ると目尻が下がりまくりました。

天風院(美風舞良) 山寺の尼様。蓮京院様にお仕えしながらも礼三郎に見惚れていて夢見る夢子さんな面もあり可愛らしかったです。

蘇芳(紫門ゆりや) お家のことをとっても心配している家臣。お殿様があんなだから時には悪者にも回らなくちゃいけないし気苦労が多そう。愚痴もこぼしたくなりますよね。(わかります)

蓮京院(京三紗) 今回のMVPを差し上げたい。セリフに入る間が素晴らしくて聴き入ってしまいます。礼三郎さん良い男に育って見惚れちゃいますよね。(わかります)

「GRAND MRAGE!」は"ネオ・ロマンチック・レビュー”と銘打ったショーで、岡田先生のロマンチック・レビューとしては22作目だそうです。
新場面もどこか既視感があるかなというかんじです。

プロローグの紫陽花色のコスチュームが花組によく似合って素敵でした。
くすみパステル調が“ネオ”かなぁなんて思いました。

「彷徨える湖」の場面の星風まどかちゃんのダンスに釘付けでした。まどかちゃんのお腹がグランミラージュ!
名曲「SO IN LOVE」を永久輝さんが歌って、柚香さんまどかちゃんが踊るフィナーレのデュエットダンスは最高でした。

どんなに激しく踊ってもコスチュームがセクシーでも、上品さだけは絶対に崩れないのが宝塚らしくて素晴らしいなぁと思いました。
花組は舞台化粧が綺麗な組だなぁというのも再認識しました。

お芝居とともにショーも夢夢しくて明朗で「ザ・宝塚」を浴びたひとときでした。

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2023/07/14

いつか時代が変わったら。

6月28日に宝塚大劇場にて星組公演「1789-バスティーユの恋人たち-」を見てきました。

東宝版「1789」はこれまで見た中でいちばん好きなミュージカル作品と言っても言い過ぎではないくらい好きで、宝塚で上演されるなら礼真琴さん主演で見たいと願っていた作品だったので、星組で上演と知った時には飛び上がるほどうれしかったです。
タカラジェンヌの時間には限りがあり在団中に見たいと願う演目に当たるのは奇跡にも近いことだと思っています。たくさんの人が願ったからこそ実現した上演だと思います。

日本初演の2015年月組公演では大役マリー・アントワネットをトップ娘役の愛希れいかさんが演じ、主人公ロナンの恋人オランプ役は別の娘役さん(早乙女わかばさん、海乃美月さん)がダブルキャストで演じていたので、星組版ではどうなるのだろうと上演決定後は配役をあれこれと想像する日々でした。
 
舞空瞳さんがあの王妃様の超絶豪華なドレスを纏ったらそれはそれは映えるだろうなぁ。でもやっぱり東宝版みたいに礼さんが演じる主人公ロナンの相手役として激動の時代を懸命に生きる“ザ・ヒロイン”なオランプを舞空瞳さんで見たいなぁ。でもどっちも捨てがたいなぁ。
ロナンを苛むペイロール伯爵は専科で礼さんの同期の輝月ゆうまさんだったらいいのになぁなどなど。

じっさいに発表された配役は意外でもあり納得でもありいっそう期待が高まるもので、これはチケットが取れるだけ見たいなぁと浮き立っていたのですが―― 蓋を開ければ当然の超人気公演で手に入ったチケットはたったの1枚・・呆然とするしかありませんでした。

その貴重な1枚もどうなることかと青ざめる事態が。6月2日に初日こそ開けたもののその翌日から出演者体調不良のため公演中止、当面はいつ公演が再開されるのかわからない状況となり、脳裡にはこの2年あまりのコロナ禍で経験した数々の出来事が過り震える日々を送りました。
けっきょく1か月間の公演期間のうちの半分が中止となって公演再開となったのは6月18日の15時半公演から。
もうこれ以上は1公演も止まりませんように千秋楽まですべて公演できますようにと祈り続けて観劇日に漕ぎつけました。

