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2016/09/13

いちど私の目で見てくれたなら。

博多座で上演されたミュージカル「エリザベート」を千秋楽を含めて5公演見ることができました。
昨年から新演出になっているとのことでしたが、これがすごく好くてもっと見たかったです。

同時期に宝塚でも宙組が「エリザベート」を上演していて7月後半とお盆前はそちらに遠征し、博多座のエリザはお盆明けからしか見られなかったのがいまとなってはとても残念です。
今月も宝塚へ行く予定があるのに、梅芸に行くスケジュールを考えていなかったのも残念至極。
でも自分なりに考え抜いたスケジュールだったのだから涙をのみます。
またこのキャストで再演されるなら遠征も考えようと思います。
なによりも博多座での再演を祈ります・・・。

城田トートと成河ルキーニがとても好みでした。
シャウトするトートがずっと見たかった。
トートとルキーニのパートはロックで聴いてみたいという夢が叶ってしまった感。
なんとなくグラムの匂いを感じました。ご本人たちには意識はないと思いますが・・・coldsweats01

城田さんのトートは計り知れない感じが快感でした。
人でない存在であることをつよく感じさせるトートでした。
他者の目、他者の意思を意識して行動することが人間が人間であるゆえんだとすると、そんなものは端から持ち合わせない感じがしました。
荒々しく傍若無人で、飼いならされない野性。
知性はあるのになにかおそろしく無心な存在。

そしてその人に飼いならされない野性にエリザベートを感じました。
知性はあるのに他人の思いをくみ取れない性質。悪気はないけど思いやりのないところ。
群れで暮らす特性がエリザベートには備わっていない。
誰かに愛しまれようというつもりもそもそもなく、自分1人で生きて行こうという意思に貫かれた人。
花總さんのシシィからはそんな魂が感じられました。
少女時代のシシィがあんなに無邪気で愛らしいのも野生の仔の特徴だと思えば肯けるなぁと。

そんなシシィが深い孤独を意識するのは彼女に知性があるからだと思います。
みずから孤独を求めているのに孤独に苛まれる矛盾。
城田トートはシシィの人間関係による孤独ではなくて、彼女の本質による孤独を。彼女が彼女のままでこの世に生きることの苦痛を浮き彫りにしている気がしました。
その見つめる眼差しで。遠慮のない荒々しさで。

城田トートは花總シシィの“無意識”が具現化したもの。ある意味彼女の一部かもしれない。
“死”とは肉体の死ではなく、意識が無となることなのではないかなと。
そんなことを思わせるトートでした。

エリザベートをじぃっと凝視めるトートの昏い瞳。
彼の目にはエリザベートがどう見えるのだろう。どう映っているのだろう。
ここ(客席)で見ている私とはちがうものが見えているようで。その答えを私は安易に出したくはなくて。
ひたすらにそんな計り知れないトート閣下を見ているのが心地よかったです。

成河ルキーニには見ている私の心のうちを見透かされているような心地でした。
たぶん歌詞はこれまでと同じなんだと思うけれどすごく集中して聴いてしまいました。
自己顕示欲がつよくて言葉の端々に毒が感じられて、そしてなんとなくエリザベートに嫉妬しているようにも感じられるルキーニでした。
私の中にあるエリザベートに対するシニカルな見方を代弁されているような感じもして、そうするとかえってシシィのエゴイストぶりを云々することを通り越してその驚くばかりの正直さと生きづらさが際立って感じられ響いてきました。
ルキーニ次第で物語の印象が変わるのだなぁ。


香寿ゾフィーは私の思い描いていた強いゾフィーそのもので、歌も素晴らしくて完璧なゾフィー。
シシィとはまったくカテゴリーのちがう女性という印象。
まさにシシィが戦うべきものの暗喩のような存在。

涼風ソフィーはこんなゾフィー像もあるのかという驚き。
1人の美しい女性がどうしてここまで宮廷を支配するようになったのか?と想像したくなるようなゾフィーでした。
バート・イシュルで妹ルドヴィカとおしゃべりする様子はまるで娘時代にかえったかのように愛らしくて、息子がお見合い相手(ほんとは妹のほう)を表する言葉にいちいちきゃぴって「なんてロマンチック♡」と言う様子は乙女のようでした。
本当ならここはシシィの愛らしさに注目する場面なのに涼風ゾフィーに限ってはどうしても目がいってしまっていました。
こんな母ならばフランツの母に対する思いもこれまで私が考えていたものとはちがうだろうといろいろと考えてしまいました。

そうして涼風ゾフィーを見るとまた香寿ゾフィーが見たくなり、香寿ゾフィーを見るとまた涼風ソフィーが見たくなる危険なスパイラルにはまりそうになりました。
5回目を見たところで楽になり命拾いしたような。


