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2018/04/13

苦しみもその罪も私が作ったただ一つの人生。

4月9日と10日に宝塚大劇場にて宙組公演「天は赤い河のほとり」と「シトラスの風-Sunrise-」を見てきました。

「天は赤い河のほとり」は原作を読み終わってから見ると、小柳先生はあの長い原作のテイストを変えずに脚本化しているんだなぁと感じました。
いわゆる少コミな部分を宝塚らしく言い換えているところも小柳先生グッショブと思いましたし、長い原作を昇華させるセリフも見事だなと思いました。
駆け足ではあるけれど丁寧に演じれば感動できるように作られている。
宝塚において少々の脚本の粗はいつものことだし、大事なのは役者がその感動を伝える芝居ができるかどうかなんだとあたらめて感じました。

2週間前に見た時に感じたのは、主演のカイルを演じる真風さんが真ん中の場面がどうも締まらずぼんやりとしてしまうということでした。
それでか物語の前半は登場人物の誰にも共感できないまま耳障りの悪い言葉だけが印象に残っていました。
場面がすすみ星風まどかちゃん演じるヒロインのユーリがカイルのもとを離れてエジプトに行くと霧が晴れたように面白くなるなぁと思っていました。
9日に2週間ぶりに見て、やっぱり真風さんの芝居がピンと来ないなぁ。微妙にズレたまま噛み合わずに場面がおわっちゃうなぁ。こんどの新生宙組には芝居以外の楽しみを探したほうが楽しめるかなぁ。と思いましたです。正直。
ショーのほうは2週間前にくらべて余裕も感じられて歌も安定されてたのでショーを楽しめればいいかなと。

そうしたら翌10日の11時公演はなにかがカチッとはまったような気がしてあれれ? なんだか真風さん楽しそうです。
なんだか柔らかくて大きいカイルになっている気がしました。
真風さんって独特のテンポがあると思うんですけど、そのテンポに組子が合わせられるようになったのかな?
それとも真風さんが変わった? はたまた見ている私が真風さんのテンポを掴めるようになった?
なんだかわからないけど芝居の呼吸があっている気がして見ていて楽しくなりました。
物語りの中で皆が役として自由になった気がして。
なによりまどかちゃんのユーリの自由度が増している気がしました。そうするとよりカイルの器も大きく見えます。相乗効果かな。
終盤のユーリとカイルの銀橋場面もいたく感動してしまい、あれれ?
ラストの国を思うカイルとユーリの言葉がそのまま組を思う2人の気持ちに思えたりして。
(こうなった私はちょろいですからね・・笑)
どうやら私の中のズレが解消したようで、そうするとお芝居がどんどん面白くなり、15時公演ではさらに楽しくなり次の観劇を楽しみにムラを後にすることができました。

原作を読んでみてもカイルは能動的なキャラではなく俯瞰的で理性的。
その自制心の強い人が無謀ともいえる行動に出るヒロインに心をかき乱されてその理性を保つことが危うくなる。
ヒロインの魅力を評価する役割を担い、かつヒロインがなにかを成し遂げる原動力となる存在として納得させられる絶大な魅力があることも重要。
さらにはヒロインの危機には都合よく登場。
と期待されることばかり多いこのキャラを主人公に描き魅力的に演じるのは難しいだろうなと思います。
初見からしばらくは私も見ていてどこに魅力があるのかわからなかったのだと思います。
それが、ヒロインや仲間たちへの大きな愛みたいなものが見えだしたところから俄然素敵に思えるようになった気がします。
真風さんのカイルは原作よりは大人でより人間が大きい印象です。

そんな彼が唯一自制心を忘れて感情的に暴走するラムセスとの素手での闘いの場面は原作の見せ場ですが、舞台でも押さえておいてもらいたいところだなと。
脚本を短くまとめるためにエピソードをたくさん削りながらもどうやってこのシーンにもっていくか、小柳先生はその難題をやってのけたのだなと思います。多少むりやりっこっですが。
銀橋でガチに闘うカイルとラムセスを見るたびにニヤニヤがとまらない私でした。

受け身が多いカイルに対してラムセスは自分からどんどん動いてくれてどこに現れても理由がつく作者にとっては有難いキャラだと思います。
ほっといても勝手に語りだして、むしろ筆が走りすぎるほうに注意しないといけないなと。
小柳先生も筆がすすんだんじゃないかなーと思われる形跡が。
それを寸止めしてこのラムセスにきっちり仕事をさせた小柳先生またまたグッショブだと思います。
組替えしたばかりで2番手としてこの役がきたキキちゃん(芹香斗亜さん)は本当にラッキーだと思います。
キキちゃんの個性にもよく合っていて。呼び寄せたなキキちゃんって思います。
ノリのよいナンバーも来て、流れにのっていけば見せ場として観客を楽しませることができる場面ももらえて。
この美味しい役をやりこなせたのは花組時代に経験した語り部や辛抱役や敵役の下地があってこそなんじゃないかなと思います。

