ロシアのねずみは賢くなけりゃ死ぬだけ。
11月24日に宝塚大劇場にて宙組公演「アナスタシア」を見てきました。
2週間前に見たときよりもさらに面白く感じました。
2幕のベッドサイドで歌われるディミトリとアーニャのデュエットなどはあまりに息ぴったりで鳥肌が立ちました。
そしてやっぱり私はディミトリの過去と現在が気になり物語から置いて行かれかけました。
親のいない少年がどうやっていままで生きてきたのかと・・・「My Peterburg」を歌う彼の心情はどういうものかと、思いをめぐらせているうちにナンバーが終わってしまう。同情させないところがディミトリらしいところなのだろうなと思うけれども。
落ち込んでいるアーニャにご褒美だと言ってオルゴールを手渡したり、彼女のために人形を買って荷物にしのばせてあげたりしているところを見ると、見かけによらずロマンティックな一面があるのだなと思います。
そんなことをしてあげている時の彼の心の中は、どんなにかあたたかだっただろうなとか、彼自身はそんなことを誰かにしてもらったことがあるのだろうかとか、考えずにいられませんでした。
彼の心の中の甘美な空想と彼が過ごしてきた現実を思うとせつなくて。
マリア皇太后に彼女を信じてもらえてはじめて褒美をもらった気分だと言うところは、彼のこれまでの人生にご褒美、プライズをもらえるような場面がはたしてどれだけあったのだろうと、そしてこの褒賞が彼にとってどんなに輝かしいものだろうと思って胸が熱くなりました。
お金をもらうよりも大切なものが彼の中にあること・・・。ペテルブルクの街で生きて行くために盗んだり騙したり殴られたり蹴られたりしていた少年を思うと。
自分が信じたアーニャを皇太后に認めてもらうことがご褒美。そんなディミトリの気持ちはジェンヌさんを応援する宝塚ファンにも似ているなと思いました。自分ではない誰かのために一生懸命になる気持ち。その人のしあわせを願う気持ち。その人が輝くことを誇りに思う気持ち。
宝塚ファンには入り待ち出待ちにお茶会があるけれど、ディミトリはこの先一切アーニャと関わらずに生きて行こうとしていたのですよね。それはとてもせつないなぁ。馬車の上から手を振ってもだめだぞと。
ディミトリに訪れたしあわせな結末を、ディミトリの中の少年にも語って聞かせてあげてほしいなと、そんなことを思いながらラストの家族写真を見ていました。
このハッピーエンドだけれどもどこかせつない物語。
今月のチケットがあと2回分あるのですが、どうぞ無事に見られますように。
しあわせな千秋楽を迎えられますようにと心から祈っています。
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