石長比売の裔として。
あなたが――蜘蛛だったのですね。
分冊文庫版『絡新婦の理』(一~四)を読みました。
絡新婦と書いて、じょろうぐも(女郎蜘蛛)。
本当に凄い作品だなぁ。と再読してあらためて思いました。
これだけ脈絡のなさそうなものが、すべて一点に、蜘蛛の巣の中心に居る人物に、繋がっていく。
中心に居る人物は、自分が張った網に皆が綺麗に絡まって、意図したとおりに物事が進むのをだた見ているだけ。
誰もが、自分の意思で動いていると思っていたのに――ちがった。
前作が、雪と禅寺とお坊さんばかりの墨染めの世界とすると
この作品は、全寮制の女学院、母系家族の美人姉妹、薄墨色の地に棚引く淡い桜色の世界です。
少女に娼婦に聖女に魔女。
女性をカテゴリする男性原理。
そして男性原理のもと優等生たらんとする評価されたがりの女たち。
彼女たちの同性のこき下ろしって、凄い。
・
以前読んだときよりは、軽い気持ちで読むことができました。
初読のときは、三女と同じ穴に落ちてもがいていたからかなぁ。
男性原理に傷つけられ反発しながらも、男性原理による価値観から逃れられていなかった。
女性原理による文化を“淫ら”と感じてしまう如く。
いまは、だいぶその価値観から逃れられているのかな。
若い頃、私が宝塚が苦手だった理由の1つは、
男性原理に塗込められた世界の匂いがプンプンしていたから。
いまの宝塚も、男性原理主義なのは相変わらずだけど、
それも含めて愉しむことができました。
失笑もいっぱいしたけれど。
いや本当に前時代的な世界だなぁと。
宝塚のオリジナルが、新作であっても古臭く、中途半端なのはそのせいもあると思います。
本当に男性至上主義っちゅーか。
ネバセイも薔薇雨も、ヒロインがもっと魅力的だったらと思います。
小池先生も正塚先生も、姑息。
石田先生や木村先生ほどあからさまに女性蔑視じゃないけど、内側はあんまり変わらないみたい。
上手に覆い隠している分狡いし、だから作品も最後で肩透かしになるのじゃないかな。
あ。でも薔薇雨に関しては、「正塚先生ってばとうとう開き直ったな!(笑)」と思ったけど。(^_^;)
ネバセイは本当にもったいない。
あのヒロインが、、、、どうにかなんなかったのかなぁ。
1幕目のあの威勢は? あんなに魅力的だったのに。どうして2幕目ではああなっちゃうかな。
え? 2番手スターにも見せ場がいるから? 若手男役にも見せ場が? ですよねぇ。
男役ファンからクレームつきますよね。宝塚ですもんね。
感動シーンも感動の演出も多々あるのに。
がしかし。天下のハナフサマリのラストがあれ?・・・(-_-;)
いまだに根に持っているワタクシ。
しょうがないか。宝塚の限界ってものか。と自分をナットクさせてはいますが。
宝塚は面白かった。本当に。
でも、娘たちが宝塚ファンになったら・・・・心配します。ヤバさを知っているだけに。(^_^;)
世間とズレた価値観に浸りすぎると怖いです。
宝塚は、ほどほどにがいいですよね(どの口がいうか
)
うめちゃんのことは好きでした。
でも、私はタニウメコンビファンではなかったと思います。
タニファンとして、ヤマトさんの相手役はヒヅキさんで良かったと思っています。
でも、ヤマトさんの相手役に決まる前からうめちゃんのこともピンで好きだった者としては
「なんでトップファンってこう上から目線なワケ?」と思ったことも。(^_^;)(自分も含めて)
うめちゃんのことを褒めるにしても、なんだかなぁと。
男性原理の下で娘役(とそのファン)を見下しているよなぁと。
「うめちゃんはこんなもんじゃない」と、どこかでずっと思ってました。
宝塚では、娘役ファンは言いたいことも言えない空気がありますよね。
なんていうか、そもそも「相手役」という感覚というか、
まして相手役を「お嫁さん」とか表現しちゃう感覚とか、
そういうのが、肌に合わなかったんですね。
そういう感覚を宝塚の中だけで使うならいいんだけど、
外の世界で使ったらヤバイなと。
だから、娘たちからは遠ざけていたい母心。
結果的にですが、私は作品によって相手役が変わるのは好きでした。
基本「皆に愛されている悠河さん」が好きでしたから(笑)。
雨唄の、みっちゃん&アリスちゃん、両手に花状態や
薔薇雨の、ジャスティン総○状態にムヒムヒでした。
(薔薇雨の相手役って男爵でしたっけ?)
だから、相手役って決めなくて、男役トップハーレムでいいんじゃないかな~)^o^(と。
娘役は、1人でも輝くタイプが好きです。
大幅に話が逸れておりますが、
(宝塚でしか通用しない)男性原理が正しいという目線でタカラジェンヌの言動を語るファンの集団は恐ろしい。
(だから――どの口が言うかリプライズ
)
インターバルを置いてみて、あらためて思っております。
「私はもう一生泣きませぬ。泣いては己が立ち行かぬ。こうなった以上はもう一度、己の居場所を探します。負けません。負けてなるものですか。貴方よりも誰よりも、強く生きてみせましょう。石長比売の裔として、私は悲しくとも辛くとも、笑っていなければならぬのでしょう。それが――」
女は、静かに、毅然として云った。
「それが――絡新婦の理ですもの」
(京極夏彦 分冊文庫版『絡新婦の理(一)』講談社文庫25p)
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