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2022年4月の5件の記事

2022/04/30

ハウダニット。

4月26日に宝塚大劇場にて星組公演「めぐり会いは再び next generation-真夜中の依頼人(ミッドナイト・ガールフレンド)-」「Gran Cantante(グラン カンタンテ)!!」をマチソワしてきました。

「めぐり会いは再び next generation-真夜中の依頼人(ミッドナイト・ガールフレンド)-」 (タイトル長いけど、どこを省いていいのかわからない!)は、2011年に柚希礼音さん主演で上演された「めぐり会いは再び」のシリーズ3作目で、2作目で登場した礼真琴さん演じる末っ子のルーチェの10年後を描いた作品になっていました。

1作目2作目は地方貴族オルゴン伯爵家のお嬢様の花婿選びの顛末を描いたものでしたが、今回はそのオルゴン家の次男で末っ子のルーチェが訳あって王女様の花婿選びに参加する物語。舞台を彼が住む王都に移して、なぜかスチームパンクの世界観に。この世界線では文明が発達するとこうなるってことかな。

今作の上演発表時にまず気になったのが、1・2作目に出てきた人たちはどうしているのかな?でした。
その気になる面々もちゃんと登場。
音羽みのりさん演じるレオニードがあの困難な恋を成就させてしっかり?ちゃっかり?オルゴン伯爵夫人になってた!(奇人のお兄様押し切られたか!)
持ち前の行動力は健在だし、なにより懐かしい姿が見られてうれしかったです。

万里柚美さん、役名が変わっている?と思ったら、リュシドールと再婚して伯爵夫人ではなくなったからか。お行儀指南というかもはや王家のご意見番ですね。
執事のユリウス(天寿光希さん)は変わらずオルゴン家に仕えてて安心しました。相変わらず女優がお好きなんだな。憧れのエメロード様(美穂圭子さん)にも会えてよかったです。

ていうか、あのエルモクラート(真風涼帆さん)が振り回されていた大女優のエメロード様はこの方だったのか!衝撃。(これは端から手玉にとられていたな)
当時モラトリアム全開だった彼はどうやら劇作家をやめて実家に戻り、いまや辺境伯のご領地を治めているらしい。
そしてそこには某弱小国第24王子の従者ケレス(芹香斗亜さん)がいるらしくて、人生なにかおきるかわかりませんねーという。
そんな細かいところも盛り込んでくれるのは、シリーズを見てきたファンにはうれしいです。
ただ一つだけ、オルゴン伯爵役で英真なおきさんが出演されていないのが本当に残念だなぁ。

さていつの世もどこの世も、都というのは若者が夢を抱いて屯しては失意を味わう場所らしくて。
ここでも萎んでしまいそうな夢を必死に守る若者や教わるべき先達を失い形骸に固執する者、大人や世間に傷ついて逃げ込んで来た者たちが戯れ言やため息を共有しあっている。
心に傷を抱えて前に進めないルーチェも。みんなこのままではいられないとわかっていながら子犬のようにグルーミングしあって巣穴の外をうかがっている。
そんなところから物語ははじまりました。

ストーリー運びは単純で、見ている観客は謎解きなどしなくても登場人物たちが勝手に王女様の正体も真犯人もバラしてくれる。それもけっこう早いうちに。
だから、あとは主人公たちがどうやって学びと覚悟を得て逃げていたものを受け容れるか、を見ていくことになるのだけど。

いちばんの見どころは役者のキャラ立ちだなぁと思いました。
でもそこがなかなか難しいのだなぁと。
私が初見で思ったのは、初演の方たちのキャラ立ちは尋常じゃなかったのだなぁということでした。
とはいえ、私が見たのは初日があけてまだ数日のところ。これから1人ひとりがどんどん個性を発揮していくともっと面白くなるはず!と思います。
このお芝居にかぎっては、意味もなくカッコイイとか、訳もなくラブリーとか、そういうのぜんぜんオッケーだと思うので。

オンブルのみなさんとか花婿候補のみなさんとか、もっともっと美味しくなると思いました。脚本にはそういう場面も用意してあるし。
力自慢の彼(役名お名前わからずすみません)とか騎士の彼(碧海さりおさんですよね)とか。自己紹介の伏線を回収する場面は見得を切るくらいの勢いでやっちゃってもいいのじゃないかなぁ。おお!あの人ね!って応援したいです。第128王子のリドル(咲城けいさん)は強いの?弱いの?笑。
オンブルの追手のみなさんも、せっかく銀橋を使うのだからもっと派手に照れてもいいような笑。
わちゃわちゃしてる場面が多いので、礼真琴とその他大勢にならないで芸名の自分をもっとアピールしてこ笑。と思いました。

私がいちばんもっと美味しくやれるはず、と思ったのは宰相オンブル(綺城ひか理さん)。
ギャップ萌えできるなんてこんなに美味しい役があるでしょうか。
最初はどれだけ憎々しく印象づけるか。
そこからの「気流の関係で機体が大きく揺れることが予想されます」的な気持ちを存分に味わわせることができるキャラ。
だって動機がアレですよ? こんなことで? こんなことある?みたいな。
なっ・・っ・・そんなにもコーラス王(朝水りょうさん)のことがっ???って見ていて照れちゃいました。
美味しくやれる余地がいっぱい残っていると思うんです。
あの脚本をどれだけ埋めたり足したりできるかが役者の手腕だし面白いところだと思います。
そしてラストのコーラス王には、オンブル様への愛をもっと見せてほしいなぁ。相思相愛よろしくお願いします。

息子のロナン(極美慎さん)も同じく。
もっといけ好かなくってもよろしくってよと思います。
オムツをしている時分から「向かうところ敵なし」だったみたいな印象を与える人に見えたらいいな。内心はどうあれ。
美貌はいうことなし。さらにもっと過剰なほどの自信を自分を守る鎧のように身にまとっているといいな。
でもほんとうは・・なんて。こんなに美味しく描かれているキャラがある?って思います。
でもでもどんなに健気な一面があろうとも小憎らしさだけは絶対に失わないで。それが最大の魅力だから♡

