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2009年8月の7件の記事

2009/08/31

意味があることにどんな意味があるというのです?

分冊文庫版『塗仏の宴 宴の始末(上、中、下)』を読みました。

面白くて、ペース配分を間違い一気に読んでしまいました。
かつてこの作品をなかなか読み終わらなかったなんて、信じられない。
本当に、「本が読めないスパイラル」にはまってしまっていたんだなぁ。

榎木津礼二郎大活躍。
人に懐中電灯を持たせるのに
「喜べ。これを君に下賜しよう。有り難く拝領して家宝にする」と押し付ける。

木場修が云う。
「死ぬンじゃねぇかと思うくらいじゃなくッちゃ、面白ェことも出来ねぇんだよ。そうだな礼二郎」

榎木津は返す。
「ごく稀にはいいことを云うな四角人間!――」
面食らう外野に。
「俺とこの馬鹿修は、今まで挨拶代わりに何千回となく闘って来たのだ。さっきのも、こんにちはと云う意味だ!」

大人の本気を舐めちゃいけない。

人間というのは、本当に傲慢だ。
この世に起きていることは、なにひとつ不思議ではないのだ。
それは自然のことわりだから。
受け入れるも抗うも肝を決めるしかない。

予定外に1日早く読み終わってしまったので、今日は1日つまらなかったです。

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2009/08/28

物理が苦手。

分冊文庫版『塗仏の宴 宴の支度(上、中、下)』を読みました。

まったくちがった場所から、高い山の頂目指して、各々が登っているようなお話。
ちょっとずつリンクしているのが見えてくるけど、「支度」が終わった時点ではまだ五里霧中。
語りも知識量も凄いけど、プロットも凄いなぁ。

以前一度読んだことがあるけど、前作の織作家の次女が登場することとかすっかり忘れてました。
厭な心象風景の描写とかは覚えているのになぁ。


織作の娘が登場するということは、石長姫や木花咲耶姫の話も関係あり。
徐福伝説も絡んで、なぞの一端がすこし見えてきたところ。
who wants to live forever?

ちょうどこの作品を読んでいるくらいから、本を読まなくなってて、この作品はかなり時間をかけて読み終わったと記憶しています。
「宴の支度」とあるように、このあと「宴の始末」へと続くんですよね。
たぶん、「始末」を読み終わったときには、「支度」の冒頭など忘れていたはず。
それじゃ、なんのことやら訳わからなくて当然…(^_^;)

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2009/08/21

石長比売の裔として。

あなたが――蜘蛛だったのですね。

分冊文庫版『絡新婦の理』(一~四)を読みました。
絡新婦と書いて、じょろうぐも(女郎蜘蛛)。

本当に凄い作品だなぁ。と再読してあらためて思いました。
これだけ脈絡のなさそうなものが、すべて一点に、蜘蛛の巣の中心に居る人物に、繋がっていく。
中心に居る人物は、自分が張った網に皆が綺麗に絡まって、意図したとおりに物事が進むのをだた見ているだけ。
誰もが、自分の意思で動いていると思っていたのに――ちがった。

前作が、雪と禅寺とお坊さんばかりの墨染めの世界とすると
この作品は、全寮制の女学院、母系家族の美人姉妹、薄墨色の地に棚引く淡い桜色の世界です。

少女に娼婦に聖女に魔女。
女性をカテゴリする男性原理。
そして男性原理のもと優等生たらんとする評価されたがりの女たち。
彼女たちの同性のこき下ろしって、凄い。

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2009/08/19

HACHI。

次女と映画『HACHI』を見に行きました。
2人で鼻をぐずぐずいわせて見てました。

別に可哀想でもいじらしいわけでもない。
このコ(HACHI)は、自分のやりたいことをやっているだけだもん。

自分がやるべきことはやる。
やるべきじゃないことはやらない。
それを決めているのは、HACHI自身。

誇るわけでもない。
卑屈になるわけでもない。

自分がやるべきと信じることをやる時に、困難があろうと迂回することをしない。
まっすぐ。一直線で一生懸命。
それに心を動かされました。

やるべきことをやり続けて死んでいった。ただそれだけ。

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2009/08/15

檻。

分冊文庫版『鉄鼠の檻』(一~四)を読みました。
初読の時もとても感銘を受けたと記憶していますが、やはり面白かったです。

めしいた人が雪道で行く手を阻む障害物に遭遇し、杖で突いたり足でまさぐったりしていると、行きずりの雲水にそれは人の屍体だと告げられる。
しかも「拙僧が殺やめたのだ」と。
まさかと訝しんでいると、それは牛だと言われる。でもそのような大きさではない。
さらに鼠だとも言われる。そのような大きさでも勿論ない。
果たして。
言葉遣いや物腰から僧侶だと思った相手が本当に僧侶であるのか。
めしいた人はぞっとして一目散にまろぶように山を下りる。
そんな冒頭のエピソードが象徴するようなお話でした。

京極堂が謎を解いた訳でもない。
彼は禅についてレクチャーし物事の筋道をつけただけ。
わかるかわからないかは、それを聞いた人間、読んだ人間次第です。

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2009/08/14

うつしみ。

昨日、会から東京のお茶会の写真が届きました。
やはり、それ以前(ムラ)に比べてたにちゃんが可愛い。女の子だなぁと思います。
私は、この笑顔で幸せになれます。


宝塚の喧騒から離れてまったりのんびりした日々を過ごしています。
1つのことを時間をかけて考えられる日々を取り戻したような気がします。
宝塚や悠河さんのことも反芻するように考えてみたりしています。

タカラジェンヌのことを、私は「役者」とは思っていなかったように思います。
どう思っていたかというと、いちばん近いのは「わざおぎ」かなぁ。
高次な存在に歌舞を奉じる者。
「よいものを見せてもらったなぁ」という感覚。
公演を見終わった後、麻薬的に幸福感、高揚感がありました。
だから、1日2公演でも連続10公演でも見られました。
まさに麻薬。
その最たる存在が、私にとっては「大和悠河」でした。

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2009/08/07

ラプソディ(狂詩曲)。

「さあ迷える牧師を羊の方が救いに来たぞ!」

「救われないのは、救われたくないからに決まっている」

愈愈(いよいよ)華麗に榎木津登場。

「心の暗闇だか何だか知らないが、心に光度(カンデラ)や照度(ルクス)があるか。明るい暗いで善し悪しが決まるのは、電灯くらいだ」

――というわけで、文庫版『狂骨の夢』を読み終わりました。

このシリーズ、辛気臭いのやら理屈っぽいのやら四角いのやら…いろんなキャラが登場しますが、私は超探偵(関口いうところの最悪の探偵)榎木津礼二郎が誰より好きです。
誰の言葉より、私の憑物を落としてくれるから。


10年くらい前に一度読んではいるのですが、話のほうはすっかり忘れていました。
が、物語のいちばんのトリックは、けっこう最初のほうにわかりました。

というのも、交叉する2人の女性の記憶のうちの一方が明らかに、
視覚的LDの一種(相貌失認)じゃないかなぁと思ったからです。

だから、そうじゃないほうと、そうであるほうがすぐ区別がついてしまったというか。
描き分けている作者が凄いのだと思いますが。
そういった人への周囲の侮蔑、本人の劣等感なども含めて、リアリティがありました。
タイプは違うけど、そういう欠落を抱えてずっと頑張っている次女とともに生きてきたので。

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