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2018年10月の4件の記事

2018/10/29

好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ。

10月29日に北九州芸術劇場にて「贋作 桜の森の満開の下」を見てきました。

出来の良い学生演劇を見たかんじ。
東京以外でこのような作品を上演し大ホールが満席になっていること。
妻夫木聡さん、深津絵里さん、天海祐希さん、古田新太さんといった豪華な俳優をキャスティングできること。
というような妙なところに感心してしまいました(^^;

見終わった感想は、明治以来この国で重宝されてきたインテリ文系男子の無責任さというものを妻夫木さんの耳男に久々に見た気がするなぁと。
夜長姫の修羅にあくがれ持ち上げるくせに、自分はさいごまでそれにつきあう覚悟がない。
それは本来彼自身が引き受けなくてはいけない修羅のはずなのに、逃げて。
自分の手には負えないものを他者に背負わせて自分は安全なところにいようとする。
そしていよいよ自分に降りかかってきたら、「ちゃちな人間世界がもたない」とかなんとかいう理由で彼女を刺し殺める。
「さよならの挨拶」もなしに。
(そのちゃちな人間世界を憎んでさえいたんじゃないのかな彼は)
ほんと身勝手だよなぁと。
(なにより昔はこういう主人公にめちゃくちゃ共感していたのになんでかふーんって感じてしまっている自分の変わりようにへーって感じといいますか・・)

耳男より古田新太さんが演じたマナコのほうが私は好きでした。
狡くても本質を見抜いて自分がやるべきと思うことをやっているから。
(でも同じ古田さんがやった役なら五右衛門のほうが何倍も好き)

天海祐希さんのオオアマはあれだけのために?と正直思いました。
さすがのオーラだなぁと思いましたけども。

夜長姫役の深津絵里さんがとても熱演で、彼女の存在感がこの作品を成り立たせているなぁと思いました。
が、あのキャラクター。話し方、身振りが私は苦手でした。
作演出の野田秀樹さんはこんなタイプがお好きなのなぁと冷めた目で見てしまいました(スミマセン)。

自意識過剰気味な作風、言葉遊びや海外文学ネタの挿入や90年代っぽい内輪ウケみたいなネタも私は苦手でした。
好きな人はそこが好きなのだと思うので、私の趣味嗜好と合わないってことだと思います。
つくづく私は、宝塚やいのうえ歌舞伎など、わかりやすい演劇が好きな人間なんだな(^^;と思い知った次第でした。

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2018/10/16

罪の中で生まれた私の産声。

10月8日と9日に宝塚大劇場にて宙組公演「白鷺の城」と「異人たちのルネサンス」を見てきました。

「異人たちのルネサンス」は悲しいお話だけどどこか優しさを感じるのが私は気に入っています。
あれは主役のレオナルドを演じる真風さんの持つ優しさなのかな。
どうしても受け付けない箇所というのがないので、役者の芝居を通して物語に入っていけます。
もっと上手く描く手法もあるかもしれないけれど、私にはなによりも描かんとしているものが胸に響くかどうかが大切な気がします。
(宝塚らしいパフォーマンスがもっと挿入されていたらなぁとは思いますが)

初見では、登場人物たちのそれぞれの心の闇を想像しながらストーリーを追うのが面白かったです。
演者の内面の在り方で物語が広がる作品だなぁと思いました。
カテリーナが「ゆるしを請う」子になった具体的なエピソードがなかったので、そこがいちばん妄想ポイントでした。
グイドが意図的にそう育てたってことだよねと見終わってからもぐるぐると考えました。

2回目の観劇では、登場人物たちの心がぐっと近く見えた気がして、初見にはなかった感動を覚えました。
天才の青春を見た感じ。
田渕先生の作品に共通しているのは心傷つきうずくまっている人が人との関わりを経て彼(女)なりに立ち上がり前に進もうとする姿が描かれていることだけど、あらためて私はそこに惹かれるのだなぁと思いました。

葛藤の中でレオナルド(真風涼帆さん)が自分が絵を描くことの意味を見つめ、かつての自分に重なる者に心を寄せ、他者に心を縛られ身動きできなくなっている想い人を解放したいともがく、その彼の心の動き、在り様に惹かれました。

登場人物たちの心の有り様や過去は、セリフよりもアリアの歌詞に込められていることが多く、初見では気づかなかったことに、2回目以降の観劇でその歌詞が頭に入ってくることで気づいたように思います。
その点では1回しか見ない人にはやさしくないかもと思います。

