« 2021年11月 | トップページ | 2022年1月 »

2021年12月の4件の記事

2021/12/18

決して言いはしないサヨナラだけは-NEVER SAY GOODBYE -。

2022年2月からの宙組大劇場公演「NEVER SAY GOODBYE」の配役が発表になったので、初演のルサンクを引っ張り出して、おさらいと予習を兼ねて、登場人物を書き出してみました。

それから時代背景も。
初演を見た時の記憶をたどると、対ファシズムというよりは、内紛による人間模様を描いた作品という印象が強く、登場人物たちの属性や関係性がわからないとストーリーが飲み込みにくかったと思うので、自分の頭の中を整理するためにそれも書き添えました。
とくにPSUC(プスク)とPOUM(ポウム)などは、両方とも同じ人民戦線側なんですけど内部で対立しているので。

初演当時は、和央ようかさんの怪我は大丈夫かしら、もしも和央さんが休演することになってしまったらどうなるのかしらと不安を抱えながら見ていました。
こんなにミュージカルナンバーに溢れた大作のアンダーをやれる人も正直組内にはいるように思えませんでした。2番手の大和悠河さんとでも8期離れていて他の追随をゆるさない大きな存在でしたから。

それからフランク・ワイルドホーン氏による楽曲は良いものばかりでしたが、ストーリー的に私には未消化の部分がありました。
①ジョルジュが内戦の真実をフィルムに残すことよりも、カメラを銃に持ち替えて義勇兵として戦う決意にいたる心情、②バリバリの新進劇作家だったキャサリンが後半は辛気臭い女性になってしまったこと、が腑に落ちずに終わった気がするので、そこが再演を観劇することでクリアになるといいなと思います。

それにしてもいまルサンク巻末のシナリオを見ますと、役名ではなくて生徒名になっていたり、じっさいの舞台で見たシーンやセリフが載っていなかったりでかなり大慌てで入稿されたのかしらと思います。

そのあたりも含めて、再演は変わるのかなと思いますが、とりあえずですが公式サイトにアップされた登場人物に初演のときの属性等を書き添えてみました。
(公式サイトにアップされた再演のキャスト表には名前がない人物も含みます)

<ハリウッドで登場する人びと>
【ジョルジュ】(真風涼帆)フランスから来たカメラマン。ポーランド生まれ。「僕はデラシネ、根無し草だ」。
【キャサリン】(潤花)アメリカ人の社会派シナリオライター。映画「スペインの嵐」原作者。
【ヴィセント】(芹香斗亜)バルセロナ出身の闘牛士。映画「スペインの嵐」に出演のため渡米。
【マーク】(寿つかさ)映画「スペインの嵐」プロデューサー。
【パオロ】(松風輝)ラジオバルセロナのプロデューサー。映画「スペインの嵐」スペインロケの打ち合わせのため渡米。
【エレン】(天彩峰里)映画「スペインの嵐」主演女優。
【ヘンリー】映画「スペインの嵐」に出演。エレンの相手役。(2022年キャスト表に名前なし)
【ピーター】(春瀬央季)シナリオライター仲間。キャサリンとともにモスクワへ世界作家会議に向かう途中バルセロナに立ち寄る。
【ベティ】(小春乃さよ)シナリオライター仲間。
【ミリー】(湖々さくら)シナリオライター仲間。
【ジョン】(秋音光)シナリオライター仲間。
【デイヴ】(秋奈るい)シナリオライター仲間。
【パティ】(花宮沙羅)シナリオライター仲間。
【ボブ】(水香依千)シナリオライター仲間。
【ニック】(希峰かなた)シナリオライター仲間。

