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2015/09/23

高坐と木戸銭。


岡本綺堂著『寄席と芝居と』を読みました。

青空文庫をPOD(プリントオンデマンド)したものですが、「シニア版10.5ポイント」というのに惹かれて(^_^.)

綺堂の少年の頃の記憶にある寄席(主に三遊亭円朝の人情噺や怪談)と芝居との関係について書かれた本でした。

明治17、8年頃、芝居は朝8時の開演ということにまず驚きました。
そして7時までに入場すると翌月の芝居が半額になる札がもらえるからと、13、4歳の綺堂少年が4時起きして朝暗いうちに家を出て、狐の鳴き声を聞きながら、野犬に襲われないように竹切れを携帯して芝居を見に行くくだりも。
綺堂の家は麹町、芝居小屋は本郷(春木座)。いまの東京を思い浮かべると信じられない光景です。
そしてそこまでして見に行きたい綺堂少年の芝居好きにも驚きますが、その気持ちもわからなくないなぁと思いました。

噺家というと、『落語』を聞かせる人のことだと思っていましたが、昔は落語(落とし話)だけではなく、人情噺や怪談噺もさかんで、長い話を何夜にも渡って聞かせていたことも初めて知りました。
蝋燭やランプの灯りだけで聴く人情噺、体験してみたいなぁ。(怪談は却下)

そういえば噺家の方が蝋燭の芯切りをしているのをTVかどこかで見たことがあります。
話の途中でさりげなくされたその所作が印象的でした。
円朝といえば「死神」という噺は彼の持ちネタじゃなかったかな。あんな噺を電気のない寄席でしていたのかなぁ。(ぶるる)

綺堂曰く『円朝は円朝の出づべきときに出たのであって、円朝の出づべからざる時に円朝は出ない』
『たとい円朝が出ても、円朝としての技倆を発揮することを許されないで終わるであろう』
時々そういう人が出現するんだよなぁと思いました。

円朝はその話術だけではなくて、オリジナルの人情噺を創る才能もすばらしかったようです。
またその話を作るために、徒歩で山を越えて何日もかけて取材をしたり、その旅日記を書いたりしていたそう。
そうして人気を博した作品は、それを聞いた人の速記術で本になったり芝居になったのだそう。著作権などに頓着されなかった時代なので、それで使用料がとれるわけではないけれど、そうして評判になれば噺家の名前も上がるのでもちつもたれつというところでしょうか。
あの黙阿弥も円朝の人情噺をもとに狂言を書いたそうだし、五代目菊五郎や九代目団十郎も円朝物を演じたそうだ。
いまの時代、映画やTVドラマ、漫画やアニメがミュージカルの原作になったりするのと同じかんじでしょうか。

円朝という人は明治という時代だからこそ輝いたのかもしれませんが、いつの時代もエンタテイメントを求めて人びとは集ってきたのだなぁと思います。
それが寄席であれ劇場であれ。そして落語であれ歌舞伎や新劇やミュージカルであれ。
巻末に綺堂が書く明治10年代から20年代そして日清日露戦争前後の寄席の風景も興味深かったです。
女義太夫に熱狂した若者のうちには社会的地位のある実業家や政治家、学者になったものもいるだろうというくだりも、エンタメに興じる人の姿は変わらないなぁと思いました。
何かに強く惹かれ、命を燃やすほど夢中になる。いつの世もそれを生きる糧にする人びとがいるのだなぁと。

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