ぼくが見ているものを見ようとする。
3月14日に宝塚大劇場にて宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」千秋楽を見てきました。
1週間前に見たときよりさらに、別のスイッチが入ったのかとさえ思うくらいの迫力ある宙組のコーラスを浴びることができました。
今回の舞台の主役は、このコーラスであり、宙組生全員だと思います。1人1人から発せられるパワーと音が合わさって生まれるハーモニーに圧倒されました。
終演後は目の周りがカピカピになっていました。
この作品に心を揺さぶられた後だったから、退団する5名の挨拶そして真風さんの言葉がいっそう胸に響いたのだと思います。
いつの間にか退団者が袴で大階段を降りて客席からの拍手を浴びることが当たり前のことではないのだと思う世の中になっていて、そんないま、この奇跡の瞬間をみんなで分ちあっていることになんともいえない気持ちが溢れました。
この瞬間が幻と消えてしまわないで本当に良かったです。春瀬さん、瀬戸花さん、水香さん、穂稀さん、愛海さん、大劇場ご卒業おめでとうございます。
楽曲もアレンジも素晴らしいなぁと思い、舞台でいまこの瞬間に湧きあがるコーラスに心を振るわせられつつも、冷静な自分が「おそらく私は一生ジョルジュとはわかりあえそうにないなぁ」と思ってもいました。
これは1人のエゴイストの生き様を描いた作品なんだなぁと思いました。
サグラダファミリアの外でエレンがジョルジュを問い詰める場面、エレン役の天彩峰里ちゃんに私は釘付けでした。
激しい言葉で詰るように歌いながらその心がジョルジュの愛を切望しているのが痛いほどつたわる天彩峰里ちゃんの熱演にこちらが泣きそうになりました。
よくこんな主人公がサイテーに見える場面を作ったなぁ。そのことにこそ価値がある場面だなぁと思ました。
「あのひとのどこがわたしよりいいの?」「ぼくが見ているものを見ようとする」
でも、彼女(キャサリン)が見ようとするものを、彼が見ようとはしないってことも私はもう知ってる。
彼にとって大事なのは「ぼくが見ているもの」だけだって。
自分に正直に求めるものを追いかけてそのためには人も傷つける。そういう人間の生き様が描かれているのだなぁと思います。
上昇志向だったパリ時代は、エレンも「ぼくが見ているもの」を見ている人だったのだと思います。高みを目指して彼女を追って新世界に渡ってきた。
あらゆるプライズを手に入れて何不自由のない身分になるともっと別のものに、華やかで享楽的なハリウッドでは見いだせないものが見たくなった。それを「人生の真実」と彼は言う。
エレンとはもう「見ているもの」がちがってしまった。
そんなときに、彼と同じように「人生の真実」をみつけようとしているというキャサリンと出逢う。
彼の理屈では、そんなキャサリンに気持ちが移るのは当然のことなんでしょう。
「君を傷つけたなら殴られてもいい」
人を傷つけたとしても自分が望むものを追い求める。心底自分に正直なエゴイストなんだなぁ彼は。
そしてキャサリンの視線が「ぼくが見ているもの」から逸れていくのを感じると、「彼女のどこに恋したのだろう?」と自問しはじめる。
やるべきことをみつけたという彼女を引き留めて、そばにいてほしいと思う。
でもそれを彼女に言うのはプライドがゆるさない。と葛藤する。
どこまでも勝手な人だなぁ。
「ぼく自身のプライドが」だとか「男のエゴイズムか」だとか四の五の言って彼女とのあいだに「渡れない河」を作っているのは彼自身でしょうに。
彼女を引き止める理由やそうしたい気持ちがあるのなら、それを言葉にすればいいのに、男のエゴイズムだと言われるのはプライドが傷つくから、必死になって引き止めたりはしない。
みっともないことはしたくない。
いっそ清々しいくらいのエゴイズムと自己愛。それこそがジョルジュの本質なんだなぁ。
さらに「ぼくが見ているもの」は変わっていき、キャサリンとも共有できないものになる。
自分がやりたいことをやるためには彼女が足手まといなのだけど、それをさとられるのは沽券にかかわる。
「だから——言いはしないサヨナラだけは、NEVER SAY GOODBYE」
そう言って自分の命だというフィルムを彼女に預ける。とても共有したとは思えない「人生の真実」を君と共有できたという。
欺瞞だなぁ。詭弁家だなぁ。
結局は男としてヴィセントたちに劣りたくないからキャサリンを残して前線に向かうのでしょうに。
