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2012/11/12

美しいものになるということは。

11月5日日本青年館にて、宝塚月組公演「春の雪」千穐楽の2公演を観劇しました。

三島由紀夫の同名小説の舞台化、しかも主役の松枝清顕を
明日海りおさんが演じるということで、どうしても見たくてチケットをお願いしました。

ちょっと期待が大きすぎたかなというのが率直なところです。
みりおちゃん(明日海さん)の清顕は美しくて期待どおりでした。
けれども、演出や構成に不粋と感じるところが目に付いてしまい
どうしても世界観に浸りきれなかった気がします。

原作を知っている場合、ここはこうきたか~!という楽しみを得られるときと
どうしてこうしてしまうんだ~!と納得がいかないときとありますが、
今回は後者のほうが勝ってしまった気がします。

みりおちゃんの清様は美しかったけれど、清顕自体はもっとエゴイスティックに
描かれてもよかった気がしますし、もうちょっと冷笑的なところも入れてほしかった。

なによりも本多が納得がいきませんでした。
本多の理智とはそういうことじゃないだろー!と。
房子とのエピソードをあんなふうに変えてしまうなんて最低。
本多の抱えているものは、そんな浮薄なものじゃないのはわかりきったことなのに。
鎖の演出とか、はぁ?でしたし、見ていて私は怒り心頭でした。
声を上ずらせる本多なんか本多じゃない。
絶叫する本多なんか本多じゃない。
どうしてくれよう、、、沸々。
といった具合です。

この舞台が発表されて原作を読み返して、
清顕をめぐっての本多と飯沼の心情の対比が、私にとって
もっとも面白いところだったので、この改変は最悪でした。
これでは、本多はただのアホな友人ではないか。
彼が清顕のために奈良まで出向き、ご門跡と対面する動機や理由が
ぼやけてしまうではないか。

飯沼もなんか清顕に傷つけられる一方の書生にしか描かれていなくて
彼の心の奥底にある清顕への期待とか、淡く甘いものとかが見えないなぁ。
崇拝の対象に据えたいのに、ままならない苛立ちとかも。

脚本演出の生田さんは、人物同士の関係性とか背景とかを物語に絡めていくのが
あまりお上手じゃないと思う。
シャムの王子たちなんて、たったあれだけしか意味をもたせられないなんて
もったいないと思う。

舞台というのは多面的に見えるものなのだけど、正面から見た意味付けや
性格付けとかしかうかがえないような気がして、なんだかいっぱい余白が
できてしまっているようでした。もっと物事や人物を二重写しに見せてほしいのに。
全体的に平坦で、盛り上がる演出もなかったように思います。

これでヒロインが圧倒的な美人であったりすれば、あっという間に
空間が埋まったりもするのでしょうけれど、それもなかったし。
ええ。
ヒロインがタイプじゃなかったのですよ。
それが大きかったりして。
(・・・そゆこと?)

午前の公演の1幕では、舞台の上の聡子を見ながら
むかーし原作を読んだときに、若かった私は、この聡子という女性が
大っっっ嫌いだったことが鮮明に甦ってきました。
初めて読んだ頃の自分にいっぺんにタイムスリップしていました。
感情というのは、一瞬で昔に戻れるのだということを実感。

だから、この聡子のために命を落としてしまう清顕がアホにしか思えなくて
この小説が面白くなかったんです。
そういうレベルでしか読めていなかったんですよね。私は。

ウン十年後に再読して、そういうレベルは超えてしまった気がしていたのに。
というか、聡子よりも本多や飯沼、そして大人たちのほうの在り方に
関心がシフトしていたせいもあるでしょうけど、そんなに聡子を嫌いとは
思わなかったのにな。

咲妃みゆさんが演じる聡子は、昔の私が描いた聡子のイメージに近かったということかな。
いくらヒロインの年齢と、役者の実年齢が近くても、それだけでは
演じきれないものがあるということではないかという気がします。
もっとキャリアのある方に演じていただきたかった気がします。
聡子の外殻をなぞっているだけのような。もっと内面から聡子が醸し出せたらなぁ。

