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2011/02/26

冬の金魚。

岡本綺堂「半七捕物帳(三)」を読みました。
読みながらなんだか、江戸の町に郷愁を覚えました。
江戸の町なんて知らないのに。

岡本綺堂の文章がすばらしくて、なんど唸ったことやら。
夕立の情景。匂いや温度まで伝わってくるような描写。
憧れます。
奇をてらうことない、とっても平易な言葉を用いているようなのに。

半七親分のとてもフェアで健全な目線を通して描き出される
人と人が絡んだ事件。
プレーンでクリアでシンプル。なのに。
あれ。あれれれ?
これってもしかしてある種の嗜好では?
と思えるようなこともさらりと描かれていて。
あれ、あれれれれ?
そんなにあっさりと。
特別な言葉を知らなければそんなものなのかしら?

と思っていたら、さいごのさいごに半七老人。
「こんにちのお医者にみせたら、みんな何とかいう病名がつくのかも知れませんよ」
ご老人、ご存知でしたか。
恐れ入谷の鬼子母神。
本当に。
そのエピソードのタイトルが「冬の金魚」。
うーん。お見事。
(当時、金魚は夏の風物詩だったようで、冬の金魚とは変わった種を指しているようです)

別の逸話に出てきた丙午(ひのえうま)をネタにしたお話。
この年に生まれたというだけで、こんな事件になるのか・・・。
ただの迷信なのに、とんでもないことだなぁ。

でも、そういえば1966年の丙午生まれは出生率が極端に低くて、
小中学校ではクラス数が少なく、受験は楽勝といわれたそう。
昭和の時代、戦後20年を過ぎても、この迷信は生きていたんですよね。
(U月の弟さんがこの年の生まれだったなぁ)

その前の1906年(明治39年)、
その前の1846年(弘化3年)このお話の登場人物が生まれた年、は
バースコントロールなんて考えもないから
女の子が生まれた場合、翌年前年の生まれと偽ったり間引きしたりされたそう。
丙午の女は男を喰い殺す、飛縁魔(ひのえんま)という妖怪となるという
何の根拠もない迷信のために不幸なことですよね。

次の丙午は、15年後の2026年。
もうそんな不幸なことは起こらないと信じたいです。

過去の不幸を礎に、先達の努力に感謝して生きなくちゃってことを
あらためて感じたり。
懐かしがるだけじゃなくて。と、
江戸は遠く、そして近い。
そんな気分です。

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