子どもができるような関係になった女性と一緒に生き抜く未来ではなく、男同士の社会で誹られない自分になるほうを選びたくなったから。
ヴィセントはもともとそういう側の人間で、オリンピアーダたちとは共に闘う中で絆を深めていった。その仲間意識に憧れて、その絆から弾き出される疎外感に耐え切れず、その一体感に身を置く安心感を選んだ。そんなふうに私には見えました。
それを「人生の真実」という言葉で誤魔化しているように。
リベラルを気取って知的で洗練された男性として生きてきたけど、自分を解放して本当にになりたい自分を突き詰めたら、女性を粗野に扱って荒々しく生きたい願望にぶち当たったんだな。
自分がやりたいことをするために別れようとしていること。なのにこれはサヨナラじゃないと言うこと。
ジョルジュは自分を正当化できていると思っているかもしれないけれど、潤花ちゃん演じるキャサリンはすべて見透かしたうえで、そのほうが2人にとってベターなんだと理解したから、受け入れたように見えました。
そういうところに男女のリアリティを醸し出すコンビだなぁと思います。
ロマンよりも真実を、このトップコンビに感じました。
面白い2人だなぁと。
男の真実を見せる真風さんと、人間のエゴイズムを包み込むそのホスピタリティが魅力の潤花ちゃん。
それぞれに1人で立っていることができる2人だからこその世界観。
初演のコンビが見せた悲壮感とは、見えるものがだいぶ違うなぁ。
そこまでの人間ドラマは面白かったのですが、その後の描き方がやっぱり物足りなかったなぁ。
私は塹壕の中で交わされるジョルジュとヴィセントとの深い友情の場面とか見たかったなぁ。ヴィセントが孫に語ったジョルジュの勇敢さとか、そりゃあ孫に語るわって納得できる場面を。
もっとヴィセントやオリンピアーダたちとの場面を書き込んで見せてくれたらなぁと。
初演は伝説のトップコンビの退団作品として、2人の別れの場面に全集中だったのは当然だし、そのシチュエーションだけで納得してしまえた部分はあったけれど。
再演にあたって、初演でも薄々感じていた2幕後半の作劇の薄さをもうすこしどうにかしてくれたらよかったのになぁ。
再演は初舞台公演でもないし、加筆してくれると期待したのになぁ。
余談ですが、キャサリンの「私は離婚経験者で、恋愛は3回、あなたで4人目」・・初演では花總さんにそれを言わせるんかい?でしたが(おそらくあえて言わせたなと)、再演ではジョルジュの「ぼくは君に会うために生まれてきた」にあーそれ言っちゃう?って思ってしまいました。
これに関してはジョルジュは悪くないし、当然真風さんも悪くない。(悪いのは小池修一郎)
芹香斗亜さんは、初演の大和悠河さんが演じた如何にもな「ハリウッドが期待するスペインのマタドール」(ラテンラバーとして華やかに登場)かつ「英米人から見たスペイン人」(好意を示すのも怒りをぶつけるのも直情的な人物)とはだいぶ異なるヴィセントを作っているなぁと思いました。
再演で追加されたソロ曲によるところも大きいですが、かなりペシミスティックで感傷的な印象を受けました。
初演だと、ジョルジュと真逆の人生を生きてきたキャラクターという対比が見えていましたが、今回はそんなに単純な感じではなさそうでした。
それゆえ、2幕でジョルジュにキレるところが、えええっそんなことを言う人には見えなかったのに~って思いました。じつは本心では誰にも心をゆるしていないのかしらこの人は?と。
大和ヴィセントは単純に、戦況思わしくなくイライラが募っている矢先にタリックのこともあり、心の闇をぶちまけてしまったんだなぁと見えたのですが。
そして彼が本音をぶつけたことでジョルジュも自分がずっと抱えてきたことを吐き出せたってかんじで、かえって雨降って地固まった印象で、とても単純な流れに見えたんですが。
再演ではそうは見えませんでした。
このシーンはもっと何度も見て考察してみたかったなぁ。返す返すも公演期間が短くなったことが口惜しいです。
オリンピアーダたちのことも、もっと1人1人注目して見たかったです。見えたものがたくさんあっただろうなぁ。
(Blu-rayを買い求めるしかないかぁ。この千秋楽が収録されているというのが唯一の救いかも)
私が持っている東京公演のチケットは1枚だけ。
あとは東京千秋楽を配信で見るのみ。
どうかどうかこれ以上見られる機会が減ることがありませんように。
退団する方たちが幸せに千秋楽を迎えられますように。切に祈っています。
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