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2006/03/21

「アンナ・カレーニナ」@福岡市民会館

anna本日、福岡での昼公演を見てきました。
一路アンナ、美しかった!
芳雄ヴロンスキーは真琴つばささんみたいだった~(笑)
セリョージャ(真嶋優ちゃん)が可愛くて可愛くて可愛くて…。もうメロメロでした、私。

思えば、私が昔最初に読んだジュニア版アンナ・カレーニナは、映画と対応するように書かれていたみたいでした。
アンナ・カレーニナ=ジュニア版だった私は、大人になってから文庫版を読んだ時、どうにも物語世界に入りきれない感じがしたんです。ことに最後のほう、アンナが死んだあとがよく飲み込めていなかったのですが、今回、この舞台を見て、そのへんが合点がいったような気がします。

今日までずっと、この物語をアンナとアリョーシャ(とカレーニン)の愛の悲劇がテーマの物語だと思い込んでいたんですよね。(宝塚版もそうでしたよね)
そうじゃなかったんだ!と目からウロコでした。

そういう先入観があったせいか、1幕の途中までは、どうしても違和感が拭えませんでした。
ことにキティのキャラが・・・いいの? 本当にこれでいいの?という気がして。
脚本にも馴染めなくて。この脚本書いたの、絶対アメリカ人やろー!みたいな。(アメリカ人がいけないって訳じゃないんですよ。ただ「そこは言われなくても察っせます」というような、むしろ延々と語るなよと思う感情を音楽に乗せてえんえん歌われたりしたんでつい…(^^ゞ ←レイヴィンとか…)
キティというキャラ自体は好感が持てて好きなんです。でもアンナ・カレーニナの世界に必要なのか?このキャラは…?という思いがずーーーっと心にわだかまっておりました。
そして…見ていくうちに、アンナとアレクシス(小説版ではアレクセイ、愛称アリョーシャ)を除く登場人物たちは舞台上で違和感なく共鳴しているように感じるのに、舞台全体の中でこの二人だけが不協和音のような感じがしてきて、なんだか据わりが悪いような居心地が悪いような…。

でもそれも、セリョージャが出てくるまででした。
この子が出てきたとたん、私は物語世界に引きずり込まれ、わだかまりを忘れました。
この可愛さ、もう凶器並み。アンヌーシュカとのかけあいがまた激可愛い~!(ところでこのアンヌーシュカが桐生園加サンに似ている気がして、気になって気になって…(^^ゞ)
この子が出てきたあたりから、アンナのこともアレクシスのこともカレーニンのことも、誰のことも美化しないで見ることが肝要なのだと…気付きました。それまでの私は、一路さんの美しいルックスに騙されて、アンナというキャラを美化しすぎていたんですね。

                             ・

アンナは、ユーモアのない余裕のない生真面目すぎる女性なのだと思います。社交界の女性としてそれはどうかというような。(言い寄る年下の男性を上手にあしらえなくてどうする!)
じつはカレーニンとは似たもの夫婦なのかも。
これほど美しくなければ、それか美しさに見合ったユーモア感覚があれば、あんなに悲劇的にのめりこまなかったでしょうにね。
年下の男性と不倫するなら、大局をみつめる視点が必要よ!と思います。
プリンセス・ベッツィーもそう思ってたよね。彼女の美学からいったら、アンナのやりかたは「みっともない」に尽きるだろうなと思います。

ところで、なんで“プリンセス・ベッツィー”?と思ったら、公爵夫人(=Princess)でしたね、この人。トヴェルスコイ公爵夫人ベッツィー…宝塚版では美穂圭子お姉さまが演じてらっしゃいました。
(“アレクシス”にしても、この作品は英語読みが混じっているから混乱してしまいます)
今日の舞台では、春風ひとみさんが演じていらっしゃいましたが、ダンスシーンとかびっくり素敵でした。でも、とってもアメリカンだったのよね~~彼女のシーン。。。

