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2022年8月の1件の記事

2022/08/03

今夜は淑女で。

7月23日に博多座にてミュージカル「ガイズ&ドールズ」を見てきました。

本当なら7月20日が1回目の観劇になるはずだったのですが、まさかの開演15分前の公演中止発表で叶わず。
23日も幕が開くまではドキドキでした。

無事幕が上がり流れてくるオーバーチュア。
紗幕には懐かしの映画さながらにオープニングクレジットが映し出され、N.Y.の通りを行き交う登場人物たちのスタイリッシュなダンスに目がくぎづけ。
これからの数時間、どんな心地に浸れるのだろうという期待でいっぱいに。

宝塚にはまりたての頃に紫吹淳さんスカイの月組版をCS放送やDVDで繰り返し見ていた作品なのでどのナンバーも懐かしい。
でもその頃(20年前)から既に古臭い価値観が気になっていたので、今回どんなふうにアップデートされるのかな?と思っていました。

ダンスナンバーの振り付けがおしゃれ。オープニングでストリートを闊歩する女性ダンサーが矢庭にトゥで踊ったかと思うとまたすぐに歩き出したり。
GUYS(男性たち)のダンスはその筋力瞬発力に目を瞠り見せ方の妙に感嘆しました。

演者が伝道所の入り口ドアを開けて階段を下りると舞台装置がゆっくりと回転しながらせり上がって地階の伝道所内部が見える仕掛けにおおっと思いました。
逆に演者が階段を上がると地階はせり下がって伝道所の入り口だけに。
その舞台装置に合わせて階段を上がってそのまま盆から降りたりするの、タイミングが難しくないのかな。目が回らないの凄いなぁ。

振付、舞台装置はこれが2022年版か!という感じでしたが、ストーリーはそのままなんだな。20年前の月組版でヤバいと思った部分はさすがになかったけれど。
もっとたくさん笑う場面があったと思うんだけど、あえてなくしたのかなぁ。

そもそもなぜ笑うのかと言われると、女は結婚したいもの、男は縛られたくはないもの、というような「あたりまえ」とされていたものを登場人物たちがコミカルに表現したり絶妙に掠めたりするからだもんなぁ。
その「あたりまえ」はいまとなってはぼんやりとした幻影みたいなものだから、まずそれを思い起こすところからしないといけなくて。
その前提を思い起こすまでのちょっとしたタイムラグが積み重なって少しずつズレていって、なんだか私の中で嚙み合わなくなっていったかなと思います。
20年前だと笑えたところもスルーしてしまったようで、見ている私自身の感覚が変わったのだろうなぁ。

アデレイドが架空の子どもたちについて語る場面、ぜんぶで5人で性別は・・・長男の名前はあなたと同じネイサン云々。そのネイサンJr.はいま何をしているんだい?というネイサンのチャチ入れにもスラスラ答えるアデレイド。ネイサンJr.のフットボールの試合にも賭けときゃよかったとつぶやくこんな時でも頭の中は賭け事のネイサンのくだり、宝塚版ではテンポの良い掛け合いに反射的に笑ったのだけど、今回は、あれ??いまの場面あっさりだった???となりました。
翻訳のせいもあるのかもしれないけれど、言葉の意味が瞬時に頭に入らなくて笑い損なってしまったみたいでした。

シチュエーションはとても面白い作品だと思うのだけど。
そのシチュエーションとセリフの意味、掛け合いの妙が瞬時に伝わるかが肝心なのだと思います。
アメリカ人との感覚の違いもあるうえに、作られた頃と2022年の現在との感覚の違いもあるのかも。
舞台の笑いって共通認識があってこそだもんなぁ。
通しでやるよりコンサート形式のほうが楽しめるのかなぁ。ナンバーは大好きだし、この豪華メンバーだし。

ハバナのサラの明日海りおさんはベリキュートだったし、HOT BOXの望海風斗さんアデレイドはさすがのショーガールで楽しかったし。
そして何より「LUCK BE A LADY」や「SIT DOWN, YOU'RE ROCKING THE BOAT」のGUYSはめちゃめちゃクールでうひゃあでした。

Luck be a lady tonight —— 運命よ今夜は淑女でいてくれよ。
運命(Luck)を人は女神に喩えるけれど、神様だろうがなんだろうが、女性ならばみんな自分に好意を持って自分の思い通りになる、そう思っているのがこの物語の主人公、スカイ・マスターソン(井上芳雄さん)。
だからラストに可笑しみがあるというわけ。

そんなスカイだからこそ、ネイサン・デトロイト(浦井健治さん)にうっかりはめられて、救世軍の軍曹サラ・ブラウン(明日海りおさん)をハバナに連れていけるかという賭けにのってしまうんですよね。

女たらしのデートプランは完璧。N.Y.からハバナ(キューバ)までエアプレインでランチなんて。凄い!90年前のお話よね??ってなります。
彼女がランチの誘いに乗ってくれさえすれば、あとは成功したも同然。でもそこがいちばんの難関で。
とはいえ、そんなことも訳ないのがスカイ、なんだけど。

サラを口説きに伝道所に行って、入り口に書いてあるフレーズの引用元は「箴言」ではなく「イザヤ書」だと指摘する。
「箴言」だと言い張るサラだけど確かめるとでたらめでもなんでもなくて、スカイの言う通りなんですよね。
"罪びと”であるスカイに選りによって聖書について間違いを指摘されて、心穏やかではいられないサラ。ここにも常識との逆転が。
スカイ、只者ではないなってなるんですけど。

サラを連れて行ったハバナで、自分が飲ませたお酒のせいで酔っ払って羽目を外してしまった彼女といい感じになるのだけど、罪の意識を感じてしまうスカイ。
「良くないことだ」って罪びとの風上にもおけないセリフ。
天井知らずに賭けをするから仲間たちから「スカイ」と呼ばれる彼なのだけど、誰にも教えたことがない本名をはじめて彼女に教える。
それって掛値なしの「誠意」ですよね。「純愛」とも言うかも。ギャンブラーの中のギャンブラー、罪びとの中の罪びとが。

彼の本名オバディア(Obadiah、Ovadia)は旧約聖書に出てくる預言者の名前で、神のしもべ・崇拝者という意味。
もしかして彼は敬虔な信仰者の家庭に生まれ育ったのかも知れず(聖書に詳しいのもだからかも)、そんな彼がどうしてギャンブラーになったのか。やっぱり興味をそそる人ですスカイという人は。

オバディア(神のしもべ)と名付けられた聖書に精通してる青年が、長じて仲間に一目置かれるような罪深いギャンブラーになってて。
その彼が敬虔な女性を口説き落とす賭けに勝って1000ドル儲けるはずが、本気で恋をしてしまう。
そして彼女のために一世一代の賭けをする。クラップで彼が勝てば1ダース以上のギャンブラー仲間たちを伝道所に連れていく。負ければその1人1人に1000ドルずつ支払うと。
だから—— Luck be a lady tonight と。
このとき、スカイにとって運命(Luck)はサラの顔をしているのだろうなぁ。

果たして運命は彼に微笑みかけたのか。
本当の勝者は?

ラストはどう捉えたらいいのかな。微笑ましいこと? それとも皮肉なこと? どういう意味で笑ったらいいのだろう。
馬鹿か利口か、なんとでも言えばいい—— っていうのは宝塚版の歌詞だけど。
男(GUYS)ってこんなものだよねって笑っておけばいい?

すごく笑えて微笑ましい作品のはずなのだけど。
やっぱりいまの私の感覚とちがっていて。
考え込んでしまうなぁ。

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