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2022年10月の5件の記事

2022/10/30

Welcome To The 60's. (This is the future)

10月8日に博多座にてミュージカル「ヘアスプレー」を見てきました。

映画も知らなくて、どうして「ヘアスプレー」なんだろうと思っていたんですが、1960年代が舞台の作品なのか~!
盛り髪をしっかり固めてキープするのにヘアスプレーは必須アイテムですよね。
主人公のトレイシー(渡辺直美さん)を筆頭にティーンエイジャーはレギュラーサイズのスプレー缶をバッグに入れて持ち歩いている。
ちなみに私が子どもの頃に見たTVアニメの「ひみつのアッコちゃん」のキャラの髪型、これってどうなっているの?と思っていたけれど、あれも盛り髪だったんですね。
初代リカちゃんのママもアップスタイルだったなぁ。と懐かしく思い出しました。

舞台が始まってまもなく、トレイシーの親友ペニー(清水くるみさん)のママがふつうに人種差別発言をしていてびっくりでした。
そういう時代背景の作品なんだ。60年代のアメリカ、ボルティモア。人種分離がふつうに行われていた時代に生きている人々の物語なんだ。
ポジティブなハッピーミュージカルかと思っていたけど、思う以上にヘヴィな題材を入れてくるんだなぁと。

リトル・アイネス(荒川玲和さん)がトレイシーの後にオーディションに飛び込んできたとき、ヴェルマ(瀬奈じゅんさん)が一瞥で却下した理由がさいしょはピンとこなくて。年齢が若すぎる???にしては意味がわからないなーと思いました。
後の場面で彼女がシーウィード(平間壮一さん)の妹だとわかって、そういうことか!と。
そのシーウィードも、居残り組でのトレイシーとの会話の中でアフリカ系アメリカ人とわかりました。
アフリカをルーツに持つ人物を演じるからといって「ブラックフェイス」にはしない。そういう方針の作品なんだ。

ペニーのママ、プルーディー(可知寛子さん)はとても厳格で敬虔。世の中や人を信じていないのかな。きっと不安でいっぱいで娘を育てている人なんだろうな。
家の中に夫(ペニーのお父さん)の姿が見えなかったのも何か理由があるのかな。(警察が見つけたら云々っていうのは失踪しているってこと?)
いちいち細かく娘を束縛する母親で、TV番組の視聴にも、汗をかくことにも、無断で刑務所に入ったことにも激怒。
あんまりなんでも激怒するので、ペニーはなにをやってもママに叱られると思っているようだし、些細なことも重大なことも同列に並べちゃう。
とにかくママに断りなく何かをやったらすべて怒られると思ってるふう。

ペニーが地味色の服に髪をツインテールにまとめてロリポップを舐めているのも、それがいちばんママが安心するとわかってて波風立たずにいられるからなんだろうな。
ママは娘が女性になることが心配なんだろうな。女性になって傷つくことが。
きっとママ自身が女性として深く傷ついたことがある人なのだろうなぁと思いました。

そのペニーがシーウィードと恋に落ちてしまう。しかもかなりの熱々ぶり。
これはママとのあいだに大波乱あるに違いないと見ているこちらはハラハラ。
なにしろペニーのママは空気を吸うように人種差別発言しちゃう人ですから。どうするの???

トレイシーのアクションが実って、人種分離が当たり前のボルティモアで、1つの番組に黒人も白人も一緒に出演するという歴史的な瞬間を迎えた中。
シーウィードとカップルで現れたペニーは、いつもの地味目の服ではなくてポップでキラキラのミニワンピ姿で、一瞬ペニーとわからなかったほどの変身ぶり。そのあまりの素敵さに私の脳みそはバフン!!💘

そんな娘を一目見たプルーディーが、シーウィードとの関係を迷わず受け入れるのがとても意外でした。
恋をしている娘がいまどれほど幸せか一目でわかって。
止めたって止められないのもわかってる。
どうしてわかるかなんて野暮。
泣き顔で祝福するママは、これから娘が人の何十倍もの困難に向き合うこともわかっているよね。
この一瞬でそれも全部支える覚悟が生まれているんだよねと思って感動でした。

