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2021年3月の4件の記事

2021/03/30

報われぬこの恋にけじめを。

3月15日と16日宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。
という感想を書いていますが、書き終わるまでに時間がかかって(そうなることは予想していました)
とうとう千秋楽となってしまい、ライブビューイングでA日程を見てしまって、脳みそからいろいろ溢れて整理がつきません。(これは予想外でした)

A日程を見てティボルトで頭がいっぱいになり、B日程を見たらでもこっちが好きかもとなったのですが、昨日29日にライビュでA日程を見て、やっぱりティボルトが~涙。。と。
ということで、いったんまた少々ティボルトについて書いてから、ベンヴォーリオやマーキューシオについて書いていたものを整理しようと思います。

ティボルトは憎しみが渦巻く街で叔父叔母から心理的虐待と性的虐待を受け育ち、純粋さも夢も心の奥深くに封じ込めることでギリギリ今を生きている若者。彼を庇護する存在はどこにも見当たらない。
それでいて「跡取り」とか「御曹司」という重責を背負わされている。
親や乳母に無条件に愛されて夢を語れるロミオやジュリエットとは育ち方がちがう。
だからジュリエットに夢を見るのだろうし、ぬくぬくと育ったロミオにはイラついてしょうがないだろうと思います。

無力感や絶望をなんど味わってきただろう。夢は潰され希望には耳を貸してもらえない。称賛されてきたことといえば敵を威嚇する態度と暴力、そして異性に対する魅力。それが自己肯定できるすべて。
ジュリエットを好きだけれど、愛されたことがないので、愛し方を知らない。愛され方も知らない。
彼女が愛するロミオを殺してその屍を前に告白しようなどど。憎まれる方法しか知らない憐れな子。

愛月ひかるさんティボルトは、葛藤の末に今は諦観し自分の立場をわきまえ周囲の期待に適応しているように見えました。本当の俺はちがうと思いながら。
いまでは敵からも一族からも恐れられるリーダー。些細な刺激をきっかけに衝動的にキレるけれど、ジュリエットを思う時はまるで別人。
あまりにジュリエットのことが好きすぎて、ロミオを憎いと思う以上に、ロミオと結婚したジュリエットに復讐したい「今日こそその日」に見えました。
彼にとってこの世で唯一の美しいものが壊れてしまい、彼自身も壊れてしまったよう。
ジュリエットの存在。ジュリエットを好きという気持ちこそが、彼がこの世にとどまる理由だったのではないかと思えてなりません。
禁断の愛を叫び、咆哮する彼の「けじめ」とは。
ジュリエットに告白するその日とは、自分にとって世界が終わる日だとわかっているのですよね。
それ以外の道もきっと考えていたはず。いつまでその別の選択肢をもっていたのか。いつからその道を考えなくなったのか。
「その日」を覚悟した彼にもう躊躇いのだろうな。人を刺殺することも死も。
昨日はつらすぎて、頭がぐるぐるしてしまいました。

16日に見た時の印象なのですが、瀬央ゆりあさんのティボルトは、予想以上に狂気に溢れていました。
狂いでもしないと人を憎めない、わかってほしいから皮肉屋になる、怯えを隠したいから冷笑する、そんな感じ。いまリアルに心から血を流している、そんな感じがして痛々しくて胸が痛むティボルトでした。
もっと繊細で機微のつたわる街に生まれるべき人だよね。生まれてきたことの痛みや悲しみが憎しみに変容しているよう。きっとまだ葛藤の只中にいるティボルトなんだなぁと思いました。
まだロジカルに処理できない。ジュリエットのことも。
舞踏会ではジュリエットを守ろうと一生懸命。そこよ、そこをもっとジュリエットに見せるチャンスがあれば・・なんて不器用なの・・涙。
彼に必要なのは対話だと思いました。こんがらがったもの、本当の自分を対話によって整理すること、その相手。恋人よりも友。
意外とジュリエットが良い話し相手になったかもしれないのに、彼女けっこう辛辣に指摘しそうよ、身内とか親友には!(ジュリエットに泣かされるティボルトが目に浮かびました)
でもこんなに棘を出しまくっていたら誰も近寄れない。それが彼の悲劇だなぁと思いました。

A日程だけ感想がアップデートしてしまった感があり、なんだかアンバランスだなぁと我ながら思いますです。
AB1回ずつ見て、千秋楽ライビュは大劇場も東京もA日程と知り、もう1度どうしてもB日程が見たくて友の会にエントリーした結果4月に見に行けることになりました。
深化したB日程を楽しみにしています。

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ここはヴェローナ。

3月15日と16日に宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」A・B日程を見てきました。(前記事のつづきです)

