鬼迫。
渋谷区文化総合センター大和田さくらホールで見てきた「土御門大路」
この初演は、1994年に大谷友右衛門さんと中村芝雀さんのご兄弟で
幻想歌舞伎として上演されたのだそうです。
そのときの題字をご兄弟のお父上中村雀右衛門さんがお書きになり
今回の題字も、そのときのものを使わせていただいているのだそうです。
(大谷友右衛門さんとご一門のブログ 土御門大路|明石屋通信のブログ より)
なんだか悠河さん、凄いものに出演されたんだなぁと
改めて思います。
さて、初見の興奮のままに宿泊先から感想をアップしましたが
このたびは、ちょっと落ち着いたところで改めて感想を書いておきたいと思います。
東京公演は、5月9日、10日、11日の3日間5公演でした。
初日のマチネから楽まで、初日のマチネよりソワレ、初日より2日目、2日目より3日目と
1公演1公演とどんどん良くなっていく感触を凄く感じる舞台でした。
初日の沙月さん(大和悠河さん)は、なんだか良き妻であることこそがもっとも大事なような
そりゃそれが正論ですけども…旦那様の気持ちをもすこし考えてみてはどうでしょう?
と言いたくなるような、この女性は私も苦手だなと思い、
いっそ鬼になって本音を自覚したほうがすっきりする感じだったのですが、
2日目以降の沙月さんは、声のやさしさやまなざしなど
本当に夫を思ってのことなのだというのが、じんわりじんわり伝わってくるようで、
そうすると、なんだかとてもせつなくなってきて
鬼になる必然もわかる気がして、鬼になったらなったでやっぱりせつないな~って
なんともいえない感じでした。
1幕の沙月さんがやさしく手弱女であればあるほど
2幕の変わりようが恐ろしいと思いました。
お化粧は変えていないのに、ほんとうに鬼の表情に変化する。
あの睨めつけ、宝塚の現役時代でいうなら、「Amour...それは」黒燕尾で
宝塚最後の見得を切るときの表情に、さらに凄みを加えたかんじ。
歌舞伎の役者さんならお手の物かもしれませんが、
女優さんでこの表情は凄いんでないかな。(手前味噌?)
・
2幕の沙月さんが義太夫節で踊る場面、
最初のパートは、女性として険しい山道を1人歩いている雰囲気。
さりげなく膝をさすったりするしぐさが、女性の生身を感じさせて官能的。
貴船の宮の社人から、鬼になる方法を授かって
はじめはそんなつもりはなかったのに
その気になってしまうあたりが、ああ、そうかそうだったかと心に入っていきました。
夫を思うがゆえに一心に夫の成功を神仏に祈り、
けれど同時に、愛しているからこそ夫の心の移ろいもどこかで感じていて、
その心の曇りに悪鬼がつけ入り、夫のためを思って祈ったことが、
夫が鍛える刀を妖剣にしてしまった。
その咎を責められ、気持ちの悪しい、おぞましいと言われ、それが元で離縁され、
どんなにか彼女は傷ついたのだと思います。
傷つくまいと、耐えていたのでしょうけど。
そこに、社人に「恐ろしい」と怯えられて、スイッチが入ってしまったような。
それこそ彼女の心を抉る惨い言葉だから。
「私が恐い?」と聞き返すときの表情が、ぞくっとしました。
それからの、心に鬼を宿していく、いわゆる生成りになってゆく舞踊では
手弱女だった沙月さんの表情が、どんどん凛々しくなっていきます。
覚悟が決まっていくようです。
――― 覚悟が決まった女は恐いですよ。ええ。どんな女性でも。
そこに遭遇した3人の雑仕女たちは災難。
そりゃあ怖かったでしょう。
彼女たちの怯えが、沙月さんをもう後戻りできない鬼にしてしまった。
怯えられ、拒まれることで鬼はさらに鬼になる。
哀しいと思いながらも、
彼女たちに向けられた沙月さんの薄い深い笑みにぞっとし、恍惚と見入ってしまいました。
夫とその恋人を取り殺さんと閨に忍び込む鬼となった沙月さん。
お告げの通りに頭には鉄輪を戴き3本の蝋燭に火を灯し
愛しい人とその恋人を探し求める。
丹は隈取りのように塗るのかと思ったら
額に2つだけ塗られて、お化粧は沙月さんのまま。
閨に夫をみとめて(本当は転じ替えられた人形)
枕元に「めづらしや」と呼びかける声、
なぜ自分を捨てたのかと恨み言を言うかんばぜの色っぽさ。
頭に蝋燭を灯した姿であるだけに、もの狂おしく艶めかしい。
あの淑やかだった沙月さんとは思えないくらいに。
いやあの淑やかさの裏にこんな情念が奥深くじっと潜んでいたのかと。
謀られたと知って、晴明と対決する沙月さん。
当代一の大陰陽師との対決なのに、すこしも負ける気がしない沙月さん。
そこがもう鬼となった自信なんだなぁ。
長袴に重そうな鬼の装束を着て、月乃助さんの晴明と攻防を繰り広げる悠河さん。
歌舞伎の役者さんほどの迫力はもちろんないといっていい。
鬼の隈取もない。
そのぶん、リアルかもしれない。
眼を大きく見瞠いて晴明を睨むのも、晴明の術に苦しむ表情も。
鬼になっても女のままだ。
だからきっと、晴明さんのほうにも情けがある。
調伏しながらも、哀れと思う気持ちがあるように見えました。
それが、ラストにもつながっていくんだなぁと
納得してしまう。
「時節を待つべしや」
ラストに晴明さんと別れ際に告げる言葉とその微笑みに、
ゾゾォォォォォ。
沙月さんの魂魄は、いまもどこかで時節を待っているのかもしれません。
――― 世の男性方、どうぞお気をつけあそばして。
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