« 愛しているとも。 | トップページ | 愛を抱きしめたこの胸に迷いはない。 »

2014/05/28

ただひとつの愛の証です。

 『彼が不幸になれば、あなたもまた不幸になる――
 『わかりました。身を引きましょう。
 『私もまた、あなたが不幸になるならこの世でもっとも不幸な人間になってしまうからです。
  受け取ってください―― ただ一つの愛の証です。』

左膝を立てる騎士の礼とその礼を受けるレディの絵画のような美しさ ――

             

 

宝塚大劇場で宙組公演『ベルサイユのばら-オスカル編-』を見ました。

昨年の雪組『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』の特出バージョンの
『恋するオスカル』のせつなさが脳裏から離れないままに。

ですが、この宙組ベルばらは、恋するオスカルのせつなさよりも、
困窮する人びと、その苦しい生活の中にあっても
理想と自らが信じる正義に向かって情熱を燃やす人びとの姿に感銘を受け、
名もなき民として懸命に生きる人びとを愛し、
自分はどうあるべきかと思い悩み、決断し、行動するオスカルを描いた
『人間オスカル編』でした。

涙したシーンは多いのですが、民衆のなかにいる彼女の姿に、
私はもっとも泣いていたように思います。

国王も、マリー・アントワネットもフェルゼン伯爵も登場しないベルばら。
宮廷のシーンは描かれていないので、登場する貴族は
オスカルの一家と、敵役ブイエ将軍、衛兵隊の中間管理職のダグー大佐、
そして、かつてのオスカルの部下で現近衛隊隊長であり、
家柄といい身分といい美貌といい、申し分のない求婚者であるジェローデル大佐です。

マイルドで優しい細面の美貌が麗しい七海ひろきジェローデル。
ノーブルで硬質で貴族的な立ち姿物腰の朝夏まなとジェローデル。
どちらも大変好みで眼福で、ジェローデルのシーンはうっとりと時間が過ぎていました。

(ねたばれします)

凰稀かなめオスカルは、リアルなお芝居が特徴のオスカルです。
昨年の雪組特出のときにもそれは思ったのですが、今回の宙組ver.でも
そのリアルさは変わりませんでした。

リアルでかつ詩的なオスカルの声、セリフの調子。

『愛は愛しい人の不幸せをのぞまないものだが ―― ここに1人の男性がいる。
 彼はおそらく私が他の男性のもとに嫁いだら生きてはいけないほどに
 私を愛してくれている。』

このときのかなめオスカルの言い方が、とても好きでした。
つむがれる言葉からいろんなものが見えてきました。

この有名な場面にいたる前の流れが、私がこれまで見たバージョンとは
違っていたように思います。

あの1幕の、激昂したジャルジェ将軍の前で自分の命と引換えに
オスカルを庇ったアンドレと、彼を殺めさせまいと、頭で思うよりも先に
声をあげていたオスカルのシーンが、ここで効いていたように思いました。

あのとき図らずも2人の本心を悟ってしまったジャルジェ将軍なので、
オスカルとの結婚の話はすすめてもらえているのかと問うジェローデルに対して
『オスカルがどう言うか・・・』と言葉を濁し、自分の口で彼女に言うように告げるのです。

この流れは、今回のバージョンで私ははじめて見ました。
ジャルジェ将軍、つらいな・・・と。

いま結婚し軍隊を辞めなければ、いずれ近いうちにオスカルは衛兵隊を率いて
パリへ出動してしまう。そしてそれがこの時勢どんなに危険なことか、
彼は誰よりもよくわかる立場にいる。
しかし、彼は娘の気持ちも知っている。。。

娘に求婚するジェローデルの彼女への真実の愛もじゅうぶんに理解し
心から感謝しながらも、彼の心にはあの日の2人の光景が過ぎっているのだろう――
誰よりも娘の身を案じる父の想いを胸の奥底に押し込めて
あとは娘の気持ちにゆだね、去っていく父の後姿に涙でした。

(今回ジャルジェ将軍の場面が泣かせるんですよね…)

毒ワインのシーンだけではなく、アンドレが主人を殺めてもオスカルを
庇おうとしたシーンを踏まえての、この有名なオスカルのセリフ――
『愛は愛しい人の不幸を望まないものだが――ここに1人の男性がいる――』
の場面にすすむ今回のベルばらなので、
オスカルの言葉に、これまで以上のリアリティが感じられました。

毒殺されかけて、初めてアンドレの気持ちに気づくのとちがい、
あのとき父に対して、アンドレが言った言葉の意味、
ほとばしり出た自分の叫びの意味について、オスカルが考えていたなら、
(考えないはずがないのだけど)
ジェローデルに語りかけるこの言葉は、何倍も深い意味になります。

そして、そのオスカルの言葉を理解できるジェローデルだからこそ、
冒頭の言葉となるのだと、心から納得することができました。

このジェローデルの『受け取ってください』のときの
左膝を立てた騎士礼の気高く美しいことといったら。

それを受けるオスカルとともに1枚の宗教画のような神々しさで、
ただただうっとり見入るばかりの私でした。

(どうかこの場面を描いてください、画家さんーーーー!)

そしてともにフランスのためにオスカルと騎士の剣礼をし、踵を返しマントを翻して
立ち去っていく姿のなんという潔さ。気高さ。

彼は生まれだけではなく、心の貴族、まことの騎士なのだと思いました。
(やっぱりジェローデルはステキ

 

このオスカル編では、2幕のこのシーンのほかに
1幕にジェローデルの見せ場がもう1つあります。

国民議会の議場の扉が封鎖され、議場前の広場に集まった平民議員や市民たちの
思い(球技場の誓いの再現?)に感銘を受けたオスカルは、
部下の衛兵隊士たちに封鎖された扉を開けるよう指示。

しかし近衛隊を率いたブイエ将軍が現れオスカルたち衛兵隊を捕らえるよう命令し
衛兵隊もろとも市民に銃が向けられる。
そのとき登場するのがジェローデル。

『私の屍を超えていけ!』と身を挺して市民をかばうオスカルに、
『どうしてあなたの前で武器を持たない市民に銃を向ける卑怯者になれるでしょう』と。

ジェローデルは始終一貫して『騎士道』の人として描かれていました。
自分が敬うレディの名にかけて、アンフェアな行いはできない真(まこと)の騎士。

そのジェローデルを演じた2人、かいちゃん(七海さん)とまぁくん(朝夏さん)が
それぞれにステキで、このオスカル編のジェローデルは原作を超える容姿と中身の
人物像になっていると断言できます
(そのぶん、割を食っているのがアンドレかなぁ・・・)

もとからアンドレよりジェローデル派な私なんですが、
今宵一夜よりも『身を引きましょう』のシーンのほうが鮮明に記憶に残っています。

これでやっと世の皆さんに、ジェローデルの素晴らしさを理解してもらえるかしら?^^;

そんな期待で胸がふくらむ宙組『ベルサイユのばら-オスカル編-』でした。

| |

« 愛しているとも。 | トップページ | 愛を抱きしめたこの胸に迷いはない。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 愛しているとも。 | トップページ | 愛を抱きしめたこの胸に迷いはない。 »