そんな顛末の末の待ちに待った観劇日。
客席に座るもさらに高まる緊張。
(なにしろ昨年は博多座で開演10分前に中止を告げられたトラウマもありますし)

幕が開き主人公の故郷であるボースの農民たちが絵画のように舞台に浮かび上がり、奏でられるイントロダクションに体温が一気に上がる感覚。
軍隊が国王の名の下に農民たちを虐げ礼さん扮するロナンが「肌に刻まれたもの」を歌い始めた瞬間さらに体中の血が沸き立ちそれ以降はひたすら「1789」の世界に圧倒されつづけました。見たかったもの聴きたかったものが目の前に存在する幸せに酔い痴れました。

礼さんロナンの素晴らしさも期待以上でしたが、若き革命家たちデムーラン暁千星さん、ロベスピエール極美慎さん、ダントン天華えまさんが想像以上に見応えがあり気持ちが爆上がりしました。
若きイケメン革命家が歌って踊ってこそ「1789」――1幕から「デムーランの演説」「革命の兄弟」「パレロワイヤル」と畳みかけるように好きなナンバーがつづきここからすでに涙目に。

暁さんはその声量と声の深みに驚きました。かなり下級生の頃から抜擢されていた方だけにその成長ぶりを目の当たりにして感慨深いものがありました。
2幕の「武器をとれ」でセンターで朗々と歌い上げる暁さんを見て彼女がデムーランにキャスティングされた理由に合点がいきました。配役発表されるまでは暁さんがロベスピエールだろうと思っていたのでした。

「武器をとれ」は宝塚では今回はじめて歌われるナンバーですが、その演説によりパリ市民が決起しバスティーユ襲撃へとつながる重要な局面で、壇上から市民を歌(演説)によって盛り上げ扇動する暁さんの堂々とした姿に心が震えました。
ちなみにですが、このデムーランこそ「ベルサイユのばら」のベルナールのモデルとなった人物なんですよね。この「武器をとれ」のシーンもベルばらに描かれていました。東宝版を観劇した時にどこかで見たことがある図だなぁと思ったのも然り。(詩ちづるさん演じる婚約者のリュシルはロザリーということになりますね)

もともと天華さんの実力は信頼しているのですが難しいパートも難なく歌い上げるのは流石、危なっかしい仲間たちに目を配るお兄さんみたいなダントンだなぁと思いました。
そしてたぶんおそらく私は「1789」のロベスピエール役者に心底弱いようで・・。悔しいけれど極美さんのロベスピエールに幾度と撃ち抜かれました。それはもう易々と・・。
2幕最初のロベスピエールの「誰のために踊らされているのか?」は超好きなナンバーなのですが、その日の極美さんは声を潰されているのかフレーズ毎の高音の第一声が全て出ていないようでした。(千秋楽のライブ配信ではすべて音程を下げて歌われていたのでやはり喉を潰されてしまったのかな)東京公演では元の声に戻っているといいなと思います。

有沙瞳さんのマリー・アントワネットはとても大人しめに感じました。
これまで宝塚や東宝で同役を演じた人たちが伝説的なトップ娘役(花總まりさん、愛希れいかさん)であったり華やかなトップスター経験者(凰稀かなめさん、龍真咲さん)だったこともありどうしてもその記憶と比べてしまうのかもしれませんが、有沙さんも「龍の宮物語」や「王家に捧ぐ歌」などで艶やかなプリンセスを演じてきた方なので威風堂々と華やかな王妃像を作って見せてくれるだろうという期待がありました。

初演ではトップ娘役が演じた役だったものが2番手の娘役さんが演じることになって、場面や持ち歌が減り比重が変わっているのだとは思いますが、それでもやっぱりかの「マリー・アントワネット」ですから圧倒的な輝きと存在感を期待します。有沙さんはそれができる役者さんだと思っています。たとえばかつて伶美うららさんはトップ娘役ではなかったけれど無冠でも記憶に残る大輪の花のように存在していましたので有沙さんにも期待せずにいられません。
この公演が最後となる有沙さんの最高の輝きをこの目で見たいです。