15日に役替わりA日程を見てこの上なく満足したのですが、甘かった。
翌日に見たB日程はA日程と世界観がちがいました。A日程に満足したからこそ役替わりによる異なる世界観を楽しめたのかもしれません。

B日程は先にライブ配信を見ていたので、如何なるものかはわかっていたつもりだったのですが、カメラが追う映像と実際の舞台を見るのとではやはりちがいました。
プロローグで舞台に伏せた死(愛月ひかるさん)が顔をあげた瞬間にゾゾゾッと鳥肌が立って、そこから別の世界に引き込まれてしまった感覚。
ヴェローナという街に淀む瘴気や恐怖や憎しみといった人々の精神を蝕むものが凝り固まって妖美な存在となって人を死へと導いている。そんな禍々しいものが操る世界で生きている人びとの物語が進行しているようでした。
A日程の天華えまさんの死はプリミティブで人間の怯えを増幅させて愉しんでいるような怖さで、Bの愛ちゃんの死は高知能で無慈悲に無力な人間を絡め落としていく怖さがありました。

A日程では、なぜ?と思わずにいられない登場人物たちの言動に心をかき乱される物語を見たのですが、B日程では、目に見えないもの、運命とか偶然とか論理的ではないものに操られてしまう人間の果敢なさを見せられた気がしました。責任の所在がちがうといいますか。

Bの「僕は怖い」では、愛ちゃん(愛月ひかるさん)の死と琴ちゃん(礼真琴さん)のロミオのシンクロ度に目が離せませんでした。ほんとうに死に操られているようにしか見えないロミオ。背後から操る死の指先にビクッと反応するロミオ。琴ちゃんは後ろにも目があるの???とびっくりしました。トップさんと2番手さんが息ピッタリって好きだわぁと思いました。

死に意思があるとしたら、命を奪う相手は無作為に選んでいるのか、それともこの人間と狙っているのか。どっちだろう。
私には愛ちゃんの死はロミオの命に吸い寄せられているように思えました。ロミオの魂が発する怯えがなによりも好物なのだろうなと。その魂の匂いや手触りをたしかめようとしているみたい。
そしてロミオの命をたいらげたら、ジュリエットというドルチェがついてきたかんじ?

A日程とB日程、死の居方がちがうことで物語の見え方が変わったのも面白かったです。
A日程は街を支配するドグマに抗うことができない人間たちの悲劇が見えましたし、B日程は運命に操られる人間たちの葛藤の物語のようでした。
また、ABで赤青のパワーバランスがちがったのも、物語を別の視点から見せてくれたように思います。

(昨日のライブビューイングでまた脳みそが膨張してしまったのでいったんここまででアップします)

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2021/03/23

本当の俺はちがう。

3月15日と16日に宝塚大劇場にて星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。(前記事からのつづきです)

琴ちゃん(礼真琴さん)トップの星組で「ロミオとジュリエット」が上演されるなら、ティボルトは愛ちゃん(愛月ひかるさん)でベンヴォーリオは瀬央ゆりあさんだろうなぁと思っていました。
もし役替わりがあるとしても、愛ちゃんはベンヴォーリオってかんじでもマーキューシオって柄でもないからティボルトは役替わりしないんじゃないかなぁと漠然と考えていました。
配役が発表になって、愛ちゃんがまさかのティボルトと死の役替わりでびっくり。その手があったか。2013年の星組の真風涼帆さんパターンですよね。ただ真風さんは当時3番手とはいえ新人公演を卒業したばかりの研8くらいの学年ではなかったでしょうか。
じきに研15の2番手が演じる死は、いかなるものになるのかこれは絶対に見に行かなくてはと思いました。(まんまとしてやられている)

観劇前の予想では、愛ちゃんのティボルトはタイプ的にも経歴的にも初演に近いのかなと思っていました。ですがじっさいに見ると予想とはまるでちがっていて、そうかこういうティボルトなのか・・と思いました。

これまで私がティボルトにもっていたイメージは、堂々した見た目とはうらはらの内面の脆さを隠すために虚勢を張って、目が合うすべての者たちに斬りかかる不穏な若者というものでしたが、愛ちゃんのティボルトは鍛え抜かれた心をもち、人に囲まれるだけで凄味を放っていました。
期待され、リスペクトされ、キャピュレットの跡取りとして相応しい者であるか否かをつねに試される場所に立ち、評定と好奇の視線を浴びつづけてそれに応えようとしてきた、認められつづけるために張りつめて生きてきた、その試練と葛藤の末に存在するティボルトだなぁと。