舞台は1962年とのこと。2年後の1964年に公民権法が制定されるも人種差別は2022年のいまでもなお深刻な問題だし。
ペニーやシーウィードが置かれている状況は並大抵の困難ではないと想像できます。
そして1962年に17歳の彼女たちは、1945年生まれ。第二次世界大戦終結の年。
彼女たちの親たちは、まさに戦時中に青春時代を過ごし恋をして結婚をしたんだなぁ。
生まれてきた子どもたちはまさに希望そのものだったろうなぁと推察します。

トレイシーのママ・エドナ(山口祐一郎さん)とパパ・ウィルバー(石川禅さん)も、きっといろんな希望や挫折を味わいながら娘を大事に育ててきたのだろうなと思いました。
大切に育てた娘がTVに出たがっているのを知って体型のことで傷つくことを心配するママ・エドナ。自分も同じことで深く傷つけられてきたからだろうなぁ。

娘のことも妻のことも愛しているパパ・ウィルバーはトレイシーの背中を押してあげる。
彼は人のことも世の中のことも信じたい人なんだなぁと思いました。希望が彼の生きる糧なんだろうなと。
きっとこの時、なにかあれば全力で娘を助けてあげる覚悟をしたのだろうと思います。
そして実際に娘のピンチに自分の長年の努力の結晶である店を売ってお金を工面してあげていたから。
娘だけを救出するのは娘のためにならないとわかっていて無理をしたんだよねと思います。

そんな両親に育てられたトレイシーは屈託がなくおかしいことはおかしいと感じ、迷わずまっすぐに行動できる17歳。
シーウィードたちが置かれている状況は「馬鹿みたい」だと思ってなんとかしようと立ち上がる。

トレイシーが大好きな人気番組「コーニー・コリンズ・ショー」には月に1回「ブラック・デー」というのがあって。
トレイシーにとっては月に1回限定の特別な、クールでエキサイティングな「ブラック・デー」なのだけど。
でもシーウィードたちにとっては、週6日の「コーニー・コリンズ・ショー」の中で月に1度だけ許される「ブラック・デー」。
なんども掛け合って、なんど拒否されても諦めずに掛け合ってやっと勝ち取った月1回だと、シーウィードの母親で「ブラック・デー」の司会をしているメイベル(エリアンナさん)は言っていました。
しかも白人の出演者と一緒に出演するのじゃなくて、アフリカ系の彼らだけが出演する月1回。共演NGという時代なんだなぁ。
その月1回だっていつ簡単に奪い取られてしまうかわからない脆いものだってわかっている。
舞台の終盤でメイベルが歌うソウルフルな魂の叫びのような「I Know Where I've Been」はとても感動的でした。

当事者として散々戦ってきたであろうメイベルから見て、当事者ではないのに熱くなるトレイシーはどう映るのだろうと考えました。
トレイシーの思いつきによる「親子デー」への参加とか。
白人との共演が認められていない状況で、娘リトル・アイネスと母娘としてエントリーしようとすることが、どれだけマジョリティ(世間)から拒絶を受け、どれだけ傷つかなければならないか。メイベルはよく知っていると思います。それによって娘もどれだけ傷つくか。
それでもいま気づきを得たばかりの後先考えないトレイシーの提案にYESと言える彼女はとても勇敢な女性だと思いました。
闘い続けなければ今はないことを知っているからかな。
トレイシーが当事者ではないからこそ、その彼女の行動や気づきに未来の希望を見出したのかな。
私だったらムカついてしまうんじゃないかなと思って、なんて寛容な人だろうと思いました。

そして突然娘から一緒に「親子デー」に参加すると言われて尻込みするエドナをチアするためにメイベルが歌う「Big,Blonde and Beautyful」の力強さにも感動でした。