本来は宰相オンブルのようなキャラクターを得意とする輝咲玲央氏が今回は「ノンキな親戚」に回っているのも見どころだと思いました。
(オンブルがほんとに悪宰相なら輝咲さんにキャスティングされているのだろうなぁ)

ノンキな親戚チームはさすがだなと笑。
ローウェル公爵(輝咲玲央さん)、意地っ張りの若い2人を心配してこんな計画に手を染めるなんてほんとにノンキでお人好しなんだから。
しかも見込んで助言を求める相手があのレオニードだし。「国家機密」を担っているのにほんとうにお気楽な公爵様笑。
ローウェル公が能天気であればあるほど、オンブル様がムキ~ってなるのもわかる気がします。
王の甥ってだけでなんの取り柄もないくせに~!って。(ローウェル公がコーラス王の甥ってことは、王女様とはいとこ同士? コーラス王はずいぶん遅くに一人娘を授かったのだな。そりゃあ可愛くて心配もするかぁ)

フォションお兄様(ひろ香祐さん)はこんな方だったのかぁ。こりゃあかんたんに妹にクスリを盛られるなぁ笑。
クスリを盛られても目が覚めたら「爽やかな目覚めだわ♡」とかノンキに思っていそう。

こんな大らかで寛容な親戚に囲まれて育ったからレオニードも自分に正直に突き進める女性に育ったのだろうなぁ。
アンジェリーク(舞空瞳さん)も預けられたのがローウェル公でよかったのではないかな。
宰相のところだと窮屈で自由もなかったのじゃないかな。ルーチェとも出会えてなかったかも。

さてこの国では母親は早世しがちみたいで、コーラス家、オルゴン家もそうだったし、オンブル家も母親はどこ?でした。
新公外の星娘たちがひとまとめに花婿選びの審査員と仮プリ(仮のプリンセス)だったのは美味しくないなぁ。
顏覚えが致命的に苦手な私にはつらかったです。誰が誰だかになって。
といってもいまさら役は変わらないので、ならば星娘たるもの、半歩前へ押し出し強く主張してくださるとうれしいです。

中堅どころがわちゃわちゃしているなかで、105期が美味しいなと思いました。
双子のポルックス(詩ちづるさん)とカストル(稀惺かずとさん)、とっても可愛かったしお芝居もお上手だなぁと。
鳳花るりなさんも冒頭の回想シーンでの子ども時代のアルビレオ、お顏がよく見えてセリフも良いお声。(アルビレオは歌うまさんの役でしたね)
大希颯さんのフラーウスも、ルベル(天飛華音さん)やカエルレウス(奏碧タケルさん)と一緒の3人組で。双子と絡むところは長身が活きてました。

星組を見に行くと必ず目が吸い寄せられる水乃ゆりさん、今回はレグルス(瀬央ゆりあさん)、ティア(有沙瞳さん)、セシル(天華えまさん)と一緒に探偵事務所に屯するルーチェの大学時代からの友人アニス役。発明、実験、計算が大好きでかつちょっと生きづらそうなものを持っていそうなキャラが新鮮でした。ハネた三つ編み姿も可愛くて目がとろけました。

アージェマンド役の瑠璃花夏さんは、初演のリゼット役の白華れみちゃん味があってなんども目を凝らして見てしまいました。
(そしてそしてもしかしてまさかのアージェマンドがタイトルロール???笑)
可愛らしくてお芝居もお上手で良いキャラを出してて、これから注目したいなと思いました。

そしてけっきょく聖杯は怪盗ダアトに盗まれてしまったのですよね。
ダアトの正体と盗まれた聖杯のゆくえを追う物語は、いつか見ることができるのでしょうか。
その時は、バートル探偵事務所のみなさんと、ルーチェとアンジェリーク、そしてアージェマンドが活躍してくれるかなぁ。

終わってみるとみんなで大騒ぎした末に大団円という馬鹿馬鹿しいけど罪のない作品でした。
こんなお芝居を2500人もの観客が一緒に見てほっこり涙ぐんだり笑ったりしているって、なんて尊いんだろうとしみじみ思いました。

そしてこれを書いていた4月30日、公演関係者に新型コロナウィルス陽性者が確認されたということで公演中止となってしまいました。
宙組大劇場公演につづいて星組も・・・涙。
陽性になった方が罹患症状など残らず無事に復帰されますように。
一日も早い公演再開を心から祈っています。
(どうか2度目の観劇が叶いますように!)

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2022/04/23

俺の生まれはバルセロナ。

4月8日に東京宝塚劇場にて宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」を見てきました。

新型コロナウィルスの影響で宝塚大劇場での上演回数が半減して、私が見ることができたのは千秋楽を含めて3公演。
そして東京公演はこの1回きりの観劇となりました。

ジョルジュ(真風涼帆さん)については先に感想を書きましたのでそのほかの感想をと思いますが、書き出すと終わりが見えないほど次々に湧いてくるものがあるので、時代背景に想いを馳せながらムラと印象が変わったなと思ったことを交えながら書いていきたいと思います。

まずプロローグのエンリケ(奈央麗斗さん)がヴィセント(芹香斗亜さん)にそっくり!とびっくりしました。
おじいさん似だったのねー。
ムラではそれほど思わなかった気がします。東京公演ではお化粧や髪型で寄せてきたのかな。(もしかするとムラで私が気づいていなかっただけなこともあり得ますが)
ペギー(潤花ちゃん)もおばあさんにそっくりだし笑、紛れもなく2人の孫なんだなぁと思いました。
こうして孫たちがスペインの地で邂逅できてよかったなぁとしみじみしました。

物語ののち反乱軍が勝利してフランコ独裁政権になったスペインの地を、キャサリン(潤花ちゃん)は二度と踏むことはできなくて、ヴィセントに会うこともジョルジュ(真風涼帆さん)の最期について話を聴くこともできなかったことを思うと、こうして2人が平和な時代を生きて会えて話していることが感動でした。
これもフランコ独裁政権が終わったから実現したことなんだなぁ。

ペギーが言っている1992年のバルセロナ・オリンピック、開催当時はよくわかってはいなかったんだけどそれでも歴史的なことが起きているんだなぁと思ったものです。
そこにはたくさんの人びとの想いが詰まっていたんだなぁ。