モンタギューと敵対することだけではなくて、むしろキャピュレットに認められることのほうが彼には試練だったのではないかなと思います。
ジュリエットの従兄、キャピュレット卿の甥で跡取りと言われるティボルトだけれども、彼には両親の影が見当たらない。
「実の叔母とあやしい」とマーキューシオが言っていたけれど、その実の叔母とはキャピュレット夫人のことですよね。
ティボルトとキャピュレット夫人が血がつながっているということは、キャピュレット卿自身は継嗣ではなく結婚したことで伯爵となった人なのでしょうか。ではディボルトの親は、キャピュレット夫人の実の兄か姉かで、すでに鬼籍に入っているということでしょうか。
そうであるなら庇護する親のいない彼が居場所をつくるには、ここで認められるしかなかったのじゃないかなぁと。
そして庇護をうける必要のないくらいに成長して彼は気づいてしまったのだと。
子どもの頃に夢見ていた自分といまの姿の乖離に。
ジュリエットの瞳にかつて思い描いていた自分を映し見ることでしか、自分は救われないのだと知ってしまったティボルトだなぁと思いました。でもそれを叶えるには自分は遠く隔たったところまで来てしまっている。
壁にもたれる彼の瞳はせつない憂いを湛えていました。

パリス伯爵のことを、ロミオは『気取り屋の間抜け』と評しますが、彼もティボルトの目には同様に『仲間とつるむことしかできないガキ』くらいに映るんじゃないかなと思います。
そのガキが、ずっと大事に想ってきたジュリエットと結婚したなどと聞かされたら・・世界のすべてを憎み呪う気持ちもわかる気がします。
どす黒い感情に支配され眷属を引き連れてロミオの命を奪いに行ってしまう。そこには冷静な判断などすこしもない。ジュリエットの心を思いやる愛も微塵もなくて、ただ自分の憤怒と憎しみと報復しかない。
幸福な人生のために大人が若者に繰り返し教えるべきは、怒りや憎しみといった他人や自身まで傷つけようとする感情をコントロールするスキルだと思うのだけど、両家の大人たちはそれを教えるどころか、憎しみを増長させるばかり。
敵と見做した一方に害をなすことが称賛されるのだから、ロミオの命を奪いに行くティボルトを諫める者は誰もいない。
むしろそうやって感情をギラつかせて威嚇し恐れられることでいまの彼があるのだろうなと思います。彼は自分自身とキャピュレットの名誉のために敵地へ向かったと彼らは思っているのかな。

ロミオを探して街をうろつきその仲間と小競り合いとなり、自分よりも格下と見下しているマーキューシオを嬲っていたら思わぬ反撃の一発を喰らってしまい、カッとなってナイフを繰り出す。極美慎さんのマーキューシオと愛ちゃんのティボルトはそんな印象でした。

アドレナリンに支配されて目の前のマーキューシオを倒すことしか頭になくなり、刺すか刺されるかの極限の状態でここぞというタイミングで相手を刺し遂げた興奮で多幸感に満たされた状態の彼は、自分を誇示し、女たちをはべらかし勝利の旨酒に酔う。
その姿は、ジュリエットのバルコニーの下で佇んでいた彼とはまるで別人のようでした。
そんな自分は本当の俺じゃないと言っていたのに。
またきっと絶望と悲しみでジュリエットを見上げることになってしまうこともすっかり忘れ去って。
そんな我を忘れた絶頂にいるティボルトに、ロミオの刃が突き刺さり、あまりにも呆気ない最期が彼に訪れてしまう。

マーキューシオ、ティボルト、ロミオ、彼らの手にナイフを握らせたものは何か。
その状況を作り出した両家の大人たちは、ただただ相手に罪をなすりつけるばかり。取り囲む街の人びとも誰かに罪を贖わせようとするばかり。
ここで自分たちの過ちを反省し和解の道をさぐっていたら、ロミオとジュリエットの悲劇はおきなかったかもしれないのに。
自業自得というにはあまりに惨い若者たちの死と罰。
さらに悲劇を重ね、ロミオとジュリエットの死の悲しみを経てようやく手を取り合うことができた両家。
でもその前にも犠牲となった若者たちがいたことをどうか忘れないで。と思いました。

幕が下りてフィナーレの冒頭に下手のセリから登場したキラキラの愛ちゃんがバルコニーの愛の誓いをほほ笑みながら歌い渡っていく、その優しいオーラに包まれた姿に見ている私の心まで浄化されるような至福を感じました。と同時になんだか泣きたいような気持にもなりました。
パレードの終わりに皆が手を振っている最中も、私はもうこのティボルトを見ることができないのか、なぜ明日のチケットはB日程なのかと泣きたい気持ちになりました。
でも翌日役替わりBを見た私は「こっちのほうがより好きかも・・」となったのでした。

(つぎはB日程の感想を・・・)

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2021/03/20

恋の翼にのって。

3月15日と16日に宝塚大劇場にて、星組公演「ロミオとジュリエット」を見てきました。
なにから語ろうというくらい、思うことがたくさんある観劇となりました。ほんとうに見に行って良かったです。

