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2018/09/09

誰にも束縛されず自由に生きるの。

9月6日と7日に宝塚大劇場にて月組公演「エリザベート」を見てきました。
ちょうど役替わりの境目で、両方のルドルフを1回ずつ見ることができました。

期待以上に面白かったです。
とてもわかりやすく具体性が見えるエリザベートでした。
舞台センスの良い人たちが芝居で見せるエリザベートだなと思いました。

結婚式翌朝のシシィの「私だけに」に心の中で100万回肯きました。
この場面でこんなに納得できるなんて。

ゾフィーが強烈でなくても、フランツがシシィの心情に鈍感でも(むしろ今回のフランツはよく理解しているように見えました)、シシィには「あたりまえ」のことがもう窮屈で耐えられないのだと感じました。

世間からしたらどうしようもないワガママ女でしょう。
常識をわきまえ国母の責任を背負って生きてきたしゅうとめゾフィーの手にはとても負えない女性だと思いました。
まして彼女を心から愛しているフランツにはなおさら。
トートですら最後まで手を焼いてしまう。
そんな愛希れいかさん(ちゃぴちゃん)の自我の強いシシィが清々しくて、とっても好ましかったです。

「私だけに」の歌詞も内面の比喩ではなくて、ほんとうにそのまんまなのだと思いました。
ことの善悪なんかではない。正義感やモラルでは動かない。責任感も彼女を動かしはしない。
何ものにも束縛を受けずに「自由」に生きて行く ―― そう意志を固めた清々しさが全身から発せられる「私だけに」に私は心酔し、ただただ惹きつけられて見てしまいました。

シシィがこれだけ強いので、ほかの役が過剰にニュアンス付けをしなくても筋が通ってしまう。
もともとの楽曲、もともとのストーリーにかなり寄っているから頭の中を疑問符でいっぱいにすることがなく、ノンストレスで見られるエリザベートでした。

またほかの人びとも緩急のある芝居やセリフ回しで、カギとなる言葉、仕草、などがはっきりと印象づいてとてもわかりやすかったです。
とにもかくにも全部出し切る、というのではなく、引くところは引いている印象。
熱いパワーで圧倒されるという作風とは違う、とてもセンスの良いもの見ることができたと思いました。

珠城りょうさんのトートは、シシィのイマジナリーフレンドの側面の印象もあるトートでした。
シシィとの駆け引きが絶妙なのです。

一方的に求めて、一方的に何かしているわけではない感じです。
シシィがそうさせている、という印象が強くありました。

シシィの態度を受けて彼はこうしているのだと気づくことができた箇所が幾つもありました。
シシィの寝室から追い出されたトートだから次の場面がミルクなのだとか。
そのときの瞬間的な目線の利かせ方から、彼トートがその場を陰で操っているのだと印象づけていました。
1つ1つの表情の意味がなるほどの連続。

ああ、だからか。と腑に落ちることがいっぱい。
シシィがあんな態度だから、トートが意趣返しを企む。
トートによって皆が操られ時代が操られ、そのすべてがシシィを追い詰めていく。
シシィは図らずも、トートとの駆け引きを繰り返しながら自分の『命』を生きているのだと思いました。

そして尊大でふてぶてしい珠城トートの態度はどこか愛希シシィに似ています。
姿かたちではなく、魂が似ているトートとシシィでした。

何もかも統べているいる帝王というよりは、人間であれば未熟というか、共感しない、同情しない、『加減』がわからず人の許容範囲を試しているところもあるような(時にやりすぎてしまうような)。
人ではないから ―― といえばそうなんだけど。そんなところもシシィに似ているのではないかなと思いました。

ルックス的には大変肌艶の良いトートでした。
張りのあるトート。光を弾くトート。
男性的でありながら女性的なものも感じさせる不思議なトートでした。
そういえばドクトルゼーブルガーが無駄に老人感が凄かった(笑)
影が薄いかと思えばふっとそこに強い存在感を放っていたり。
不思議な存在感のトートでした。


