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2019年12月の3件の記事

2019/12/12

おまえの決心は俺が見とどけてやる。

12月9日と10日、宝塚大劇場にて宙組公演「El Japón(エル ハポン) -イスパニアのサムライ-」と「アクアヴィーテ(aquavitae)!!~生命の水~ 」を見てきました。

前回11月22日23日に見たときは、うまく咀嚼できないまま飲み込んでしまったような腑に落ちない印象を受けていたのですが、今回はぐいぐい引き込まれて集中して見ることができました。
ストーリーを追いながら集中して見ていると、あっそうなんだ、なるほどの連続。どの場面もどのセリフも、見逃すのが聞き逃すのがもったいなくて、ビューポイントも多々。目が足りない。となりました。

真風涼帆さん演じる主人公(蒲田治道)が内省的なサムライというキャラクターなので、役柄的に受け身なため、周りが強く押さないと強く押し返せない。周りの芝居しだいで起伏が乏しい作品になってしまうように思います。
前回見たときよりも周囲の人たちの気持ちが強くなっていたのが集中して見られた理由じゃないかなと思います。

とくにエリアル役の桜木みなとさんが変わったかも。より漫画的に押し気味に治道とかかわっていってた気がします。ひとの話など聞いちゃいない(笑)。一方的なエリアルに、そんなつもりはないのに巻き込まれてしまう治道が好きでした。
さらにもっと過剰にナルシストに演じてもいいのではないかしらと、そのほうがぜったいにたのしい(笑)。

それから、はる役の天彩峰里ちゃんも漫画的な役づくりが活きているなと思います。
今回は、ほかの奴隷に売られた女の子たちもキャラが濃くなっていて、みんなでわちゃわちゃしている場面がたのしかったです。それぞれにちゃんとキャラがあるのだなと。ロベルタ(花音舞さん)やアレハンドロ(芹香斗亜さん)とのかかわり方にも個性が見えました。

ドン・フェルディナンド役の英真なおきさんはいわずもがなで心得ていらっしゃる。目つきからセリフ回しから絵に描いたような下種が過ぎる悪党。こんなふうに演じられたらたのしいだろうなぁ。
ドン・フェルディナンドの手下の黒マントの軍団が、前回見たときよりもカッコよくなってました。スタイル良い人たちがマントを翻す姿は眼福。(下級生だと思っていた人たちがどんどんカッコよくなってきてて焦る~でも帽子が目深でいまいち判別がついていない私です・・涙)
せっかくなので、次に出てきたときにも誰が誰とはっきりわかるキャラづくりにするといいのになぁと思います。
あの悪辣な奸物ドン・フェルディナンドの手下となるような人たちだから、それは一筋縄ではいかない気性とか裏事情がありそう。

ヒロインのカタリナ役の星風まどかちゃんが情感豊かになってていてすごいなぁと思いました。肌色と合わないなぁと思っていたドレスもすっきりとして見えました。
なのに、まどかちゃんが存分にヒロイン力を表現できる場面がないのだよなぁ。
剣術の稽古を通じて治道との心の距離が近づく場面とか、治道の帰国が決まった知らせをうけて心揺れる場面とかは描かれていないのですよね。
2人が剣術の稽古をしているはずの時間に、宿屋の女の子達と使節団の若者たちが元気にエイヤー!やっている場面を見ている場合じゃないのよ私は~!(可愛いけど)

一緒に観劇した初見の友人も、意識が飛んだときに肝心な場面(治道とカタリナが心通わす場面)を見逃してしまったと思ったと言っていました。
いやいやいや、そもそもそういう場面がないのです。びっくりですよね。
どうやらこの物語りは、私たちが思っているのとは異なるロジックではこばれているようなのです。
それゆえに初見では上手に咀嚼できなかったのだと思います。

ストーリーを追いながら気づいたことですが、この作品は、少年漫画の流儀で見ないとだめなんだと。
「死に時を探して無為に生きていた主人公が、マストアイテムを得て覚醒する」物語なのだと。
そのアイテムが、守るべき人、倒すべき悪、ライバル、そしてトモダチ。
目的が達成されたとき、おのずと恋も成就する。そういうロジックなのだと。
(だから恋愛模様の展開にはあまり場面を割かないのだろうなぁ)
守るべき人とは、主君であったり愛しく思う人であったりですが、あちらがどう思うかは関係なく、自分がこの人と決めた人のこと。
ライバルはこの作品では変則的で、主人公は意図せず勝手に巻き込まれてる(笑)。トモダチもまぁそうかも。

基本的には翻弄され型の主人公で、内省的な恋愛体質なので、彼を動かすには突拍子もない人物や出来事が必要なのだと思います。
アレハンドロみたいなトモダチが。
宿屋の主人におさまっても、いろんなもの(事件)をアレハンドロが持ってきそうだな。そのたびに巻き込まれる治道、みたいな-その後のイスパニアのサムライ-のスピンオフが見てみたいなと思います。(こんどこそマカロニ・ウエスタンになるかな)
もちろん、もれなくエリアスと藤九郎(和希そらさん)がくっついてきますね。 

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2019/12/04

おとぎ話の終わりは。

11月21日に東京宝塚劇場にて、花組公演「A Fairy Tale -青い薔薇の精-」と「シャルム!」を見てきました。
みりおちゃん(明日海りおさん)の宝塚最後の公演、はたしてチケットが手に入るのだろうかと思っていましたが、幸運にも友の会で当選して見納めすることができました。