余談ですが、その開会式ではフレディ・マーキュリーがバルセロナ出身のオペラ歌手モンセラート・カバリエと一緒に歌うはずだったんですよね。前年に亡くなってしまわなければ・・
オリンピックの公式サイトにフレディ・マーキュリーとカバリエが歌っている楽曲「バロセロナ」を使用したモンタージュビデオがあったのでリンクしておきます。
ビデオにはジョルジュたちが過ごしたサグラダファミリアの1992年当時の映像や、バルセロナオリンピックスタジアムも映っています。
このスタジアムは、1936年の人民オリンピックに使用されるはずだったものを改修したのだそうです。ヴィセントやビル(瑠風輝さん)たちがこの場所でリハーサルしたんだなぁ。
(こちらも→ Freddie Mercury ft. Montserrat Caballe - Barcelona (Live in Olimpiada Cultural)  )

初演の時は、世界史の中の出来事だなぁという捉え方しかしていなかったと思うのですが、2022年のいまのこの世界情勢の中だからこそ1992年のバルセロナの人びとの歓喜の意味に想いを馳せることができる気がします。
そんないまこの時に見る「NEVER SAY GOODBYE」となりました。

物語は1936年に遡り、舞台はきな臭いヨーロッパとは遠く離れたアメリカ、ハリウッドのクラブ「ココナツ・グルーヴ」。
前年には「TOP HAT」同年にはチャップリンの「モダン・タイムス」が公開されたそんな時代なんですね。
(「TOP HAT」では英米と南欧との格差が感じ取れますし、「モダン・タイムス」は労働者をただの歯車として消費する資本主義社会を批判的に描いているように見えます)

新作映画の製作発表パーティに集うセレブたち。そして紹介される出演者や関係者たち。
そのなかにラジオ・バルセロナのプロデューサーのパオロ・カルレス(松風輝さん)がいて、当時誕生したばかりの社会主義国スペイン共和国について歌い、海の向こうのヨーロッパでは労働者が国を動かす時代が到来したことを示唆。

私はパオロさんが片頬を上げて哂うのが好きで、見るたびに出た出たこれこれとニヤニヤしました。
人好きのする気さくな笑顔を相手に見せながら、見せていない方で哂ってる。同時に2つの顔をして同時に2つのことを考えているみたい。
言葉巧みに都合の悪い真実についてはすっとぼけて相手にとって耳障りの良い話を滔々としてその気にさせる。→スタイン氏(寿つかささん)はすっかりその気。
どんなピンチも言葉の言い換え、発想の転換で切り抜けていきそう。
いかにもやり手興行師な風情。いいキャラ作っているなーと思います。

時代の空気はハリウッドの若者たちにも影響を与えていて、キャサリンや仕事仲間のピーター(春瀬央季さん)も純粋に社会主義思想に理想を抱いているみたいで、ピーターはユニオンを作ろうと持ち掛けて仲間から渋い顔をされているし、キャサリンはそんな仲間たちに「情けない」と檄を飛ばしている。

この場面は都会に集う若い知識人のリアルが感じられるなぁと思いました。不満はこぼすけれど実際に行動を促されると尻込みしてしまう。とてもよくわかります。
彼らが歌い継ぐ洗練されたメロディもアメリカだなぁと思いました。こういう曲調は舞台がスペインに移ると聴けなくなるので噛みしめて聴きました。

そしてキャサリンが自分を鼓舞する勇ましい「ハッ!」が好き。この無謀で理想を食べて生きているキラキラしたかんじは嫌いじゃないなぁと。むしろ微笑ましくてフフッと笑ってしまいました。
当時の彼らにとって、ヨーロッパの情勢はどんなふうに映っていたのかな。自分たちとはかけ離れた遠い海の向こうの出来事? それとも共感? この頃はまさかスペインで内戦が起きるとは思っていなかったのだろうな。(だからこそマークたち一行もロケの下見を名目に物見遊山でスペインまで行ったのだろうし)

アニータ役の瀬戸花まりさんは歌うまさんなのは知っていましたが、ムラで見た時は曲調と声質が合っていないかなと思っていました。初演の毬穂えりなさんがとても豊かな声音で素晴らしかったので、どうしてもその記憶が呼び起こされて。
でも東京のアニータは歌い方から変わったみたいで、とても深みのある歌声が素晴らしくて聞き惚れました。
アジトをみつけてあげたり、ヴィセントの実家の片づけを手伝ったり、かと思うとキャサリンに出国の手配をしてあげたり、彼女が味方についていなかったら、彼らはもっと早くに破綻していたんじゃないかしら。
キリっとした頼もしさもあるのに、セリフのないところでは愛おしそうな眼差しでジョルジュたちをみつめているのもいいなと思います。
そもそもどうして彼女はジョルジュたちと行動をともにしているのかなと想像してしまいます。

テレサ役の水音志保さんは「夢千鳥」につづいての抜擢かな。ここ数年気になる娘役さんだったのでキャスト表にテレサとあるのを見てとても嬉しかったです。
2番手の芹香さんに寄り添っても遜色ないし、愛されている女性のきらめきや自分の踊りで生きていく強さとしなやかさも見て取れてとても好きでした。
美原志帆さんや音波みのりさんみたいな綺麗なお姉さま役ができる人になって、これからも楽しませてもらえたら嬉しいです。

キャスト表を見て楽しみにしていたもう1人、ラパッショナリア役の留依蒔世さん。歌声の迫力さすがでした。
ムラでの初見の時は、娘役さんのキーがちょっと苦しそうかな?と思ったのですが、ムラ千秋楽そして東京とどんどん声が安定して迫力が増していたので、東京千秋楽にはどうなっているのかと思います。(私はライビュでしか聞けないのが残念)
歌もさることながら、娘役さんたちを率いて、そして男役さんたちに交じっての市街戦も女性としてカッコよくて素敵でした。
フィナーレでもとてもしなやかで力強い娘役ダンスを披露していて、見応えのあるパフォーマーぶりで魅了されました。宙組になくてはならない存在だと思います。

