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2016/06/08

選ばなくてはいけないわ。

5月25日から27日までの3日間、梅田芸術劇場メインホールにて、ミュージカル『1789~バスティーユの恋人たち』を見ました。

宝塚版は見ていないので25日がまったくの初見でした。
今回この作品は主人公ロナン、ヒロインのオランプ、そしてマリー・アントワネットがWキャストになっていて、25日はマリー・アントワネット役の花總まりさんが一足先に楽を迎えられる日でした。

私が見た3公演は、25日マチネの小池徹平ロナン/夢咲ねねオランプ/花總マリー、26日の徹平ロナン/神田沙也加オランプ/凰稀かなめマリー、27日の徹平ロナン/ねねオランプ/凰稀マリー、でしたが、キャストの組み合わせが変わると心に響いてくるところもちがいました。
見られなかった組み合わせではどうなのかな。
花ちゃんのマリーとさやかちゃんのオランプの芝居も見たかった~~
加藤和樹君のロナンも見たかったです。(ぜひぜひ再演希望です!!!)

初見では、ねねオランプの『許されぬ愛』やロナンの『サイラモナムール』にうるうる。
2回目以降は1幕のパレロワイヤルからもう泣きそうに。ラストで全員が歌う『悲しみの報い』では涙が流れるのを止められず…。このカタルシスはクセになります。
作品自体は、名場面はあるけどドラマはない感じなんですけど。
ドラマは見ている側の胸の中にあって、それを役者に引き出される感じかなぁ。
それとフィナーレがこんなに楽しいミュージカルははじめてかも(笑)。

ラストで歌われる『悲しみの報い』の歌詞はしみじみ小池修一郎だなぁって思いました。あの甘っちょろい夢が私は大好きなのだ(笑)。
ただ全体的にはこれぞ小池修一郎なダイナミックな演出はなくて、どちらかといえば往年の宝塚的既視感がたくさんでした。
カーテン前のお芝居が多かったり、客席降りが多かったのも「ここは本来銀橋の場面かな?」なんて思ったり。
舞台機構の問題なのかもしれないけど小池先生がどのくらい携わったのかちょっと疑問かな。
小池修一郎的既視感も散見されて、見ていてあっネバセイ、あっエリザ、スカピン・・と思いました。
本来のフランス版がそうなのでしょうけど場面場面がぶつ切れなのを如何につないでいくかに苦心したのかな。それにしてもちょっと安直じゃないかなと感じたところや、唐突に感じたところがあったのも否めませんでした。
もしかしたら、フランス革命の顛末になじみのない人やロジック重視の人には感動しにくいかもとも思います。
私は演じる人たちの熱にノックアウトされたかなぁ。楽曲も好みでしたし。

フランス版を日本版にするのに苦心している気がしたのは楽曲もでした。本来もっと高い音なんじゃないのかなぁそのほうがカタルシスあるのになぁとか。もっと音響効果使ってもいいのじゃないのかなぁとか。ちょっと中途半端かなぁと思いました。
日本語の歌詞を当てたり演者の都合だったり観客の好みを考えたりしてこうなっているのかなぁと思いましたけれど、ロミジュリの宝塚版初演を見たときに感じたのと同じ歯がゆさを感じました。
これは日本版として確立していく過程でなくなっていくのかもしれませんけど。まだちょっと途中な感は否めないかな。

で、やっぱりこれだけビートがはっきりあるのにじっと聴いてるのつらいなぁと思いました。
ノリの良いナンバーでは客席も一緒に騒いで楽しむ作品ですよね本来は。できないけど。客席降りが多用されているのに無秩序はこわいですし。
でもせめて手拍子とかで盛り上げたいなぁと思いました。

キャストが発表になった時は本当に好きな役者さんばかりでうきゃっだったのですが、時期的に遠征が難しく、花ちゃんのマリーも見たいし・・と計画したら結局梅芸1遠征で3公演、限られたキャストスケジュールの中でしか選らべなかったのが今となっては悔やまれます。
3公演しか見られませんでしたが、ナンバーはいまも耳に残っています。またいつか見ることができたら・・・。

1度しか見られませんでしたが、花總マリーは可愛い可愛い皇女様のままの無邪気な人が王太子を失ってはじめて狭い世界から視野を広げて王妃としての自分の責任に目覚めたように見えました。

凰稀マリーは、人生に倦んで夢中になれるもの(報われない恋)にうつつをぬかしていたけれど王太子を失った罪の意識から、現実逃避している自分を許せず覚醒したように見えました。
凰稀マリーの「選ばなくてはいけないわ」の語調の強さは、オランプを通した向こうにいるふらふらしていた過去の情けない自分に言っているように私には聞こえました。

演出的には、花總マリーのぱーっとした明るさと華やかさが正解なのかな。ロナンたちの境遇との対比として。
憎らしいくらい無知で贅沢三昧の王妃と、その時飢えていたロナンやソレーヌたち。だから私は命をかけて革命家たちに協力するロナンに納得するし、ロナンの思いに涙したのだなぁと思います。

