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2016/05/26

それはファラオの娘だから。

5月5日に初日を迎えた宝塚歌劇宙組博多座公演「王家に捧ぐ歌」。
初日から21日までの間の5公演を観劇しました。

なんだかもう、、、すばらしくてすっかり嵌ってしまっています。
ことしの博多座公演が「王家に捧ぐ歌」だと発表になったときは、なんでよりにもよって王家なの~? せっかく地元で宝塚を、まぁ様の宙組を見られるチャンスなのに! なんでショーがないの~~~?と落胆していたのに。
初日を見て、3日目を見て、1週間後を見て・・・気がついたらすっかり。。。
いまではことしの博多座宙組公演が「王家に捧ぐ歌」でヨカッタ!!!と心から思っています。
(博多座千秋楽を前にして博多を離れることがやるせなくて仕方がないくらいに・・・)
(なんで私はこの時期に梅田遠征を決めてしまったのだ・・・・・・・それは花ちゃんが見たかったから・・・sweat01


まず、初日の私の感想は、去年宝塚大劇場で見たときに比べて、物語がすっきりして見える。この物語はまさしく愛の物語だったんだな。ということでした。
初めはそれがどうしてかわかりませんでしたが。

一つには、ラダメス役のまぁ様(朝夏まなとさん)とアイーダ役のみりおん(実咲凜音さん)のトップコンビが、ラストへ向かって高めていく感じが凄くて、地下牢の場面にいたってはこの場面のためにここにくるまでのすべてがあったんだと思えたこと。全体的に余計なものがそぎ落とされて、純粋なところだけが残った結果そう感じたのかなと思います。

ただ、初日の段階では『重いな』とも感じて、これをマチソワするのは精神的に消耗してしまいそうでキツイなとも思ったのです。
この博多座公演が、ある意味故郷への凱旋公演とも言える佐賀出身のまぁ様が気負いからか、初日はその緊張が声を通して客席にも伝わっているように感じました。
さらに、この博多座公演でアムネリス役のしーちゃん(彩花まりさん)も音を外したりはしないものの、かつてない大抜擢でとてつもない緊張だったのではないでしょうか。
そしてその2人に比べて、アイーダ役のみりおんがあまりに堂々と安定していて、これはアイーダが主役?!って感じさえしていました。

この主要3役だけをとっても、それぞれが自分ひとりしゃかりきで一生懸命が勝っていて、あまりにも必死で生きて愛して必死で死んで慟哭して全力でラストへ突き進んでいたので、見終わったらどっと疲れてしまったようなのです。(いかにも初日らしいといえば初日らしいですが)

けれどその2日後の観劇では、まぁ様ラダメスもしーちゃんアムネリスも見違えるように安定して、とくにアムネリスは、しーちゃんがしーちゃんのアムネリス像を作り出したなと思いました。そのアムネリス像が私には面白くて。
そのアムネリスに対するラダメス、アイーダのバランスも面白く、作品全体に血が通ってきたように感じました。
初日とは打って変わってマチソワも十分アリだなと思えました。

そして1週間経って観劇すると、初日あたりのみりおんの出来上がりの素晴らしさにまぁ様しーちゃんが追いつき追い越してで、拮抗する3人とそれをとりまく出演者全員の深まりとで、場面場面がとっても面白くなっていました。
それからは次の観劇が待ち遠しくて・・・。
(とはいえそんなにチケットをとっていない・・・sweat01 私のばかばかばか)


しーちゃんのアムネリスは、等身大の女性が大国の王女様として生きたらこうなったとでもいいますか、とても素直な共感しやすい女性でした。

「あれ? 私どうしてみんなと違うの? あそっか私はファラオの娘だからか!」と自分の境遇をありのまま受け入れているようなアムネリス様に見えました。
大劇場の伶美うららさんのアムネリスが、幼い頃から誰にも負けない自信があったのにある時「みんなは私が私だからじゃなくてファラオの娘だから態度がちがうの?」と気づいてしまったような、傷ついた誇りを見せまいといっそう居丈高になっている「それはファラオの娘だから」だったのと大きく印象がちがってとても興味深かったです。

大劇が父に認められたいアムネリス様だったの対して博多座は父に愛されたいアムネリス様。
大劇がラダメスに愛されなくてはプライドが粉々に砕けそうなアムネリス様だったのに対して博多座は純粋に素敵なラダメスに愛されたい恋するアムネリス様。
大劇のアムネリス様がファザコン度高くてこじらせ系だったのに対して博多座アムネリス様は同性にも共感されやすいし男性受けも良いだろうなと思えるアムネリス様でした。
それゆえに、すごくラブストーリーで、すごくわかりやすくなったんだなぁと。

とうぜんそれはラダメスにも影響をあたえていて、アムネリス登場のシーンのラダメスの「気高く畏れ多いアムネリス様」という台詞が、博多座では社交辞令っぽく聞こえました。
そんなにアムネリス様を畏れていないのでは?と。
だから、アイーダのこともそれほど後ろめたく思っていないみたいで。ふつうによくあるちょっと鈍感な男性と2人の女性の三角関係のように見ることができるみたい。

2幕のアムネリスに人びとの堕落を指摘される場面も博多座ではラダメスは余裕でかわしてるように見えます。
大劇ではもっと動揺し、もっとアムネリス様の怒りに畏れを抱き、その眼差しに怯えていたように見えていた気がします。
アムネリス様も大劇ほどはこのことを深刻に捉えてはいないように感じました。ラダメスの返答に欺瞞をみつけて鋭い眼差しを向けていた大劇場のアムネリスに比べると、あっさり。
それよりもラダメスの言葉尻に「ほかの女性」の存在を察する女の勘が勝る感じ。
政治とか信条とかよりも恋愛や美容により興味がおありな印象。 
ほんとうに普通の恋する女性。自ら重荷を背負わない。

今までのアムネリスは、私がファラオになりますと宣言して以降がもっとも魅力的で、女性であることを越えて世界に君臨する輝くばかりの強さと同時に痛々しさがありましたが、博多座のアムネリス様は王女時代のほうが魅力的だなぁと思いました。
ファラオになるべき資質を持っていながら女性であるがため相応しい誰かを選び夫としなければならなかった女性が国家の危機に瀕して本来立つべきところに立ったアムネリス(大劇)と、愛されるために生まれたアムネリス(博多座)のちがいでしょうか。

「私にあなたを殺させないで!」がどの言葉よりも胸に刺さって泣かされるアムネリス様です。

そんなアムネリスだからこそ、ラダメスとアイーダの愛もクローズアップされるんだろうなぁと思いました。

きっとファラオになっても一人で背負い込まず男性を立て助けを借りながら現実に即した統治をする気がします。
福祉に関心が深くて戦災孤児にやさしい、そんなファラオが想像できたりします。
どこまでも女性的で柔和なファラオになるのじゃないかなと。
そんなファラオのもと、平和で豊かなエジプトが栄えたらいいなぁと。
そんな想像をしてみたりします。

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