冬の金魚。
岡本綺堂「半七捕物帳(三)」を読みました。
読みながらなんだか、江戸の町に郷愁を覚えました。
江戸の町なんて知らないのに。
岡本綺堂の文章がすばらしくて、なんど唸ったことやら。
夕立の情景。匂いや温度まで伝わってくるような描写。
憧れます。
奇をてらうことない、とっても平易な言葉を用いているようなのに。
半七親分のとてもフェアで健全な目線を通して描き出される
人と人が絡んだ事件。
プレーンでクリアでシンプル。なのに。
あれ。あれれれ?
これってもしかしてある種の嗜好では?
と思えるようなこともさらりと描かれていて。
あれ、あれれれれ?
そんなにあっさりと。
特別な言葉を知らなければそんなものなのかしら?
と思っていたら、さいごのさいごに半七老人。
「こんにちのお医者にみせたら、みんな何とかいう病名がつくのかも知れませんよ」
ご老人、ご存知でしたか。
恐れ入谷の鬼子母神。
本当に。
そのエピソードのタイトルが「冬の金魚」。
うーん。お見事。
(当時、金魚は夏の風物詩だったようで、冬の金魚とは変わった種を指しているようです)
・
別の逸話に出てきた丙午(ひのえうま)をネタにしたお話。
この年に生まれたというだけで、こんな事件になるのか・・・。
ただの迷信なのに、とんでもないことだなぁ。
でも、そういえば1966年の丙午生まれは出生率が極端に低くて、
小中学校ではクラス数が少なく、受験は楽勝といわれたそう。
昭和の時代、戦後20年を過ぎても、この迷信は生きていたんですよね。
(U月の弟さんがこの年の生まれだったなぁ)
その前の1906年(明治39年)、
その前の1846年(弘化3年)このお話の登場人物が生まれた年、は
バースコントロールなんて考えもないから
女の子が生まれた場合、翌年前年の生まれと偽ったり間引きしたりされたそう。
丙午の女は男を喰い殺す、飛縁魔(ひのえんま)という妖怪となるという
何の根拠もない迷信のために不幸なことですよね。
次の丙午は、15年後の2026年。
もうそんな不幸なことは起こらないと信じたいです。
過去の不幸を礎に、先達の努力に感謝して生きなくちゃってことを
あらためて感じたり。
懐かしがるだけじゃなくて。と、
江戸は遠く、そして近い。
そんな気分です。
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