きっとやり遂げる。
9月15日と16日に宝塚バウホールにて星組公演「ベアタ・ベアトリクス」を見てきました。
極美慎さんの初主演作であり演出家の熊倉飛鳥先生のデビュー作となる作品です。
なによりこの折柄、無事に観劇できてよかったです。
観劇前に付け焼刃で、ロセッティ、エヴァレット・ミレイ、エリザベス・シダルの絵画やエピソードを調べて臨んだのですが、この題材で希望を感じる作品になっていたのに驚きでした。
ロセッティの女性関係やリジー(エリザベス・シダル)の亡くなり方から悲劇性の強い作品になるのかなぁ。救いのある作品になっていたらいいなぁ。と思っていたもので。
男女の愛憎の部分を掘り下げるというかんじではなく、父親からの呪縛や権威に対する反発心、己の力量や優れた友に対する複雑な心情などといった青年が抱えるコンプレックスとブラザーフッドを素直に描いた作品になっていたと思います。
それがバウ初主演の極美さんに合っていたし、デビュー作らしいなぁ。若い作品だなぁと思いました。1幕は冒頭からテンポよく進行していく中で、あ、これ(付け焼刃で見たばかりの)あの絵を表現しているよね?と思うシーンが出てきて面白く見ました。
私が気づいた範囲では、エヴァレットの「ロレンツォとイザベラ」と「オフィーリア」、ロセッティの「プロセルピナ」そして「ベアタ・ベアトリクス」があったと思います。「オフィーリア」の制作場面。
水辺の風景を現したと思われる幻想的なダンサーたち、そしてそこに浮かぶリジーが素敵でした。
天飛華音さん演じるエヴァレットの「オフィーリア」のモデルがロセッティの妻だったとは。
彼女はいろんな画家のモデルを務めた人気モデルだったようで。 その人気モデルのリジー(小桜ほのかさん)を射止めたのがロセッティ。やっぱりイタリア男の血ですかねぇ。
私はその名前から勝手にロセッティはイタリア人画家だと思っていました。イタリア系の英国人だったんですね。ロイヤルアカデミー出身なんだ。
演じるのは極美慎さん。そりゃあモテモテだわ。納得でした。
「プロセルピナ」の場面はジェイン役の水乃ゆりさんに圧倒されました。
前作までの可憐な雰囲気とは打って変わった迫力で。
緑青のドレスを纏っての登場にこれはもしかして?と思っていたところ冥界の王とザクロと思しき果実が目に入り確信しました。
これはまちがいなくプロセルピナ(ペルセポネー)だと。
人生の半分を冥界に捕らわれたプロセルピナですが、青いドレスを脱ぎ捨てたとたんに能動的に獲物を捕らえる情熱のファムファタルへ。
捕らわれたのは?
大変魅力的なジェインに一目惚れするのはさもあらん。それにしてもロセッティ、恋に積極的だなぁ。
その半分でも仲間に・・ってわけにはいかないか。いつも不憫なのは碧海さりおさん演じるウィル(ウィリアム・ホルマン・ハント)。いいやつだなぁ。
1幕目がとても詰め込まれていたので、これって1幕ものだったっけ?と錯覚しそうになりました。
2幕は時間が行き来しながらリジーを失ったあとのロセッティが描かれていました。
登場人物の1人ひとりが劇的なエピソードを持っている人たちなので、それを繋ぐだけでもドラマになるとは思うのですが、そこに何を映しこむのだろうと思っていたら、ああこれだったのか。
描きたい対象があるうちは、それを描き続ければよい。
捕らわれたものがあるならば、それを追い続けたらいい。
きっと希望が見出せる。
どうしてもそれに向き合えない時期もあるけれど、結局それが支えになるよね。
と、私はこの作品を見て思いました。
極美慎さん演じるロセッティ、これは何をしてもゆるしてしまうよねぇと思いました。悪戯っぽい笑顔がとても魅力的。
父親ガブリエーレ・ロセッティ(朝水りょうさん)はダンテを愛するあまりに息子にダンテと名付けてしまうようなイタリアからの亡命詩人でイタリア語の教授。
重いですよね。ダンテというファーストネームもその期待も。
彼もまたダンテが描いた久遠の美少女ベアトリーチェに憧れ、彼女を絵画に描くことを夢見て画家を目指した。
父親、ダンテ、ベアトリーチェ(ベアトリクス)が彼の人生を呪縛しているのだなぁ。
画家を志しロイヤルアカデミーオブアーツに入学するも劣等生でなかなか筆を握らなくなっていたロセッティが、退学処分をかけてどうしても絵を描かなければならなくなったときにモデルに切望したのが帽子屋で働くリジー(エリザベス・シダル)。
一目見て自分のベアトリーチェだと直感して即アタック。この行動力たるや。
それにもかかわらず・・・なにやってるのよ!と思うことばかりなのに、憎めないよねぇ。困ったもんです。
ロセッティのヘアスタイルがずっと西城秀樹みたいだなぁと思って見ていました。
