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2009/08/14

うつしみ。

昨日、会から東京のお茶会の写真が届きました。
やはり、それ以前(ムラ)に比べてたにちゃんが可愛い。女の子だなぁと思います。
私は、この笑顔で幸せになれます。


宝塚の喧騒から離れてまったりのんびりした日々を過ごしています。
1つのことを時間をかけて考えられる日々を取り戻したような気がします。
宝塚や悠河さんのことも反芻するように考えてみたりしています。

タカラジェンヌのことを、私は「役者」とは思っていなかったように思います。
どう思っていたかというと、いちばん近いのは「わざおぎ」かなぁ。
高次な存在に歌舞を奉じる者。
「よいものを見せてもらったなぁ」という感覚。
公演を見終わった後、麻薬的に幸福感、高揚感がありました。
だから、1日2公演でも連続10公演でも見られました。
まさに麻薬。
その最たる存在が、私にとっては「大和悠河」でした。

彼女の潔いまでの神秘性の保持。
全身で「タカラジェンヌ」であろうとしているところに、
なんともいえない想い(尊敬やら諸々)を抱いていました。
お茶会などでも、完璧に「大和悠河」でありながら別の彼女もどこかにいるようで
眩しい光にかき消えてしまう寸前の残像のようなものに惹かれてもいました。
阿修羅像のような多面体の彼女に惹かれていたのかなぁ。

舞台の上の彼女の情動。本気が好きでした。
そこには嘘が無くて。
それゆえ私のコンディションによっては苦しく辛くなってしまうこともあったのですが。
彼女の情動から生まれる閃光を感じるのが好きでした。
あれは禁断のクスリなんかよりよほど法悦の境地に誘うものだと思います。

彼女は、何かこの世のほかのものの「うつし身」だったのかなぁ。
そんなふうに思ったりもしています。
私にとって「タカラジェンヌ」は、そんなものであったようです。


あの幸福感と高揚感。あるいは法悦。
あの騒がしい心。
それらは素晴らしいものだけど精神的な消耗もまたすごかったので、
また最初から――といわれるとちょっと尻込みしてしまいます。
正直、いまはまったりしていたい。

というわけで、意識的に宝塚の話題は遮断しております。
博多座観劇のレポなども頂戴したりするのですが、細かなレスができません。
すみません。m(_ _)m

目下の私の関心事は、カーテンズを何公演見られるか?――です。

想定外の名古屋公演があったため、東京公演の観劇回数を減らさなければだし
大阪は涙の月末月初だし
18時半公演を見たらその日の飛行機には乗れないし・・・
どう観劇しどう滞在するかとか、いろいろ思案を重ねております。
来週には結論を出さねば。

こういう計画の愉しみもまた彼女ゆえ。
本当に潤いをありがとうです。

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コメント

ふむふむ、と読ませていただきました。
私にとっても「大和悠河」と言う人は、天然記念物並の神秘性を湛えた人でした。宝塚の男役をどんな時でも体現し、絶対的「タカラジェンヌ」でした。
ある意味「巫女」に通ずるような存在でしょうか。
近寄りがたい存在でありながらも、人を引き付けてやまない。2次元でも3次元でもない、2.5次元の存在かなぁ。

今は、某ジェンヌさんのファンですが、あくまでも普通な方です。あまりに普通過ぎてあっけに取られるほど。それゆえにこちらも普通の目線で彼女を見ることが出来るし、ある意味安心も出来る。
今は、舞台上だけでもたにちゃんの遺伝子が、彼女の中に残っていてくれたらと願っています。

投稿: エレナ | 2009/08/15 19:28

◇エレナさん、
痛いほどに「タカラジェンヌ」であろうとしているように見えましたよね。
入り出や限定の集まりなどでたまに垣間見られる「素顔」を喜んだりもしましたが
(それはそれで興味深い人ではありました)
遠巻きに大切に愛でたい人だったなぁ。
それまでの自分の中にはなかったポジションに居た人だったと思います。

暗黙のルールに従って、自ら囲い(檻)の中で愉しむのもまたおつなものでしたけど
これから先は、そのルールも宝塚時代ほど明確ではなくなるのでしょうね。
どういう距離感でいくのか…ファンも五里霧中、試行錯誤になるのかなぁ。

投稿: theo | 2009/08/15 20:34

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