ひとりの女性として家族を愛して家族のために生きたいと願う2幕の「神様の裁き」のアリアは素晴らしくてとても心に響きました。そういうマリー・アントワネット像を目指されているのかなと思います。さらに1幕からのギャップを表現して魅了してほしいなぁと贅沢なことを願ってしまいます。
オランプに決心を促す場面もとても好きでした。

瀬央ゆりあさんのアルトワ伯は媚薬を用いて淫蕩に耽るようなタイプではなく冷静に虎視眈々と王座を狙う切れ者に見えました。彼の眼には兄ルイ16世は凡庸で無能な人間に見えているのだろうなと。
王妃の醜聞を利用して兄を失脚させるのが目的でそのためにオランプを見張らせているのであって恋情を抱いているようには見えないアルトワでした。
教会でオランプに媚薬を使おうとするのもオランプに執着があるわけではなく自分にとって邪魔な相手として危害を加えるのが目的かなと。
いずれロンドンから戻ったらいつのまにか王座に就いていそうだなぁと思いました。
これまでのアルトワ像とはタイプが違うけれど居住まいや目線が知的で含みがあって面白かったです。

輝月ゆうまさん演じるペイロール伯爵は鞭を振るったり蹴りを入れたりのタイミングが琴さんとぴったりで本当にロナンを甚振っているようで今回の「1789」の見どころの一つでした。(虐げられる琴さんの反応がとんでもなくリアルで凄すぎて瞠目でした)
大義に忠実で情け容赦ない軍人貴族だなぁと思いました。

ソレーヌ役の小桜ほのかさんはお上手なのは知っていましたけど、こんなに地声で凄味のある歌い方ができるとは。地声から澄んだ声への切り替えも素晴らしくて観劇後も「夜のプリンセス」が頭から離れませんでした。

フェルゼン役の天飛華音さん、ルイ16世とマリー・アントワネットがようやく心通わせる場面でのセリフの入り方が素晴らしかったです。
「しかし御一家が危機に瀕する時あらばこのフェルゼン命に代えてもお守りいたします」
本当に芝居センスのある方だなぁと今後も楽しみです。

オランプ役の舞空瞳さんのヒロイン力はやっぱり素晴らしいなぁと思いました。彼女が登場すると目が勝手に追ってしまいます。
けっこう理不尽なことや辻褄が??な行動もするのですが受け容れて見てしまうのはそのヒロイン力によるものだなぁと。
与えられた役割、職務に一生懸命なオランプの姿が舞空さん自身とも重なってきゅんとしました。

1幕ラストの「声なき言葉」の盛り上がりは宝塚版ならではの感動でしたし、2幕もまた「次の時代を生き抜くんだ」と言い残し息絶えたロナンを囲んで打ちひしがれていた皆が前を向いて高らかに述べる人権宣言は名場面だと思います。そこからのラストナンバー「悲しみの報い」に感動は最高潮――となるはずが、今しがた皆の嘆きの中で息絶えたばかりのロナンがピカピカの白尽くめの衣裳でせり上がりで登場した時だけはえええっと戸惑いました。

あそこはもう少し人の世の遣る瀬無さや、未来への希望にデムーランやソレーヌたちとともに浸っていたかったなぁと思います。
志半ばで彼は逝ってしまったけれど、そんな名もなき人々の願いと行動の積み重ねがいまの世の中の礎を作っているんだと。命を燃やした彼らの願いを踏み躙ろうとする力は今の世も隙あらば頭をもたげようとするけれど、それに負けてはならないのだという強い意思を噛みしめる時間をあと少しだけ持ちたかったなぁ。

キラキラのロナンの登場が早すぎて心が宙ぶらりんのまま享楽的なフィナーレを見たせいか今回のフィナーレは気持ちがいまいち盛り上がらずに終わってしまった気がします。
本編は本当に最後のタイミング以外最高だっただけにちょっと残念かなと思いました。

