ダブスタ。
散る花を見て愛しいと思ったり、零れる萩を見て色香を感じたり、
心動かされる瞬間が好きで、それを言葉にしたくなる。
観劇も私にとっては同じで。
月を見て昔の人が歌を詠んだように、
美しい舞台、切ない舞台を見ると、何か言葉にしたくなる。
二度とないその瞬間を、せめて言葉を頼りに思い出せるように。
私にとって観劇は、自分の外にある事象と自分の中にあるものが
作用しあって奏でられるものを愉しむこと。
自分が満たされたらそれでよい。
万人が褒めちぎろうが、私が良いと思わなければ意味がない。
私が良いものが良い。
そして良いと思ったらおもいきり讃美、賛美、讃美!!!\(^o^)/
そういうスタンスで舞台を見てた私ですが、
最近なんだかすこし違ってきているのかな?と思います。
気がついたら、宙組生に肩入れして、がんばれ!がんばれ!と思っている自分がいます。
舞台を見て愉しむ自分とは別に、なんだか気負っちゃってる自分がいます。
宙組に思い入れて。
・
伝統ある宝塚の中で、宙組は出来て十数年の新しい組。
新しくて良いこともいろいろあるだろうけど、
宝塚の中では大変なこともたくさんあるんじゃないかな。
宙組では良いことも、宝塚全体から見たら、そうじゃないこともあるかも。
なんて思うことも正直あったりもする。
1人ひとりのがんばりでは、組の伝統やシステムに及ばないこともあるのかも。
とか。
そう思うと切なくなることがある。
宝塚自体が狭い特殊な世界ではあるけど、
でもその狭い特殊な世界で精一杯がんばってるひとたちに
宝塚ゆえの幸せな思いを感じて過ごしてほしいなぁと思う。
もちろん宙組生にも!
なんてことを思うくらいには、思い入れちゃうんです
思うだけだけど。
青天の霹靂のように迎え入れたトップさんに懐いて、涙で送り出して。
なんていい子たちなんだー(ノД`)って泣かせてくれた宙組生。
5代目くらいまでは仕方ないけど、早ければ6代目くらいには
生え抜きのトップさんが出るんじゃないかなーと思っていたりもしました。
85期とか86期の。
そうならなかった理由はなんだろう?といまさら詮無い事を思ったりも。。
ともちん(悠未ひろさん)がいなくなってしまう―――
大階段の群舞にともちんがいたら、
宙組だーーーー\(^o^)/って思えてた。
そのともちんが、いなくなってしまうんだ。
その事実を受け容れがたく悶々としてしまう。
3年半ぶりに昨年の11月に宙組銀英伝を見たとき、
ともちんが大きくなりすぎてる、、と思ってしまったのもほんとうで。
モンテ・クリスト伯で役不足だ、、と思ってしまったのもほんとうで。
いまの宙組でのともちんの居方の難しさを痛感してしまった。
こうじゃない未来もあったのじゃないの?
喩えて云えば、星組のわたるさんやちえちゃんに注がれたような組の愛が
ともちんに注がれていたら、、と思ってやるせなくなる。
そういうことが、なぜ宙組に起きなかったのかなと思うと
やっぱり新しい組だったからかなとか。。。
いまがんばっている宙組生に組の愛を。
宙組で育った生徒さんがトップになる日が早く来ますように。
宙組生にがんばってほしくて。
そう思うと、ついつい親心になってしまってて、
あーじゃないこーぢゃないと言いたくなってしまって。
あれ? 観劇のスタンスが変わっちゃった???
と、ふと我に帰るときがあるのです。
観劇直後は相変わらずの自分ワールドなんですけども・・・(^^;
そして、宙組生え抜きの・・!!!と言いつつも、
かなめさん至上主義だし、
まぁくんも大好きだし、オヅキさんも好きなのだ。
組替えして来られた方たちの良いところやアドヴァイスを取り入れて
貪欲に、強欲に!
育っていく人たちを見続けるから!
風共、ベルばら、と往年の作品の再演が続きますが、
それもまた血肉にして、『華やかでコーラスと芝居が良くて見目麗しい宙組』
と定評の組になってほしいなぁ。
いままでの6人のトップさんと、何十何百の宙組生で築いてきた組が
もっともっと素敵になりますように!
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