美しいものを見ることには価値がある。
9月12日に宝塚大劇場にて宙組公演「神々の土地」と「クラシカル・ビジュー」を見てきました。
「神々の土地」は上田久美子先生の大劇場作品でした。
ある時代のある場所で、生きて、愛して、永遠に訣かれた人びと。
その時そこにあったものに思いを馳せてしまう物語りでした。
主人公のドミトリーは宙組トップスター朝夏まなとがこれまでの経験と技量を注いで挑戦している役どころだなぁと思いました。
研16のトップさんをもってしてもこれは難役だなぁと。
主人公が感銘を受ける都度に鳴り物が入る訳ではないし、葛藤や陶酔をダンスで表現するのでもない。ひたすら芝居力が要求されるなぁと。
微妙な間の持たせ方一つで意味が伝わったり伝わらなかったりしそうだなと。
主人公ドミトリーはその曖昧なもののために彼自身が描いた未来からドロップアウトしてしまったように読めました。
開演アナウンスの挿入の仕方が通常とはちがうのも上田久美子先生のこだわりでしょうか。
冒頭の爆弾テロルでセルゲイ大公が倒れ次の場になる前の暗転中に開演アナウンスが挿入されていましたが、その朝夏さんの口調が妙に私のツボに入ってしまいました。
本来開演アナウンスにはお客様へのウェルカムな気持ちが込められているものですが、作品の世界観に合わせてかどこまでも陰鬱な空気を漂わせた口調で、冒頭から作りこんでいるなぁと。それが私のツボにハマってしまって笑ってしまいそうになるのを堪えるのが大変でした。
いやいや、こういう世界観にこれから入っていくのね、という心構えができました(笑)。
帝政ロシア末期の難しい時代背景、登場人物それぞれの立場の複雑さ、それぞれの価値観。
何世紀もかけてはまり込んだ迷宮の出口を探す人びとの立場や心情を読みながら見るのはとても面白かったです。
開演アナウンスに続く場の招待客のおしゃべりで作品に必要な設定情報はほとんど網羅されていたし、ジナイーダの冗談交じりの軽口「よけいなことをしてくれたものだわ」がただの軽口じゃあなかったんだということが後のちわかる展開だとか。
なんどもほぉぉ~ってなりました。
その立ち位置を読みつつ、彼らの発する言葉の意味を読みつつ、一つ一つのエピソードに居合わせた主人公がその時どう考え何を決したかを読みながら見るかんじでした。
そうして頭でも考えながら答え合わせをするように見ていると主人公たちの気持ちはだいたいわかったような気持にはなりましたが、見ているその時にカチッとはならないのが少々もどかしかったです。
読み物としてはとても面白いけれど舞台としてはどうなんだろう。こういうのもありなのかな。
というかんじです。
セリフの意味も微妙な間の意味も、幾とおりにも受け取れてその中から正解を探しながら見ていく感じで、いろんな解釈ができそうで。
そこは見た私が好きに考えていいのだろうか?
・
ドミトリーのイリナへの思いはブレがなくてわかりやすかったけれども、彼のロシアの現状に対する心の立ち位置が、物語が変わっていくにつれて変化を余儀なくされていっているというのが、この物語の核心になるんではないかと思うのですが、それが見えにくかったかなぁと思いました。
イリナの気持ちについては見終わってもわからないところがありました。
ドミトリーを愛しているのだろうとは思うけれども、どれほどの思いなのか。
恋心を懸命に抑えている自制の利いた女性というよりも、どちらかというと恋愛より自分の存在意義を求めるタイプに見えたけどそれが正解でよかったのかな。
そもそも血のつながらない甥と伯母の恋愛感情がどれくらいタブーな世界観なのか。誰もそれに言及していなかったので、どれくらい抑えなくてはいけない感情なのかぼんやりとしたままだった気がします。
ドミトリーのアプローチも曖昧だけど、イリナも彼のアプローチを頑なに拒絶するわけではないですし。
他の男性からのダンスの申し込みはきっぱり断るのにドミトリーからのダンスの求めはなんだかんだで応じるんだなこの人は。
皇位継承権第7位にあるドミトリー大公の結婚には当然皇帝の許可が必要で、いずれドミトリーが相応しい結婚をするのは自明のことだから深みにはまって傷つくのが嫌ではぐらかしているのか。
結婚はしなくとも恋愛関係を持つ人々はいると思うのだけども、そこはやはり夢夢しい宝塚の世界では禁じ手だということなのかな。
伶美うららさんはそのクラシカルな美貌から主人公よりも年上の人妻役などをふられがちですが、ご本人は平成生まれの現代っ子のお嬢さんなんだろうなと思うことがこれまで舞台を見てきたなかでしばしばありました。