<バルセロナで登場する人びと>
【アギラール】(桜木みなと)人民オリンピック組織員会宣伝部長。PUSC(統一社会党)幹部。ソヴィエトが後ろについている。
【コマロフ】(夏美よう)ソヴィエト文化省の諜報員。
【アニータ】(瀬戸花まり)占いをする女性。
【母親】(花菱りず)市民。市街戦で息子(マリオ)を撃たれる。
【マリオ】市街戦で被弾する少年。(2022年キャスト表に名前なし)
【ラ・パッショナリア】(留依蒔世)マドリード包囲戦において「ノーパサラン!(やつらを通すな)」のスローガンで有名な政治指導者、ドロレス・イバルリ。「ラ・パッショナリア」は受難者または情熱の花の意味。
【イザベラ】(小春乃さよ)歌い手。
【市長】(若翔りつ)バルセロナ市長。
【リベラ】(澄風なぎ)POUM(統一労働者党)党員。
【フリオ】POUM党員。(2022年キャスト表に名前なし)
【テレサ】(水音志保)ヴィセントの恋人。踊り手。

《センチュリア・オリンピアーダ》
【マックス】(紫藤りゅう)オランダ人。レスリング選手。
【ビル】(瑠風輝)英国人。高跳びの選手。
【ビョルン】(鷹翔千空)スウェーデン人。フェンシングの選手。
【ハンス】(風色日向)ノルウェー人。フェンシングの選手。
【ナセール】(優希しおん)アルジェリア人。ボクシングの選手。
【タリック】(亜音有星)モロッコ人。ボクシングの選手。

《闘牛士》
【ホアキン】(秋音光)
【ラモン】(秋奈るい)
【カルロス】(水香依千)
【アントニオ】(穂稀せり)
【ファン】(真名瀬みら)
【ペドロ】(雪輝れんや)

<現代に登場する人びと>
【ペギー】(潤花)キャサリンの孫。
【エンリケ】(奈央麗斗)ヴィセントの孫。

<時代背景>
第一次大戦後のスペインはいったんは軍事独裁政権になるも選挙により共和派が勝利し国王が退位、ソヴィエトの影響力のもと人民戦線(社会主義連合政権)による共和国となっていた。
一方ハリウッドの映画業界でも共産主義思想に理想を見出す者も少なくない時代でもあった。(のちの赤狩りにつながる)

1936年7月ハリウッドからスペインに渡航した主人公たちは、フランコ将軍がモロッコで挙兵したという報せを聞く。これがスペイン内戦の発端であった。
当時バルセロナには世界22か国から人民オリンピック(オリンピアーダ・ポピュラール)に参加するため選手が集まっていた。
人民オリンピックとはナチス・ドイツのプロパガンダに利用されるベルリン・オリンピックに対抗してバルセロナで開催される予定のもう一つのオリンピックだったが、開会式のリハーサル翌日(開会式当日)にスペイン内戦が勃発したため中止となった。

内戦は、共産主義であるソヴィエトや国際旅団(義勇兵)が支援する「人民戦線」対、ナチス・ドイツやムッソリーニのイタリアなどファシズム国家が軍事支援する「反乱軍」(フランコ将軍が率いる)との戦いで、スペイン各地で戦闘が繰り広げられた。
人民戦線側は思想的にも一枚岩ではなくいくつもの政党により成り立っていたため統一性に欠けていた。(PSUCがPOUMを粛清する)

やがて人民戦線側が劣勢となり、1939年1月バルセロナが陥落、3月に首都マドリードが陥落し反乱軍が勝利、スペインはフランコ独裁政権の時代へ向かっていく。

| | コメント (0)

2021/12/14

薄紫のとばりの向こう。

宝塚歌劇団星組の愛月ひかるさんが、宝塚を卒業される12月26日まで残り2週間を切りました。

私にとって愛ちゃん(愛月ひかるさん)は宙組のホープだと思っていた人で、専科への異動はショックが大きかったです。
いろいろ思い起こすと、愛ちゃんにはいろんな夢を見せてもらったし、いろんな感情を抱かせてもらったなぁと思います。