愛希れいかさんのシシィは、自我の強いシシィでした。
子ども時代から最後まで「自由」がキーワードの芝居で貫かれていたように感じました。
自由を求める意思の強さが凄まじかったです。
ゾフィーの価値観とは全く相容れないのがよくわかります。

ゾフィーに圧倒され、虐められたから自殺しようとしたんじゃない。
宮廷のしきたりの窮屈さに我慢がならなかったところにトートが仕掛けたナイフを見つけ思わず手に取ってしまった。
危うくトートの思惑にはまりそうになるけれども、彼女の生きる強さ、強い自我がそれをはねのけ、「私の人生は私のもの」と自覚して、生きて勝利する道を歩み出そうとする輝きを放つ「私だけに」が新鮮で胸がすくような心地がしました。

ゾフィー(古きしきたり)に勝利し、夫との駆け引きに勝利し、ハンガリー関係では政治的にも勝利し、有頂天のドヤ顔で歌う「私が踊る時」。
愛希シシィの最高潮はここだなぁと思いました。

そしてこの得意の絶頂にあるシシィを転落させるためにトートが、ルドルフを手懐け、マデレーネを差し向け、それまで以上に彼女を追い詰めるために本気になっていくのもよくわかりました。

かつて自分を勝利へと導いた美貌への執着。他者への共感の欠如。歪に肥大化した自己愛。
トートが画策する以上に、彼女のパーソナリティそのものが彼女を追いつめているようにも見えました。
病院での心を病んだウィンディッシュ嬢への強い関心 ―― 「あなたの方が自由」と。
彼女を束縛しているのは、彼女自身。彼女の自我そのものではないのかと思いました。


もしかしてシシィも覚えていないずっと以前に、トートは別の顔と名前で彼女の傍らにいていつも楽しく対話していたのではないだろうかと思ったりもしました。それが何かをきっかけに、トートという仮面を被ってしまったのでは。

もしかしてそれは、自分は父親側の人間であると信じていた娘が、ある日お前はこちら側の者ではないと突きつけられた時。
もう一方の、母親や姉たちの側の者だと通告され、世界から突き放されてアイデンティティの喪失感に陥った時かもしれないなと思ったりしました。
こども時代のシシィを見ていると、父親をリスペクトしている多くの娘たちが味わってきた喪失感を、シシィもまた味わったことがあるのではないかと思えるのです。

こども時代のシシィの傍らにいたのは、自由という名の彼だったのかもしれない。
なんて思ったりします。

人はいつのタイミングで「自由」を失ってしまうのだろう。
彼女がゾフィーから言われていることは、ふた昔まえの女性たちが言われていたこととおなじだなぁと思います。
「女性の務めは自分を殺して、すべて家族に捧げること」。
まぁちょっと穿ちすぎかな。
そんなことやいろんなことに思いを致す面白いエリザベートだったなぁと思います。

私はどちらかというと、娘役が演じるシシィに満足しきれないところがあるのですが、いまこのタイミングのちゃぴちゃんだからこそ見せてくれるものがある気がします。
それがとっても好きです。


一度目はルキーニの刃を払いのけたシシィが、自分の名前を呼ぶトートの声を聞いたあの瞬間、まるでみずからそうしたように、二度目のルキーニの刃にたやすく心臓を貫かれていました。
もしかしてトートの声に、懐かしい響きを感じたのかしらと思えたのです。
自由と言う名の神の。
彼を受け入れた時、やっとシシィは生まれた時のままの自由な彼女に戻れたのではと思えました。

長い旅路の果てに掴んだものは、魂の自由。
彼女を縛っていた彼女自身から解放されたように思えたシシィでした。

役者が変わるごとに異なることを感じさせられて、夢想の世界に連れ出してくれるのがこの「エリザベート」の面白さかなぁと、凄く感じた今回のトートとシシィでした。


トートとシシィ以外のキャストの感想としては。

美弥るりかさんのフランツは、とても女性に優しい印象をうけました。
シシィをエスコートする時、背中に手を回す時、真面目なのはわかるのだけど、女殺しの才能も同時にありそう(笑)。

