思えば因果な身の上ぢやなあ。
『三人吉三廓初買』(黙阿弥作、河竹繁俊校訂、岩波文庫)を読みました。
古本で手に入れたのですが、昔の岩波文庫(1938年第1刷、1991年第9刷)なので活字は7.5ptでト書はそれより小さくて4か5pt。ふだん使っている眼鏡ではとても読めないので、つくりましたよ~このためにリーディンググラス(^_^.)(これでこれからはまた小さい文字の本が読める♡)
旧字旧仮名遣いに難儀したところも活版印刷の9刷めだから潰れたり歪んだり擦れている字もありましたが、舞台の記憶にたすけられたり、なにより物語自体が面白くどんどん読み進みました。
「三人吉三」は玉三郎さんのお嬢で通し狂言を見たことがありますし、さいきんシネマ歌舞伎でコクーン版も見ましたが、原作の文里一重の部分は見た記憶がないなと思っていたら、今は上演しないのですね。
たしかに文里一重の場面を省いて三人に絞ったほうが舞台としては展開がすっきりするかなぁとは思います。でも、読み物としてあったほうが面白い。そこが舞台を見るのと読み物とのちがいかな。
伝吉が殺される場面や三人が刺し違える場面など、舞台での見せ場が、脚本では数行のト書だけだったりするのだなぁとも思いました。
庚申丸(刀)と百両をめぐる因果話は、舞台で見たときもよく出来ているなぁとただただ感嘆しましたが、さらにその庚申丸と百両が、文里さんと一重さんの身の上まで左右しているのが凄いなぁと、黙阿弥さんの頭の中ってどうなっているの???とひたすら驚くしかありませんでした。
そうか、お坊はただたんに悪人だから百両を強奪した訳ではなくて、妹一重のため、恩人文里さんのために百両がほしかったのか。
それぞれの動機や人情がちゃんと描かれていて筋が通っているのがすごい。
さらに、花魁として文里さんの子を産み病床に就いてしまった一重さんや、一重さんが生んだ子どもを引き取って育てる文里さんの妻おしづさんがどうなってしまうのか、先を読むのが面白かったです。
舞台だと文里一重の場面はないままのほうが展開に面白さがあるけれど、かなうなら文里一重のくだりも織り込んで、連続ドラマで見てみたいものだなぁと思います。
それくらいよくできた脚本に驚くばかりでした。