真風涼帆さんが宙組のトップになったら、愛ちゃんに「花の業平」の藤原基経役とか来ないかなぁぜひ博多座で♡と勝手に思い描いたりしていました。
そんな無邪気な空想をしている頃に発表された同期であり花組2番手のキキちゃん(芹香斗亜さん)の宙組異動も青天の霹靂でした。愛ちゃんは2番手じゃないんだなぁと。(時系列でいうとこちらが先ですね)
じっさいに真風さんトップお披露目公演「天は赤い河のほとり」を見てみるとキキちゃんの軽妙さがとても好きになり、同期でキキ業平&愛基経やらないかなぁ博多座で♡と無邪気に想像したりもしていました。(懲りない)

いま星組に異動して立派に2番手をつとめている愛ちゃんを見ていると、ここに至るまでの時間がもうすこし早ければちがった道もあったのかなぁなんて思ったりも。
とはいえいまの愛ちゃんの透明でやわらかな表情を見ると、もうどんな繰り言もいらない気がするのですが、ひとつだけ。

卒業に際してCSの番組やDS配信などで愛ちゃんがしきりに語っている、下級生時代にもっと上級生に教えを請えばよかったという思いについて。
それだよなぁと思うのです。
愛ちゃんがどうというのではなくて、宙組の気風が関係していたりするのかなぁ。

宙組は約20年前に既存の4組からメンバーが集められてできた組で、集まったメンバーが元の組ではこうだったと主張しあったら収集がつかなくなるので、皆で新たなルールをつくっていこうとしたと元組長さんたちがおっしゃっていたのを公式メディアで聴いたり読んだりしたことがあります。
それぞれが別の組で受けた指導が異なるために、組全体の和を優先しようとすると、上級生が下級生を強く指導するということができにくい環境になっているのが問題だと。

和央ようかさんトップ時代の雑誌等を読むと、トップさんと下級生たちが分け隔てなく遊びに行ったりして楽しそうだなぁと思っていました。反面、舞台では上級生と下級生(他組経験者と宙組育ち?)ではっきりと分かれていた印象も強かったです。
組替えしてきたスターさんが気づいた点を指摘されても、指摘を受ける側が慣れていなくて戸惑ったりでなかなか定着していかなかったのかなと思います。

貴城けいさんは1年足らずの在籍でしたが、「日本物の雪組」で学んだことを日本物に慣れない宙組の下級生たちに残していこうとされたようで、通りすがりの下級生のお化粧も気になれば指摘されていたそうです。
それに食いついていったのが早霧せいなさんと言われていて、現在唯一宙組出身でトップスターになった方なんですよね。

上級生のほうから積極的に教えていく組もあれば、「見て学ぶ」気風の組もあると聞きます。ちがいはあれど、それぞれの組ごとにスターの育て方、生み出し方として確立したものがあるように思います。
そのちがいで組替えした後に齟齬がおきることもあるのかもしれません。そこをどうしていくかが長年の課題だったのかな。
タカラジェンヌとして楽しく在籍することと、期待を受けてスターになるために強く意識付けさせられて競争社会の中で厳しくストイックに稽古に打ち込むことを両立させるのは大変だろうなと思います。

下級生時代から抜擢続きの人は自分自身が期待に応えるのに精いっぱいで下級生に目を配る余裕がないのかなという印象を受けることもありますが、そんな方も学年が上がり余裕が出るにつれて下級生に自分がもてるものを伝えようとされているなぁとうかがえるようになっていくのを感じます。

人にもよるし学年や立場にもよるし、いつでもどこでもウェルカムではないかもしれないけれど、そこにいるのは宝塚を愛している人なのだからきっと教えを請いに来た下級生を無下にはしないのではないかなと思うのですが、それが難しい環境だったのかなぁ。愛ちゃんの性格だけがそれを阻んでいたとも思えないなぁ。

