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2011/04/10

後生もいらぬ。

御園座公演「綺譚桜姫」、クセになる作品でした。

 

ショーではない作品でクセになるのって、「マラケシュ-紅の墓標-」以来かも。
「戯伝写楽」もかな。
でもちょっとタイプがちがう。私の中では。

 

「戯伝写楽」は笑顔のラストだったけど
「綺譚桜姫」と「マラケシュ」は呆然としてしまうラスト。
どうなってしまったんだろう主人公は。
死んでしまったの。生き残ったの。
そこが見る者にゆだねられているから
見終わってもいつまでも世界観から抜け出すことができなくて
自分なりの結論を求めて、何度もくりかえし体験したくなるところが
クセになるかんじです。

 

現し世を流離う一粒の砂。
儚く小さな個の苦しみ痛み悲しみに心を寄せて
やがて風に消えていく荻田ワールド。
「綺譚桜姫」もそんなかんじなんだけど
いつもの荻田先生の作品にくらべて「抗い」の部分が強く心に残りました。

 

それは桜姫だからなのか
いまこんな時勢への荻田先生の思いからなのか
大和悠河だからなのか。
すべてが絡み合って、心に残って離れません。

 

(ねたばれします)

 

悠河さん美しかったです。
今回とくに華が際立っていたような。
彼女の華とは ―― とあらためて思ってしまった作品でした。

 

彼女の華って、生命力に通じるものなのかもとか。
その凄み(迫力)、明るさ(照度)は命の輝きのような気がします。
それが荻田ワールドの遣る瀬無さのなかで放たれると、いっそう際立つような。
いい化学変化が起きているような。

 

桜姫は、ただ無邪気な赤姫というのではなく
高貴な身分に生まれながらも不幸を背負い、その不幸の理由を自分自身にもとめ
亡くなった者たちの極楽往生を願い出家を考える健気で純粋なお姫様でした。

 

とりどりの花々と水の流れが描かれた赤い内掛けは
坂東玉三郎さんもお召しになったことがあるものだとか。
お姫様の鬘とちらちらと揺れるかんざしが可憐な雰囲気でした。
本格的なお姫様の鬘より小ぶりに見えましたが(大髷じゃなかった)、
しけ(両側に出ているあれ)がお姫様らしくて愛らしかったです。

 

運命を受け入れ、出家を考えていた姫君が、
得度を授かるために身を寄せていた庵で偶然にも
ひととせ余り思い続けた男に出会ったことで
出家をやめて女として生きようと決意する。
純粋だからこそ、決断も早い。

 

彼女がもとめているのは、
愛しい男が愛しいわが子を抱きその光景を寄り添い見つめること。
お姫様にしてはささやかな、でも一人の女としてはこのうえない喜びを求めて
愛しい男と祝言の約束を交わした矢先に、得度を受けるはずの高僧の乱心――
恐れおののき混乱のなかで、愛しい男ともわが子ともはぐれてしまう。

 

姫様装束に似合わぬ蓑を背負って彷徨う桜姫。
今生とは、前世と後生の狭間を彷徨うこと ―― それでも ――
運命に抗い、生の喜びをもとめて生きる決意をしたけれど
帰る家もなく道に迷う心細さのなかで、
それでもなお力の限り生きてみようと歌う姿に涙でした。

 

一幕の終わりには心乱れる清玄のさまをコロスとともに表現するシーンがあり
そのなかで、悠河さんが白菊丸になって登場します。
水色の着物に袴、前髪もあでやかに扇をもって首を傾げて舞う少年の姿は、
このうえもなく可憐で清らかで美しかったです。
懐かしくもありました。

 

二幕の冒頭、桜姫の生家公卿吉田家の桜の古木にまつわるコロスのシーン。
そこで悠河さんは桜の精として登場します。
これがまた目に麗しくて、まさに花の精でした。
桜の枝を手に淡い藤色の振袖。
腰が高いので美しい絵柄と色の濃淡が映えます。
鬘は後ろが下げ髪になっていて紅の手絡が華やかでした。
色白さんで襟足も清らかでもう眼福・・・

 

桜を切り倒そうとするコロスたちと対峙するシーンは
歌舞伎で見た滝夜叉姫のシーンのようでした。
凛として目力があって

 