みっともなく愚かで自分勝手。
でも、人って多かれ少なかれ皆そう。だからそんなアンナのことを他人事という気がしませんでした。
ことにセリョージャへの思いとかは・・・。
セリョージャへの思いがあってこそ、アンナの絶望がはっきりとするのだと、今日の舞台ではっきりと知ることができました。
アンナの恋愛がテーマではなく、アンナの“事件”をとりまく周囲の人たちのそれぞれの思い、生き方、考え方の違いこそがこの作品のテーマだったのだと、気付くことができた舞台でした。むしろ“舞台”だからこそ気付けたのかもとも思います。

カレーニン(山路和弘さん)を好きになれるかというと自信はないけれど、とても共感できる人物でした。
あまり幸せではない子供時代をおくった人なのですね。だから自分に厳しく子供にも厳しい。それは彼なりの愛情なのだなぁ。
セリョージャを褒めてやるシーンが泣けて…。だからこそアンナを責める言葉に説得力があったなぁ。そしてそれでもなおアンナを引きとめようとするところも心に染みました。
でも、アンナにとっては、それはもう意味のないことなんですよね。

レイヴィン役の葛山信吾さんは、「真珠夫人」のヒロインの恋人だった方ですよね。暑苦しい役を熱演されて素敵でした。
キティ(新谷真弓さん)はロシア貴族の令嬢役として、アンナの友人役としては、うーんうーんうーん(ーー;)でしたが、とっても可愛かったです。黒板でアルファベットでレイヴィンと愛を告白しあうシーン、すごく良かったです。
なんだかんだいってお似合いのバカップルでしたね。
キティの小間使い役はどなたかわかりませんでしたが、キティと良いコンビでこの子好きだーと思いました。

じつはスティーバ(小市慢太郎さん)が一番人間できているのかなぁ。人騒がせで困ったさんなんだけど…。
彼は誰のことも恨んだり嫌ったりしていないですよね。人間をその愚かさを愛しているという感じ。
彼のユーモア、なぜ妹(アンナ)に遺伝しなかったんでしょうね???

井上芳雄さんのヴロンスキーは、最初にも書きましたけど、なぜか真琴つばささんのアレックス(LUNA)やルドルフ(うたかたの恋)を彷彿とさせるところがありました。なぜかなぁ。
「一つの武器としては、私もなにかのお役に立つでしょう。しかし、人間としては――私は廃墟です」という台詞、言ってましたよね。小説でもこの台詞が、なぜかとても印象的で好きだったので、芳雄アレクシスの口から出て来たときはゾクゾクしました。

一路アンナは、もう本当に、ずっとずっと私のイメージしていたビジュアルそのもの!
廊下を歩く衣擦れの音とモルヒネ中毒の倦怠感(舞台後半の)・・・・良かった~~。
純白の部屋着でヴロンスキーと戯れるシーンも良かった~。
カレーニンをふりきって、セリョージャのところへ行こうとするシーンも印象的でした。
でも一番好きだったのは、セリョージャと戯れるところだったり。モスクワから帰宅してお土産を渡すところとか。
あのシーンがあんまり甘々でメロメロだったから、それを失うことになる愚かさが胸に痛かったです。

今まで私が気づかなかったこの作品のことをいろいろ気づかせてくれる舞台で、本当に見て良かったと思います。
ただ、やっぱり演出と脚本には疑問が残ります。
一路アンナを活かしたいのか、活かしたくないのか、中途半端だった気がするんです。

えーと、その他、カーテンコールなどで思い出すことを。。。
カーテンコールには4~5回応えてくださっていたように思います。(じっさいにはカーテンはないのですが)
さいごはスタンディングオベーションになりました。
音楽もなく、拍手だけのコールでしたが、出演者の方たちが福岡出身の方を前に行くように促されたり、春風さんが井上君にもっと手を振ったら?みたいな素振りで促していたり、温かい雰囲気でした。
(私は、ついついセリョージャに手を振っていました…(^^ゞ)
あ、そういえば、レイヴィンが執事に「結婚はしない」みたいに言う台詞(バーベルのシーン)、博多弁だったなぁ。なんていったんだっけ…?

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