というものの最高の舞台を見られた満足感たるや凄かったです。
あと1枚だけ東京のチケットが取れたので無事に観劇できることを心の底から祈っています。

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2023/06/03

グッナイ誰かさん。

5月28日に博多座にてミュージカル「ザ・ミュージック・マン」を見てきました。

初めて見たはずだけど知ってる。そんなストーリーでした。
映画を見たことがあるのか翻案のなにかを見たことがあるのか。
閉塞感漂う田舎町に胡散臭い来訪者が滞在して町の雰囲気が好転するというストーリーに既視感があるのか。
騙る男とお堅い女性のロマンスも最近なんども見ている気がします。

1957年の初演当時「ウエストサイドストーリー」よりも多くの演劇賞を受賞したという作品紹介に期待したのだけど、そっかそうだよね。
胸を抉る社会派バッドエンドより皆が笑顔のハッピーエンドが多くの人に支持されたのね。
純朴で保守的なアメリカの物語に安心したい人たちに。
でもこれをハッピーエンドと思ってよいのか私には疑問でした。

主人公にしつこくつき纏われるヒロインが気の毒だったし、怒ると揶揄されるのもなんだかなだったし。
なにが目的かもわからない男性が娘のまわりをうろついているのを喜ぶ母親とか地獄だなと思いました。娘を早く結婚させたい、男と名の付くものと伴侶にさせたい、それがあるべき姿だと信じているらしくて。

南部が舞台の物語だと娘の親は相手の男性の属性や資産にこだわる印象があったのですが、このヒロインの母親にはそれが微塵もなくて、むしろそれが恐ろしくもありました。慎ましく夫や家族に愛情を尽くし結婚がもたらす苦労を受け容れそこに喜びを見出すのがあるべき姿だと信じているようで。とてもピューリタン的といいますか、アイオワ(中西部)が物語の舞台というのも関係があるのでしょうか。(劇中で母親はアイルランド系だと言っているのでカトリックかもしれないのだけど)。

まだ10歳くらいの少女でさえも自分に相応しい相手を狭い町の中で見繕って行動しているのもなんというかぞわぞわしました。「おやすみなさいを言う相手」がいないかもしれない未来を仮想して嘆いてみたり。
独身の女性は不幸だと小さいうちから刷り込まれているのだなぁ。そしてそんな町なのだなぁと。
それを前提にして見ていかないといけないのかと、物語の最初から気持ちが暗澹としてしまいました。

若い娘の関心事はいつプロポーズされるかで、既婚女性の娯楽は噂話。ヒロインが小説を読むことさえ不品行だと非難されるコミュニティ。
そんな狭くて閉塞感のある町で26歳で未婚のヒロインは変わり者と思われているし噂に尾ひれがついて不適切な過去があるとも囁かれている。
見ているだけで具合が悪くなりそうな世界観。
そういうところに風刺を込めて演出することも可能なのに、ふんわりで終わらせている。ヒロインが「まだ未婚」なことや別のキャラクターの恐妻ぶりで笑いが起きていることからしても、むしろその価値観を受容した上で見せているのだなと思いました。
だからこそ、ヒロインが主人公を受け容れたことがハッピーエンドだと受け止められるのだと思いました。
ヒロインが主体的に主人公に惹かれて愛していく様を描くこともできるはずなのに(途中でベクトルの方向が逆になっていくともっと楽しそうなのに)中途半端な気がして残念でした。

不寛容で閉塞感漂う町を図らずも詐欺師の主人公が変えていくというストーリーなのだけども。
変わったようで変わっていないんじゃないかなと見終わって思いました。
マーチングバンドを手に入れていまは活気づいたけれど価値観はそのままで。
主人公さえも取り込んで、町は元に戻っていきそう。そんな怖さを感じました。
詐欺に遭ったのは私かもとそんなもやもやが残りました。