母ゾフィーの件でシシィに助けを求められた時に、この人は鈍感でシシィの心がわからないのではなく、シシィの気持ちはわかっているけれども、そうするしかないことをシシィにも受け止めてほしいと願いながら母に従うように言っているのだなぁと思いました。
だからシシィに「私を見捨てるのね」「あなたは敵だわ」と言われるたびに、シシィにわかってもらえないことに傷ついているのがわかるフランツでした。

シシィの部屋の前で疲れ切った様子で歌う声が妙に色っぽくて////。
フィナーレ銀橋の歌唱指導の時の歌声もやけに艶っぽくて。色っぽいフランツだなぁと思いました。


月城かなとさんのルキーニは、トートへのリスペクトを凄く感じるルキーニでした。
そんなに熱量で押していくタイプではなく、緩急があってとてもわかりやすかったです。
いまでもじゅうぶん良いのですが、伸びしろも凄くあるというかまだまだ余裕があるというか。
もしかしたら、東京楽までにいちばん変わっている可能性大かも。
声で芝居ができるのが、月城さんの強みだなぁと思いました。
それと、汚れ役でもどこか品があるのが良いなぁと思います。


役替わりのルドルフは、正反対の印象を受けました。
母親似で理想を夢見る暁千星さんのルドルフと、父親似で帝国の現実を憂う風間柚乃さんのルドルフというかんじで。

ありちゃん(暁さん)は憂いを帯びてもどこか明るい色が見える気がしました。
そしてやっぱりダンスを見ていると心躍ってしまうし、王子様だなぁと思えるルックスに心惹かれました。

風間さんは凄い悲壮感と暗雲を連れてくる感じでした。
視線の先に見えているものに現実味があるように見えるというか。なんかとっても暗いものを見ているわ、と思いました。

夢夢しさの暁ルドルフと、リアリティの風間ルドルフ。
好対照でどちらも好きでした。
月組の若手は楽しみだなぁと思いました。
(黒天使も美形揃いだったし!)


暁さんの役替わりのエルマーは、思いつめた目が印象的でした。
ありちゃん、こんな憂いの表情もできるんだなぁと。
そして相変わらずの視線泥棒でした。華はどうやっても隠せない(笑)。

風間さんのシュテファンは本当にハンガリー独立の青写真を日々描ていますよね。(という印象)
年齢を重ねてからはお髭がとっても似合っていて、とってもダンディでした。
渋くて素敵な男役さんになりそうで期待です。


憧花ゆりのさんのゾフィーはとってもおしゅうとめさん感がありました。
枠からはみ出さない正しい皇太后さま。
今回の愛希シシィに対しては、ゾフィーがあえて強烈なおしゅうとめさんにならなくてもストーリーが通じるのだなと思いました。
フランツが「母の意見は君のためになるはずだ」とシシィに言い聞かせるのを聞きながら退場する時の表情に、嫁に対するリアリティが感じられて好きでした。
まさか、あれほど手に負えない嫁だとは思わなかっただろうなぁ。
彼女も、シシィによって不幸をもたらされてしまった人だよなぁと思います。


それから凄く好きで、凄く納得だったのが、輝月ゆうまさん演じるマックス公爵でした。
凄く洒落者でトランクの鏡で身繕いしたりお髭や帽子の羽根のチェックをしたり。
伊達男感満載で、自分のことがいちばんな感じがシシィにそっくりだなぁと思いました。
この父親に憧れたからこそのシシィだったなぁと納得でした。
結婚式後の舞踏会での歌もとても声が通っていて良いなぁと思いました。


海乃美月さんのウィンディッシュ嬢もとても印象的な役づくりでした。
視線が合わないところとか、表情などに、心を病んでいる感を凄く出されていたなぁと。
かと思えばとてもピュアなところも見せたり。短い時間の中でいろんな顔を見せていました。
ちゃぴちゃんのシシィと似ているところもあり、ああだから自分をエリザベート皇后だと思いこんでしまったきっかけがあったのかなぁと思ったりしました。
シシィの涙に指を這わせるところは思わずうるっときました。


奇をてらう芝居をする人がいない。自然な芝居で人を惹きつけるのがいまの月組の芝居なのかな。
このセンスが好きだなぁと思った、今回の月組の「エリザベート」でした。

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