自分を殺してすべて王家に捧げること。
8月18日と23日、博多座にてミュージカル「エリザベート」を見ました。
2公演でトートとゾフィーの役替わりを見ることができました。
トートについては先に書きましたので、ソフィーの役替わりで感じたことを書いてみたいと思います。
18日のマチネは香寿たつきさんがゾフィー役でした。
この日のキャストは私がこれまで見たことがある「エリザベート」の中でもベストだと思える素晴らしいものでした。
ことに私はゾフィーにくぎ付けでした。
香寿さんの歌声は相変わらず素晴らしくて好きだなぁ。ゾフィーの歌はすごく彼女に合ってるなぁと思いました。
香寿さんが見せる強いゾフィー像は私が思い描くゾフィーそのものかそれ以上で、シシィが戦うべき「強固で古いしきたり」そのものに見えました。
とても理解しやすい世界観でした。
あまりにも香寿さんのゾフィー像が私の中でしっくりきたので、涼風さんのゾフィーを自分がどう思うのか正直ドキドキして23日マチネを見ました。
涼風さんのゾフィーはすっとした美しい女性でした。シシィに似ているなとも思いました。
なぜこんなに美しい人が美しいまま寡婦でい続けたのだろうとも。
いままで私が知っているゾフィー像とはちがうゾフィー像になんだか夢中で見ていました。
涼風ゾフィーは1人の女性としてシシィと対立しているように見えました。
息子について「私には隠さない」「強い絆で結ばれている」とシシィに誇らしげに言うゾフィーに私はかつて感じたことのない心のざわつきを覚えました。
フランツが「でも母の意見は君のためになるはずだ」とシシィに言ったのを聴いた瞬間、涼風ゾフィーの口角が優美に引きあがるのを見て思わずあっと思いました。このひとは女だと。これは女性として同性に勝利した笑みだ・・・。
ゾフィーもフランツもいままで何度も聞いてきたセリフを言っているのに、ゾフィーが変わるとフランツにもこれまでとはちがう一面が見えたような気がしました。
厳しく強い母に逆らえないというのとはちがう、彼の心の中にもこの母を守りたい気持ちがあるのでは、、、と。
ちょ、シシィ、これは手強いぞ。
母と息子の二十数年間の実在を感じてしまったというか。それに嫁いできたばかりのシシィは勝てないでいる。
シシィの戦いはここからのスタートだと思うと、ほんとうによく健闘したなと称えるばかりです。
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強く厳しく絶対的な存在に見えた香寿ゾフィーと比べると、涼風ゾフィーは個人的な感情も弱点もあるように見えました。弱点=息子への愛かな。
「息子を取られたわ」に込められた感情。フランツから責められるところでは彼女の心がはげしく動揺しているように見えて胸が痛みました。
「皇后のつとめは自分を殺してすべて王家に捧げること」―― いままで私はゾフィーはそれを苦もなく当然のこととして生きてきた人なんだと思っていました。
でも、涼風ゾフィーを見てそれはちがったんじゃないかという思いに至りました。
ゾフィーもまたのどかなバイエルンの美しいプリンセスとして育ってオーストリーに輿入れしてきたはず。
シシィとは伯母と姪の関係。似ているところがあってもおかしくはないかも。
若き日の彼女にも1人の女性として、また1人の人間として、受け入れ難いこと理不尽だと思えることなどいろいろと思うところがあったにちがいない。
けれども幼い息子を皇帝らしく育てるために自分を殺してすべてを捧げて生きてきた人なのかもと。ここに至るまでの彼女の人生にも壮絶なドラマがあったのではと思いました。
信条は正反対だけれどもどことなくシシィとゾフィーは似ている気がして、もしかして無意識のうちに母に似た女性を愛したのか皇帝陛下はと思いました。
皇帝陛下がシシィを選んだことも、皇帝陛下がシシィに惹かれたわけも必然かもしれないなどを考えてしまうと、すべての不幸はとっくに動きはじめていて、その歪み、その矛盾を抱えたハプスブルク600年の歴史はやっぱり途絶えるべくして途絶えたのかなと思えてきました。
そしてルドルフもまたこのフランツの息子なんだなぁと。
このゾフィーの役替わりを見ていままで注視しなかったところに目がいって、何回も見てきた作品なのに、まだいろんなことが頭の中をぐるぐるとめぐっています。
でもまだまだ考えていたいです。
明日はまた香寿ゾフィーを見てきます。こんどはどんなふうに見えるのかドキドキで楽しみです。
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