たがいのぬくもり感じられたら憎しみも消え去る。
3月8日に宝塚大劇場にて宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」の11時公演と午後の貸切公演を見てきました。
2月5日が初日のはずでしたが、いくどか延期を繰り返して28日に待ちに待った幕が開きました。
それまでに5枚のチケットにサヨナラを言い、やっとのやっとで8日に観劇が叶いました。
幕が開けばつぎつぎに流れてくるどのメロディも懐かしく、それをいまの宙組で聴ける感動と幸せも覚えつつ。こんなに大好きだった楽曲で溢れていたのに、再演を熱望とまではならなかった理由もうっすらとわかったような気がしました。
幕開きに流れてくるギターの音色ですでにうるうる。
その前に開演前のオケボックスから懐かしいフレーズの一部が聴こえただけでも胸が震えていました。
オリーヴの樹が見える丘を目指して2人の人物が花道から登場。これがヴィセントの孫(エンリケ)に抜擢の107期生※の奈央麗斗くんかぁ。そしてキャサリンの孫(ペギー)は潤花ちゃん相変わらず見目好いなぁ。2人とも初演よりは大人びて見えるかな。
あれ?いまエンリケ80年前って言った? 初演は70年前って言っていたはずなので、2人が生きている時代が2020年前後にアップデートされたのかな。
初演のとき不思議に思っていたのですが、ペギーの祖父がジョルジュなら、その子は1940年生まれで初演の時でも65歳くらい、2022年のいまなら80歳を過ぎているはずなんだけど、親の年齢がそうならペギーが若過ぎないかな。50歳くらいで子どもを儲けたのかな。
エンリケはもっと若く見えるので、ヴィセントもヴィセントの子も、子どもができるのが遅めだったのかな。
人生さまざまだからなぁ。
真風涼帆さんのジョルジュはハリウッド時代もあまりスカしたプレイボーイという印象ではないのだなぁ。
初演の和央ようかさんのジョルジュがハイスペックなスノッブ野郎といった風情で登場して、キャサリンには第一印象最悪だろうな(苦笑)と思ったのに比べると、そこまでキザなフランス野郎の印象は受けないなと思いました。
むしろ最初から私はジョルジュに好感を持ってしまった。逆に酔っぱらっていきり立つ潤花キャサリンに「あらあらあら(笑)」ってなりました。
「キスしてくれたら」と言う和央ジョルジュには、いつも女性にこんなことを言ってきたのねこのひとはと思いましたが、真風ジョルジュには「えっなんでそんなこというの???」って思ってしまいました。
私は真風さんを全面的に信頼してるんだなー(笑)。
登場からしてジョルジュもキャサリンも初演と印象がまるでちがうので、これは新しいネバセイが見れそうだなと思いました。
再演はジョルジュだけでなくどの登場人物も弁えた好い人たちだなぁという印象で、エゴとエゴのぶつかり合いも控えめだなぁと思いました。
大和ヴィセントめっちゃ怒ってキレまくってたなぁとか、るいちゃんエレンの「ドロボー!!!」キツかったなぁとか、思い出していました。
なんというか、2022年版はみんな最初から纏まっててワンハートでした。たがいを思いやる気持ちが端々から伝わってきます。
楽曲の中でジョルジュの訴えに呼応して徐々に気持ちが1つになっていく感じではなくて。
そのせいか、期待していたダイナミックさには欠けたかなぁ。
ひとことで言うなら「調和」。これがいまの宙組なんだなぁ。
素晴らしいコーラスの纏まり、それでいて1人1人の顔が見える。
たがいに共鳴しあって、ワンハートを心の底から歌いあげたい思いが伝わってきました。
その溢れる思いに心から肯くことができ、そんな宙組がとても愛おしく思いました。その瞬間私の頭の中からは物語の状況は飛んでしまっていました。
そこに内戦を描いているカオスはなかったなぁと思います。
初演の時は和央さんそのものが「壮絶なドラマ」だったものなぁ。そのことと作品の悲壮感が相合わさって胸に迫っていた部分もあると思います。
ワンハートを歌いながら組のメンバーと眼差しを交し合う和央さんを見ているだけで心が震えたことが思い出されます。
2022年のいま、おなじこの宙組の舞台から受ける印象は「愛」と「喜び」でした。
考えるいとまもないような怒涛の勢いで押し切った初演。その作品を再演したことで、見えてしまったものがあるようにも思います。
私の中で流してしまっていたことを流せなくなってしまったというか。
いまのこの世界情勢から感じることも関係あるのかも。
いま目の前にいるオリンピアーダたちは戦況もちゃんと把握できてて冷静に判断できてそうで、それなのに?と思ってしまいました。
ヴィセントの言う愛する者たちを守るとはそういうこと?
自分を根無し草だと言うジョルジュが求めていた「人生の真実の時」ってそれ?
私には命のリアリティが描かれていない気がしました。
アメリカに戻って子どもを産み育てたキャサリンや、ヴィセントを待ち続けたテレサやビルが故郷に残してきた恋人の人生にある「真実」にこそ私は目を向けたい人間なんだなぁと。そんなことを突きつけられたように思いました。
なぜ、人民オリンピックに参加した彼らが祖国に帰らずスペインに残ったのか。どんな人生を生きてきて、その決断にいたったのか。それが知りたかった。
なぜ、ムレータやカメラを棄て銃を手にするのか。私にはわかりませんでした。
彼らはなにと戦っているのか。
無邪気に子どもたちが武器を持つのを見るのも胸が痛い。
1回目の観劇後、考えだすと辛くなってしまったので、2回目観劇の2幕からは考えるのはやめてパフォーマンスだけを愉しみました。
そんな自分も嫌だなぁと思ってしまって、ああだからだと思いました。どの楽曲も大好きだったのに再演を熱望しなかったのは。
初演のときに漠然と誤魔化してしまったものに向き合いたくなかったのかもしれないな。
フランク・ワイルドホーン氏の物悲しい音楽に数日経ったいまも胸のうちをかき乱されています。
※奈央麗斗くんの期を間違えていましたので訂正しました
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