それにしても無知で贅沢三昧でも憎めないマリーはさすがお花様でした。彼女は彼女でこうなってもしょうがないんだなぁって思えるマリーでした。
本当に素直で無邪気な生まれついての皇女様で、社交もギャンブルも主体的に愉しんでいた花マリー。
ポリニャック夫人が持って来る目新しいものにいつも前のめりで興味津々なんだろうなと思います。
もし時代がちがって王妃と落ちぶれかけた貴族という立場の出会いではなかったら、とても気の合う女ともだちでいられたのかも。

そのマリーが過酷な時代の現実に直面して心動かされて変わっていく様子はさすが花總まりだなぁと思いました。
いまだって十分トップ娘役として宝塚の舞台に立てるぞ。ただ宙組時代の彼女のヒロイン役をたくさん見てきた私としては、「あれ、いま何を見ているんだっけ?」的な既視感がありました。
小池修一郎が愛する花總まり名場面集みたいだなとも。
ついレディ・ベスのようにもの凄いエネルギーを発していた役の印象と比べてしまうので、板上にいる時間的にも場面的にもこれくらいなら花ちゃんには楽勝だなぁとも思いました。花總まりを贅沢に使っているぞ感(笑)。

自分が演じる役の役目と場面の意味を的確に表現する花總マリー。演じる回ごとに動く心のリアルを見せる凰稀マリー。それぞれのアプローチの違いから見えるものがちがったのがとても面白かったです。
凰稀さんは宝塚時代から相手の芝居を受けて自分の芝居を変えたり、相手の反応を引き出したりするタイプでしたが、このオランプの役替わりでも相手が替わると見える印象ががらりと変わっていました。

1幕のヴェルサイユ宮の場面、花總マリーは心から楽しんでいるように見えたけれど凰稀マリーは社交もギャンブルも本当は好きじゃなさそうでした。でもここしか居場所がないから一生懸命無理してるのかな?と。
たぶんポリニャック夫人とも本当は趣味が合わないけどつきあってる感じ? それより最近王太子付きとなった養育係とのほうが話が合いそう。本当はいたって堅実な感覚の持ち主なのかもしれないと思いました。でも馬鹿騒ぎを断る勇気もないので合わせてしまうような。毎日不本意に生きてる人に見えました。

そしてアクセル(フェルゼン)に対する依存度も花總マリーより高いなと。ポリニャックと合わない分よけいアクセルに依存しちゃうのかな。
パレロワイヤルでの痴話喧嘩の場面も花マリーにあったコミカルな愛嬌はなくてやけに重い。アクセル的にはどっちが困るだろう?とかつい考えてしまいました。
ていうか両マリーとも、ほんとにアクセルこの人(マリー)で良いの?的な疑問は感じました(笑)。
アクセルはマリーのどんなところを愛しているかなどの書き込みは脚本にない上に、Wキャストのマリーがこんなにタイプが違ったら、見せ方や動機付けが大変だったろうなと思います。
そこのところアクセル役の広瀬友祐さんは本当に良かったなぁと思います。真面目で格好いいけど一つ間違えば可笑しなことになりうるこの不倫相手の貴公子役をとても端正に造形して好演されてました。その剣さばきにほれぼれでした

オランプの役変わりは、花總マリーは夢咲ねねちゃんのオランプだけ、凰稀マリーはさやかちゃんとねねちゃん両オランプを見ることができました。
25日に宝塚退団後のねねちゃんを久しぶりに見たのですが、オランプの『許されぬ愛』に感動。なんだか大人っぽくなったなぁ。と思いました。

さやかオランプはコミカルでとても可愛かったです。でもどこか自分を偽っているというか解放できなくてそこが不器用な印象でした。意外とお芝居が内向的だなと思いました。(そこが凰稀さんと合うのかな?)
ねねオランプは芝居で見せるオランプでした。相手の内面も引き出すのか、ねねちゃんの時は相手の心もよく見えました。ねねオランプ相手だとアルトワ伯の嬲りが激しくてコラコラ(汗)でした(^^;
私がロナンに泣けてしまったのもねねオランプを見た2回なんですよね。(加藤さんとはどうだったのか見たかったなぁ)

凰稀マリーはさやかオランプとの方が女性らしいキャピ感がありました(笑) 個人的に凰稀マリー&さやかオランプは萌えました。女ともだち出来て良かったね~感(笑)

たまたまかもしれませんが、私が見た27日の凰稀マリーとねねオランプの回は、オランプとの場面のマリーがオスカルに見えました。コスチュームは王妃なんですけど。なぜかな。この回では王太子を亡くし喪服でよろよろ歩くところもバトラーっぽくて全体的に男前なマリーだなぁと思いました。ねねちゃんと芝居したらから? それともこの日は月組さんご観劇で新公状態だったから?(そんな訳ないか) 女性であることに苦戦してたような。マリーの心許なそうな目がとても印象に残っています。

マリーとアクセルのデュエット曲は、いかにもなミュージカルの曲っぽくはなくて慣れないと音程リズムともにとりにくい曲なのかなぁ。私は頭の中で反芻しているといつもだんだんケイト・ブッシュのナンバーになってしまいます(^^;アルバムの中の曲だからタイトルは思い出せないのですが・・・。
この曲も27日はかなり不安定に感じました。がんばって~~です。