庶子の生まれで兄弟とは分け隔てをうけて育ち、またその才ゆえに家族からも気味悪がられたレオナルド。
そんな傷ついた少年レオナルドが前を向いて歩けるようになったのは、芸術や研究への没頭、そしてヴェロッキオ夫妻の愛情と工房の仲間の存在のおかげなんだろうなと。
それがわかるヴェロッキオ(松風輝さん)の場面が好きでした。
「その才能を邪魔する優しさなどもう棄ててしまえ」という優しさ。
このあたりが凄く田渕先生の作品らしいなと思いました。

いつも工房に集う皆の心とお腹を満たすことを気にかけている優しい奥さん(花音舞さん)も。
寂しい子どもにとって「食べていくかい?」と優しく声をかけてもらうほどうれしいことはないのじゃないかな。
立派な大人になったレオナルドにも同じように「食べていくかい?」と。
なにを考えているのかはわからなくても、なにか重いものをレオナルドが心に抱えていることがきっと彼女にはわかるのだなぁ。

そんな夫妻に彼の優しさも育まれていったのではないかな。
だからこそ彼はサライ(天彩峰里さん)のことを見捨てられないのだろうな。
そして立派に成人し芸術家として才能を発揮しているいまでも、彼の心の中にはかつての傷ついた少年が住んでいるのだろうなと思います。
だから彼はあの後もきっといつかサライをゆるすのだろうと思います。

彼がカテリーナの瞳の中になにを見たのか。3回の観劇では曖昧だったので、次回の観劇ではそこをしっかりと感じたいなと思いました。
彼が求める『少女』とはなんなのか。
わたし的にはいまの彼女をそのまま受け止めてあげてほしいと思ったのだけど、そういうこととはまたちがうことなのかな。
芸術家の目は、本質を見抜くということなのかな。

それにしても芸術家の要求は高度で多大だなぁと銀橋での独唱を聴いていて思いました(笑)。
だからこそ尋常ではない深い飢えと苦悩を抱えてしまうのかな。

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2018/10/15

醒むることなく微睡みつづけていたい。

10月8日と9日に宝塚大劇場にて宙組公演「白鷺の城」と「異人たちのルネサンス」を見てきました。

「白鷺の城」は大野拓史先生作で、宙組誕生以来初の日本物のショーでした。

初見の感想は、すごく大野先生!でした。
そこはかとなく中世の匂いが漂う感じ。
転生、そして白拍子に狐さんたち。耳!!!(強調)
幽玄だけどときどき可愛いモノたちが微笑みを誘うかんじ。

ストーリー仕立てなので舞踊をがっつりというわけではありませんでしたが、とにかく目にうれしい作品でした。
ことに唐の国の吉備真備の真風さんのビジュアル♡
くるくるパニエ♡
お人形にしていつまでも眺めていたい。上から下まで完璧に最高。うっとり。(日本語崩壊)

吉備真備にはじまり、いにしえから狐にまつわる伝説のある者たちが真風涼帆さんのビジュアルで生まれ変わるストーリー。
星風まどかちゃん演じる妖狐(妲己そして玉藻前)に出逢うために。
なかには栗林義長さんのように一度もまみえないままに、戦に果ててしまうせつない人も(涙)。
(だってその前の安倍泰成さんが殺生石に封印してしまったから、玉藻ちゃん出てこれない・・・)

だからか、その後の幸徳井友景さんは、なにがなんでも玉藻前に逢う気なんだな・・・。
前世の想いを受け継いでいくこと。夢に呼ばれるままにつきすすまんとするその衝動は、合理的に現実を生きている現代の私には理解しがたくもあるけれども、だからこそ夢物語として輝くのだなぁという不思議な説得力がありました。
理屈ではなくそうせずにはいられないものが真風さんの友景の中に見えました。

考えたら、玉藻前はなにも悪いことはしていない気がします。
何千年ものあいだ封じられていた結界を解いてくれた人を慕って日本までついてきただけ。

でも慕った相手は人間で、寿命の長さが妖狐の彼女たちとはちがうから、その人がいなくなってしまっても彼女は彼女で生きつづけなくてはいけなくて。
そしてたぶん眷属を養わなくてはいけない妖狐の長として権力者に近づいて寵愛されていたのかと。
ただ野干(けもの)の本性を制御することができなくて訝しがられてたり、彼女が放つ瘴気で側にいる人が体調を崩すとか、人間からしたら禍々しいことが起きて忌み嫌われてしまうのかなと。
(玉藻前にうつつを抜かして政をおろそかにしたり私情を入れたとしたらそれは上皇さまの勝手だし)

そんな折に間の悪いことに、かつて慕った人が転生したその相手に正体を見破られてしまって。
『見忘れるものかや』という言葉を憎々し気に言ってしまうのもきっと野干だから。
野干(けもの)である彼女は、自分の執着が愛だと気づいていなかったのか。もしくは愛し方がちがったのか。
慕う相手に牙を剥いてしまう。
そこが野干(けもの)の悲しい性。