きれいなお顔立ちなのでもっと顔回りスッキリのほうがいいなぁと思ったのですが、あれは熊倉先生の指示なのかな。
リジーが亡くなったのは30代でそれから2年後くらいに「ベアタ・ベアトリクス」を描いていると思うのだけど、エヴァレットが病室に訪ねてきたのもその頃の設定でしょうか。
としたら彼がロセッティと競って描くつもりの家族の絵というのは「はじめての説教」になるのかな。
エヴァレットの言葉と眼差しに心を動かされていくロセッティの表情がとても感動的でした。
いつも陽気にふるまうか自堕落に悪びれてごまかしてきた彼が、やっと素直な自分の心を語ることができたなぁ。
この場面のすぐ後のウィリアム・モリス(大希颯さん)のケルムスコット・マナーのシーンは、ロセッティが亡くなった1882年、その次の場面はケルムスコット・マナーにアトリエを構えた1870年。
1幕が19歳から30代で、2幕は30代、50代(ロセッティはいない)、40代と場面ごとに年齢が一気に増したり若返ったり。
その割にみんな見た目に変化がないなぁと思いましたが、こんなに場面ごとに年代が行ったり来たりするとメイク替えも難しいかな。(登場人物たちもほぼロセッティと同じ年齢)
天飛華音さん演じるエヴァレットは、見るからに優等生でロセッティたちとは毛並みがちがうのがよくわかりました。
そして優等生の彼だからこそ愛した人に一途に大胆な行動に突っ走ってしまうのだろうなと。それによって名誉もキャリアのすべてをも投げ捨てることになってしまっても。
彼が駆け落ちしたエフィー(瑠璃花夏さん)は彼のパトロンであるジョン・ラスキン(ひろ香祐さん)の妻ですが、劇中でも言っていたように12歳で求婚され19歳で結婚したものの夫婦関係は一切なかったそうです。(のちにラスキンは9歳の少女に魅了され彼女が16歳で求婚するというようにエフィーの時とおなじことを繰り返しています)
そういうエフィーの寂しさに共感したのかなぁと思いました。ロイヤルアカデミーに史上最年少で入学した彼もまた孤独な人だったのだろうなと。
天飛さんは舞台センスがある人だなぁと思いました。
「オフィーリア」の制作場面の鬼気迫る雰囲気。そしてロセッティの病室を訪ねる場面は引き込まれました。
彼女を見ていてなんとなく新公時代の音月桂さんぽいなぁと。そして極美慎さんがおなじく新公時代の凰稀かなめさんぽいなぁと思いました。
これからの2人がどんなふうに成長していくのか、見届けずにはいられない気持ちです。
小桜ほのかさん演じるリジーは、私がイメージしてたエリザベス・シダルとはタイプがちがう可愛らしい女性でした。
私は薬物を過剰摂取してしまうような不安定な女性のイメージを抱いていたので。
小桜さんのリジーはアニメの少女みたいというか、名前がおなじせいか話し方のせいか「黒執事」に登場するリジーみたいだなぁと思いました。
ロセッティを鼓舞する姿もとても健気でロセッティを支える良妻になりそうだけど、芸術家たちのミューズになるようなモデルと言われるとちがうような。
自我が見えない人だなぁとも思いました。おかげで物語がサクサク進んだともいえるかなぁ。
水乃ゆりさん演じるジェインは、脈絡とか関係なしにファムファタルと言われて納得してしまう存在感がありました。
ロセッティが惹かれてしまうのもしょうがないし、モリスがゆるしてしまうのも納得してしまう。
奇妙な関係、奇妙な存在に説得力があるのがいいなぁと思いました。
そしてジェインの夫があの(有名なテキスタイルの)ウィリアム・モリスとは知らなくて。お芝居の途中で気づいてそうだったのかぁ~!と思いました。
(知っていたらモリスのワンピースを着て観劇したのに~)
碧海さりおさん演じるウィルは、なんていい人なんだぁ~~~と思いました。
彼がいなかったらロセッティはどうなっていたか。
手のかかるロセッティをいつもいつも気にかけて心配してあげて、ロセッティが死にかけたときはずっとつきっきりだったのに、あの場はエヴァレットに譲って自分は表に出ないんだ。ほんとになんて気がいい人なの。
絵の才能もロセッティたちに勝るとも劣らないと思うんだけど、そこを誇示したりしないし。
ジョン・ラスキンを大大大尊敬しているところも垣間見えてふふっとなりました。愛すべき人だなぁと思います。
作品自体にも希望を感じましたが、星組の若手の人たちにも希望を感じた舞台でした。
極美さんは決して器用な人ではなさそうなのでこれから先も幾年もダメ出しをうけたりするんだろうと思いますが、それだけの素材をもっている人だと実感しましたし、それだけの期待をされている人なんだとも思いました。
これからの星組も見続けたいと思いました。