26日の凰稀マリーはとても良かったと思います。男役が宝塚退団後はじめて女性役として舞台に立ったという点でこれくらい違和感がなければ上出来だなぁと思いました。このレベルからさらに良くなればと思った翌日、あれれ??? 前日よりも 声の調子がよくなかったようで不安定でした。上ずるか男前になるかで。発声の問題は男役が女優になって最初に苦労する部分ではありますが、前日は問題なくて安心したとこだったので残念な気持ちにもなりましたけど、そんなに簡単にいくものでもないのかなとあらためて思いました。ここは努力していただくしかないなぁと。次へと望みが叶っていくように。

 

マリー・アントワネット周辺のことばかり書いてしまいましたが、私が共感したのはロナンでした。マリーが薔薇なら彼は名もなき草の花なのかもしれないけど。サイラモナムールに込められた思い、愛するオランプとの未来のため、2人の未来は皆の未来でもある。だから彼はその命を懸けた。うまくいくことしか考えずに。―― そんな名もなき1人1人の思いがあっていまのこの世の中があるんだと思えて感動しちゃったのでした。
途中で農民とプチブルとの格差を思い知らされたりもしながら、それでもその中から本当に大切なものを見出して行動していく。悲しさも悔しさも惨めさも知りつくして、それでも。何もかもを理解されるわけでも認めてもらえるわけでもなくても。それはオランプを愛し未来を見つめることができたからなんだなぁと思って
小池徹平君のロナンとてもよかったです。

とにかく熱くてモナムールなダントンの上原理生さん、理想主義でとても清廉な青年だけど育ちが良いゆえに無神経なとこが出ちゃうデムーランを好演の渡辺大輔さん、クールな見た目とうらはらに密かに熱い魂を燃やしていそうなロベスピエールの古川雄大さん。3人の革命家も大好きでした。
ラストの『悲しみの報い』では彼らの顔を見ていつも泣いてしまいました。

ペイロール岡幸二郎さんの美声を封印した歌声と鞭使い。いつもロベスピエールを踏みつけてくださってありがとうございます。(苦痛を堪えるロペスピエールの表情が眼福でした
彼がいないと実はこの物語はすすまないアルトワ伯を怪演の吉野圭吾さん。オランプを宙に浮かせるのはどうやっていたの?
そしてテントウムシにまでなってしまったラマールの坂元健児さんとお仲間たち。三部会の人形劇良い声でした。
眉毛が素晴らしかったポリニャック夫人の飯野めぐみさん、王妃とのお別れの表情が印象的でした。
増澤ノゾムさんのルイ16世の居方、三部会を解散させるところやアクセルとマリーが話しているところに出くわす場面の一連の表情はひそかに好きで注目していました。
ルイ・シャルルは仕草がとっても可愛くてめろめろでした。ストップモーションのところは小さくても役者なんだ!と関心するしかありませんでした。
シャルロットはどの子もとても達者で歌の上手さは素晴らしくてお芝居も素晴らしくて大好きでした。

1789はとても好きな作品となったのですが、受け付けない場面が2つありました。
どちらもソレーヌを中心としたナンバーで1幕の『夜のプリンセス』と2幕の『世界を我が手に』です。あまりに唐突で全体の流れを止めてしまっていました。
革命家たちやパレロワイヤルに屯っている人々印刷屋で働く人々に比べて、ソレーヌをはじめとする女たちにリアリティがないのも違和感がありました。

それから歌詞の内容にも共感できませんでした。フランス革命の渦中に生きる人々を描くにあたってあからさまで攻撃的なフェミニズム視点は不要なんじゃないでしょうか。
世界観を壊してまでもやる必然性がどこにあるのか小池先生に問いたいと思いました。

子どもがお腹をすかせているのにパンが手に入らない、家族を思う女たちの怒りのエネルギーがパン屋襲撃に向かう、その先頭に立つのがなぜソレーヌなのか、そこも納得がいきませんでした。
あそこは家族を思うおかみさんたちが自発的に怒ってほしいと思います。
そして家族のためにパンを!という女性たちがなぜ、9ヶ月あったら女は産めるとか世界を我が手にとか、女vs男の対立になるのかも納得がいきませんでした。
お腹をすかせた子どもたちのために怒る女たちも、王太子の死を嘆く王妃も、根っこは一緒の思いじゃないの?
落としどころが支離滅裂で気持ちが悪かったです。
もっとソレーヌに共感できるように描いてほしかったなぁ。とても気の毒な境遇の娘なのに。(兄ちゃん、妹を置いていくな~~
ソニンちゃんは体当たりで演じていたのに脚本と演出が納得がいかなくて複雑な気持ちで見ていました。
再演されることがあったらこのあたりは変わっていたらいいなぁと思います。

とても好きになった作品なのに、この辺が受け入れられず書いてしまいましたけど、いまの私の願いは近い将来の同じキャストでの再演です。
どうか願いが叶いますように。
(できれば博多座公演もお願いします・・・

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