うつつの夢を夢のまことに。
現の夢を夢の真に―――
京極夏彦著「前巷説百物語」を読みました。
御行の又市が、御行装束に身を包むようになる前の
エピソード6篇、「寝肥」「周防大蟆」「二口女」「かみなり」
「山地乳」「旧鼠」で構成されています。
青臭い又市がたまりません。
こんな思いを重ねながら、後の又市ができあがったのだと思うと胸がいっぱいになります。
以下、ねたばれです。
・
カッコイイ男たちが登場します。
性格も違えば、立場も生き方も違う。
だけど、カッコイイ。
誰でもない、彼らが自分自身を貫いているから。
ある境内の絵馬に名前を書かれると、書かれた者は3日以内に必ず死ぬ――
どういう仕組みか、誰が裏で人殺しに手を染めているのか。
いえることは、本当に幾人もの死人が出ていて、世間を騒がせている。
その絵馬に、迷いなく自分の名前を記した、
南町奉行所同心、志方兵吾。
ここを読んで、おもわず、「かっこいい・・・」と呟いてしまいました。
惚れた女主人をかばって命を落とす手代。
生まれてすぐ生き別れにされた双子のかたわれの思いを知り、
人を思って、自分の願いをこめて、命をかける男。
運命に翻弄された過去をもつ元侍は、強い相手にはめっぽう強いが
弱い相手にはとことん弱い。
細民窟に棲み、同じ長屋の人々を愛しいつくしみ、死んでいく。
そんな男たちと心を通わせ、願いを受け取り、
「自分のみち」を固めていく又市。
彼が女性を見る眼が、哀しくやさしい訳もわかりました。
十か、十二ばかりの人形のような美少女のおぎんさんも登場します。
(つい、誰かさんの10~12歳の頃を想像してしまう、ヤマトファンのサガ・・・)
(ちなみに、この青臭い又市は、東山義久くんのビジュアルで読んでました…(^_^;)
生きることは哀しくてつらい。
だから、人は信仰を ――― 教祖を必要とする。
教祖の言葉に救いをもとめ、それを信じ、つらい浮世を耐え忍ぶ。
そうしているうちに、教祖の顔色を読むようになる。
教祖が言葉を発する前に。
「教祖様が望んでいる」
「教祖様のため ――」
そんな大義名分で、どんなこともできてしまう。
教祖様のためならば、人としての罪も、罪じゃなくなるのだ。
そんな人々の気持ちを煽り、操る者 ――
これって、ある警告も発していますよね。私たちに。
自分たちは、何者でもなく、顔も見せず、代弁者ヅラをして誰かを痛めつけることができる。
「赦す赦さねェを勝手に決めるンじゃねェよ」
「枠ン中あ不自由だし、おまけにピンキリだ。下の者は苦しいし、上の者は辛ェんだ。人は皆哀しいんだよ」
「それをな、枠の外から斜(はす)に見て、小馬鹿にするようなことを語るんじゃねェぞこら」
“彼ら”に追い詰められた、又市の啖呵が小気味良い。
汝等は何者でもない者ではない、人だと、まかしょうは大声で言った。
人は人として人の倫を歩みなさい――。
倫を外せばそれは罪、身分階層に拘らずそれは罪――。
人々の罪を雪ぎに行く男の言葉です。
生きることは哀しくつらいから、
人は神仏を必要とし、
妖怪を必要とし、
夢を真にすげ換える「小股くぐり」が必要なのでしょう。
小股くぐりとは、口先八丁で人をたばかる人のことですが
又市の場合は、誰もが納得できる“落としどころ”を見出して
人を動かし、そこへ行きつく“仕掛け”を動かしていくのです。
人々を愛し、悲しみ、そうすることしかできない自分の力不足を悔いながら。
「御行奉為(おんぎょうしたてまつる)―― 」と。
この「巷説百物語」のシリーズは、「戯伝写楽」とならんで
私にとって今年の至福の邂逅となりました。
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