いまから10年余まえ、博多座で初演を見ました。
当時の星組の男役スターは長身スレンダー揃いで、赤青のレザーの衣装を身にまとった姿はビジュアル系バンドのメンバーかと見紛うばかり。
赤青はそれぞれロックグループのメンバーとその信者(ファン)の抗争みたいにも見えました。
クールでエモで尖りまくった若者とかれらを焚きつける大人たち。その渦中でうまれた恋。子どもを愛する親の心。そして悲劇。。。
楽曲はどれも好みで芝居には泣かされたのだけど、そんなふうに歌うのか・・そんなふうに踊るのか・・という思いがぬぐえませんでした。
いつもはタカラジェンヌの技量よりもその心映えに感動する性質の私なのですが、そのときは作品とタカラジェンヌが身に着けている音楽性になんともいいようのない乖離を感じてしまって複雑な気持ちでした。これは外部で上演したほうが合うのではないかと思ったのを覚えています。

それから10年を経て今回なぜ見に行こうと思ったかというと、この10年で宝塚の音楽性が変化している実感があったから。
なによりロックオペラ「モーツァルト」や大劇場と梅芸の「Ray」で見た礼真琴さんと星組にフレンチロックミュージカルへの親和性を強く感じたからです。
そして宙組の下級生のころから見続けてきた愛月ひかるさんのティボルトと死を見ないではいられなかったからです。

ということで、1泊2日でA・B両日程が見れる日を選んで観劇しました。

やっぱり礼さん凄いわ。上手いわ。かっちょ可愛いわ。と思いました。
聴きたいように歌ってくれる。これはたまらないです。
歌声で繊細なところまで感情がつたわる。エモーショナルな歌声なのにエクスキューズなしで歌い切りますよ。
宝塚でこういうヴォーカルができる人は稀少だと思うのだけど、これからも宝塚でロックミュージカルを上演するなら必要な技術だと彼女のヴォーカルを聴いてしまうと思います。
その彼女がロミオを演じるチャンスがある場所、それが宝塚なんだと思います。

これまで私が見たロミオは柚希礼音さんと古川雄大さん、そりゃあ女性たちに追いかけられるでしょう、なにもしなくても。いけない遊びも経験しちゃっただろうなぁと思うロミオでした。(柚希ロミオは自分の魅力を試してみたい若気の至り、古川ロミオは相手の勢いのままに、のイメージ)
今回の琴ちゃん(礼真琴さん)は、なんとも思っていない女の子とカフェでお茶しながら「空しい・・」と心ここにあらずになっている絵が浮かぶロミオでした。それ、遊びでつきあったとは言いませんからーと訂正に行きたくなるようなロミオでした笑。
奥手で夢見がち、たんぽぽの綿毛みたいにふわふわのお坊ちゃま、そりゃあベンヴォーリオも心配になるでしょう。

舞空瞳ちゃんのジュリエット。好き。
好きなロミオの前では声が高くなるのに、身内には遠慮がなくてドスが効いた声で残酷なことも言うところ。家族に愛されていることを無意識に知っている、『親には一度も逆らったことがない』と自分では思っている、とっても思春期の少女だなぁと。
そのジュリエットがロミオに対峙するときの様子がなんともいえない可愛らしさで、とってもロミオのことが好きなんだなぁとニヤニヤしてしまいました。

ロミオが「結婚しよう」と湧きあがる思いを唐突に口にするのに対して、ジュリエットが「おしえて、いつどこで結婚式をあげるか」と具体的なアシストで返すのも面白いなぁと思いました。
夢を語るロミオと夢を叶えることを考えるジュリエット、そういう2人なんですね。
「恋の翼にのって」あとさき考えずに人様(敵同士の家の!)のお屋敷のバルコニーに登ってきちゃうロミオ。はらはらさせます。
唐突に自分の愛を「月に誓おう」と言い出すロミオ。なんで? なんで月? そのとき目に着いたいちばん素敵なものだから?? それは保証になるの??
「誓うのはやめて、月はかたちを変える、あなたの愛も変わる」とバッサリなジュリエット。
「変わらない愛をふたりで育てよう」といういちばん聞きたい言葉を導き出した。賢い娘だわ(笑)。

とにかく2人が可愛くて。
出逢ってからロミオが追放を言い渡されるまでに2人がもっと長く過ごせたら、ジュリエットがタダで死を選ぶような娘ではないことをロミオもわかっただろうにと思うとせつないです。
ともに成長し幸せになれたであろう2人の未来を奪ったもの。
憎しみと報復が繰り返されることがないように。そのためになにができるだろうと・・・。

(つづきます)

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