そしてバルセロナ市長役の若翔りつさん。市長の内戦勃発を知らせる歌は初演では風莉じんさんの歌唱力に驚いた記憶がありますが、若翔さんもぶれることなく素晴らしかったです。こんなに歌える人とは知りませんでした。
「バルセロナの悲劇」でラパッショナリア役の留依蒔世さんと一緒に歌うところは聞いていて高揚しました。歌うまさんが合わさるとこうなるの??と。
あの場面はコーラスも最高で、その押し寄せるような歌声のうねりに涙を流して聴いていました。

故郷バルセロナを愛するヴィセントのソロ曲「俺にはできない」は、初演の「それでーもーおーれはのーこるー大切なーものをまーもるーためー」のほうがインパクトあって(いろんな意味で)わかりやすかったなぁと思います。
初演でヴィセントは脳みそ筋肉だけど愛すべき人、と強くインプットされている私はムラの初見で大いに混乱してしまいました。

ヴィセントは初演では2番手の役にしてはそこまで大きな役という印象ではなかったので(アギラールのほうが2番手っぽい役だなと思っていました)、ベテラン2番手芹香斗亜さんのために書き足しされるんじゃないかなーと思っていたのですが、場面として大きな書き足しはされていなかったようでした。
いちばん変わったと思ったのはソロ曲「俺にはできない」が、メロディも歌詞も別物になっていたこと。
ほかはココナツ・グルーヴの登場の場面で「オーレ!」と決めポーズをするだけだったところで、1フレーズ歌が入ったとかそんな感じ。戦場の場面が増えてくれたらいいなぁなんて思っていたのですが。

場面を増やさないかわりに、芹香さんのためにソロ曲で銀橋を渡ることにしたのだなと思うんですけど(初演では銀橋は渡っていないので)、そうするためには初演のナンバーでは長さが足りないし、芹香さんの歌唱力を活かすべくワイルドホーン氏に歌いあげ系の新曲を書いてもらったのだろうな。
曲のタイトルはそのまま、メロディアスな曲調に。歌詞も内容はほぼそのまま言葉数が倍以上増えてより抒情的に、感傷的になっていました。
そのためヴィセントという人が謎な人物になったように私には感じられました。

あの場面は、闘牛士たちがバックヤードで「闘牛の中心地のセビリアが反乱軍の手に落ちた」「俺たち闘牛士はこれからどうなる」と喧々囂々と言い合って「闘牛を続けるためになんとかして南部へ行こう」という話で纏まりつつある中で、ベンチに座ったままずっと黙りこくっていたヴィセントが「俺の生まれはバルセロナ」「俺は残る二度と闘牛できなくても」と闘牛士仲間と行動を共にしないで1人残ってバルセロナで反乱軍と戦う決意を言い放つんですよね。

「敵と味方か」ともヴィセントは言ってる。
闘牛士というのは王侯貴族や伝統と深く結びついている職業なのでしょう。
反乱軍は、社会主義国となったスペインで既得権益を失ってしまった王侯貴族や教会、ブルジョワたちに支持されて勢力を強めていったわけで、闘牛士たちはそうした反乱軍を支持する人びとの庇護下に入るために南部へ下ろうとしているということなのではと思います。
だからヴィセントの「俺にはできない」に繋がるんだと思うんですが、脚本上それに少しも言及しないので1人ヒロイックな妄想に耽って歌っているみたいな印象をうけてしまいました。

ヴィセントってジョルジュのことを子や孫に語り継ぎ、その命ともいえるカメラを、ジョルジュとキャサリンのあいだに宿った命に連なる孫のペギーに受け継ぐとても意味深いところを担うなど、ファンクションとしての役割は重要なのに、人物の肉付けや整合性に粗さが否めない描かれ方をしているので演じる芹香さんも作り上げるのに苦労したのではないかな。

セビリアはフランコ将軍たちが蜂起したモロッコからは目と鼻の先のスペイン南部の都市で、バルセロナはスペイン北部のフランス国境と接したカタルーニャ地方にある都市。整備された道路を通ってもおよそ1000Kmちかい道程。(Google map調べ)
セビリア生まれのファン(真名瀬みらさん)をはじめ、ホアキン(秋音光さん)、ラモン(秋奈るいさん)、カルロス(水香依千さん)、アントニオ(穂稀せりさん)、ペドロ(雪輝れんやさん)たちは、無事に戦火を掻い潜って南部に辿り着けたのでしょうか。

彼らにはイデオロギーなどどうでもよくて、純粋に人生を懸けた闘牛をつづけたいという一途な気持ちで命を懸けた行動を余儀なくされている。
どこをとっても戦争は残酷だと思います。
たとえそこに英雄がいたとしても美談にしてはいけないものだと思います。

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2022/04/17

ぼくはデラシネ。

4月8日に東京宝塚劇場にて宙組公演「NEVER SAY GOODBYE」を見てきました。

当初は東京公演の観劇は予定していなかったのですが、宝塚大劇場公演の上演日数が半減し私の観劇回数も大幅に減ってしまうとわかったので慌てて友の会の先行にエントリー。辛うじて1公演当選したので日帰り遠征と相成りました。

4月2日の東京公演初日から1週間ほどたったところでしたが、ムラの千秋楽より一段と凄いことになっていました。
舞台の上の誰もがこの瞬間に命を懸けている。そんな気迫を感じる舞台でした。

東京宝塚劇場はたしか昨年末にリニューアル工事をしたとのことですが、音響設備も変わったのかな?
セリフやソロ曲の聴こえが凄くいいなと思いました。逆にコーラスになると音を絞り過ぎてるんじゃないかな?と思うところも時々。
それでもどのコーラスナンバーも素晴らしくて、これを浴びるために来たのだと何度も舞台に向かって拝みたい気持ちになりました。
「バルセロナの悲劇」では歌声のうねりに圧倒されて気づくと涙が出ていました。

2幕のサンジョルディの祭り場面のジョルジュ(真風涼帆さん)とキャサリン(潤花さん)のデュエットダンスも息をのむほど美しくて光の中に溶けていってしまいそう・・と思っていたら自分の涙で滲んでいたせいでした。
舞台上の人びとに心を振るわせられどおしの観劇でした。

