なにかを探し迷い路をゆく。
11月4日と5日に宝塚大劇場にて、宙組公演「白鷺の城」と「異人たちのルネサンス」を見てきました。
5日は大劇場公演の千秋楽でした。
両作品とも、いつも見ている宝塚作品を思い描いていると初見で戸惑ってしまうところもあったのですが、4週間ぶりに見るとそんなことはまったくなくて、どっぷりと世界観に浸って見ていました。
「白鷺の城」は神泉苑のチョンパからなんだか涙涙で自分でも可笑しいくらい感動していました。
私はどうやら玉藻前(星風まどかさん)の心を勝手に想像してうるうるしてしまうようです。
吉備真備(真風涼帆さん)に恋をして遥々大陸から日本まで渡ってきたのに、気がついたら恋しい人はこの世にいなくて。
人で非ざるものが人に恋をして、けれども人とは生きる時間がちがっていて・・。そのせつなさ(涙)。
義長の最期を語る八重の姿にかつての自分を重ねて歌うところなどはたまらなくて。
葛の葉の場面もその心境を表す舞踊が涙を誘いました。
初っ端のチョンパの華やかさ、そして真風さんの安倍泰成の見目麗しさに心が大きく振り切ってしまい、さらにありえない美丈夫の吉備真備に魂が飛び出そうになってその居所が定まらなくなってしまっているせいか、その後はちょっと心を押されるだけで感情が高潮のように溢れてしまったのかもしれません
異種婚姻譚、転生譚というだけでも私は弱いのですが、こんなにも美しい人たち、美しい背景、せつない音楽でやられちゃあもう涙を垂れ流すほかにすべがありませんでした。
そして真風友景さんの包み込むような優しさ。たとえ恋しい相手であっても牙を剥いて見せる妖狐と知っていても心を開かせようと正面からみつめる瞳。
「あなたを手放さぬ」と言う強い意思に見ている私はドキリとさせられて。
そして玉藻がもうすこしで懐に入ってきそうなところで・・・。まるで1人異世界から来たようなほんと場違いな無三四めに~
友景と玉藻は悲劇で終わったけれど、百年以上の時を経て平和な時代の市井の男女に生まれ変わって祭りの夜に出逢うとか(泣)。
ともに人で、年の頃もほどよくて、それだけで(涙)。この世の出会いは奇跡に満ちているのだなと。
戦でも謀でもなく、祭りに情熱を傾けられる至福。
そんな2人の手を、かつて泣く泣く息子を突き放さざるを得なかった母だった人と同じ面影の人がニッコニコで繋がせるとか。
胸がいっぱいで笑い泣きでした。
そして「異人たちのルネサンス」。届かない向こう側。
私がこの作品を好きなのは迷いの中にいて辿り着けていない人に共感するからかもしれないなと思いました。
自分のメインテーマがわからず彷徨いつづける天才。
完璧主義なのかな。愚直なまでに求道者で。
真理を追い求め作品に完成のピリオドをまだ打てないでいるようで。
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登場人物たちは揃いも揃って「愛を知らない子どもたち」。
才はあるけれど寂しいまま大人になってしまった人たち。
異人とはすなわち凡庸な大人にはどうしてやりようもない業を抱えた才のある者たちのことではないかと思いました。
そんな男たちに取り囲まれたヒロインはメンタルに問題を抱えている。
(おそらくモラハラやそれ以上の虐待を受け続け学習性無力感に陥っている様子)
レオナルド(真風涼帆さん)は、彼自身が語るところによると父親は公証人というそれ相応の教養が必要な職業に就く人物であったけれども、彼は「望まれずに生まれた子」(すなわち庶出の子?)で母の顔も知らず、父親のもとで疎ましがられながら育ったらしい。
学校へ行くこともゆるされず(嫡出の兄弟は通っていたはず)、たぶん下男働きを求められていたのだろうけれども、才能ある彼の頭の中はいろんなことでいっぱいになっていてそれをアウトプットして書き散らしては気味悪がられてもいた様子。
