時を超えて。
読みたいと思っていた少女の頃の夢が叶った・・・かな(笑)。
当時は『週刊マーガレット』と毎月出るコミックス(単行本)、小説本でお小遣いを使い果たし
『りぼん』には手が回らなくて、単行本が出たら読みたい漫画の筆頭がこの作品だったんです。
70年代の最もおしゃれな画風は、憧れでした。
「おじゃまさんリュリュ」は大好きでコミックスを何度も読み返しました。
男性のこけた頬とか、垂れ目に上唇に鼻腔の形。
すべてが好きでした。
いま、こうして「回転木馬」を手にとって見ても
ちっとも色褪せないところが、すごいです。
のちのち私が洋楽にハマるのもこの流れだったんじゃないかなぁ。
初期のロングヘアーのクイーンとか(笑)。
(はい、ルックスでハマりました)(きっぱり)
こんな人間が世の中にいるものか。(反語)
――― うそっ! いたっ!!!!!!!
と思ったのが、クイーンであり、のちのちに出遭う大和悠河さんであったりするワケですね。
・
ストーリーは、隅から隅までずずずいっと、
地方の小学生の日常にはまったくもってリンクするところのない
夢と憧れの世界(笑)。ファンタジーです。
リアルタイムでは読んでいません。
リアルタイムで読んだとして、この作品の相関関係と因果関係を
小学生の私は理解できたんだろうか?
兄妹が愛し合ってはいけないのだ、ということは理解したとしても
なんで兄妹なのー?ってことを理解しえたのかなぁ。
思うに70年代の本にしても映画にしても、
コドモに対して、もしくは読者や観客に対して
「ついてこい!」
っていうスタンスですよね。
親切ではない。
読者はわからないままに、一生懸命ついて行くしかなかった。
ついて行かないと、その先にある愉しみを得ることができないから。
わかりやすく噛み砕かれた娯楽っていうのが、まだあんまりなかったような。
娯しみたいなら、辛抱なさいな。という高飛車なところがあった気がします。
そして、わからないなりにもついて行くのが、楽しみでもあったような気がします。
だから小学生の私は、アンナ・カレーニナ(ジュブナイル版)やサガンの小説も
いっしょうけんめい読みました。
大矢先生や、一条ゆかり先生の漫画は、私にとってそんな世界だったです。
禁断の(笑)大人の世界を垣間見るような愉しみがありました。
マンガって、ちょっぴり禁断の世界。
大人が眉をひそめる世界だったんですよね。
だけど、どうして小学生の私は『りぼん』を購読しなかったのか。
それは、ひとえに付録がいらなかったからです(笑)。
可愛い付録よりも、1作でも多くの漫画が読みたかったんです。。。(^_^;)
だから、『週マ』。
可愛い付録よりも・・・
このスタンス、もしかしていまも変わっていないかも。。。。(汗)
服飾品に費やすお金は惜しむくせに、本や観劇費用には無頓着。
うーん。。。
そういうのをあらためて、もっと生活の質っていうのを大事にした生き方をしないとと思うのです。
そう。今年こそは。
今年こそは。
今年こそは。
うーん 。 。 。 。 。 。 。 。 。 たぶん ムリ。
こういう生き方を、私は死ぬまで貫いちゃいそうです(涙)。
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