ジョルジュはココナツ・グルーヴで登場するときの雰囲気がムラで見た時と変わっていた気がしました。
足取りも軽やかで、真風さんには珍しく“チャラい”。銀橋でのソロの歌い方も変わった気がします。
都会のプレイボーイ感がすごく出ていて初演の和央ようかさんに寄っているかんじがしました。
それと真風さんかなり痩せられたかな?とも。

最初は軽くて軟派な印象だった彼が、ワルシャワの貧しい街角で育ち、内緒で故郷を飛び出しウィーンで苦学の末に賞をとり・・という思いがけない過去を語る効果はてきめん。知らず知らずその熱唱に引き込まれて聴き入っていました。ムラではこんなに歌詞を噛みしめて聴いてなかったな。

自分を根無し草だという彼にキャサリンが心をゆるしはじめているのも手に取るようにわかりました。これは恋に堕ちはじめているな。
と感じ入っているところに、さりげなく「ピーターって彼氏?」って訊いているのが耳に入ってきて、コノヒトハー!?ってなりました。
そういうところよね。カメラの腕ももちろん凄いんでしょうが、むしろ女性の扱いで上り詰めた人なんだなと思いました。
プレイボーイが生業みたいになっちゃっているんだな。
「ぼくはデラシネ」と過去の話をするのも手口だわね。マリブビーチに誘うのも。常套手段。

キャサリンはすっかり魅入られてしまっているみたいだなぁ。ジョルジュには彼女みたいな純粋な女性をぽうっとさせるのは朝飯前みたい。
そのくせ愛を鼻で嗤うような態度をとる。愛も女性も彼には重要ではない、とるに足らない人生のおまけみたいなものなんだろうなと思いました。
すくなくともこのときはそう感じていそう。

ムラで見た時に釈然としなかったのが、こんなに時代の先を行くような知的な人がなぜカメラを武器に持ち替えてヴィセント(芹香斗亜さん)たちと一緒に異国で戦う決意をするのかということでした。
結果あんまりジョルジュに好い印象を抱けなくて、今回もそうなるのかなと思ったのですが。豈図らんや。。。

今回感じたのは、彼は懸命に生きている1人の人間なんだなということでした。
「どんなに赤くルージュを引いても僕のこの眼は騙せない」
というけれど自分自身についてはどうなのかしら。
彼が自分を作らない女性に惹かれるのは、彼自身が自分を覆い隠して生きているからじゃないのかな。
あなたが女性に求めていることは、そのまま自分に求めていることなんじゃないの?と思いました。

見た目に反して、本当は田舎育ちのナイーブな人なんじゃないかな。とも感じて。
パリで出逢ったエレン(天彩峰里さん)は彼にはパリよりももっと都会から来た華やかで思ったことを臆せず口にする「自分を作らない人」に見えたのではないかしら。そんな彼女が魅力的に映ったのは肯ける気がします。

彼はとても苦労をしてきて生き抜くために過剰適応してしまった人に思えました。
そして時代の最先端を生きる都会的な人物に擬態していたのじゃないかな。
息を吐くようにキザにふるまったり口説き文句に近いことをさらりと言ったりと、とても優秀な人なので完璧に擬態できてしまっているけれど、心の奥の翳りが彼を苦しくさせているのではないかなとその姿を追いながら思いました。
それが彼の「人生の真実」探しにつながっているのかな。

そんな時にキャサリンに出逢ってしまった。
自分が涼しい笑顔の裏で誤魔化していることをずけずけと口にする女性。怒りの感情を素直に出せて、やりたいと思うことに猪突猛進できる人。そんなふうに生きて来れた人。
ジョルジュが彼女に惹かれるのもまた肯けました。
彼女の中に別の人生を生きてきた自分を見ているような眩しさを感じてる?
「おなじものを見ようとする」ことにこだわる理由も見えたような気がしました。
彼女はやっと出会えた自分、半身を得た感覚なんだろうなぁ。
そりゃあフィジカル的にも精神的にも高揚してしまうよなぁ。
「ぼくは君に出会うために生まれてきた」 
もう天国から音楽が降り注いでいましたね。

彼女との間に自他の区別がなくなっている状態のところに、彼女が彼女自身の意思で彼が望んでいないことをしようとする。
そりゃあ混乱してしまうよなぁ。このときの彼にとって彼女は自分なんだから。
いっときも離れがたい気持ちなのはわかります。彼女が自分とおなじテンションじゃないことに狼狽えるのも。
それを「男のエゴか」とか言っちゃうから誤解を招く。
ジョルジュが抱いているその気持ちには男も女もないものだから。自他を同一視して闇に落ちてしまうことはたとえば親子やファンとアイドルの間にも起こるものだから。
人は苦しみもがきながら他人も傷つけてしまう。

田舎の閉塞感に耐えきれずに都会に夢をもとめて飛び出したけれど、本当の自分の居場所をみつけられないまま自分を根無し草だと感じている。
そんな彼が、キャサリンに出会いその魂の中に、本来の自分を見出し取り戻す。
そうして自分の中にあった、無意識に蓋をしていた祖国と残してきた家族への罪悪感が、祖国ポーランドとおなじようにロシアとドイツの板挟みになっているスペインで戦っているヴィセントたちの姿をレンズを通して見ているうちに、かたちを成してきたのかなぁと思いました。
その贖いをしないと自分に筋を通すことができない。
祖国ポーランドを侵略しようとするナチスドイツ。
そのナチスドイツから軍事力の支援を受けてスペイン共和国を武力攻撃するフランコ将軍率いる反乱軍と戦うことは、彼にとって贖罪として整合性のとれることなんだろうなぁと思いました。
そこに自分自身の生きる意味を見出してしまった。
見た目のクールでリベラルな都会人とはかけ離れた、泥臭くてエモい人だったんだな。本来は。
他人も自分も欺いて生きてきて、このスペインでようやく真実の自分に辿り着いた。

彼は「人格者」でも聖人君主でもない。
迷える羊がやっと自分が属する群れをみつけたんだな。
「もうデラシネじゃあない」

「そしてその真実を共有できる君というひとに出会えた」
ちょっと待って? 
相変わらず自他の区別がついていないんだなぁ。
そのロジックはキャサリンを納得させるためのものではなくて、自分が満足するためのものだなぁ。