ハロルド・ヒル教授(坂本昌行)
プレゼン能力が高くて人々に夢を見せるのが巧い。まさに夢を売る男。その夢の対価として相応しい金額ならこれはこれでOKなんじゃない?と思いました。いままで彼が嫌われてきたのは夢が最高潮に達した時にトンヅラ、売り逃げしていたからですよね。それらしい指導者を招聘できていたらこれは成功するビジネスモデルでは。
むしろこんな才能のある彼がこれまで詐欺をやっていたことが気になりました。きっかけとか動機とか。坂本さん演じるヒル教授は根っからの悪人には見えないのでなにか過去がありそうで、それを知りたく思いました。
約10年ぶりに見た坂本昌行さん、肩ひじ張らず自然体で主役なのが素敵。声が良くてセリフが聞きやすくて難しい歌もするっと歌えていまここに生きている人という感じでした。
とても真摯なものを感じさせる方で、この人が悪い人のはずがない絶対トンヅラなんてできるはずがないと思って見ていました。詐欺をしていたのは彼の方なのに、町に残った彼を糾弾する町の人々のほうが邪悪にすら思えた不思議。(彼に肩入れして見ていたからかな)

マリアン・パル―(花乃まりあ)
凛として透明感があって素敵な女性。彼女の価値観や生きる姿勢が周囲に理解されないのが気の毒で胸が痛みました。
詐欺を働く男性と譲れない理想がある女性。そんな2人が相手に何を見出したのかそこがわからず仕舞いだったのが残念だったなぁ。
ヒル教授の正体を暴こうとするカウエルを阻止しようとする場面、それまでのお堅い雰囲気からいきなりコミカルになるところが好きでした。(ちょっとWMWのエマを思い出してしまいニヤケました)
10年前博多座で「銀河英雄伝説」のユリアン役ではじめて知った花乃まりあさんをまた博多座で見ることができてうれしかったです。(あのときの美少年がこんなに素敵なヒロインに)

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2023/05/23

幻のヌベラージュ。

5月19日に東京宝塚劇場にて宙組公演「カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~」を見てきました。
ひと月前に宝塚大劇場で観劇していたので、過大な期待はせずに宝塚を楽しめたらいいなというつもりで臨みました。

バカラの場面など、大劇場公演では散漫に感じた箇所がイキイキとした場面に変わっていてやはり東京公演はいいなぁと思いました。
大勢口の場面が希薄な印象になってしまうのが宙組の悪い伝統だなぁと他の組を見た後など特に思います。
(「High&Low」の時は全くそんなことはなかったのですが)
私は宝塚大劇場での観劇がメインなので東京公演では良くなっているというのも、それはそれでなんだかなぁという気持ちになります。
このスロースターターな組気質が改善されることを切に願っています。

真風さんと潤花さんがパラシュートに乗っている場面は2人のこれまでを思うとやっぱりせつなくて、フィナーレのデュエットダンスは2人のあまりの美しさと輝きに気づいたら涙目になっていました。

演者が放つ刹那の輝きに感動はしたけれど、やはり作品自体はしっくりこないというか、引っ掛かるところがあって気持ちがうまく乗れませんでした。
プロローグの男役たちのスーツのダンスにはテンション爆上がりだったのに、場面が替わりジャマイカでボンドが女の子たちにマティーニとシガレットをもらい「サンキュー、ローズ、リリー」でやっぱりだめだこりゃになりました。
最初から最後まで気持ちのアップダウンが激しい作品でした。

マリンブルーのジャケットに白いパンツの伊出達の真風さんが若大将にしか見えない呪いにかかってしまったのは辛かったです。銀橋の歩き方もあの場面だけなんというかとても昭和で。作品の年代に合っているといえばそうなのかもしれないですが。スタイリッシュはどこに行ったん?と思いました。

デルフィーヌに対するボンドのセリフも
苦手でした。最初のとおりすがりのキスの場面から。どうだ俺は凄いんだぞとずっと言っているみたい。
ヒロインをもっと対等に対話ができる大人の女性に設定できなかったのかなぁ。ボンドが始終器の小さい男に見えて残念でした。

ムラで見た時よりもCIAのフェリックス・ライター役の紫藤りゅうさんの顔つきが変わったなと思いました。強くて正しいと自負する「アメリカの貴族」の末裔という印象。お金にものをいわせてストレートに物事を思い通りに動かす「世界のお坊ちゃま」。いかにも60年代のアメリカのイメージ。