ネフェルティティの胸像の片目のエピソードは舞台を見ておお~っと思ったところで、それが原作どおりなのかを知りたくて私は原作の文庫版を手に取りました。
まさに原作どおりに再現されていて、ウンウン小柳先生もここはおさえておきたかったよねと勝手に親しみを覚えたりして(笑)。
そこにもっていくにはやはり黒太子マッティワザがユーリに黒玻璃のイヤリングを渡す場面は外せないから。
ウンウンだからこうしたよねと、今回頷きながら舞台を見ました。
2週間前よりもまどかユーリと愛月マッティワザの殺陣が上手く絡めているようでした。
本当に数秒の場面だけど、さらに呼吸を合わせてマッティワザがユーリのことを黒玻璃を渡すべき相手と見極めた瞬間が感じられる場面に昇華してもらえたらいいなと思いました。

愛ちゃんは原作ファンというだけあって黒太子のビジュアルが一分の隙もなく完璧でどの瞬間もどの角度も見せるなぁと思いました。
目線のタメ具合などため息ものでした。
このビジュアルに価値があると心の底から思いました。

繰り返し見ても見てもやっぱり私は澄輝ネフェルティティが好きです。
自分のために人も国も利用してきた女性の人生がそうして生きるしかなかった孤独と悲哀があの短い場面の佇まいとセリフから見えました。
そういえば翼ある人びとのヨハネスにも私は泣かされたなぁ。博多座のケペルでも。
澄輝さんの芝居は私の弱いところを不意に突いてくるようです。
激しく感情を揺さぶってくるわけではないのに言葉の裏側にある気持ちが沁み込んでくるセリフが言える人だなと。
そのスマートな芝居がとても宙組的で私の好みです。
このネフェルティティを見て、私は原作を読もうと思いました。
ユーリやカイルたちのように正道を突き進む生き方ができる人ばかりじゃない。
「やはり私はこのようにしか生きられなかったであろうよ」というネフェルティティの言葉に心の奥の深い森がざわつきそこに囚われるような心持ちになります。私はこの人が好きだと思います。
「綺麗事でやってみようと思います」というユーリも好きですけども。

国の最高権力者となりながら果てしなく孤独なネフェルティティとナキア。
その2人を見てきたユーリがどこまでやれるのか。
たとえ民から慕われる皇妃となったとしても孤独から逃れることはできないだろうな。
その時ユーリはこの2人の皇妃のことをどんなふうに思い起こすことだろう。
そんなことを思ったりもします。

純矢さんのナキア皇太后も芝居を締めていました。
原作ではどこまでも救いのない女性だなぁと思いました。
舞台では頼りたい人がいつもそばにいるのにそれが叶わない触れることすらできないことが如実に見えたのがせつなかったです。
彼女の目に愛する男性に熱愛されるユーリがどう映るのだろうと思うと胸がチクリとします。

星条さんのウルヒはいつも後ろに控えてナキアをみつめているウルヒでした。せつなく悲しい瞳をして。
ナキアとウルヒの関係は原作よりもせつなさが見える描かれ方をしている気がします。
お祭りの場面でゾラとシュバスになにかを囁く時の手がなんとも艶めかしくて好きでした。

そのほかに好きだったのはららちゃん(遥羽さん)のネフェルト。
お母さまの美風さんといつもいっしょでいつも自由でした(笑)。
不幸な女性が幾人も登場する中で、ラムセスの家の女性たちは楽しそうで見ている私も楽しかったです。
この家族の中で育ったからラムセスはあんなふうになったのだろうなと納得できます(笑)。
組替えしてきたばかりのキキちゃんも楽しいだろうなと思います。
(そんなところもキキちゃん持ってる気がします。。笑)

狂言回しの役目のキックリを演じた凛城さんも相変わらずセリフが聞きやすくて間もお上手だなぁと思いました。
信頼できる役者さんだなと思います。

今回は役名はたくさんあるのだけど、とにかく駆け足だからメインキャスト以外のセリフがすくないのですよね。
役名はあるのにセリフがない人がどれだけいたか。
セリフがない中でも舞台の上で皇子として妃として、民として兵士として、誰かへの思いを演じている人たちを見るのも私は好きでした。
原作を読んでからはよけいに。
私の観劇は楽を含めてあと2公演だけとなりましたがその時をいまから楽しみにしています。
やはり私は宙組の芝居を見るのが好きだなぁと思います。

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