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2013/05/10

そのひとと出逢ったときから世界は貌を変えた。

4月25日、26日、27日、宝塚大劇場にて「ベルサイユのばらーフェルゼン編ー」
星組トップスター柚希礼音、宙組トップスター凰稀かなめ特別出演公演を見ました。

特出のお2人については前記事で熱く(^^; 語ったので、
今回の特出版「ベルばら」を見て、脚本などに関して思ったことを。

(ねたばれです)

私が見た公演は、特別出演ヴァージョンということで、
プロローグとフィナーレに特出の2人のナンバーが加わったことのほかに、
2幕で、オスカルの結婚話に苦悩するアンドレのシーンと、
アンドレによるオスカルの毒殺未遂のシーンが追加になっていました。

通常公演ヴァージョンでは、そのシーンの替わりに、スウェーデン国境で
フェルゼンとジェローデルが国境守備隊と立ち回りをするシーンがあるようです。

そのため特出ヴァージョンの2幕は、かなりオスカルとアンドレに時間が割かれていて
「フェルゼンとオスカルとアンドレ編」といっても過言ではなさそうでした。

そして、この2幕のオスカルとアンドレの場面は、過去に上演されたフェルゼン編などと同様、
国王夫妻救出の助力を請いに、スウェーデンに帰国しているフェルゼンのもとへ
尋ね来たジェローデルが、フェルゼンにオスカルの消息を尋ねられ、
「オスカルは死にました」と告げたところから始まるわけです。

そこから場面は過去の革命前夜のフランスへ。
今宵一夜からはじまり、パリ市内~バスティーユの戦闘という
オスカルとアンドレの場面になるのですが、
いつもここは無理矢理だなぁと思っていたところへ、

今回の特出版はさらに、ジェローデルの
「(オスカルの)父上は私との縁談をすすめられました」が加わり、
下手花道のセリからアンドレ登場→「オスカルを他の男にとられるくらいなら」
となり、オスカルの居間の場面へ・・・とつづく・・・。

 

暴論を言っちゃうと、「ベルばら」の再演はもう無理矢理にシーンとシーンを
つなげることをしようとしなくていいんじゃないかなと。

ジェローデルの「オスカルは死にました」もたいがいですが、
バスティーユの戦闘でオスカルがなくなったシーンのあとで
ジェローデルの「オスカルがどんなに苦しんだか」とか、フェルゼンの「かわいそうに」
とかも、いらないと思います。

今回の脚本でいえば、冒頭のブイエ将軍とプロヴァンス伯爵の説明も無用でしょう。
詳しく語れば語るほど、フランス革命の是非まで考えてしまいそうだし。
(2幕のアランとベルナールがまさにその泥沼にはまりかけてたし)

観客は、歴史の講義を受けたいのではなくて、「ベルばら」を見たいのだし。
ある程度の年齢であれば、フランス革命の基礎知識くらいはあるし。

なによりも有名な原作があり、なんども再演された作品なのだから
「ベルばら」はもう日本人の『教養』でいいのでは。

だからもう、「通し」で上演しなくても、名場面を見せてくれたらそれでいい気が。

今回のブツ切りのベルばらでも、役者の力量で、しっかり感動できたことを
実感したいま、つくづくそう思うのです。

変に説明されると、それがまた現代の(または各々の)歴史認識と齟齬が
あればなおさら、興ざめもしてしまいますし。

じゃなくて、その場面のその登場人物の心の動きがつたわって、そこにリアルを
感じることができれば、私は満足です。
それが演劇じゃないかなと思うのです。

名場面をより名場面にする努力をこそ、お願いしたいです。

ということで、ベルばらも歌舞伎みたいに「通し」じゃなくて名場面だけやっても
いいんじゃない?と思います。

いつか、まったく新作の「ベルばら」を上演するまでは・・・。

(外国の方や、背景・登場人物の関係を知りたい人向けにはイヤホンガイドの導入を)

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コメント

>名場面をより名場面にする努力をこそ、お願いしたいです。

>ということで、ベルばらも歌舞伎みたいに「通し」じゃなくて名場面だけやっても
いいんじゃない?と思います。

さんせーい!!
と、するとやはりタカラヅカスペシャル…なんですかねぇ。
いや、まてよ。
そういう場面だけピックアップしてスタジオ撮影で。
スカステ独占放送。
しかも各組入り乱れての夢の競演!とか。
んで、それをブルーレイで売り出すか、もしくは何かと抱き合わせの販売と(笑)

投稿: うみの | 2013/05/11 13:50

◇うみのさん、
私はふつうに本公演でやっても問題ないと思うんですけどねぇ。
すくなくとも、いまの脚本よりマトモなものになると思うんですけど。<名場面だけの上演
名場面にプロローグとフィナーレつけたら、
1時間+1時間半にじゅうぶんなるでしょ?(^^;