対して瑠風輝さん演じるルネ・マティスが人が好すぎて英米に対して卑屈なのが気になりました。根は良い人でも時にはプライドの高さが垣間見えてほしいし卑屈ではなく皮肉に聞こえるくらいのエスプリがほしいな。
フェリックスの「マテリアル(物質・金)」とマティスの「エスプリ(精神・軽妙洒脱な知性)」の対比が見えてこそ、米仏の2人が配置されている意味があるのではないかと思います。
60年代はフランスにとって苦しい時代だけど人生の価値はお金だけではない、そんな矜持を人々は持っている。
「フランスは貧しいからこそ卑屈になることを拒否する」と戦後ドゴールは言ったそうですが(その高慢な気取り屋ぶりを実利主義者のルーズベルトは鼻で嗤ったとか)、ルネもまた内心に哲学と愛があるフランス人だと思いたいです。

トップコンビと長く組に貢献した組長さんの退団公演ということもあり、随所に過去作を彷彿とさせるセリフがあったり、演じる本人たちの関係性と照らし合わせて感傷的にさせる場面もあったのですが、作品として最も心に響いたのはミシェル役の桜木みなとさんが歌った歌(「夢醒めて」)でした。歌詞の言葉ひとつひとつが沁みました。
潤花さんが歌う「RED BLACK GREEN」も素直に胸にきました。

スメルシュの鷹翔千空さんはやっぱり身のこなしがカッコよくて、登場すると勝手に目が追っていました。
桜木みなとさん、鷹翔千空さん、花菱りずさんの役になりきった芝居が光って見えました。
(若翔りつさんもかなりの芝居巧者なのだけど役が残念すぎて)

ドクトル・ツバイシュタインの場面は東京でもこのままなのかーと残念に思いました。
ナチスに協力したドイツ人科学者が何をしたか、戦後その技術力を目当てに連合国側の米ソが何をしたか、そしてソ連が彼らに何をしたか。彼らの研究が戦後の世界になにをもたらしたか。そんなことが頭を過って。
易々とルシッフルのもとに行けるくらいだからソ連にとってもそれほど重要な人物じゃないよねとも思うし、実際そういう役だったんだけども思想が問題な人物なわけで、コミカルな仕立てにしているのがなおさらでとても無邪気に笑えませんしグロテスクに感じました。

皇帝ゲオルギーは立ち上がるとかも正直いらないよねと思います。ボンドのおじいさん設定も。アナグラムも別にあれでなくても。
退団者への餞の気持ちはわかるのですがよほど巧くやらないと世界観が壊れてしまうなぁと思いました。

イルカはやっぱり謎でした。
人命救助するイルカはいるけどイコール「イルカは人を愛する」とはならないと思うし。個体差だし知能が高い分残酷であったりもするし。なぜ急にジェイムズ・ボンドが夢見る夢子ちゃんみたいになるん?と。
理想をイルカに託してロマンを語っているの? でも私が真風さんのボンドに見たいロマンはそこじゃないんだなぁ。
同調するデルフィーヌもなかなかだなぁというか、ボンドがイルカの話題を出したらすかさず「私の名前はイルカって意味なの」と言い出したのは彼女だったし。そういう意味では2人とも夢見る夢子ちゃんでお似合いなのかも。
いや、ボンドは彼女のことをちゃんとリサーチしてて、名前に因んだイルカの話題を出すとすぐに食いついてくるとわかってやっている作戦に見えたらなるほどね~と思うのだけど、そうは見えない。案外本気ですよね。

真風さんは大人っぽい役が似合うと思われがちだけど、トニーやニコライ、フランツやローレンスなど純粋な青年役が素敵だと私は思っています。
今回のボンドみたいに人生経験の浅い女性をターゲットに見下している感じがする役は苦手だなぁ。おそらく私は小池先生のオリジナル作品の主人公が苦手なんだと思うのだけど、今回のボンドは究極に私が苦手な匂いがするのと真風さんはなぜかその私が苦手なところをより強調しちゃうんだろうなと思います。私に起因する問題だと思いますが。