お芝居「A Fairy Tale」は終演後、景子先生、これでもかと少女趣味をぶち込んで来ましたね(笑)と思って笑えてしまいました。
設定も舞台美術もセリフの端々も。過剰なほどに美しく清らで、自分が好まないものは世界観から排除してしまうそんな少女の夢。こそばゆいけど嫌いじゃないです。
本意でない政略結婚だったとはいえ、夫である相手に「あなたを愛したことなど一度もない」と言い切ってしまえるヒロインの強情な潔癖さ。これは遁世して夢見る少女小説家にでもなるしかありませんなと思ったらある意味正解で(笑)。
そういえば、寄宿学校でも授業中に妖精の絵を描いたり仕事を持ちたいなどと言ってクラスメイトの少女たちに引かれていたなぁ。夢想の中に生きてほかの少女たちからは孤立しているそんな子だったよね、シャーロット(華優希さん)は。
たぶん、このシャーロットというヒロインに共感する、あるいは自分を重ねてしまう宝塚ファンはすくなくないのではないかな。

なんだか笑えてしまったのはそんな心当たりが私にもあったからかなと思います。
そしてやっぱり終わりがハッピーエンドだったのも大きいかなと思います。(相変わらず権威主義で無神経なところがあるなぁ景子先生、、と思うところもありましたが。自分がハッピーでいるために踏みつけにしている存在に気づいてもいなさそうなところがあるなぁと。オールオッケーとは思えない部分が)

お芝居ラストのみりおエリュの振り向きざまの表情にいろんなものが過って見えたように思いますが、そのなかに悪戯好きのフェアリーの顔も見えた気がしました。
ああ、これもみりおちゃんが持っているもののひとつなんだなと思って、この期に及んで可笑しくなってしまったのもありました。
思い込み激しく一途に突き進んで破滅していく役がこのうえもなく似合っていたみりおちゃんですが、ほくそ笑む悪戯な妖精の顔もたしかに持っていたよなぁと。
端から見ていてちょっと辻褄が・・とか、えっこれで彼らが誰かのために生きていると思えるの・・とか、唖然とするストーリー運びであっても、心底から心を動かし嘘にならないところ、さすがだなぁと思いました。この純粋さがタカラジェンヌの鑑だなぁと。

この繊細な薔薇様が棲む世界を無邪気に愛した頃、遠く隔たり信じることが出来なかった頃、かけがえのないものと気づく頃。
妖精とは。
自分と重ねてみるとさまざま思うことが過るのは、みりおちゃんやそれぞれの役を演じきった花組の生徒さんたちの力によるものだったなぁと思います。いまの花組はすごく力のある組だなぁとしみじみ思います。芝居の良い組になりましたよねぇ。

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2019/12/02

薔薇の上で眠る。

11月23日に梅田芸術劇場メインホールにて、宝塚歌劇星組公演「ロックオペラ モーツァルト」を見てきました。

星組さん、こんなに歌が上手なんだとびっくり。私のなかではいわゆる“美貌枠”の生徒さんも、実力ある方々に引き上げられてか思ってた以上に歌えてて、これから星組さんを見に行ったらこのレベルの舞台が楽しめるってことかとポテンシャルの高さにわくわくしました。

作品自体は、私的にはあまり好みではありませんでした。
花組宙組の大劇場公演を見たあとだったのもあるかもしれませんが、やはり私は宝塚らしい舞台が見たいのだとあらためて思いました。

全体的に邪悪さも華も希薄で下世話さが強調されてて、宝塚でもなければロックでもないなぁと。
モーツァルトは卑俗な男なんだとは思うけども同時に愛される魅力もあると思うのだけど。
なんというか、モーツァルトには才能しか愛すべきところはないような印象を受けて、それはどうなの?と。
才能だけを愛されてほんとうの自分を愛されない孤独っていうのは芸術家あるあるだとは思うけど、彼もまた孤独なアーティストなんだろうけど、見ている観客には彼の愛すべき魅力がつたわるように描かれていてほしいなと思いました。

彼のピュアさ、信じやすさ、エキセントリックさ、身勝手さ、喜び、悲しみ・・・それらに心震わせられたかったなぁ。
孤独はすごく感じました。

世界観が矮小でスケールが小さく感じたのはなんでだろう。帰路ではそれをぐるぐる考えました。
親子間の愛情も姉妹間の確執も、どれも浅くしか描かれていないから、役者がやりようがないのではないかな。
なぜ、いまなおモーツァルトの人生が描かれ、人びとがそれに共感するのか。
とくにロックオペラとして描かれ、支持を得ているのはなぜか。
その答えとなるものとは真逆ななにかが散見されて楽しめなかったのではないかなぁと思います。
楽曲本来の活かし方次第ではそれも挽回できたかもしれないけれど、そもそも宝塚はそこは得意分野じゃないからなぁ。だからこそ、ストーリーの作り方が大事なんだけどなぁ。

1幕ラストの舞空瞳さんのダンスが印象的で幕間の脳内はその残像で埋め尽くされました。
フィナーレも素晴らしかったです。紫藤りゅうさんと極美慎さんのダンス場面は最高に好みでした(笑)。
そしてデュエットダンス! こんな心高鳴るデュエットダンスはひさびさに見るかもしれない。(コムまー以来かも???)
礼真琴さんと舞空瞳さんの新トップコンビを心から祝福した瞬間でした。
これからどんな作品を見られるのかたのしみです。

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