さて、桜姫が二世を契った愛しい男釣鐘権助は、そうとうの悪党です。
雨宿りで偶然であった破戒坊主が抱いている赤子が自分の子どもだと知っても
さして感慨も情愛も感じていないような。
それどころか、桜姫に再会するために破戒僧清玄を殺して赤子を奪おうとさえします。

 

そんなことは疑いもしない桜姫は、権助のために小塚原の女郎に身をやつしています。
姫様装束とはがらりと変わって地味な柄物の女郎の衣裳。
大きく抜いた襟足と、着崩して肩からすべりおちそうな重ね着の着物がたいそう色っぽいです。
気だるそうにため息混じりに階を降りてくる姿は、婀娜っぽくて見蕩れました。

 

板についた煙管の扱い、はすな物腰女郎口調。
「ないわいなぁ~」と語尾を伸ばすところが色っぽくて愛嬌があって好きでした。
時々、「~せし」とか「みずから」だとかお姫様口調も出てきたりします。
生活に疲れて荒んでいるけど、どこか品があるというか。
権助に赤子を抱かせてうれしそうにしているときの顔とか、可愛かったです。
またすぐ違う顔になるんですけど、そこがまた。

 

立ち上がって、ちょっと後ろを見返るポーズとそのときの目力が絶品でした。
崩れているのに品がある。

 

権助が憎い仇と知ってからの凄味はもう、えもいわれず。
流転の果てにここまできたかと。
自分とは兄妹の仲で子まで成してしまったことへの胸のうちの惑乱が
表にも表れて凄まじかったです。

 

自らの手でわが子を刺し殺すのは歌舞伎で知ってはいましたが
目の当たりにすると、惨くて桜姫の叫びがたまりませんでした。
権助に太刀を向けるところは、もうすごい迫力。
(武道もそうとうお稽古されてたのかしらん。公家のお姫様にしてはかなり・・・)
(↑大和悠河ファンとしては、そこがぞくぞくだったんですけど)

 

愛しいわが子も愛しい男も自らの手で殺め、また自らの首も・・・。
そのとき雷鳴が轟き、桜姫は瞳を大きく開いてくっと顔をあげる。
あの顔は。
あの力強い意思をかんじさせる瞳の意味は。

 

どうなったんでしょうね。桜姫は。
自害して果てたのか。
はたまた地獄のような人生を生き抜こうと決意したのか。

 

後者であって欲しいといま私が思うのは
こんな時代だからか。
大和悠河だからか。

 

前世もいらぬ後生もいらぬ。
ただ今を精一杯生き抜くと誓った桜姫だからこそ。

 

フィナーレでは、もとの姫様装束で登場。
鶴屋南北の「桜姫東文章」では、お家再興で大団円だったと思いますが
この桜姫は、たとえ永らえても大団円とはならないと思います。
それでも、力の限り今生を生きてほしいなぁと思います。

 

時をおいて、また見る機会があったら
こんどはどんな感想を抱くのでしょう。
それも含めて、再演を希望したいです。
まためぐりくる桜の季節に京都南座とかいかがですか…
お花見もかねて

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コメント

諸手を挙げて全文に同意。で・す・よ・ねー!!という言葉しか浮かんできません…。荻田先生には、大和さんに桜姫(しかもあの造形)を宛てたところの真意とかを伺ってみたいものです(でも語らないのがオギーの美学かも…)。
京都南座いいですねーー(妄想中)。

投稿: rue | 2011/04/10 19:24

◇rueさん、
オギーの美学(笑)。
千秋楽の挨拶のとき、自分たち出演者こそ荻田先生の赤い帯に操られていたと。
だから荻田先生に私たちで赤い帯をつけたい…(?)
と悠河さんが荻田先生を舞台へきてくださいと呼びかけて客席も大きな拍手。
コロスの皆さんは手に赤い帯をもってスタンバイ(笑)
でも客席で見てらした荻田先生はとっとと雲隠れされてしまいました。
荻田先生らしいなぁと(笑)。

桜の季節の京の都いいですよねー。
桜の季節のお江戸もいいでしょうねー。(妄想中)

投稿: theo | 2011/04/11 01:20

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