« 僕は怖い。 | トップページ | 雨が降らなければ虹は出ない。 »

2021/07/02

The Game Is Afoot!

6月28日と29日に宝塚大劇場にて宙組公演「シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-」「Délicieux!-甘美なる巴里-」を見てきました。

シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-」は期待していた方向と違っていて初見は戸惑いました。
生田先生の余計な設定を膨らませる癖は治らないのかなぁ。
ホームズが女性嫌いの傾向だからこそアイリーン・アドラーが稀有な存在として輝いているのに過去の恋人を創作する必要があるのかな。(アドラーを登場させない映画等ではヒロインとして原作にはいないホームズの恋人が登場する場合もあるけど)

世界観が幼い気がするのもイマドキなのかなぁ。物語上意味のあるワードが軽いのも気になりました。
これはアイリーンではないアイリーン、モリアーティではないモリアーティ、ホームズではないホームズと思って見るのが良さそうです。
モリアーティの一味からホームズの仲間へと歌い継ぐ「The Game Is Afoot!」は声の良いメンバー揃いで耳に最高だし、ザ男役の真風さんがとってもカッコよくてこのうえなく気分が高揚したのでこのシーンのためにリピートできると思いました。そこからラストにかけては隙なく好きだったので、だからこそいろいろと惜しいなぁと思いました。

主演の真風涼帆さん演じるホームズ像はどうもしっくりきませんでした。
真風さんって男役のなかでも最高な部類の素材だと思うんですけど、その魅力を活かしきれていなくてもやもや。
ホームズの造形としてのカッコよさもない。高い声で抑揚がつきすぎる話し方、過去の恋人を思って苦悩する等、どう考えても原作とは程遠い。
これは“あのホームズ”ではないと思って見るべきなのだなと思うけど、じゃあこの作品のホームズはどんな人物?となると見えてこない。なので魅力的な人物に思えない。
それでいてワトスンとの掛け合いの歌では原作の設定を引用していて、もはやどうしたいのかよくわからない。設定は使っていながらそのワトスンへの反論の仕方がホームズらしくない。
見ている側としては過去の作品のスタンやディミトリに似ていて混乱する。真風さん引き出し少ない?と思ってしまう。
人を見透かしたような態度の偏屈な英国紳士が思わぬリアクションを見せた時、それがとてつもなくチャーミングに見えるのがホームズの魅力だと私は思っているのだけど、そういうところが見えなかったのが肩透かしでした。
いつもはぞんざいに扱っているワトスンを実はかけがえなく思っているのが見えたり、女性嫌いかと思っていたらリスペクトしてる女性がいたり、クールだと思っていたら子供っぽい面があったり情熱的に悪と対峙したり、前提条件が明確にあるからホームズは面白いのになぁ。

アイリーン・アドラーもあのアイリーン・アドラーではないなと思いました。
でも演じている潤花ちゃんがとても華やかで上流階級でスキャンダルの中心になるのはなるほどと思いました。お衣装部さんも頑張り甲斐がありそうです。どのドレスも着こなしていて素敵だなと思いました。
ただ生田先生のこだわりかヘアスタイルに縛りがあるみたいで、どのドレスを着ていても同じように見えたのが面白くないなと思いました。ドレスに合わせたいろんなヘアスタイルが見られたらよかったのになと思います。
女王陛下主催の祝祭に出席する時も旅着でドーバーを超える時もおなじなんてアニメみたいでなんだかなと。いやアニメでも、ここぞという時はいつもとちがったヘアスタイルで登場してわぁっと言わせるものですが。
潤花ちゃんがこんなにたくさんの
セリフを話す作品を生で見たのは初めてでしたが、日本語のイントネーションに癖がなくて綺麗な話し方ができるのがとても素敵だなと思いました。

芹香斗亜さんのモリアーティの造形はもう原作のイメージとはかけ離れていました。
宝塚ですから役づくりが若くなるのは予想していましたしポスターを見てもそれはわかっているつもりでしたが、想像以上に子どもっぽい役づくりで「黒執事」に出てきそうなキャラだなぁと。
ヘアスタイルもアイリーンと同様にアニメっぽいアッシュ系カラーとカットで2.5次元ミュージカルのキャラみたい。
といいますか舞台セットも「黒執事」みたいだなーと思ったし、もしかして生田先生は2.5次元ミュージカルをやりたかったのかな。(本当は「憂国のモリアーティ」をやりたかった??)
そうならそうと最初から言ってくれればいいのに——!
新潮文庫を読んでいるつもりが電撃文庫を読んでいた!みたいな(誰かがカバー掛け替えた??)感覚に陥ってどうしていいのかわからなかった時間を返して。
生田先生の場合、たびたび公演解説と実際の舞台のテイストがちがう問題が。
見る側も初見で受け入れるのに戸惑うけど、演じる側も戸惑うんじゃなのかな。舞台上に存在する人びとにも齟齬があった気がします。19世紀の写実主義な人びとの中にデジタル彩色の人がいる印象でした。

ほかに気になったところは、レストレード警部(和希そらさん)がマイクロフト(凛城きらさん)を殴る場面。
ガチガチの身分社会であるヴィクトリア朝時代に法と秩序を守る立場のスコットランドヤードが一門の紳士を殴ったりするかな。あれくらいのことで。それも政府高官を・・と。設定崩壊してるなぁと見るたびにあーあとなりました。

若手スターや娘役の起用の仕方とか、顔見世的場面を作ったりとか(地下の武器工場の場面やロイヤルオペラハウスの場面など)、役者それぞれに愛がある作り方がされているのは見ていて嬉しいし、ラストの趣向もとても好きなので、世界観がまとまって「んん??」と思わずにすむといいなぁと思います。
次の観劇では好きなところをたくさん見つけてきたいと思います。
——まだ獲物は飛び出したばかり!

| |

« 僕は怖い。 | トップページ | 雨が降らなければ虹は出ない。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 僕は怖い。 | トップページ | 雨が降らなければ虹は出ない。 »