すご。
京極夏彦著『覘き小平次』を読みました。
(ねたばれします)
いやもう。すごーい。
一日中押入れにこもって、ちょっとの隙間から世間・・・というか女房を覘いている男。
彼と彼をとりまく人間たち6人の心の奥底を、歌舞伎にもなった怪談を元ネタにして描き出してあるんですが、
それぞれの心が本当によくわかる・・・。
いわゆる“まっとう”な人なんて、誰一人いないのに。
それぞれに陰惨ともいえる過去があり、その誰とも関係のなさそうな過去が偶さかつながっていて、つながっていることに気づかないまま、今がすすんでいく。
つながっているからどうだってことじゃないんですよね。
歌舞伎なら、因縁話になるところでしょうけど
そうじゃないのが、京極本。
つながっていようが、それぞれの思い、思惑がまったく異なるから
かみ合うものでもない。
皆、己の中でしか生きちゃいない。
相変わらず、きっぱりと潔い、肚の据わった女性が登場するのが京極氏らしい。
またしても、その女性(お塚さん)に惚れる私・・・(^_^;)
小股の切れ上がったいい女。
彼女の過去も興味深かったです。
会ったこともない人の絵姿に惚れて、思い込みの一念で
何不自由ない家を飛び出す。
あるでしょ。こういうこと。
・
陰惨な過去を、どう受け止めるか。
それが、一人ひとりちがっている。
自分が可愛いならそれもよし。
自分が莫迦だったとふっきれるならそれもよし。
理不尽だと憤るのならそれもよし。
それからどうするか。
どう生きるか。
だれが、どう納得するか。
語ることで、人は、事象は、厚みを増す。
語ることで、自分にそれを引き寄せる。
語ることは騙りだ。
すべて嘘さ。
それでいいじゃねェか。
「信じるってこたァ、騙されても善いと思うこと。
信じ合うッてこたァな、騙し合う、騙され合うてェ意味なんだ。
この世の中は全部嘘だぜ。嘘から真実なんか出て来やしねえ。
真実ってなァ、全部騙された奴が見る幻だ。」(勝手に改行入れてます)
だから、それでいいじゃねェかと、事触れの治平は言うんですよね。
「本当の自分だとか真実の己だとか、そんなものに拘泥する奴は何より莫迦だ。
そんなものァねえ。自分が欲しかったら、自分で自分を騙すんだ。
騙すのが下手なら下手で――」
それでいいじゃねェかと、治平さんは言うんですよね。
人は、自分で自分を騙して欲しい自分を手に入れる。
それが上手な人もいれば、下手な人もいる。
下手なら下手なりに、覚悟を決めてやっていくだけ。
それが気に入らないって人もいようが、しょうがないやね。
事触れの治平さんほか、「巷説百物語」の登場人物や
「嗤う伊右衛門」に出てきた名前も登場します。
物語の発端は、御行の又市による仕掛けだったみたいだけど、
焙り出されたものは、
人間の心。
人の心は、予想通りには、なかなか動きませんね。
それも含めて、なにやらが、すとんと落ちる作品でした。
(追)
そういえば、お塚さん、押しかけてきた男に対して、面倒臭そうに
「抱きたいンなら、さっさと済ませておくれよ」
って言ってました。
構いやしないよ。減るものじゃなし―― と。
おもわず、およよよよ・・と反応したわたくしです。(^_^;)
「戯伝写楽」をご覧になった方は、わかってくださいますよね。
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コメント
おせいちゃんのセリフですね。懐かしいです。
それにしてもかなりのペースで本読まれてますね。
私も見習わなければ!と思っていつも感想を拝見させて頂いてます。
ゆうがさんがお休み中は、私も自分みがきをする時と思っているのですが、やっぱりゆうがさんのお仕事が未定な今は先の楽しみがなくて何ともがまんな時です。(笑)
ただご本人は今すごく充実した日々を過ごされているんだろうなぁ♪
投稿: とっこ | 2010/09/04 23:07
◇とっこさん、
そうなんです。おせいちゃんだ~\(^o^)/って(笑)。
このシリーズ、なんとなく「戯伝写楽」と共通するところがある気がします。
(なんたって「江戸時代」だし(笑) ・・ってそこかい!みたいな(^_^;) 50年は違うけど)
公演期間中は何も手につかないので、いまのうち、って感じで本を手にしています。
でも、読むの遅くなりました。
目も霞むし・・・(ルビが読めない)
ご本人、充実、してらっしゃるみたいですね(笑)。
在団中は本当に忙しかっただろう彼女だから。
いま、在団中にできなかったことに夢中。満喫中なのかなって。
それにしても、撮影ってなんだろう・・・。
そのうちわかりますね。きっと。
投稿: theo | 2010/09/05 02:38