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2020/12/18

彼女を信じてくれてありがとうございます。

12月13日と14日に宝塚大劇場にて、宙組公演「アナスタシア」の前楽と千秋楽公演を見てきました。

約2週間ぶりの観劇でしたが、こんなにも深まるものなのかと驚きでした。
特に前楽はすべてがピッタリとはまった快感と夢見心地が途切れることなくラストシーンに導かれました。

ほんとうにあえて挙げるとすれば1か所だけ、1幕の終幕間際のヴラドのアドリブへの客席の笑い声が次のディミトリのセリフまで残ってしまったのが惜しかったことくらいでしょうか。時間にして何秒もないタイミングなんですけど、ほらやっぱりアーニャはアナスタシアでしょ?と確信できる私の好きなセリフに被ってしまったのが・・。でも客席が湧くのを禁ずるのは違うと思うし、さりげない言葉だから良いのであって語気を強めても興ざめだし、まさに舞台は生ものだなぁと思いました。でもほんとに一瞬現実に戻ったのはそこだけで、夢を見続けた3時間でした。

千秋楽は客席も雰囲気がちがったし、舞台の上も独特の緊張があった気がします。
ディミトリ(真風涼帆さん)がアーニャ(星風まどかちゃん)との別れを意識する歌を歌えば、私もつい「ああ大劇場で宙組のまどかちゃんを見るのも今日が最後なんだ・・寂しいなぁ」などと雑念が入ってしまい、前日のように無心で見ることができませんでした。
1幕で真風さんは喉をいかしてしまわれたのかな。前楽の方が声が自在に伸びていたと思います。慎重に音を置いて歌われていたようで、前楽よりもおとなしめなディミトリでした。そのぶんせつなさは千秋楽のほうが増して感じられた気がしますが私の気持ちのせいもあったかもしれません・・。

アーニャ役の星風まどかちゃんも、前楽はオールパーフェクトだったのに千秋楽は何回かセリフを噛んでいてこれも千秋楽かなぁと思いました。でもセリフを言いなおししてもダウンせずクオリティを保てるのは流石だなぁと思いました。これほど信頼できるパフォーマーはそうそういないなぁとあらためて星風まどかちゃんという存在の稀有さをおもいました。

ふりかえると1か月前にはじめて観劇して以来、ディミトリのことばかり考えています。
サンクトペテルブルクの路地裏で生きるストリートチルドレンだったんですよね。お父さんは強制収容所で亡くなり、お母さんはそのずっと前からいない。
この街で生き抜くには賢く抜け目なく立ち回らなくては。まともなことをしたって生きてはいけない。盗んだり人を騙したり。力のない子どもは捕まれば殴られたり蹴られたりはあたりまえ。自分を生かすので精一杯だったよね。

悪びれてはいるけれど、アーニャに出逢って、彼女をパリに連れて行くために一生懸命お金を作ろうとする姿は胸を締め付けました。人様のお財布からお札を抜いている姿も。そうしたって出国許可証を手に入れるだけのお金は作れないんですよね。それもとてもせつない。
ヴラドやアーニャに出逢わなければ、ディミトリも悪友たちとウォッカに溺れるしかない人生だったかもしれない・・・この街で。

親のいないストリートチルドレンだった彼が大公女様のプリンスになるというおとぎ話なんだなぁ、これは。

おとぎ話は自分で作ればよいと強がりを言っていたけれど。アーニャがダイヤモンドを持っていなかったら成立していないお話。

彼がアーニャを心から信じたから起きた奇跡の夢物語なんだなぁ。
そんなことが自分に起きるなんて少年の頃の彼は思いもしなかっただろうなぁ。ほかの誰かになれたらと、そんな無邪気な空想を少年だった彼も想い描いたことがあるのだろうかと、凍えてひもじい夜にどんな夢を見ていたのだろうと思うとせつなくてたまらなくなります。誰かの温もりの中にいた幸せな記憶はいつのことだったのだろうと。

ほんとうはアーニャが主人公の物語なのだろうけど、宝塚版だからこそのディミトリの比重が私は好きです。アナスタシアの過去ほどは彼の過去は描かれていないけれど、だからこそもっともっと彼のことを知りたいもどかしさはあるけれども。