DSで物怖じせずに自分からいろいろ発信してくる蒼舞咲歩さんを愛しげに見つめながら愛ちゃんは下級生時代の自分を思い起こしているのかなぁと思いました。
いまの下級生にとっての愛ちゃんがそうであるように、下級生時代の愛ちゃんが教えを請いたかった人も輝ける星のような存在で、こんなふうに自分にまなざしを向けてもらうことは難しいことだったのかなぁ。

素直じゃないなぁと思えて、そのくせ正直者の愛ちゃんが私は好きでしたけど。
愛ちゃんが蒼舞咲歩さんみたいな性格だったら史上最強だったかもしれません笑。なぎ倒していきそう。
明るくてガッツのある蒼舞さんも素敵ですが、蒼舞さんを見つめている愛ちゃんがやっぱり好きですよ私は。

話が蛇行していますが、愛ちゃんは愛ちゃんのままでやっぱり好きなのですが、これからの宙組について思いをめぐらせると。
現在の真風さんも就任5年目に入るベテラントップさんで、ほかのスターさんたちもそれぞれに自分の個性を極めてらっしゃって何があってもどーんと受け止めてくれそうな気がします。
下級生にとってはいまこそ伸びるチャンスかもしれないと思います。
どうかこの機を逃さずに宙組からたくさんのスターが生まれますようにと願ってやみません。

そして愛ちゃんが愛情を残していく星組も、これからも見続けていきたいです。
(私自身のリソースは限られているのですが・・)

| | コメント (0)

この世のすべてを愛し続けたかった。

12月3日4日5日、福岡市民会館にて宝塚歌劇宙組全国ツアー公演「バロンの末裔」「アクアヴィーテ!!」を見てきました。
(の感想のつづきです)

「バロンの末裔」では初見の熊本公演で真風涼帆さん演じるローレンスに一目惚れ。
オスカー・ワイルドの作品に出てきそうな優雅で憂鬱そうで滑稽なほど貴族的、独特のテンポ感の美青年で、浮世離れしているかと思えば冗談も言う。「キャサリーーン、こまどりの巣をみつけたよーー」は身悶えするほど好きでした。

20世紀初頭、没落していく貴族も珍しくなかった中で、キャサリン(潤花ちゃん)も言うようにその領地や屋敷をこの若さで相続し維持していたローレンスの大変さは並大抵ではなかっただろうなと思います。
それこそ世間知らずの貴族を騙して財産を奪い取ってやろうとする輩は後を絶たない、そんな時代背景のお話。
相続税や維持費、生活費の捻出のために土地を切り崩し美術品を売却したり、慣れない事業に手を出したり。
莫大な持参金のために貴族たちがアメリカ人の富豪の令嬢たちと結婚していた時代でもあります。

ローレンスも領地を守るために富豪の令嬢と結婚するという選択肢もあったかもしれない。
でもそうはしたくなかったのだろうと思います。キャサリンとともに生きていくことが、彼の唯一の夢だったから。
持参金を期待できるわけでもないキャサリン(むしろ彼女の父はローレンスの援助をあてにしている)と生きて行くにはどうしたらよいか、誠実でロマンティストな彼は頭を悩ませただろうと思います。
そこを会計士のローバック(秋音光さん)に付け込まれてしまった・・。

自分の失敗で財産をすべて手放さなければならないとなった彼をいちばん苦しませたのは、もうキャサリンと手を携えて生きていくことができなくなった現実だと思います。
双子の弟エドワード(真風涼帆さんの2役)が帰郷して目にしたのは、心労で倒れて現実逃避しているローレンス。
その様子にエドワードはカリカリしていたけど、私はローレンスをかばいたくてしょうがなかったです。
貴族のおぼっちゃま育ちの現実とちぐはぐなところが滑稽であり悲しくて、それにどう考えてもこの幾年は彼の現実のほうが大変だっただろうと思えたから。(真風さんの長髪姿が大好物というのはおいておいても・・)

