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2016年5月の2件の記事

2016/05/27

そののち、あなたさまに。

5月5日より博多座で公演中の宝塚歌劇宙組公演「王家に捧ぐ歌」の感想その2です。

今回の公演は主要キャストのラダメス、アイーダ、アムネリスが初日がはじまってすぐから安定していること、博多座という宝塚大劇場よりも小さめの劇場で、出演者も半分に減ったことなどもあり、メイン以外のキャストに私が目を向けるのもいつもより早かった気がします。

主要3役以外では、まずウバルド役の桜木みなとさんが目にとまりました。

大劇場でウバルド役を演じた真風涼帆さんは、当時星組から組替えされたばかりで新生宙組の2番手となった方。
その経験値と長身と色気でもって、執拗な眼差しで妹であるアイーダを見張っていたり詰め寄ったりする感じが危険な雰囲気で、まるで妹に欲情してるのかと思うほどでした。

対する桜木さんのウバルドは一気に若返った印象でした。アイーダ役の実咲凜音さんとは同期ということもあってか博多座では双子の兄と妹という設定となったのだとか。
アイーダとは兄と妹という関係よりもさらに近い、自分の欠けた半身への執着のようなものを感じさせるウバルドでした。

私はアイーダがエジプトに囚われてもエチオピア人の囚人たちに頼られ、戦の勝ち負けを問われたり、現実的にどうしようもないことを願われたりするのは、彼女が神とこちらをつなぐシャーマン的存在であるということなのじゃないかと思うのです。
兄ウバルドの側近カマンテ(蒼羽りくさん)やサウフェ(星吹彩翔さん)に多大な期待を寄せられていたり失望されたりするのも、彼女にそれだけ人の心を掴む立場と力があるからではないかと。王女にはそういう役目があるのではないかなと。斎宮斎院のような勝手に恋をしてはいけない立場なのかなと。
だから男である兄よりも、女であるアイーダのほうが大事にされているのかなと思えました。
(この物語の中の架空のエチオピアの話としてですが)

大劇場の真風ウバルドのときは、妹である王女は巫女的役割、兄は武力を司る王子、と役割が分かれているのかなと思っていました。
けれど博多座の桜木ウバルドに、私は妹に代わって巫子ともなりうる危ういまでの精神の純粋さを感じました。

だから神の御告げを聞いてしまうのかしらと。
とても清らかでまっすぐすぎる魂で信じ、憎む。フィジカルなものにとらわれない、思い込んだら寝食を忘れてのめりこむ危うさを感じました。

真風ウバルドの時はアイーダが敵国の男を愛するのが裏切りに見えたけれど、桜木ウバルドにとっては自分の半身ともいえるアイーダが、恋をして俗に染まり清らかな魂を捨ててしまったように見えることが裏切りなのではないかなと思えました。
そんな危うい王子を、カマンテとサウフェが支えているようにも見えました。カマンテはウバルドとアイーダが揃ってこそ憑座としての意味があると思ってるのかもとか、いろいろ想像してみたり。カマンテが陰でウバルドを唆す黒幕かなとか。

大劇場では、ウバルドはもともとエチオピアの戦士としてテロを決行する計画であったところに偶然神の御告げの夢を見て勢いづいたようにも感じましたが、博多座のウバルドはつねづね神との対話を請い求めていた人なんじゃないのかなと。そうしてようやく神の御告げを聞いて奮い立ったような感じを受けました。
真風ウバルドは自分の戦闘力を熟知しているようだったけれども、桜木ウバルドは自分の力量など測らずに打って出る危なっかしさがあるなぁと思いました。

アムネリスも役者でまったくちがって見えましたが、ウバルドももしかしたらアムネリス以上に役者が変わって見え方が変わったなぁと思います。ほんとうに面白いです。

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2016/05/26

それはファラオの娘だから。

5月5日に初日を迎えた宝塚歌劇宙組博多座公演「王家に捧ぐ歌」。
初日から21日までの間の5公演を観劇しました。

なんだかもう、、、すばらしくてすっかり嵌ってしまっています。
ことしの博多座公演が「王家に捧ぐ歌」だと発表になったときは、なんでよりにもよって王家なの~? せっかく地元で宝塚を、まぁ様の宙組を見られるチャンスなのに! なんでショーがないの~~~?と落胆していたのに。
初日を見て、3日目を見て、1週間後を見て・・・気がついたらすっかり。。。
いまではことしの博多座宙組公演が「王家に捧ぐ歌」でヨカッタ!!!と心から思っています。
(博多座千秋楽を前にして博多を離れることがやるせなくて仕方がないくらいに・・・)
(なんで私はこの時期に梅田遠征を決めてしまったのだ・・・・・・・それは花ちゃんが見たかったから・・・


まず、初日の私の感想は、去年宝塚大劇場で見たときに比べて、物語がすっきりして見える。この物語はまさしく愛の物語だったんだな。ということでした。
初めはそれがどうしてかわかりませんでしたが。

一つには、ラダメス役のまぁ様(朝夏まなとさん)とアイーダ役のみりおん(実咲凜音さん)のトップコンビが、ラストへ向かって高めていく感じが凄くて、地下牢の場面にいたってはこの場面のためにここにくるまでのすべてがあったんだと思えたこと。全体的に余計なものがそぎ落とされて、純粋なところだけが残った結果そう感じたのかなと思います。

ただ、初日の段階では『重いな』とも感じて、これをマチソワするのは精神的に消耗してしまいそうでキツイなとも思ったのです。
この博多座公演が、ある意味故郷への凱旋公演とも言える佐賀出身のまぁ様が気負いからか、初日はその緊張が声を通して客席にも伝わっているように感じました。
さらに、この博多座公演でアムネリス役のしーちゃん(彩花まりさん)も音を外したりはしないものの、かつてない大抜擢でとてつもない緊張だったのではないでしょうか。
そしてその2人に比べて、アイーダ役のみりおんがあまりに堂々と安定していて、これはアイーダが主役?!って感じさえしていました。

この主要3役だけをとっても、それぞれが自分ひとりしゃかりきで一生懸命が勝っていて、あまりにも必死で生きて愛して必死で死んで慟哭して全力でラストへ突き進んでいたので、見終わったらどっと疲れてしまったようなのです。(いかにも初日らしいといえば初日らしいですが)

けれどその2日後の観劇では、まぁ様ラダメスもしーちゃんアムネリスも見違えるように安定して、とくにアムネリスは、しーちゃんがしーちゃんのアムネリス像を作り出したなと思いました。そのアムネリス像が私には面白くて。
そのアムネリスに対するラダメス、アイーダのバランスも面白く、作品全体に血が通ってきたように感じました。
初日とは打って変わってマチソワも十分アリだなと思えました。

そして1週間経って観劇すると、初日あたりのみりおんの出来上がりの素晴らしさにまぁ様しーちゃんが追いつき追い越してで、拮抗する3人とそれをとりまく出演者全員の深まりとで、場面場面がとっても面白くなっていました。
それからは次の観劇が待ち遠しくて・・・。
(とはいえそんなにチケットをとっていない・・・ 私のばかばかばか)


しーちゃんのアムネリスは、等身大の女性が大国の王女様として生きたらこうなったとでもいいますか、とても素直な共感しやすい女性でした。

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