自分しか愛せない者。
昨日、博多座で「エリザベート」を見てきました。
一路さんがシシィを演じられたの(2004年博多座)を見て以来のエリザ観劇。
シシィ(エリザベート)は春野寿美礼さんでした。
一度春野さんのシシィを見ときたかった(聴いときたかった)ので
とりあえずで3階席をとってました。
結果、はまって1階席のチケットを追加。
どこがはまったって、まず演出が数年前よりかなり変わっていますよね?
エリザベートの「真実」に、かなり辛辣に迫っているような気がしました。
一路さんver.のときは、そこまで感じなかった。
自分しか愛せなくて、エゴイストで、孤独で、偏屈。
愛では癒されない、妥協できない、この世に居所がない魂。
そんな彼女の本質、生き様が今回のver.では明確に見えました。
人には立ち入らせない自分の世界でだけ生きていたい。
誰の心の中にもある欲求かもしれない。
けれど、この世に生を受けこの世で生きる以上は
それを諦めることも受容しなければならない。
けれど彼女には、受容も諦めもない。
ただ闇雲に「ここにはないもの」を求めて歩き続けるのみ。
彼女が最後まで諦めずに、歩み続けることができたのは
彼女のオーストリア皇妃という立場があってこそ。
既得特権はそのまま享受しながら、
その特権を与えてくれている体制に協力どころか反することを夢見ている。
それは、夫フランツ・ヨーゼフとの関係そのままだ。
自分は常に裏切っていても、相手からは裏切られることはないと信じている。
・
周囲が苛立つのは当然。
身勝手と謗られて当然なのだけど、
子供の頃から教育的、道徳的な縛りに歩み寄ろうとはしない性質で
そんな価値観を排除している彼女は、そんな意見は受け容れないだろう。
彼女の苦しみは、自業自得だ。
(そんな思想は彼女には端からないと思うけど)
同情するには値しない。
けれども、やはりその苦しみは理解できる。
彼女が求めたいものがわかるからだ。
春野さんのシシィは、その点が容赦なくはっきりと見えた。
そしてそこに、どうしようもない根源的な孤独や
浮世に染まれない貴種の不器用な一途さも加味されて見えた。
だから、私は釘付けでした。
1幕の「私だけに」の強さ。
フランツ(オーストリア皇帝)にもトート(黄泉の帝王)にも屈しない誇り高さが
しっかりと見えて快感でした。
そして2幕。
「魂の自由」「パパみたいになりたい(リプライズ)」「死の嘆き」「夜のボート」と
もう圧巻でした。
2幕だけでももう1回見たい!と思いました。
いままででいちばん納得できたエリザベート像を見た気がします。
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