江戸の春。
岡本綺堂「半七捕物帳(四)」を読みました。
読み始めて読了までひと月半。
4月初旬は御園座で「綺譚桜姫」上演中で
とても本なぞ読んでいられない心境に陥り・・・(^_^;)
(平行して2つのことを処理できない脳みそです)
やっと読みかけていたことを思い出し
(そこからかい!)
1週間かけて、昨夜読了。
大事件にハラハラしながらページを捲る…というのとは
ちがうので、読むスピードはあがりません。
まったりとしみじみとほろほろと。
たいていは予測どおりの犯人なり事件なりなのですが、
その折々の人々の感情やリアクションが
今とはちがう。
そこが面白い。
今はそうではないな。
今もそうだな。
そんなことを感じながら読み進むのが面白い。
・
市井に人が集えば事件が起きる。
若かりし頃自分が関わった事件の昔語りをしながら
最後に、あるいは途中に、半七老人がほろりと入れるコメントがいい。
大人だぁ。
幕末の江戸で岡っ引きでいる生き方。
いろんなことが騒がしかった時代だろうに、自分をもってしゃんとしている。
そんな親分の姿が浮かびます。
幕末の騒がしかったことには、ほとんど触れないで話をすすめているのも
大人だなぁ。
と思います。
異人さんや黒船が話の中に出てきたりもするのに。
ただ市井の人がそれらをどう見ていたかだけがある。
歴史小説では、攘夷だ倒幕だと
上を下への大騒ぎする人々が中心に描かれるけれど
普通の人々は、普通の生活を日々おくって
泣いたり笑ったり困ったり怒ったりしながら
やがて維新をむかえるのだなぁ。
「時代」は変わっても、そこに生きている人々が
そっくり入れ替わるわけではないのだ。
おなじ人たちが、生き続けているのだ。
大きな時代の転換期を経て、赤坂でにこにこと隠居している半七老人。
時代と時代のあいだをちゃんと生きて、人というものを愛して。
とってもリスペクトを感じます。
岡本綺堂の文章が本当にいい。
季節や気候の様子が、目に浮かぶようです。
大雪の後のうららかな梅見日和の描写――
高輪の海辺をぶらぶらあるいて行くと、擦れ違う牛の角にも春の日がきらきらと光って、客を呼ぶ茶屋女の声もひときわ春めいてきこえた。
いいですねぇ。文章に惚れる~
平易なのに、陽気やそれにともなうのどかな気分、瞳に入る光の眩しさがつたわってきます。
4巻には11編のエピソードが収められていますが、
半七親分がまだ駆け出しの19歳の頃の事件が描かれた
「大阪屋花鳥」という作品だけは、悪党どもが手を組んで大掛かりな悪さをしてて
半七老人が終わりのほうで説明してくれるのを早く読み進みたかったです。
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