田代さんのフランツはどうしてと思うほどシシィを深く愛しているフランツで。
彼がシシィを愛しつづけるからこそこの物語は成り立っているのだと思いました。
1人の女性を一生愛しぬくのは彼にとってはきっと当たり前のことなのだろうな。
そしてシシィも自分と同じだと思っているところが、彼のせつないところだなぁと思いました。

鏡の間で「息子の教育君にまかせる」と告げるフランツはいまもシシィがルドルフの教育について熱意をもっていると信じている気がするけれど、でもたぶん、このときのシシィの心はもう息子の教育から離れてしまっている気がします。
そもそも彼女自身が子供目線で生きているから皇太后の躾に拒否反応を示していたのかもしれない。息子を思いやってというよりは。
あのとき彼女はもう別の夢中になれるなにかをみつけていたのではないかと思います。たとえば美容とかダイエットとか。

「でも私の人生は私のもの」と宣言されて瞠目するフランツ。
エリザベートの返答は彼が思い描いていたものとはいつもちがう。
それでも誠意を尽くしさえすればいつかは妻が自分と寄りそってくれると信じているように見えるのがつらいなぁ。
夜のボートで「無理よ私には」と言われてこの期に及んでまだ傷ついている様子が本当にこの人は・・・と。
こんなに深く愛しているのにシシィという人をほんとうには理解していなくてまだ彼女に期待していて。死んでもなお楽になれなくて。

でも、彼の目にシシィが魅力的に映り、恋いもとめてしまうことこそが、彼の内に奥深く理性で覆い抑え込まれている本心の発露なのかもしれないなと思います。
ハプスブルクの滅びの時は刻々と迫っていたのだと。


古川ルドルフはとても繊細でした。
2012年に見たときよりもずいぶん育ったなと思いました。
「HASS」の頃には田代フランツもかなり老けた見た目に作っていたのでバランス的にはおかしくはないと思います。
大人びていながらもなにかに怯えてどこかバランスを欠いたような皇太子に見えました。
シシィが父親マックス公爵を理想化して「パパみたいになりたい」と願うのと同じように、ルドルフもまた母エリザベートを理想化しているのだなぁと思います。
「ママみたいになりたい」―― それがハンガリーの王冠を戴くことなんだろうな。
でも彼は母のようにはつよくない。それほどエゴイストではない。そして背負っているものが母の何倍も重い。
そんな彼が母と同じになろうとすればもう・・。
トートにしてみればなかなか手強いシシィに比べてルドルフが御しやすいのは自明。

楽を見終わった後に、この新演出のエリザベートをずっと見続けている人から、「ルドルフにとってトートは母の一部なんだと思う」と言われて、なんだかいろんなことがすっと腑に落ちました。
だからルドルフからトートへのキスには愛がこもっているように見えるのか。
シシィにとってトートは受け入れられない自分の一部で。けどシシィにとってはそうでも、ルドルフにとってはどこか母を感じる引き寄せられるものなのだろうと。
だから最初に現れた時から彼はトートに嫌悪感を抱かず易々と友だちと信じることができたのだろうなと、破滅へ導く巧言にのせられてしまうのだなぁと。
そして彼の母親への依存心の強さは父親ゆずりなんだろうなと思います。
ほんとうに似た者同士なのはフランツと彼なのかもしれないのに。
この父と息子の軋轢はいつの時代にも通じる気がして、なんだか身につまされる思いでした。


リヒテンシュタインの秋園さんは相変わらず美人で美声で彼女が出ていると安心して見ていられます。
未来さんのマダム・ヴォルフはパワフルで良い声で気持ちがいい。ルドヴィカとの演じ分けも素晴らしくて快哉。ミルクの場面でもパワフルに踊っていてすごいなぁと思いました。

新演出のトートダンサーズも大好きでした。
愛と死の輪舞も最後のダンスもマイヤーリンクも。コフル島の彫像はほんと好き。
シシィを軽々と浮かせて見せるところも。あれは元娘役のシシィならではだなぁと思いました。

女官たちはゾフィーが支配する宮廷の空気をわかりやすく見せてくれて、その中でスターレイが1人シシィに同情的なのもよくわかったし、革命家たちも側近のおじさまたちもマダムの娼館の女の子たちも、ウィンディッシュ嬢はじめ病院の人びともヘレネも、エリザベートの世界を作り出している人びと皆が素晴らしくて好きでした。
こんな舞台を私はあと何回見られるのかなぁ。
ほんとうに素晴らしい舞台を見せてくれた人びとに拍手をおくりたいです。
大阪公演、名古屋公演のさらなるご成功を祈ります。

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