言われる側としては、そんな説明でどうして別れなくちゃいけないのか。になると思うんだけど。
でも彼を愛していて、デラシネであることがジョルジュの痛みだったことを知っているキャサリンには、やっと自分の生きる意味をみつけたというジョルジュを止めることはできないのだろうなぁ。
ホスピタリティ溢れるこの潤花ちゃんキャサリンは、彼を笑顔で見送ることが彼にとっての救いだという思いで受け入れたんだろうなぁと見ていて思いました。
その懐の深さに泣けました。

けっきょく自分の進む道を彼女にゆるされたことでジョルジュは救われたのだろうな。
あの瞬間がジョルジュには宝物なのだろうな。(キャサリンにはこれからの辛い現実のはじまりの瞬間だと思うけれど)

最後の最後まで女性に甘やかされて行ってしまった。
大人になって誰かを受容するのではなく少年の心のままで。
それともこれからの数か月で彼もまた誰かの心を受け容れ救ったかしら。
描かれていない時間をあれやこれやと想像してしまいます。

もう1人、ジョルジュが傷つけた女性エレン(天彩峰里ちゃん)。
彼の女性の好みは一貫して「自分を作らない人」だったのだろうと思います。
エレンもきっと心のままを口にし態度に出す人で、そういうところが眩しくて惹かれたのじゃないかなと思うけれども、でも彼女もまたハリウッドの美人女優という世間から求められる存在に擬態している人なのかもとも思います。
もしかしてエレンとジョルジュは似た者同士なんじゃないかなと。
だから一緒にいるのが辛くなったのじゃない?と。

そんなエレンの「真実」との乖離に彼が勝手にモヤっているところに、キャサリンに出遭ってしまったのだなぁ。
「あのひとのどこがわたしよりいいの?」と正面から問い質すエレンは、自分を作らない素敵な人だと思うけど。
そのプライドも素敵。
この再演のエレンが私はとっても好きで、会って話してみたいなぁ。一緒に大ジョルジュディスり大会を開催したいなぁと思ったりします。
キャサリンも参加してくれるなら大歓迎。

もしジョルジュがキャサリンとともに帰国して一緒に暮らしたとしても、彼があのまんまだったらいずれ大喧嘩になったんじゃないかな。
でも共に暮らして彼も彼女もすこしずつ変わって、しあわせに生涯を終える未来もあったはずだけど。
いま思うのは、どの選択もまちがいじゃない。
懸命に生きた人びとの物語だったなということです。

(感想を書いていたらあまりに長くなってしまったので、ジョルジュについてだけを残しました。ほかの部分はまたまとめられたらいいなぁ。でも千秋楽までに終わるかな・・)

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2022/04/10

俺たちだけの罪。

3月30日にシアター・ドラマシティにて宝塚歌劇花組公演「冬霞の巴里」をマチソワしてきました。
上階とは真逆の世界が繰り広げられていました。

公演に先駆けて公式hpにアップされた主演の永久輝せあさんのビジュアルに心臓を撃ち抜かれて観劇を楽しみにしていました。
まずは会場に入ってすぐに公演プログラムを購入。ページを開いた瞬間に視界が歪んだような? へんな脳内物質でた? という感覚に。
巻頭そして巻末の永久輝さんに魅入られて魂を抜かれそうな気がして、閉じては開き開いては閉じて眺めました。

幕が上がるとまずエリーニュスたちのビジュアルに目が釘付け。
耽美なクラウンみたいなメイク、シルバーアッシュ系の髪色、そして白地に血飛沫を浴びたようなプリントの衣装。いかにも人外のもののような身のこなし。
こういう世界観か!と体温があがる感覚がありました。

そういえば、本作の作演出の指田珠子先生がデビュー作として手掛けた星組の「龍の宮物語」も、これはCSで見たのですが、水怪たちのビジュアルと人ではない身のこなしに目が離せなかったことを思い出しました。
ことばでは表現しにくい快感と悍ましさのあわいにある感覚を引き摺りだされるような、なんともいえないところを表現する方みたいだなぁ。

「龍の宮物語」は『ネムキ』みたいだなぁと思ったのですが、「冬霞の巴里」は往年の『花とゆめ』の巻末あたりで読んだ作品っぽいかなとも思いました。(巻頭カラーとかではない、マニアックだけど一定の支持者もいるような)
少女漫画的なビジュアルを具現化したような世界観。これぞ宝塚歌劇でやるべき世界だと思います。
見終わった後には森川久美先生の短編漫画の読後感にも似た余韻が。

そしてあたらめて演出家の頭の中にあるイメージを具現化する宝塚のスタッフさんたちって凄いなぁと思いました。
その世界観に違和感なく息づくタカラジェンヌも。
役名からお顏を確認しようとプログラムを開くも、主演と10名のキャスト以外はホワイトタイや淡色のドレスでキラキラと微笑んでいる他作品と共通で使用するスチール写真が掲載されているので、花組初級者の私は混乱するばかりでした。(作品によってこうも変わるのかと驚きでした)
エリーニュスの中で歌が素晴らしかったのは咲乃深音さんかなぁ。

舞台メイクでいうと、主人公のオクターヴをはじめとするブルジョワ階級の人々は綺麗な宝塚メイクで、下町の下宿に棲む人々は目のまわりなどのシャドウの濃い独特のメイクだったのも不思議な世界観でした。
漫画でいうなら作画が違うかんじ。2人の描き手が1つの作品を描いているみたいな。
下宿の人びとの会話は演劇的で生き生きしているように感じられ、ブルジョワの人びとの会話は嘘っぽいような、そんな感じもうけました。
それはオクターヴに見えている世界観と関係があるのかなとも思いますが、彼の実家の人びとがどこか焦点がぶれているようでもどかしさもおぼえました。