エドナは心優しいがゆえにたくさん傷ついて大人になった人なのだろうなと思いました。
さらにその体型を理由に傷つけられ自信を奪われ、夢を諦めた人じゃないかな。自分にも夢があったと語っていたけれど。
彼女の両親やきょうだいさえも、彼女を傷つけた側かもしれない。
だから娘のトレイシーには、彼女を傷つけるようなネガティブなことは言わないようにしているのかなと思いました。

その甲斐あって、トレイシーは自分の体型のことも気にせずにTV番組に出たいと言える子に育ったし、理不尽さに憤りなんとかしようとするようなポジティブで明るく正義感の強い女の子に成長したのだと思います。
けれどもエドナ自身はシャイで傷つきやすい心のまま。
TV番組に出たらまたたくさんのネガティブな言葉を投げつけられるに違いないと尻込みする。彼女の中の傷ついた少女が泣いている。
その悲しい少女を勇気づけた歌が、メイベルの「Big,Blonde and Beautyful」なんだなぁ。
メイベル自身もどれだけ傷つけられてきたか。
そんなメイベルにはエドナの気持ちがわかるし、だからこそエドナもメイベルの歌のメッセージを受け取れたんだろうなぁ。
勇気を振り絞って娘の願いのためにTV出演を決意する。
とても感動的な場面でした。

ヴェルマもまたエドナたちと同年代に生まれて、少女のころからずっと自分の価値はその容姿と生まれにあると思い込まされてきた人なんだろうなぁ。
それを娘のアンバー(田村芽実さん)に押し付けようとしているけど、それは娘を幸せにはしないんじゃないかなぁ。

キレキレに踊ってかっこつけるリンク(三浦宏規さん)、勘違い男スレスレだけどカッコよいから受け入れてしまう。
ラストに自分は馬鹿だった何もわかってなかったってことを言ってたけど、それは決して彼だけのことじゃないんだよなぁと思いました。
ヴェルマやアンバーは極端だけれど、本当はみんなが現状が当たり前だと思ってる。人種分離もふつうのことだと。
人種分離を「馬鹿みたいだと思って」とはっきり言えるトレイシーが登場するまでは。
トレイシーのおかげで気づくことができたのは、彼だけじゃないんだよねと思いました。

ラストはトレイシーが優勝してリンクともハッピーエンドで、これでめでたしめでたしかなと思ったら、彼女が将来の夢として大学に通いたいと宣言するところも好きでした。
60年代の女の子としては、やっぱり彼女は先進的だと思います。
その姿こそ、「これが未来だ」と。

偶々娘と一緒に見たせいも大きいかと思いますが、すべての母親と娘たちへのメッセージが込められた作品だなと思いました。

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2022/10/25

ぜんぶわたしだ。

10月17日にフェスティバルホールにて劇団☆新感線「薔薇とサムライ2」を見てきました。

青臭い中年あっぱれ。
元気をもらいました。
高度成長期生まれの私たちが若い人に残せるのは、夢を見る幸せ、理想を語る喜びだなと。

古田新太さんはバッキバキにキレのある殺陣をされる方だと思っていたのですが、今回はあれ?と思ったら早乙女友貴さんに化けてバッキバキにキレのある殺陣を披露されていました。
この手があったか!笑。
狡‥もとい、後継を育ててくという素敵な夢を見させてもらいました。

10数年もあれば世界は大きく変わるということを身をもって実感した今、歴史物の見方も変わりました。
前途洋々だったアンヌ女王とコルバニア国に獅子身中の虫が・・というのもリアリティを感じました。
そしてそれに立ち向かう若者たちの存在に涙が出そうでした。