  いまもなお甦るのは 煌びやかなあの頃
  すぎていく時間さえもが 光り輝いていた
  愛する君と2人で 素晴らしいあの世界に
  手を携えて生きていくと うたがいもなく信じた
  やがては君と2人で 美しいあの世界に
  眠りのように朽ち果てると 無邪気に信じ続けた
  この世のすべてを 愛し続けたかった
  君が生きている この世界を

甘くてペシミスティックな歌詞を毎公演噛みしめて聴いていました。

かつてエドワードが家を出たときの心境、彼がキャサリンに想いを寄せていたことをローレンスが少しも察せなかったとは思えないのです。
それゆえ家の問題を弟には相談しづらかったのではないかと推察します。
この状況で弟の力を借りるということは、キャサリンの身の上についても彼なりに思案し尽くしているのではと思えて。
楽観的に未来を語るキャサリンに、君は一文無しになるということがどういうことかわかっていないと反論する彼にはもう彼女との未来を夢見ることができなくなっているのだなと思いましたし、現実逃避をしているように見えるのも、もし彼女が弟を選んだとしても2人が罪悪感を抱かなくてもよいようにダメダメを装っているのかとさえ思いました。(身贔屓すぎるかな)

エドワードにとっては愚昧なくせにすべてを持っている兄に見えるのかもしれないけれど、領地や屋敷を守り、そこに暮らす人々を守るという義務から逃げずに生きてきた人で、それらは彼が自ら望んだものではなく生まれながらに課せられたもの。夢といえばキャサリンと穏やかに暮らしていくこと。
そのキャサリンを失おうとしている彼が無気力になってしまっても責めるなんてできなくて。
エドワードもつらいかもしれないけど、ローレンスはもっとつらい立場なのだと思って。この悪夢を引き起こした原因はほかならぬ彼によるものなのだから。

幼い頃、洞窟の探検中に蝙蝠に驚いてキャサリンを置いて逃げ帰ってしまった後、きっと彼は自己嫌悪に陥ってしまっただろうなと思います。
キャサリンをおぶって帰ってきたエドワードを見ていっそう落ち込んだかもと思います。
その謝罪を込めて大切な宝物をエドワードにあげたりしたかもしれない。でもそれはエドワードにとってはつまらないものですっかり忘れ去られているかもとか。エドワードの知らないところで、彼の代わりに叱られたりしたかもしれないとか。
そんな想像をして勝手にローレンスにきゅんとしたりしていました。なんとなくそういう自己犠牲的なところがありそうで。
キャサリンに、たとえ君の想いが私に向けられていなくても私は君を愛し祝福することができると告げる彼を見ていると、やっぱりそうだよね、わかっていたよねと思います。

兄弟ゆえのおたがいの行き違いやわだかまりが、今回のことで解けていたらいいなと思いました。
祝賀パーティーでのエドワードを見ているときっとわかってくれたという気がしています。
キャサリンもローレンスのそんな優しさに気づいているから、彼の妻になろうと思えたのではないかと思います。
それは激しい情熱とはちがうかもしれないけれど、穏やかで深い愛情でむすばれている2人なんだと確信が持てました。
それぞれにせつないけれど、やっぱり私には3人にとってのハッピーエンドに思えました。

それにしても、好きな顔に挟まれて過ごしたキャサリンは幸せ者だなぁと思いました。
好きな顔だけど異なる美点をもつ2人に想われて。なんていうパラダイスかと。
まさしく夢ですね。
これからも、たまに帰郷するエドワードからローレンスへのあてつけのように贈り物をされたり賛美されたりしそうだし。
どんなお手紙の内容なのか、知りたいなぁと思います。

