しょうがないなぁ。
狂言の何に惹かれるって、私はその人という生きものへの温かい目線です。
足りない人、小賢しい人、抜けてる人、横柄な人、傲慢な人、悋気な人、嫉妬深い人
いろんな人が出てきて、あらあら・・・なことをするけれど
人ってそんなもんだよねぇ。と受け容れている、その寛容さが
魅力かなぁ。
「ゆるさせられい、ゆるさせられい」
「やるまいぞ、やるまいぞ」
と退出していく主従。
こんなやりとりを、きっとこの人たちはまた明日も繰り返していたりするのだろうなぁ。
そんなふうに思える安堵感や信頼感を狂言の世界で感じることができる、
笑うことができる自分を確認して、安心するひととき。
それが私にとって、狂言に触れる喜びかなぁと思います。
ということで、今年も大濠公園能楽堂にて「忠三郎狂言会」を堪能してきました。
昨年末に、茂山千之丞さんがお亡くなりになり、
毎年福岡の地で茂山千作さん千之丞さんを見られるこの機会をとても楽しみに
していましたので、もうそれが見られないことがとても残念でなりませんでした。
けれども今年のご招待券とともにいただいたちらしに
茂山良暢さんの舞台歴25年記念特別公演(4歳で初舞台)と銘打たれ、
大曲「釣狐」を良暢さんが演じられるとあり、楽しみにしておりました。
そんな折の今年のお盆を過ぎた頃、忠三郎さんご逝去のお報せ。
大曲に挑戦される良暢さんにとって大きな柱であるお父上を亡くされたことは如何許りの・・・
また番組演者はどのようになっているのだろうかと思いながら
大濠へ足を運びました。
けれど能楽堂について自分の席に着いてからは
そんなことも忘れて愉しんでいました。
どの曲も面白かったです。
たぶん、良暢さんの舞台歴25年の記念ということで選ばれたのでしょうか
2つの狂言はおおらかでおめでたい感じ。
そして、休憩を挟んで3つめが「釣狐」でした。
・
「三本柱」は、シテの果報者が召使う太郎冠者、次郎冠者、三郎冠者に
山の木を3本持って帰るように命令する。
「三人の者どもが二本ずつ持ってもどれ」
――― え? どゆこと????
この3人の冠者、いつもの狂言に出てくる家来たちにくらべてとても賢いんです。
重たい材木を1人が1人を助けて担がせる。
2人が担いだところまではいいけれど、残った1人は誰の助けもなしに
重たい材木を担がないといけない。・・・・どうするの?と思って見ていたら
立っている木に材木の先端を押し付けて、てこの要領で持ち上がったところに
自分の体を入れて持ち上げた。頭いい~!
そして1人ずつが持ったのはいいけれど、主人の言葉を思い出し、
このまま1人1本ずつ持って帰っても言いつけどおりにならない、どうしようと。
考えた末に、一人が両肩に1本ずつ2本の材木を担いで三角形になりました。
そのままで山を下りていく模様。
「三本の柱を~三人の者どもが~二本ずーつ持ちたり♪」と囃しながら。
それを聞きつけて果報者、冠者たちをみて満足そう。
さすがオレの家来だ、って感じでしょうか。
一緒に囃しながら、三角形の中に入って
三角形が右に動けば右にひょん。
三角形が左に動けば左にひょん。
なんだか可愛い
この果報者は、こんな賢い家来をもったから、成功したんだなぁ。
賢い家来の功労を認めて、同じ目線で動ける人だから、
家来も彼に認められようと張り切るし。
だから果報者になれたんだなぁなぁんて思いました。
いい家来といい主人。いいなぁ。
昔もいまも、きっと人の心を掴む方法は同じかなぁ。
「舟船」は、舟をフナという太郎冠者と、舟はフネだという主の
他愛ない言い争い。
舟はフネだけど、舟人、舟歌など下に何か言葉がつくとフナになっちゃう。
単体ならフネで正しいんだけど、間違っている太郎冠者も譲らない。
というか、和歌を引用して、ほらフナだと言い張る。
主も対抗して、和歌を引用するけど、1つしか思い出せない。
苦し紛れに同じ和歌を早口で言ってみたりして形勢が悪い。
間違っているほうが論理的で、正しいほうが言い込められてしまうのはよくあること。
主がんばれーと思うけど、形勢不利。
和歌だと不利だと思って、フネが出てくる謡曲を思い出して
これなら太郎冠者は知らないだろうと、しめしめと主。
ところが、太郎冠者はその謡曲を知っているどころか、
後半にフナが出てくることまでわかっているので、ニヤニヤ。
おおらかでいいお声で謡う主が、フナと言いかけて「あ」と
謡をやめる顔が愛嬌があって可笑しかったです。
それにしても、主に口答えする太郎冠者も太郎冠者だし
なめられている主も主・・・(^_^;)
だけど、そのおおらかな主従の関係がいいなぁと思います。
なんだかんだで太郎冠者は、主のために仕えるのだろうし、
そんな太郎冠者に主は報いるのだろうと思います。
和歌やお謡を知らなくたって、性格がよければいいのだ、主は
仕えたいと思わせる魅力があれば、主も幸せ、従者も幸せ。
「釣狐」はこれまで見る機会がなかったので、とっても楽しみにしていました。
白蔵主に化けた古狐。
これまで身内の狐をたくさん殺した猟師に狩りをやめさせようと
殺生石の故事の話をしたり、知識もあるし本当のお坊さんみたい。
だけど、犬を怖がったり、ちょっとした仕草に狐らしさが出ていて、
それがとても愛嬌があり可愛かったです
ぶるぶるぶるとふるえる仕草がたまりません。
まんまと猟師に罠を捨てさせたのに、罠に仕込んである油揚げの魅力に勝てず
白蔵主の姿から狐の姿に戻って、罠の前で逡巡する姿がなんともユーモラス。
食べよっかな、いやだめ危ない、どうしよっかな、ああいい匂い・・・
なーんて心の声が聞こえてきそうでした。
それにしてもあの狐のお面はどうなっているんでしょうね。
ほーんと鳴くときはちゃんと口が開いているし。
なんか賢い古狐の中にある獣の本性の愚かさというか本能のストレートさが
憎めないというか、愛嬌があって好きでした。
こんなに可愛い演目だったとはでした。
それから、猟師の方がお若いながらとてもお上手に感じました。
それにいい男だし(こらこらオバサンやめれ)
番組表でお名前を見たら、大藏基誠さん。
大藏流宗家のご次男なんですねー。まだお若い。
千之丞さん、忠三郎さん、そして和泉流の野村万之介さんと、好きな狂言方の訃報を
聞くことになった今年。
寂しい反面、こうしたお若くて魅力のある狂言方のご活躍にふれることができて
幸せだなぁと思いました。
プログラムの挨拶文には、良暢さんの忠三郎家を引き継ぐご覚悟が。
精進をつづけられ、いつか五世忠三郎を継承される日がきますように。
平成23年10月7日(金) 午後6時45分開演 福岡大濠公園能楽堂
素囃子「養老 水波之伝」 笛 森田徳和、小鼓 幸正佳、大鼓 白坂保行、太鼓 吉谷潔
「三本柱」 果報者 河原康生、太郎冠者 中島清幸、次郎冠者 篠原太一、
三郎冠者 川邉宏貴
「舟船」 太郎冠者 田口俊英、主 茂山忠三郎 代勤 茂山良暢
「釣狐」 白蔵主 狐 茂山良暢、猟師 大藏基誠
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