さなきだに。
半七捕物帳(二)を読みました。
読み始めてから、毎週末ごとに出歩いたりお客様とお会いしたり
その計画でうきうきと頭をいっぱいにしてみたり、
そのうえに蘭寿さんの花組次期トップの発表をうけて興奮したり
立てられもしない予定を立ててわくわくしたり・・・
(だって悠河さんのスケジュールが最優先なのに日程がわからないから…)
そんなことばかりやっていて、読み終わるのに1ヵ月かかってしまいました。
なんていうか。大人です。
すごく人生の先輩っていうか大人な人のお話を聞くような感覚です。
現役時代を思い起こすご隠居という設定が、
わたし的に大変大変萌えツボでございます。
半七親分というより、半七老人のファンかもしれない。
言い回しにしろなんにしろ、出過ぎないというか。
ほんのり艶っぽくてほんのり悲しくてほんのり可笑しくてほんのり茶目っ気がある。
そんな印象かなぁ。
大人だわぁぁぁ~~~と憧れます。
遣われる渋い文言にまた惚れます。
「さなきだに」とか遣ったことがない言葉が目に入ると興奮します。
遣ってみたい~~~ でも遣うチャンスなんてないなぁ。
まったく語彙が豊かなんです。
・
こんなに豊かな日本語の語彙を自然に使えるって本当に憧れます。
たとえば世間一般では「申される」「おられる」は誤用と思っていらっしゃる方が少なくないのが
私は残念でならないのだけど、簡単に誤用という前に
本をたくさん読んでくださいと言いたいなぁ。
あと、「全く」の後には打ち消しや消極表現がないと誤用と思ってらっしゃる方も
少なくないですよね。
でも明治の文豪の皆さんも「本当に」という意味で打消しや消極表現と関係なく
使用されてるんですよね。
まったく国語教育が日本語から語彙の豊かさを奪っていると思うわ。
なんてことをふだんから思っている私としては、読んでいて気持ちがいい~
快感~
そしてなによりも半七老人の語りは嫌味がなく、まっとうで根底にゆるがない人間愛が
感じられて、話の落とし方は時代を超えても納得がいきます。
同じ事件を語るのであっても、語り部が変わればそうはいかないと思います。
先入観や蔑み偏見で語られてもおかしくない身分制の時代のお話なのに。
そう思うのがそもそも先入観かもしれませんけど。
でも、昔の書物の中には胸が痛む記述も多いから(つい数十年前のものであっても)、
つい構えてしまうのだけど本当にそれがなくて。
読みながら、ひどい記述に出遭わなければいいな…と不安に思うような事件と関係者
であっても、胸を痛めたりしなくて、むしろほっこりして、それにとっても安心するのです。
どんな時代に生きようとも、賢い人とはこういう人のことだなぁとしみじみ思います。
ということで、すっかり半七老人LOVEでございます。
ちなみに、「さなきだに(然なきだに)」というのは
「ただでさえ」「そうでなくても」という感じで使われるそうです。
さなきだにこの頃はいろいろの噂が立っている折柄であるから・・・
というふうに本文中では使われていました。(416p)
ということで、半七老人LOVE
さなきだに萌え
な今日この頃です。
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