この後に起きる第一次世界大戦や世界恐慌でスコットランドも揺さぶられることになると思いますが、ローレンスたち、ことにキャッスルホテルで働くヘンリー(亜音有星さん)やスティーブンソン(優希しおんさん)たち若者は大丈夫かしら。
ウィリアム(瑠風輝さん)の銀行はどうなってしまうのかしら。
そして軍人のエドワードやリチャード(桜木みなとさん)は無事かしらと、その後の彼らを思って心配にもなったりします。
それくらい、作中の登場人物のひとりひとりに愛着のわく作品でした。
こんな舞台を見ることができて、ほんとうによかったです。

| | コメント (0)

2021/12/08

この世界のうつくしさ人の素晴らしさ。

12月3日4日5日、福岡市民会館にて宝塚歌劇宙組公演「バロンの末裔」「アクアヴィーテ!!」を見てきました。

ほんとうなら去年の秋に博多座で宙組が公演するはずだったのだけどコロナ禍で中止となってしまってとても悲しかったです。
ショーはきっと「アクアヴィーテ!!」にちがいないと公式グッズのグラスもその時に使えるようにはりきって保管して、心底楽しみにしていたので心底がっかりしてました。
今年の11月~12月の全国ツアー公演が発表されてからは、ひたすら中止にならないことを祈っていたので、無事に公演が開催されてほんとうにうれしかったです。
全国ツアー公演の愉しみのひとつである客席降りもいまはできない状況なので、持参した公式グラスでうれしい気持ちと福岡へようこその歓迎の気持ちを込めて客席からエアーで乾杯させていただきました。

福岡市民会館は博多座ができるより前の1970年代から宝塚歌劇の定期公演が上演されてきたホールで、客席がワンスロープになっており客席降りの演出で2階・3階が置いてきぼりにならないのが嬉しいのですが(以前の公演では真風さんか3階席まで来られたことも)、築50年以上の建物のためロビーの狭さやお手洗いの数に不都合もあり、例年だとなんとかイベントスタッフの方々で入場の列、お手洗いの列を捌いていた状況だったと思うのですが、今年は3日間の公演の初日はこれ大丈夫なのかなと心配なほどいろんなシーンで混みあっていました。
最終日はだいぶよくなっていたので、これもコロナ禍で公演中止が続いたことの弊害だろうなぁと思いました。(例年だと春と秋の2回宝塚を上演しているのでノウハウが引き継がれていたのかな)
こんなふうにいろんなところで引き継がれてきたノウハウが途絶えたりしているのだろうなぁ。(お茶会や入り出待ちなどはどうなるのかなぁ)
ちなみにですが、2024年に福岡市民会館は現在工事中の須崎公園の場所に建て替え移転するそうです。

「バロンの末裔」は熊本公演で見た1週間前よりさらにブラッシュアップされて、正塚先生の作品世界で皆がイキイキと息づいていました。皆それぞれに自分勝手で健気で変人で愛おしかったです。

そして見終わったあとに、気持ちが晴れやかになるというかモヤモヤがすっきりする作品になっているなぁと思いました。それはわたし的には意外でもありました。

15年以上前宝塚ファンになりたての頃に初演を映像で見た時は、エドワードがズルイ気がしてモヤモヤしていたのを覚えています。
辛い決断はなにもかもキャサリンにさせちゃうんだと思って。あんなに追い詰めて。
重い現実はキャサリンに背負わせて自分は去って行ってしまうんだと思って。
キャサリンの心情とか、彼女とローレンスの未来とかを、とても悲観的に見ていたんだと思います。

それがいま、2021年版を見終わったら、みんなモヤモヤが晴れてよかったねーという気持ちになっていました。
皆がそれぞれに何かを乗り越えて心の居場所がステップアップしたように思えたのです。

キャサリンに対して無一文になったローレンスを支えて生きていける訳がないとエドワードが言う場面、いやいやその人なら大丈夫じゃないかなと反論したくなりました。潤花ちゃんのキャサリンは生きる力に溢れているように見えたから。
きっと1人で奮闘するのではなくて、領民たちや人びとの手助けを上手に受けながらやっていけそうと。エドワードだって助けるにきまってる。