いま自分が置かれている状況から解き放たれて自由になりたい子ども。
才があるだけに妙に自信があって独善的で、人様の財産である小鳥を勝手に逃がしてしまう。
「かわいそうだろ」という理由で。
解き放たれた小鳥は、自分で餌を採れたのか。自分の力で雨風をしのぎ体温を保てたのか。天敵から身を守れたのか。
そんなことには思い及ばず、鳥籠から放たれ自由になれば幸せだと考える子ども。
カテリーナ(星風まどかさん)に対してもそれは同じで、子どもの頃の価値観のまま、彼女にいま置かれている状況から飛び立てと迫る。
そうせざるを得なかったカテリーナの人生に思いを寄せることなく。
頼れる家族も財産もない娘に、いまの居場所から飛び立ち自由に羽ばたけと求めるのは、命を捨てるリスクを冒せと言っているに等しい。それを言う権利が自分にあるのか。なんの責任をとれるというのか。
独善的で自分の価値観に沿わないからと彼女の生き方を否定しているだけ。
才ある人にありがちなモラルハラスメントなんだけどなぁ。
それに気づいていないレオナルド。
「あの日の少女」とか聖女とか自分の勝手な理想を、現実に生きている女性に押し付けるのはやめて。
彼女を愛しているなら、いまの彼女の悲しみや苦しみを受け止めてあげて。
その心を縛るものから解き放たれることができるように・・・と思わずにいられませんでした。
「あかねさす」の天比古もそうだけど、芸術家というのはえてして自分の価値観を押しつけて関わる人を不幸にするよねぇと思えてなりませんでした。
そんなふうに見えてしかたがなかったので、どうしても見終わってもカタルシスに辿り着けないなぁと思っていました。
ヒロインが死ぬ以外では終われない物語なのだろうかとも思わずにいられなくて。
(あれだけ人死にがあってハッピーエンディングではたしかに後味が悪いか)
前楽まではそんなもやもやをかき消すことができませんでした。
千秋楽のお芝居で、レオナルドはカテリーナを失った深い悲しみを経て、それまでの自分の固定観念から解き放たれたのだと感じることができました。
やっと彼が生涯をかけて探求するテーマをみつけることができたのではないかと。
そんなふうに見えてようやく私はカタルシスにたどり着けました。
その状態で見たデュエットダンスの幸せそうな2人に泣けて仕方なかったです。
ロレンツォ、グイド、ジュリアーノと深い業を抱えそれゆえに行動する登場人物は面白いのでもっと見せる演出がほしいなぁと思いました。
それと、カテリーナのさいごのセリフが陳腐かなぁと思います。
あの場面のセリフで作品が決まりそうなのに惜しいなぁと。
アトリエの場面でも、なにか核心に触れかけたカテリーナに「もう何も言うな。君の願いは俺が知ってる」だもんなー。
ヒロインにその先を言わせないと物語が独りよがりになってしまう気がするなぁ。
まどかちゃんはもともと「幸せ顔」の人なのでカテリーナという役が柄ではない気がして、それでか、不幸な女性を演ずるにあたってひたすら顰め面になってしまうのがもったいないなと思いました。
まどかちゃんの魅力が抑えられてしまっているようで。
ヒロインの描き方で全体的に損をしているように思えました。
あとは、全体的に絵が単調かなと。
カルナバーレの場面ですら、ミラノ公がじつに幻想的だと言うけれどもそうは見えなくて。
差し込む光で朝なのか午后なのかわかるような効果だとか、蝋燭の灯の演出だとかが、あるといいのにと思いました。
音楽はとても好きでした。
好きなタイプの作品だけにここが、あそこがと言いたくなってしまうのですが、さらに芝居力でメリハリがつけば見応えが増しそうな気がします。
東京での進化を期待しています。
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