この作品はギリシャ悲劇をモチーフにしているということなので、オクターヴ(永久輝せあ)=オレステス、アンブル(星空美咲)=エレクトラ、イネス(琴美うらら)=イピゲネイア、オーギュスト(和海しょう)=アガメムノン、クロエ(紫門ゆりや)=クリュタイムネストラ、ギョーム(飛龍つかさ)=アイギストスに相当するのだと思います。
元ネタではそれぞれが壮絶な生い立ちや罪を抱えており復讐の連鎖に至る理由もわかるのですが、この作品では親世代の罪やオクターヴとアンブルの受けた仕打ちなどがそれほど凄絶なものとして語られていなくて、ぼんやりしてしまったかな。

あのようにオクターヴを復讐に駆り立てるのが、姉のアンブルだと面白いのになぁと思います。
母親と叔父の会話を聴いてもにわかには信じられなかった幼いオクターヴに、彼らの罪を確信させたのはアンブルだったのでは。
それはどうしてか、彼女が母親を憎む理由が描かれていたらなぁと。
彼女のオクターヴへの執着の意味がキラリと光るともっと面白くなるのになぁと。
オクターヴのラストのセリフも生きてくるかと。

オクターヴ役の永久輝せあさん、まずはそのビジュアルで心臓を射抜かれました。
19世紀のデカダンがこれほど似合うとは。
世界観に合わせた芝居ができる人なんだな。どんどん物語世界に引き込まれました。
オクターヴというキャラは本来の永久輝さんが醸し出す雰囲気よりも内面的に子どもっぽい面があるので、そこを調和させるのが難しいところのように思いましたが、そこも巧く演じていて。
私は姉のアンブルに素直にタイを結んでもらう場面がとても好きでした。強がっているけど甘えん坊。それでもってあのビジュアル。かなりくすぐられました。
目が利くし、雰囲気のある良い芝居をするし、身のこなしも美しくてこれからが本当にたのしみな人だなと思いました。
彼女でオスカー・ワイルドの耽美な世界を見てみたいと思いました。

アンブル役の星空美咲さん、この学年でこの作品でこの永久輝さんの姉の役とは。かなりのハードルだったと思います。
彼女の初ヒロイン作品「PRINCE OF ROSES」のドキドキの初日を見ているので、今回はまずその堂々とした居住まいに目を瞠りました。頼もしくなったなぁ。
たとえばこの役をもっと上級生の娘役さん(私がイメージしているのは伶美うららさんですが)が演じたら、作品の雰囲気ががらりと変わるのではないかと思いました。ヒロインで作品の雰囲気が変わりそうな重要な役どころ。
星空さんが演じることでより少女漫画風になったなと思いました。
セリフの言い方一つでもっと意味を持たせられるんじゃないかなと思う場面があったのと、表情がワンパターンになりがちなのでもっといろんな顔が見られるといいなぁと思いました。(難しい言葉を言うとき険しい顏になりがちかな)
とはいえ彼女にしか演じられない雰囲気のアンブルで良かったなと思います。

ヴァランタン役の聖乃あすかさん、初主演作「PRINCE OF ROSES」のキラキラと光の中を歩んでいくヘンリーが彼女の持ち味にぴったりだったのだけど、それとはまるで逆の役どころ。
これが新境地で素晴らしかったです。含みのあるセリフも巧いなと思いました。永久輝さんとの芝居の相性も良いみたい。
クライマックスシーンの晩餐での迫真の演技が凄くよかったです。新事実を突きつけられたオクターヴの狼狽をテーブルの陰で嘲笑っていたのが印象的でした。
「黄土の奔流」の葉宗明みたいな役を彼女で見てみたくなりました。

クロエ役の紫門ゆりやさん、まずプログラムの写真に釘付けになりました。
名香智子先生が描く美女の雰囲気。とても少女漫画的。
男役が演じる女役だからなのか劇中でもいわくありげな貴婦人の雰囲気で、雰囲気こそが要のこの作品に重要な存在感を示していると思いました。

ギョーム役の飛龍つかささんも難しい役どころを大健闘。
最初からどういう人物なのかがわかりやす過ぎてもダメな役でその塩梅が難しそう。
それはクロエ、そして峰果とわさん演じるブノワも同様かな。
ギョームとブノワは2人でいる時は見分けがつくのですがちょっと似た感じだったので、ブノワが1人で登場する時に初見では少々混乱しました。モノクルを掛けるとか特徴的なアイテムで見分けが容易だとよかったなと思います。

エルミーヌ役の愛蘭みこさん、ただの世間知らずで明るいお嬢様ではない片鱗を見せているのが好きでした。
知らぬはミッシェル(希波らいとさん)ばかりなり??
純粋で真っ直ぐだからこそ、真っ直ぐに傷つくミッシェル。彼の持つ聖のエネルギーで未来を変えていけることを願わずにいられませんでした。

ジャコブ役の一樹千尋さんは、さすがの芝居。こんなふうにセリフに意味を含ませられるんだなぁ。
下宿の女将ルナール夫人役の美風舞良さんも良い味出ていて宙組時代より好きかも。(宙組時代はヒステリックな役が多かったのが持ち味に合わなかったのかな)
お2人ともいかにも「演劇」ってかんじ。舞台メイクもとても印象的で素敵でした。

作品としては、雰囲気やそれっぽさを愉しむかんじでそれ以上ではなかったけれど、その雰囲気が私にはたまりませんでした。
いずれ何かどえらい作品を見せてもらえそうで、指田先生には期待したいと思います。

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2022/04/06

And Music and Love and Romance.

