門は開かれている。
今日9月6日(日)キャナルシティ劇場にて『貴婦人の訪問』を見ました。
とても面白い物語で、これはじっくりストレートプレイで見たいなと思いました。
(以下ねたばれします)
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彼は善良な家庭の好青年。
彼女は美人だけど父は呑んだくれで母はあばずれと評判。
2人は愛し合い、彼女は裏切られて、酷い仕打ちをうけても誰からも信じてもらえず、蔑まれて、味方もなく、堕ちるところまで堕ちて故郷を去った。
それから数十年、巨万の富を手に入れた彼女は故郷を訪れた。
復讐のために。自分をどん底まで突き落とした故郷の人びとへの。
法廷で疑いもなく彼に味方し、彼女の言い分に何一つ耳を貸さず彼女を『殺した』人びとへの。
『善良で何一つ間違わず生きている人びと』への。
彼女は、目に見えない罪を目に見える罪に置き換えに来た。
罪や過ちの存在を認めない人びと。
あってはならないものは『ない』のだ。
『事件はなかった』 『被害者はいなかった』
文科省の調査に『いじめゼロ』と報告する学校関係者とおなじだろうな。
集団にとって不都合なものはひっそりと抹殺される。
「自分で決めろ」と親切ごかしに親友にピストルを渡された時、アルフレッドは初めてあの時のクレアの気持ちを理解したにちがいない。
市民皆の安全の為に射殺された黒豹は、皆に信じてもらえず『殺された』クレア自身であり、市民皆の安寧な生活の為に死を願われるアルフレッドだ。
だから黒豹の死骸を見つめるクレアの瞳には意味があるのだと思う。
だから、黒豹の死骸とアルフレッドの遺体を覆う布が一緒だったのだと思う。
あの布は――。
あのあたり、もうすこしクローズアップして見たかったなぁ。
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アルフレッド役の山口祐一郎さんの芝居が謎でした。
最初から最後までずっと平坦で。まるで場当たり稽古をしているかのよう。
心を凍りつかせたクレアとの逢瀬のシーンが何回かあったけれど、クレアは逢うごとに心の振り子の揺れ幅が大きくなっていて、アルフレッドが妻のマチルデを傷つけたあとの最後の逢瀬では、もうすこしで・・・というところまで来ていたと思う。
でもやはり踵を返して背を向けるのだ。
そんな心の段階を、クレア役の涼風真世さんは緻密に演じていたのだけど、アルフレッドが一本調子なのでなんだか1人相撲のように見えた。
マチルデ(春野寿美礼さん)もアルフレッドを愛する柔和な表情の奥さんから、最後にアルフレッドの裏切りの言葉に心を凍らせ表情を凍らせるのだけれども、マチルデが変化をしてもやっぱりアルフレッドは一本調子で違和感がありました。
なんでかなぁ。アルフレッドといういかにも普通で浮薄な男を軽快に演じようとするあまりにだったのかなぁ。
どうしても見ていて芝居がかみ合わなくて残念でした。
演出もなんだか平坦にかんじられました。
ふざけたところはふざけて軽快に、でも心理的に切迫感が必要なところは盛り上げて、もっと緩急があったらよかったのになぁと。
もっとクレアの心理の深いところがわかりやすい仕掛けがほしかったなと思います。
と残念なところばかり書いて申し訳ないのですが、それもこれも面白かったからこそ、残念なわけで。
つまり面白かったんです。
キャスティングも贅沢で見応え、聴き応えがありました。
男性4人の四重唱の素晴らしかったこと!
マチルデの「愛こそ砦」には泣かされたし、クレアの「正義」や「世界は私のもの」には胸が痛くなりました。
死んでしまったアルフレッドに駆け寄るクレアは一瞬とても儚く見えました。
そんなクレアを見つめるマチルデの目にぞっとしました。
アルフレッドに裏切られたこの2人の女性の心に思いをいたらせずにいられません。
ずっと冷たく悲痛にさえ見える表情をしていたマチルデが舞い落ちる紙幣を見たときの表情――あれは笑い顔だったのでしょうか。それにもぞっとしました。
クレアが去り際に上空からばら撒いた紙幣に狂喜する市民たち。
彼らの見せ掛けの善良さも道徳心も剥げ落ちた瞬間のようでした。
彼らはこの先きっと自分たちの罪の隠蔽に疑心暗鬼になりながら心の地獄を味わうのだろうな。
それが、クレアの復讐のような気がします。
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