役どころの解釈や所作などを与えられた役のレベルまで到達させるのが大変そうだなと思うことがままありました。
若くて経験不足な素材(タカラジェンヌ)を活かすのは、歌劇団の演出家スタッフの仕事だろうにともったいなく思うこともありました。
しかし今回の作品ではそんなことをまったく思わずに見ていました。
そこは上田久美子先生の事細かな演技指導があったせいかもしれないし、スタッフから注がれた力も大きかったかもしれないし、なによりご本人も成長されたのだろうなと思いました。(タカラジェンヌの時間って一般とはちがうような気がします)
活かしてこその大輪の花。
『麗しのイレーネ』と呼ばれるに相応しい。
「美しいものを見ることには価値がある」というジナイーダの言葉にどれだけ肯いたかわかりません。
私はこの美しさを見たいがために宝塚に来たのだと納得できました。
(やはりもったいないことだなぁと思わずにいられませんでしたよ。)
(この素材を生かす力が劇団にあればなぁ。)
主演の朝夏さんもヒロインの伶美うららさんも感情を抑える役なので、その場で2人の心がクリアに見えるのではなくて、その繊細で微かな感情の積み重ねが結末の2人につながるので見落とすともったいない気がして目が離せませんでした。
でももうすこし心が見えやすくてもいいのではとは思います。
「かもしれない」が多くていろんなことに確信のないまま終幕となってしまった気がします。
ありきたりかもしれないけれど、ドミトリーがツァールスコエ・セローで皇帝一家に招かれ一緒に暮らすことになる裏には、オリガとの縁談があることを2人とも初めからわかっている設定でもよかったんではないのかな。
だからこそドミトリーは行きたくなくて、イリナの促しの言葉が必要であったと。
ここも、そうかもしれないと思いつつ、確定的なものがなかった部分でした。
オリガとの結婚を決意した瞬間、ミーチャを射殺したことがラスプーチン暗殺に走る引き金になるあたりも、ドミトリーの行動に論理性や正当性を見出せない気がするのだけど、そのあたりの心境も、コントロールできない自分に葛藤する様が見えたらいいのにな。
婚約披露パーティーでのラスプーチンの言動のくだりには無駄があった気がします。
もうすこし簡潔に痛いポイントを押さえてからのイリナ暗殺の報からのドミトリーの狼狽、そしてイリナを抱きしめるドミトリーの姿がはっきりとクローズアップされてもいいのではないかなぁ。
この期に及んでも淡々と見えてしまったのだけど。
それを見てドミトリーの気持ちに気づいてしまうオリガにもフォーカスされるとわかりやすいのになぁと思います。
そもそも暗殺されなくてはならないほどのラスプーチンの罪ってなんなんでしょう。
物凄く異様で気持ち悪くてまさに愛月ひかるさんによる怪演でしたが、その薄気味悪さで皇帝一家の妙な噂の原因になっていることが罪でしょうか。
皇后アレクサンドラが彼の言いなりになって政治的なことまで相談している様子はありましたが、彼が積極的にロシアに不幸をもたらそうとしているとまでは見えませんでしたし、どちらかというとロシアを混乱させているのはニコライ2世の政治力のなさみたいに見えましたけど。
ドミトリーの言葉に逆らってオリガが母親に密告する理由ももっとはっきり見えたらと思います。
ドミトリーがオリガを裏切ったからでしょうけど、その裏切りとは、ドミトリーが自分との約束を破り父帝ニコライ2世の帝位を奪うクーデターに加担した(ラスプーチン暗殺の実行)ことも大きいでしょうが、同時に、ドミトリーが自分よりもイリナを選らんだと知ってしまったから、というのがもっとクローズアップされたほうが面白い気がするなぁ。
そしてドミトリーには二重にオリガを裏切った罪を感じてほしいなぁ。
すんごい罪作りな男として存在してほしいなぁ。
そこにドミトリーを主役に物語を描く意味がある気がするんです(笑)。
ロマノフ凋落の一因には、封建制による富の集中を享受しながら、自由恋愛による結婚も同時に手に入れようという皇族たちの生き方にもあるのではないのかなと思います。貴賤結婚する者も増えていて。ドミトリーの父も再婚はそうだったのですよね。
若い皇族たちはマリア皇太后の世代とは違う生き方を模索していかなくてはいけない世の中になっているのだろうと。
ドミトリーが悩むべきは、新しい時代を生きていく者として正面から自由恋愛に身を投じるか、帝政ロシアをささえるために政略結婚を受け入れる道をえらぶかじゃないのかな。