投稿: theo | 2013/05/11 21:30

たくさんのベルばらを観てきましたが本当に観ているうちに赤面しそうなものが多いですね。私はかつて初演の次に花組でやった「オスカル・アンドレ編」が一番抵抗無く観られました。原作ファンにどこが良かったか聞いた上で作られたので、近衛隊→衛兵隊へ移る過程は割愛されてたし、アンドレがオスカルに変装するなんてミョ-なサービスもありましたがオスカルのドレス姿やロザリーが初めてオスカルにベルサイユ宮殿へ連れていってもらう場面などワクワクしました。フェルゼンとアントワネットにも綺麗なラブシーンもあったし、今となってはなかなかの出来だったと思います。熱心なファンほどベルばらは観に行かないと言う事がだんだん増えてきているように思います。原点に戻ってあの「オスカル・アンドレ編」の再演を希望したいです。

投稿: みほ | 2013/06/06 13:19

◇みほさん、
ちょうどフォロワーさんとその「オスカル・アンドレ編」が
よかったという話をしたばかりでした。
フェルゼンが、「もしかして君は僕を・・」と言うなら
オスカルがドレスを着てフェルゼンと踊るシーンはないと、、、
ロザリーとポリニャック、ジャンヌ、シャルロットのシーンも好きだったなぁ。。と。

「ベルサイユのばら」は宝塚の財産というのなら、
もっと本気を出してもらいたいものです。

投稿: theo | 2013/06/10 21:38

同意見の方々がいらっしゃるなんて嬉しいです。

なんで素晴らしい素材をこねくりまわして奇妙な芝居にするのか不思議です。

「今宵一夜…」も「フランス万歳!」もよいですが
「文句があるならベルサイユへいらっしゃい!」を聞きたいファンも多いと思います(私だけ?)
結局男の人=演出・脚本家と私たちファンとではベルばらへの想いがずれてるんだと思います。

投稿: みほ | 2013/06/11 00:08

◇みほさん、
植田先生は、すぐに母恋い&母心、
そして人間のもつ愚かな恋心、を強調された脚本を書かれ、
ベルばらにおいてもそれが色濃く出ていますが、
そもそもベルばらの主題はそんなことではありませんよね。
むしろ、原作とは真逆の思想のもとに人物が描かれている気がします。

ほんとうは、旧弊の考え方に反発しながら、1人の女性が、
仕事もし、恋もし、政治や人々の困窮した生活に心痛め、
人間としてどう生きるか?と悩みながら成長し、愛を受け容れ、
自分の生き方を選び取っていくその凛々しい姿が
支持されたのだと思うのです。

ポリニャック周辺のことが描かれなければ、
不平等な身分制度に憤るオスカルの気持ちは伝わらないし、
首飾り事件があればこそ、アントワネットが置かれている
宮廷内で孤立した彼女の寂しい状況が描き出せるのだと思います。
愛する男性の瞳に、せめて一度だけでも女性として映ってみたい女心も…。
そんなドラマを見ながら、私たちはオスカルたちの気持ちを理解したはずなのに、
そのドラマは省いて、フランス革命史の年表を説明セリフで語られたって、、、
と思います。

本気を出してほしいと書きましたが、
本気を出した結果が現在ならば、本気はもう出さなくていいです(笑)
むしろしばらくベルばらはほうっておいていただいたほうがありがたいかも・・・(^^;

投稿: theo | 2013/06/11 01:28

なるほど!…私はまるで歌舞伎の様な植田さんの女性観の古さが鼻につきます。オスカルは演歌みたいに「女心」なんて言葉死んでも口にしない。「愛の巡礼」もオスカルファンにしてみれば「はぁぁ?」みたいな歌詞。オスカルだけじゃなく女性は植田さんが考えてるよりよっぽど凛々しくハンサムなもんです。

私はオスカル、フェルゼン、アントワネットの主役三人の身分、性差を超えた友情をもっときちんと描いて欲しいのです。一時的にオスカルがフェルゼンに淡い恋はしますが、彼女はアントワネットとフェルゼンな恋のただ一人の理解者であり、フェルゼンもオスカルがアンドレを愛していると知るとためらいなく命がけで救います。アントワネットもオスカルが近衛隊を離れても彼女を誰より信頼し、フェルゼンへの想いを打ち明けています。漫画の幕開きで華麗に語られる三人の運命的な繋がりをどうして植田作品は無視するのか?そこに巧みに絡んでいくロザリーやジャンヌやポリニャック夫人たちを描けば歴史は自然と浮かびあがってくるし、詳しく知りたきゃ本の一冊も読めばわかります。池田理代子さんは「ベルサイユのばらたち」と言う意味でこの題名をつけられたのですから要らぬ枝葉ばっかりつけないで欲しいです。

投稿: みほ | 2013/06/11 18:50

◇みほさん、
これまで抑えこんでいたものを吐き出すほどに腹が立ってきました(^^;
ともかく植田先生が演出なさるかぎり、ファンが望むようなベルばらにはならない、
ということだけはわかります。
フゥ~(ため息)
ときどきは、こうして吐き出さないとやっていられないです~

それにつけても、いかなる脚本でも
感動のシーンを見せてくださる生徒さんたちへの
愛おしさはますますつのるのでした。。。

投稿: theo | 2013/06/12 23:42

本当にそうですね。百周年にはまたまたわけのわからないベルばらを見せられるんでしょうけど、生徒さん方が忙しい中をぬって特出し合って頑張られると思うとやっぱり応援したくなってしまうでしょうね。
らちもない愚痴にお付き合い下さってありがとうございます。
とにかく宝塚は応援し続けます。

投稿: みほ | 2013/06/13 01:53

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