熊本公演を見て以来、エドワードよりローレンス派だったんですけど、4日のソワレでこの場面のエドワードの子どもっぽい不貞腐れたような顔に気づいて、あ、エドワードは彼女に自分の理想のキャサリンでいてくれなくちゃ嫌だと駄々を捏ねているんだと思いました。
彼はキャサリンや兄に対して、思い通りにならなかった貴族のしきたりや世の中に対して、それらを愛しているからこそ、こどものように拗ねているんだと気づいて、なんだかきゅんとして愛おしい気持ちになりました。(やばいセンサーが働いてる)

こどもの頃、驚いて逃げたローレンスに対してキャサリンをおぶって帰ったりしたのは、無意識に自分を認められたいと、自分の入るスキマをつねに探していたこどもだったからだろうと思いました。
なにも言わずとも皆が先回りをして思い通りになっていく兄と、言わなくては気づいてもらえない自分、というようにこどもの彼には見えていたのだろうと思います。
けど言えないだろう?と。自分がワガママを言えば、自分が愛する世界が壊れてしまうだろうと。そう思って家を出て行ってしまったのだろうなと思います。

そんな彼が、兄が倒れたという報せに故郷に帰って見れば、なつかしい人びとが変わらずそこにいて、大切だからこそ諦めた人や風や大地のなつかしい香りがそこにあり、けれどそのすべてを持っていたはずの兄はそれらをすべてを失う寸前で。
この自分が育った故郷の大地がそこに暮らす彼らともども失われてしまうという現実に直面してそれに本気で対峙することで、彼はひとつひとつのかけがえのなさに気づけたのだろうと思います。
そのなかには、兄ローレンスが自分が故郷を離れているあいだもたゆまずこの家や領土を守ってきた事実も含まれているのじゃないかな。たまに帰る自分とはちがい日々そこに暮らし守っている兄、守ってきた人びとのことに思い至ることができたのじゃないかなと思います。

それにやっぱりエドワードは、愛する人が息づく世界を愛したい人なんだと思います。
そこに自分がいれば最高なんだろうけど、その愛する世界を壊すくらいなら自分はそこにいなくてもよい人なんだろうと。一時の激情に流されそうになることはあっても、思いとどまれる。
ローレンスの夢が愛するキャサリンとともに暮らし、彼女が生きているこの世界のすべてを愛することというのと似ているけれど微妙に異なる。同じ顔でも立場の違いで責任も求めれることも違い、メンタルも変わるのかな。

ローレンスとキャサリンが穏やかに笑っているところに、自分はいつでも帰っていけることが彼の望んでいる幸福なのではないかと思いました。
それがいつからかははっきりとはわからないけれど、きっと3人で領地を駆け回っていたこどもの時にはそうだったのではないかと。
愛する人びとが笑って暮らしている世界をそのままのかたちで守りたい、とても保守的な人なんだなと思います。守られる側じゃなくて守る側になりたい人なんだな。そして守ったものを眺めて幸せになれる人なんだろうな。
キャサリンもそれに気づいたし、エドワード自身も気づいたのではないかなと。だから2人ともモヤモヤが晴れたのではないかなと思います。

たまに帰郷して、たくましく生きるキャサリンたちと相変わらずなローレンスの顔を見てなつかしみ、英国人的な皮肉を言ったりローレンスの前でわざとキャサリンを喜ばせたりして、彼らへの愛をたしかめたりしてほしいな。
5日のマチソワはそんなことを想像しながら真風さんのローレンスとエドワードを見ていました。

 ここに生まれ 人の世の なにもかもを知った
 この世界の美しさ 人の素晴らしさ
 忘れることはない

(エドワードのことばかり書いてしまったので、次はローレンスやキャサリンやほかの人びとについて書きたいです。皆大好きだったので)

| | コメント (0)

« 2021年11月 | トップページ | 2022年1月 »