そのことを、なんどかの転生の末に、友景は悟ったのではないかなと思いました。
手負いの獣がどうしたら心を開くか・・・。
今生こそは、玉藻に手傷を負わされても放すものかと・・・。
その友景の固い決意に彼の優しさを感じて、それが私にはいちばんキュンポイントでした。


さいしょ不思議だったのは、上総介広常や三浦介義純が玉藻前を弓矢で射ようとしたら、そんなものは効きもうさんとかなんとか言って泰成は止めるんだけど、無三四の刀で斬られたら玉藻は息絶えるんですよね。
そもそも私が知っている殺生石のお話では上総介と三浦介の矢刀で玉藻は絶命するのだけども。
つまり妖狐といえど弓矢で急所を突かれたら絶命してしまうのではと。

もしかして、泰成は彼らをたばかって玉藻をかばったのかな? つまりはそれはもしかしてグランデアモーレ?
あ、なんだ~。ようするにめっちゃラブラブですやん。

そもそも唐に留学中の吉備真備が妲己を憐れに思って、何千年ものあいだ封印されていた結界を解いちゃったのがはじまりですもんね。
それで日本に連れてきちゃったんですもんね。
愛の前には理屈はいらない。愛こそがジャスティス!ってお話なのですものね。

・・・みたいな能天気な気持ちで見ていたせいか2回目以降の観劇はとってもハッピーな気持ちで愉しんでしまいました(笑)。
ラストのみえこ先生(松本悠里さん)のあのニコニコ笑顔。あのお顏が私の心を象徴しているような気がします。

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2018/10/02

ひとの善意を信じすぎたこと。

9月15日と18日、そして24日に博多座にてミュージカル『マリー・アントワネット』を見てきました。

この作品はいつもとは異なり博多座で初日を迎えたのちに帝国劇場、そしてほかの劇場で上演されるとのこと。
2006年の初演を見た方によるとほぼ新作と言えるくらい登場人物から設定などなど変わっているそうです。
私の印象としては、お話がわかりやすい反面、物語の構造が単純でクンツェ&リーヴァイっぽさが薄いかな?と思ったのですが、新演出版としてあえてなのでしょうか。

15日は、マリー・アントワネット役の笹本玲奈さん、マルグリット・アルノー役の昆夏美さん、フェルセン伯爵役の古川雄大さん、ルイ16世役の原田優一さんの初日でした。
初見では、歌詞が半分も聞き取れなかったのが残念でしたが、ストーリー自体は複雑ではないのでセリフと芝居と歌詞半分で、内容は理解できました。
なによりも笹本玲奈さんのマリーが美しくて魅力的だったことが印象的でした。

とりわけ、印象的だったのがプチトリアノンのシーン。
のどかな田園風景を背景に草上に座る白い清楚なドレスとリボンがついた麦わら帽子姿の笹本マリーの輝くような美しさは、このまま絵画にしていつまでも見ていたい気持ちにさせられました。
ふわふわとした夢のような世界に身を置き、現実を知らず、他人の悪意を知らずに生きている世間知らずの王妃様。
フェルセン伯爵の諫め言の意味もわからなくて・・・。

もう一つ忘れられないシーンが、王女マリー・テレーズと王太子ルイ・シャルルを両脇に長椅子に腰掛けて父フランツ1世の子守唄を歌う場面。
背後からルイ16世が王女と王太子にウサギと帆船のおもちゃ(たぶん自作)を渡して喜ばせて。なんて幸福な家族の絵だろうと。
ルイ16世は王様なのに、いつも王妃のために長椅子を抱えて持ってきてくれるのだけど、それが自然すぎて(笑)。
2人が王と王妃でなければ・・・と思ったシーンでした。

革命の理想は一切描かれず、反国王派は権力への野望を原動力として王妃の醜聞を撒き散らして、生活苦に不満を持つ民衆を煽っていく者たちとして描かれていました。
そこに現実に不条理を感じて王妃を憎んでいるマルグリットが加担して物語がすすみました。

物語の中でマリーが犯した過ちは、国民の生活に関心を向けなかった無知とそれによる浪費と、母マリア・テレジアが嫌っていたロアン大司教を自らも嫌い彼女のプライドを傷つけた彼の誤解が許せず国王の処分に口を出したこと・・・くらいでしょうか。

2幕はマリーと国王一家が人びとの悪意の前に為す術もないさまを、マルグリットとともに見続けて・・・。
さいごは私が物語を咀嚼する間もなく、出演者全員が登場して「どうすれば変えられる」「その答えを出せるのは我ら」と歌い出したものだから、なんだか釈然としないまま終わってしまった感がありました。

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