「アナスタシア」のディミトリはいままで宝塚で見た主人公の中でも屈指で好きです。「神々の土地」のフェリックスも最高だったなぁ。麗しのルイ14世も好きだったし、屈折してたり変人だったりする真風さんの役も純粋な役と同じくらい好きです。
わたし的に、真風さんのラストがこの役なのが遣る瀬無いというのが引っ掛かっているのかなぁ。
もしかしたら私が見たかった真風さんの片鱗を今回の鷹翔千空さんに見出しているから鷹翔さんに釘付けになってしまうのかもしれないなぁ。
(これを書きながら録画していた2016年の宙組「バレンシアの熱い花」を見ているこの瞬間も真風さんのラモンのカッコよさに見惚れていました)

「007」だと期待しなければ、宝塚らしい退団公演だと思えましたし愛のある脚本だなとも感じました。
引っ掛かるところはあるけれど、真風さんが晴れやかに卒業されたらそれがいちばんだし。
と自分を納得させて劇場を出てスマホを開いたら、千秋楽の全世界配信のニュースが。
喜ばしいはずなのに手放しに喜べない。
最後の最後にやってくれるなぁ涙。

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2023/05/15

恩恵は次の者へ。

4月17日と21日に博多座にて舞台「キングダム」を見てきました。
すべてが「本気」で目を瞠る舞台でした。

「キングダム」は家族がアニメを見ているのをながらで聴いていたくらいの認識しかありません。
ずっと戦っているなーとかオウキ将軍は面白いしゃべり方をするなーとか途中でこれは秦の始皇帝がモデル?と気づいたり、その程度でした。
勇ましいことを言って命が何個あっても足りなそうとか。
(音声だけでしたので、さいしょのうちは別のアニメと区別がついていなかったかもと思います)
そんな中でもセイの邯鄲脱出のくだりやセイの母親のくだりなどは耳をそばだてた覚えがあります。
仲間のキャラクターが女の子なのを主人公だけが知らなかった話も、いま思えばキングダムだったんだなと思います。

その程度の知識しかないのに観劇しようと思った動機はキャストです。
人からびっくりされるほど若手俳優さんに疎いのですが、信役の三浦宏規さんは「ヘアスプレー」や「千と千尋の神隠し」でお芝居の間が気持ちよくて体の使い方がきれいな人だなぁという印象で、この方が主役なら見応えがあるのではと。
宝塚退団後の華優希さんや美弥るりかさんの活躍も見たいし、早乙女友貴さんも凄そう。
それに山口祐一郎さんの王騎って・・?という興味本位でした。

そんな状態ではありましたが、見たいキャストの日を選んでチケットを申し込みました。
(顔覚えがすこぶる悪いので、初めて見る作品は登場人物把握のためできるだけ知っている役者さんで見たいのです)
その後貸切公演を1公演追加で申し込みをしたのですが、確認するとほぼ同じキャストの回でした。
2回見るなら未知の役者さんでも大丈夫だったなぁ違うキャストも見たかったなぁなんて後の祭りです。

一抹の不安も覚えながらの初見でしたが、皆さんキャラ立ちが凄くて見分けがつかないなんてことはまったくの杞憂でした。
とにかく圧巻のパフォーマンス。登場人物それぞれの立場も状況もよくわかる脚本で集中して見ていたらあっという間に1幕が終わりました。
夥しい情報量なのにわかりやすいのが凄いなと。セリフ1つにも、そのキャラの一貫した思いや個性が織り込まれていて、そうそう信ってこういう人だよね、政ってこういうものを背負った人だよねとあらためて理解することができました。

そしてなにより役者の皆さんの表現力が素晴らしい。
身体表現、声。丁々発止の絶妙な間。舞台上で生きる人々が作り上げる空気に劇場全体が支配され息をのむ観劇体験となりました。

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«この頭を岩壁にでもぶち当てて粉々にしてしまいたい。