でもそれも前楽と千秋楽にはみんな真風ディミトリに見ることができました。
彼が歌う歌詞が情景となってはっきりと見えた前楽、そして千秋楽でした。
「In A Crowd Of Thousands」で浮かび上がってきた痩せて汚れた少年と大公女様の邂逅。2人がともに記憶していたおなじ情景。
そしていま目の前で彼女に跪くディミトリの姿。幾度かつながりかけては消えた線と線が交わった奇跡の瞬間を私は目の当たりにしている——。
アーニャに出逢う前、少年の頃の思い出、アーニャに出逢ってから・・・どのディミトリも私は愛おしくてたまらなくて大好きです。

自分をみつけても手を振ったり笑いかけたりしてはだめだというディミトリの言葉に、千秋楽は専科に異動してしまうまどかちゃんと宙組に残る真風さんが重なって、たまらなくせつなくもなりました。こんなところでも雑念が・・・涙。
けれどあんなに鳥肌が立つほど息の合った「In A Crowd Of Thousands」を聴いたあとでは・・・。
このコンビだからこそのハーモニーを私はもう生では聴けないのだと思うと寂しさがぐっと押し寄せてきました。たぶんこの状況(コロナ禍)では私は東京まで公演を見に行くことは叶わないだろうから・・。
この作品を真風さんとまどかちゃんの主演で見ることができて良かったと思います。

そしてグレブ(芹香斗亜さん)です。
彼のロジックがわからない~と思っていた私ですが、前楽でようやくいろんなものが見えたと思います。(遅い…)
閉ざされた門の向こうにいる少女をみつめる少年の姿。
アーニャに好意を抱いた瞬間、そして彼女がその少女と同じ瞳をもっていると気づいた瞬間。

彼が囚われているものは、父親が己を蔑んで死んだと母から聞かされたこと。それを受け入れられないことでしょうか。
かつて皇帝だった人を、そして2か月余りもその暮らしぶりを見ていた一家を、女性も子どもも含めて銃殺したことは、たとえ命令とはいえ良心を持つ者としては堪えられなかったのはよくわかるのですが、彼はそんな父の葛藤を受け入れることができないみたいで。—— 革命に感情はいらないと。

グレブは、少年の自分を封じ込めて大人になることを急いでしまった人にも思えます。そのことで内面に抱えた矛盾にずっと苦しんでいるような。
大人になることを急いだのは、やはり父親を早くに亡くしてしまったことが原因でしょうか。
父親は強くて正しいはずと、父を誇りに思いたい少年の論理、大人になることを急いだがゆえの未成熟な心が、運命の女性アナスタシアによって搔き乱されているようでした。
人の心は彼が思うように単純ではないから。

アーニャを捕らえることも射殺することもできなかった彼のその後がとても気になります。
彼はレニングラードに戻ったのでしょうか。
本当の父と本当の自分を受け入れることができたのでしょうか。
「父の息子にはなれなかった」と彼は言ったけれど、いやむしろあなたはお父さんの息子でしたよと言ってあげたい気持ちです。


ひさしぶりの宙組のグランドミュージカルは、やはりコーラスに痺れました。
ディミトリの登場で歌われていた「A Rumor In St.Petersburg」で、うわぁぁぁミュージカルだぁぁぁと心を掴まれました。
祖国への惜別を歌う「Stay,I Pray You」はイポリトフ伯爵(凛城きらさん)のアカペラから、各パートが合わさっていくところがとても胸に沁みました。作品の中にこういう曲があるのっていいなぁ。

リリー(和希そらさん)が中心のナンバー「Land Of Yesterday」はもう圧巻。
そしてリリー役の和希さんととヴラド役の桜木みなとさんが歌い踊る「貴族とただの男(The Countess And The Common  Man)」は、千秋楽にはもう、お2人とも余裕で遊び心もいっぱいな感じで、まるでジャムセッションのような楽しさでした。

このクオリティの作品もできるのだなぁ。いろんな作品を宝塚的に上演できるのが宝塚なんだなと。
こうして書いていてもまた見たくてたまらなくなってきましたが、上京はムリムリムリ。だってこんな折柄ですから。(と自分に言い聞かせています)

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