3月28日と29日に梅田芸術劇場メインホールにて宝塚歌劇花組公演「TOP HAT」を見てきました。

見ているだけで幸福感に満たされる柚香光さんと星風まどかちゃんのデュエットダンスに夢見心地になりました。
いつまでも見ていたい。終わってしまわないで。そんな気持ちになりました。

恋するまどかちゃん(as デイル)、輝いてました。なんてまぁこんなに綺麗な女性になって(感嘆)。(研1さんから見ているもので感慨無量)
ジェリー役のれいちゃん(柚香さん)は組んでいる娘役さんを魅力的にする魔法をもっているみたい。
そして女性から平手打ちをされてこんなに素敵に見えるなんて只者じゃあないです。知ってたけど知ってた以上です。
毎晩夢で見たい2人だなぁ。目を閉じたられいちゃんとまどかちゃんが踊っている・・想像するだけで至福。

じつを言うと、初演を見ているのに1幕は細部をほとんど覚えていなくて、あれ?こんなだったっけ?そういえばこんなだったかも??などなど新鮮に見てしまいました。
CSで放送されることもなくて映像を見返すチャンスがなかったからかなぁ。
なんて思ったんですが、いやいやいや。2幕を見終わってわかりました。
たぶん初演の時も、2幕のまぁさま(朝夏まなとさん)とみりおん(実咲凜音さん)のダンスにうっとりして細かいことは全部忘れたんじゃないかな(笑)。あとは愛ちゃん(愛月ひかるさん)のべディーニの衝撃(笑)。
初演も再演もこの2幕のために1幕があったと言って過言じゃないかも。2幕を見たら1幕のことを忘れてしまう(笑)。

終演後に公演プログラム巻末の初演の写真を見て、あああこんなだった!と記憶がすこし戻りました。
かんたんな比較をすれば、宙組初演はシックでスタイリッシュで、花組再演版はキュートでスウィートかな。
(みりおんとまどかちゃんのドレスがまさにそんなかんじ)
初演はコメディが強めで、再演はロマンスが強めな印象かな。

翌日は劇場に着く前から楽しみで楽しみで。またあのペアダンスが見られるのかと思うと心ウキウキ顔面ニマニマしてました。(マスクよ今日もありがとう)
終演後は身も心もめろめろに溶けて液体になった私が客席の染みになっていたのではなかなと思います。
(送り出しのバンドが奏でる「TOP HAT, WHITE TIE~」を聞きながらなんとか人の形に戻れました)

ドリーミングな主演の2人に勝るとも劣らずラブリーだったのが、水美舞斗さんと音くり寿ちゃんが演じたホレス&マッジのカップル。
初演よりも若い役づくりだったかな。相手の言葉に対する表情などまだまだハネムーン感が漂ってました。
ホレスの貶し言葉に一瞬ズキッときてる表情のマッジにキュン。そこからさっと気を取り直して相手を貶す言葉を紡いでたような。
どこまでOKかまだまだ探り合いを残しているカップルの様子がちょっぴりスリリングで微笑ましかったです。
(初演はどこまでOKか熟知して戯れている大人のカップルだった記憶)

音くり寿ちゃんは芝居を引っ張る力があるなぁ。
デイル役のまどかちゃんと女同士の会話が面白くて可愛くて。2人同期ということもあって、なんか可愛い2人がわちゃわちゃしてる~♡ってとってもときめきました。
あんまり大人なマッジに作っていないところも効いていて、花組のこのキャストで演るならこれで正解な気がします。

れいちゃんジェリーと水美さんホレスのやりとりも同期ならではの気安さがいい感じに効いていました。
ジェリーってほんと自分本位でホレスの心配事に対しても上の空だったりするのに、そんなジェリーのために一生懸命になってくれるホレスってほんと好い人。
私の知らないところでホレスのために尽力してあげてないとジェリー許さんぞなレベルなのだけど、ホレス本人がいちばん気にしていなさそう。
とっても良いお金持ち。
デイルがハネムーンスイートに押し掛けてきた時のヘアーキャップとガウン姿のあれやこれ最高でした。

初演で愛月ひかるさんが怪演したべディーニ役の帆純まひろさん、面白可愛かったです。
デイルのことを真剣に幸せにしてあげようとしてたような気がします。人の好さが滲み出ててラストはちょっとお気の毒な気持ちになりました。
(初演の愛月べディーニは俺様感と変人感が強かったんだなと再認識・・笑)
「雨に唄えば」のリナ・ラモントにしてもこの「TOP HAT」のべディーニにしても、主人公たちのライバルがとんでもない目に遭わされながらも反撃しないから大団円で終われるんだけど、宝塚で上演するとなんともいえない後味も残るなぁ。演じた人への愛着もあるからかなぁ。

ハネムーンスイートで服を脱いでいく場面、スーツの下に着ているのは派手なインナーってことでいいのかな。
28日はイタリアのトリコローレにべディーニの顔入りで、29日マチネは甲冑の柄のようでした(騎士っぽいアドリブ付)。
デイルにあんな素敵なドレスをデザインする人なのに、自分のインナーはこうなの? 
盛り上がる場面にしたいのだろうけど方向性に疑問も感じました。
おなじことをやったとしても初演の衝撃は超えられないと思うし、だからといってエスカレーションするべきではないし、宝塚歌劇にとってもタカラジェンヌにとってもメリットがない気がして。

ベイツ役の輝月ゆうまさん、「プロミセス・プロミセス」に続いて特別出演を見ることができました。
不自然な役を自然に演じてるというか、客席に見せないといけないところは見せつつ、邪魔になってはならないところでは存在感を出さない、その塩梅が巧いなぁと思いました。
場面とリンクしないことを滔々としゃべる役でもあるので、何を言っているのかわからないと笑えなくなるのだけど、言葉がはっきりしていてセリフが生きていました。
大団円にもっていく場面も気持ちよかったです。

あと気になってプログラムでお名前を確認したのが2幕冒頭のウェイター役の愛乃一真さん。(で合ってるかな)
デイルに積極的にコナを掛けにくるかんじがイタリアーノらしくって、ベニスに来たんだなぁ感がしてニヤついてしまいました。
しかもいちいちキザな身振りで花組を見ている満足感もありました。美味しい役をここぞと愉しんでいるなぁ。
大劇場公演ではどんな役をされているのかな。

2幕は冒頭から、音楽もダンスも楽しくてここは天国なんじゃないかな?と思いました。「ピコリーノ」大好き。いよいよはじまるぞってかんじ。
ホテル・ベネチアのぜんぶが好きです。歌もダンスも小芝居も。タカラジェンヌの尊さをひしひしと感じる場面でした。

ここからラストまで名場面、名曲の連続で目も耳も心も大忙しでした。
いまの花組で「TOP HAT」を演ろうと思った人は天才だと思います。

(そして翌日私はドラマシティに花組別チームの「冬霞の巴里」を見に行きました。。。同じ場所の上と下で。。。花組の恐ろしさを思い知る私。。。)

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