なにをかんちがいしているの。
Japanese Musical「戯伝写楽」大阪の3公演を見ました。
不思議なおせいは、大和悠河が演じるからこその説得力だったと思います。
子供の一人や二人、平気で産み捨てていそうな女なのに、俗っぽくならない。
というより、彼女はあそこにいたのだろうか?
絵だけが残り、でっけぇ夢だけが残る。
この作品をオギーワールドにしているのは大和悠河のおせいという存在だという気がします。
夢うつつの境目に居る女。
なーんて言ったら、彼女に
「なにをかんちがいしているの」
と言われそう。
てめぇのちっちぇえ風呂敷には包み込めない魅力。
大和悠河のおせいに出会えてよかったです。
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コメント
>「なにをかんちがいしているの」
今までもずーーーーとそうだったのかも。
投稿: 悠生 | 2010/04/27 09:48
◇悠生ちゃん、
そうだと思います。
私が見ているおせいと、別の誰かが見たおせいは別物。
おせいは1人でも、100人が見れば100通りのおせい像がある。
そして、それは全部、「本当のおせい」とは別物。
なぜなら、人は自分が見たいようにしか見ようとしないものだから(笑)。
すべては、勘違いなんでしょう。
きっと、誰ひとり同じものは見ていない。
私はそんなふうに思います。
誰かが、なにかが、個々の心を動かし
それが共感と呼ばれるものになるときには
最大公約数とか最小公倍数だかの問題になるのだと思います。
その最大公約数や最小公倍数を利用して
多くの人に、「あなたが欲しい物はこれでしょう」
「あなたがなりたいものはこれでしょう」
と「勘違い」させるのが「商売」。
巧みなプレゼンテーションによって、
「それ」が欲しかったような気がしてくるし、
「それ」になりたかったような気がしてくる・・・
「勘違い」はしあわせ。
それを一言で粉々にしちゃうおせいちゃんは残酷~。
(でも快感♪ ってことはなんだ、アレかなやっぱり私は…(^_^;)
(最高のご褒美は、「お仕置き」ってやつ?・・・)
私たちは夢を買っているのよね。
で、買う以上は損はしたくない(笑)。
カリスマと呼ばれる人たちが、最後はいつも悪者なのは
皆がその「夢」に飽きて、別の夢に移っていったから。
傾いた舟からは、さっさと降りたい。
それが、大衆とか世間とかいうもの。
そんなうつろうものを相手にする商売。
蔦重さんくらいの見極めがないとダメなんでしょうね。
おぼれちゃダメ。
でもおぼれるくらいじゃなくちゃ、夢は面白くない。
というわけで
これからも、夢と勘違いにおぼれて、
寸鉄殺人の快感に酔ひなむ。
飽くまで。
投稿: theo | 2010/04/27 20:15