でも彼はイリナを正面から愛することは一度も考えずに、オリガとの結婚をえらぶ。
ペトログラードへ赴く際にイリナに最初に姉たちをまもってほしいと言われたからなのか。
それがロシアのために最善と考えたにしても、自分1人の力でこの迷宮から皇帝一家を脱出させることができると思ったことが彼のしくじりの原因だなぁと思います。
若さゆえの過信なのか。育ちゆえなのか世間を知らなさすぎる。
朝夏さんのケレン味のない持ち味がこの作品を難しくしているようにも思いました。
星風まどかさんのオリガにはもう少し婚約した娘の華やぎがあったらいいなと思いました。
長女として、問題を抱えている家族への思いの強さや母親の価値観の影響を誰よりも受けている部分はよく表現されているなと思いました。そこから恋を知っての変化に花がほころぶような輝きが見えたらいいなぁと。
全体的に緩急がほしいなぁと思いました。
ドミトリーへのときめき、ドミトリーに恋をし心奪われ信じたからこそ暗殺計画を知っても誰にも口にしなかったのだと思うのだけど、そこからドミトリーのイリナへの思いに気づいてしまい、彼の裏切りを知り母に告げ口をする心境がわかりやすく見えたらよかったなぁと思います。
いちばん共感したのは純矢ちとせさん演じるジナイーダでした。彼女の言葉に何度それよそれ!と思ったか(笑)
皇族よりもお金持ちなユスポフ家に生まれた女性の遠慮のなさというか。それで洞察力が鋭い。
刹那主義的な唯美主義者の立ち位置からこの20世紀の帝政ロシアの貴族社会を評する言葉やイリナへの言葉が面白いなぁと思いました。
「美しいものを見ることには価値がある」という彼女の言葉はよくぞ言ってくださったという気持ちです。
そして真風涼帆さん演じるフェリックス・ユスポフ。
好きです。めっちゃ好きです。
さすがジナイーダの息子。母譲りの唯美主義者。母譲りの洞察力。
はっきりしないドミトリーとイリナのあいだに入って2人の気持ちを言語化したり良い働きをしてくれる色男。
母に比べるとフェリックスはまだ遠慮があるなぁと思いました。
彼女ほどの余裕はまだないのですよね。
そこにはまだ進行形の思いがあるからかな。
ドミトリーが生き延びることができたならば彼がいちばん望むであろうことをしてあげようと力を尽くしてくれた人。
誰よりもロマンティシストだったのだなぁ。だから2人の恋の行く末に誰よりも心痛めていたのだろうなぁ。永遠に片思いをしながら。
そんな彼とジナイーダがラスプーチン暗殺とクーデターに関わる理由がいまひとつわからないままだったのですが、国を憂えて?
それともドミトリーを信奉する思いから?
亡命してからもドミトリーを戴いてクーデターを起こし帝国を再興しようとしているし。
それが叶わぬ恋の代償かな。
愛月ひかるさん演じるラスプーチンはまさに怪演。
愛月さんはこのところキャラクター芝居が多いですが今回もまた凄かったです。
皇后アレクサンドラの裾を持って銀橋を渡る場面はゾクゾクして目が離せなかったです。あの異様さは凄すぎ。
いまの愛月さんのルキーニを見てみたいなぁとふと思いました。
ルキーニの経験があったからこその今なのかもしれません。
松風輝さん演じるニコライ2世、ああだめだこりゃなかんじがとてもよかったです。
優しいけれどこんなことを言っていていいの?というかんじ。
凜城きらさん演じる皇后アレクサンドラは周囲の批判の眼差しに追い詰められながら必死で子育てしてきた孤独な母親の感じが凄くしました。
本来は聡明な人なのでしょうね。ストイックで繊細なところはイリナと姉妹だなぁと思いました。
歩くとちょっと男役だな(笑)と思うところもままありましたが、硬質な美しさのある皇后でした。
寿つかささんのマリア皇太后も男前な女丈夫ってかんじで素敵でした。
植木鉢で慌てて煙草を消すところがなんだか好きでした。
大切なもののためにはちゃんと誠意を見せられるところ。大人ですねぇ。
いろいろ対照的な皇后との対比を見るのも面白かったです。
ほかの貴族や皇族、将校や酒場の人たちについても書きたいことはまだまだあるのですが、あまりに長くなってしまったので初見の感想はここまでとしておきます。
近くもう一度観劇するので、こんどはどんな感想を持つのか楽しみです。
(感想書けるかな)
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