きっと芝居もお上手ということで抜擢もされたのだとは思いますが、
お芝居が上手といわれる下級生娘役さんにありがちな鼻につくかんじが
聡子というキャラとくっついて、さらに鼻についちゃった気が。
彼女が、清顕からの招待と期待しての松枝邸の花見の席で、
治典王に紹介されたときは、ザマーミロ!!!とまで思ってしまった。
それくらい厭な女と思ったんですよー。
ヒロイン可哀想。

でも、そのあとの展開がまたまた、ヒロイン可哀想。
清顕に「赤ちゃんですよ!」と罵る場面、原作ではまだ治典王とは出会っていないのだけど
あのタイミングだと、本当になんか勝手に期待して外れたから罵倒しているみたいに見える。
いやそのとおりなんだけど。
でも原作ではもっと彼女に同情できたけどなぁ。

聡子という役は、キャリアのない子が一生懸命に必死になってやればやるほど
(ふつうは、そこで共感や好意を抱くものなんだけど)
厭な女性の部分が強調されてしまうみたいで、可哀想だと思いました。

綾倉の家は羽林家で和歌の家みたいですが、有職故実にも通じていて
聡子自身も聡い娘だから、宮様が絡んでこーなったらこーなってこうなるっていうのは
よくよくわかっているのですよね。
清顕の家は、鹿児島出身で元藩主でもないのに侯爵家ということは、
お祖父さまはよほど維新に功績のあった方なのでしょう。
あまりにもバックグラウンドが違う両家。

清顕の父は、武骨な気風の家にコンプレックスがあり、
息子には宮中に出しても恥ずかしくない優雅を身につけさせようと教育しているけれど、
それが息子の冷淡さや虚無感を育ているようにも思う。
清顕のまわりには本物がないもの。本気がないもの。
自分のほかに敬うものがないもの。
だから、清顕にとっては、自分自身の感情こそが本物で、自分が本気になったという事実が
なによりも宝物だったのだと思う。

そんなことを踏まえて原作を読んでいたときは、
聡子の言うことはもっともだと思ったんだけどな。
ほんとうに、子供だもん、清顕は。
そこがいいんだけどー(〃▽〃)

両家の家格、家風の差、盛衰の差などがあって
両家の家長のそれぞれのコンプレックスがあって
本人たちの誇り高い性格があって
だから、彼らの中のなにかが劇的に変わらない限り、うまくは添えない2人なんですよね。

そこが落ちているから、聡子が損をしているような気がします。

両家の家長のコンプレックスといえば、
綾倉伯爵が蓼科に命じた松枝侯爵への復讐についてはまったく触れられていなかったな。
けど、蓼科役の美穂圭子さんは服毒の前にニヤリとしてた。怖かったー(((゚Д゚)))
あれで、なぜ松枝侯爵へまでも書置きをしたのかわかる気がする。

それから原作で好きだった場面、お祖母さまの
「宮様の許婚を孕ましたとは天晴れだね」があったのがうれしかったー\(^o^)/
お祖母さま役の生徒さん、お上手ですね。

あとご門跡を演じた生徒さんもお上手だなぁと思いました。
聡子が落飾したときのご門跡の「つらかったやろ」はぐっときました。
いろんなことをおいておいても。
あのくだりの聡子の心の動きはよく見ることができました。
あれがあったから、2回目の観劇ではそんなに聡子さんが嫌いではなかったです。

清顕と少年清顕、少女聡子けっこう絡んでいましたよね。
あれはうまい演出だなーと思いました。
お2人とも可愛かったです。

治典王役はなかなか美味しかったのでは。
かっこよい役どころで。
本多も描きようでは何百倍もかっこよくなるはずなのにーーー(ーー;)くやしい。

楽の挨拶のとき、生まれてはじめて月組ジャンプなるものをやりました(笑)
いつからやりはじめたのかな。さえちゃんの頃はなかったと思うのであさこさん?

みりおちゃんの挨拶の中の「おでかけ」のポーズが可愛くてよかったです。


なんか不満たらたらな感想になってしまって心苦しい。
一番の私の敗因は、前日まで贔屓の公演に浸りきっていたことでしょうかね。
しょせん何を見ても贔屓がいちばんに見える贔屓馬鹿ですからね(^^ゞ
終演後一緒に観劇した一陽ちゃんに「みりおちゃんの美しさに圧倒されたわー」
って言われても、素直に「肯」とは返せなかったくらいですから。
(美しかったんですよ。けど、もっと美しい人を知っているからー!!!)○=(`◇´*)o

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