利子をたっぷりつけて。
6月6日昼夜、7日昼、9日千穐楽昼夜、東京宝塚劇場にて
宙組公演「モンテ・クリスト伯」「Amour de 99!!-99年の愛-」を見ました。
なんだかとても満ち足りて。抜け殻です。
千穐楽見れてよかったなぁ。
3月、4月、5月、6月と追いかけてよかったなぁ。
かなめさんのお芝居がほんとうに好きだし、宙組の皆の芝居が好きだったなぁ。
お芝居って、1人でやるんじゃないんだってあたりまえのことだけど、わかった気がしたし。
相手を活かす受け方ってあるんだなぁって。
相手の芝居が生きるから、自分も生きて、その連鎖で自然な流れができるんだなぁ。
そして、見る者の心に落ちて来るんだなぁって。
アルベール、ボーシャン、フランツが見に行くたびによくなっていくのを感じて
小アルベールも、海賊の子分たちも、いろいろやって見せて愉しませてくれて
フェルナンは見るたびに大きくなっていく気がしたし。
そうしているうちにある日、現代チームがすごくよくなっていることに気づけて。
なんかうれしかったなぁ。
たとえばフェルナンが大きくなったと感じたのは、まぁ君自身がなにかを掴んだことも
あるのだろうけど、きっとフェルナンと絡む人たちが、いい受け返しをしているから
っていうのもあるんじゃないかなぁ。
それで、フェルナンという人物の陰影がすごく見えてきた気がするのです。
あっっ、、(^^; フェルナンが個人的にタイプだったので引き合いに出してますが
フェルナンだけじゃなくて、全体がそんな感じで深まっていった気がするのです。
舞台の上で皆が生きていたなぁと。
よかったなぁよかったなぁ。
と。思いかえすたびに、にやにやしています。
なんなんでしょうこれ(笑)。
そして、かなめさんのお芝居のひとつひとつを反芻しては、
心を何処かに飛ばしています。
・
獄中のエドモンの狂うこともできないかなしみを宿した瞳、声、嗤い。
あの世界中から見放されてしまったと思うほどの孤独感。
この世のすべてを憎むしかない孤独――復讐を心に思い描くことだけが希望という。
慈愛深いファリア司祭の言葉も受け容れられないほど傷ついた心が
見ていて苦しかった。
地獄から甦り復讐の鬼となって、憎い相手をはめていくときの酷薄な眼。
復讐が一つ叶おうとするときに、エデ姫に愛と赦しを諭され告白されたときの焦燥と戸惑い。
ベルツッチオに責められるときの傷ついた瞳、でもまだ赦しを受け容れられない心。
そんなエドモンの、何を手中にしても、何をもってしても満たされることのない心の飢餓。
その表情、その声のひとつひとつから感じ取れるものに惹かれました。
メルセデスに正体を明かし、フェルナンに陥れられた事実を語るときに
おもわず昔の心の傷に感情が支配され迸り出て、一人称が俺、ボク、私と揺れるところ。
彼女を受け容れたい心とそうできない心の葛藤。
メルセデスに剣先を向けられ、彼女の本気に触れ、必死に追われ、
そうしているあいだに彼の胸の裡に過ぎっているであろう思い、迷い、そして確信。
短い時間ながら、変わっていくエドモンの心の流れが、心に落ちてくる感じが
たまりませんでした。あの劇場空間でそれを感じることができた高揚感が。
エドモンが必要としていたのは、癒すことができないほどに傷ついた
かつての自分を慈しむ愛だったのかと。
あのメルセデスの愛はエドモンに向けられたものではないけれども、
その息子を思う深い愛の、その愛の感触を心で感じることができたから
彼の頑なな心の傷は癒され、購われたのではないかと。
人は自分に向けられた愛ではなく、他人に向けられた愛を感じることによって
愛を知り、救われることもあるのだと。
エデ姫が言うように自分が誰かを愛することによって、自分の傷を癒すことができるのだと。
誰かを愛する自分の愛が、かつての愛に飢えていた自分を癒すのだと。
そんな人の心のふしぎと、すばらしさを、私はあのときのエドモンの気持ちの変化を
感じることによって気づかされたんだったなぁと。
かなめさんの声、表情、瞳によって。
うううう~~~ん(∩´∀`∩) ←ひとりで感動に浸り中。
もうかなめさんたちは、次の全国ツアー公演のお稽古にはいられたけど
私はもうしばらく、これらを反芻して
心をあらぬ世界に飛ばして過ごしていようと思います。
いまはこの思いが、この記憶が、上書きされるのがもったいないのだ。
・・・(〃▽〃)。。。
お花畑ですみません。
かなめさん、利子をたっぷりありがとうございます♡
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