なかでも好きだったのが五右衛門(古川新太さん)とマクシミリアン(早乙女友貴さん)の場面。
引き籠るマクシミリアンを否定するのではなく、箱の中で修行すればいいと言うところ。箱が小さいと感じたらもっと大きい箱の中で修行すればいいと。決して無理やり引っ張り出そうとはしないんだなぁ。
その後、忍者に扮した早乙女さんが味方のピンチに現れては助太刀してバッキバキにキレッキレの殺陣を披露する場面が見どころで、マクシミリアンいつの間にこんなに上達した??!と思ったら、なんと五右衛門が変化してる設定でした。騙された――!
とはいえラストのマクシミリアンの成長、うれしかったです。

見どころといえば、アンヌ(天海祐希さん)が某閣下のような扮装をして舞い降りたり?怪盗紳士となって黒燕尾姿で踊ってウィンクまで放っていたサービスシーンは宝塚ファン的にも大満足の美しさ&男役のキザリ健在。現役さんと遜色なく驚き。
歌詞も〇〇のタンスは俺のものだったり恋それはだったり。遊びがいっぱい。それをしっかり全力で見せてくれて楽しかったなぁ。
ドレスもたくさん着替えて見せてくれ眼福。お衣装担当の方もそれはそれは滾ったことでしょう。

おなじみの高田聖子さん、粟根まことさん、森奈みはるさんは流石の実力で舞台を面白く支えてて、どんな場面でも説得力があり頼もしかったです。
高田さん演じるマリア・グランデ女王がキョーレツだからこそ物語が深まるし、彼女のさりげないセリフにその心の傷もうかがえて一気に見えるものが広がった気がします。
粟根まことさん演じるスチームパンクのようないでたちのサイエンティストのケッペル先生がきっちり世界観を見せてくれるので冒頭と終盤の伏線がつながってああ!っと奇天烈な設定を面白く見れました。

石田ニコルさん演じるロザリオがラウル(神尾楓珠さん)やベルナルド(西垣匠さん)と葛藤しながら成長していく姿に希望を見ました。
浦井健治さんのシャルルがちゃっかり映像で出演してて可笑しかったです。お元気そうでよかった笑。

生瀬勝久さんのボルマン。五右衛門との丁々発止のやり取り凄かったです。なぜそんなセリフを普通に言えるのかな。個性がありすぎ。そもそもあのコスチュームとかつらが似合うのおかしいくないですか。

ふざけていても愛がある主人公。しっかりと自分の中の自分と対話して答えを見出す人。そんな登場人物たちと共有できた数時間。
希望を感じるエンタメに浸りました。

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2022/10/22

おおフィレンツェ。

10月15日に梅田芸術劇場メインホールにて宝塚歌劇花組公演「フィレンツェに燃える」「Fashionable Empire 」をマチソワしてきました。

「フィレンツェに燃える」はいまから47年前、1975年に上演された柴田侑宏先生の作演出の作品ということで、タイトルくらいは見たことがあるものの、CS放送でも見たことがない、周囲にも見たことがあるという話は聞いたことがない作品で、まっさらな状態での観劇となりました。

座席に着くと、両隣の方がそれぞれお連れ様と初演をご覧になったお話をされていて、さすが関西のマダムはちがうなぁ。幼い頃からふつうにレジャーの選択肢に宝塚がある世界を生きておられるのだなぁと感嘆しました。
(前日に宝塚バウホールで「殉情」を見たこともあり、絶賛関西リスペクト中の私です)

物語の舞台は1850年代、イタリア統一運動が盛り上がる前夜のフィレンツェ。
星風まどかちゃん演じる若き未亡人パメラの白いドレスがヴィスコンティの「山猫」のクラウディア・カルディナーレのようでした。
(「落陽のパレルモ」でふづき美世さんが着ていたドレスでしょうか)
(もしかしてまどかちゃんにこのドレスを着せるためにこの演目が選ばれたわけではないですよね・・?)

柴田先生は貴族の継嗣を主人公にされることが多いですが、この「フィレンツェに燃える」で柚香光さん演じるアントニオも侯爵家の嫡男。時代が移り変わる中、家を守ることを自分の使命と考え疑わない人でした。
そんな彼が恋に落ちるのが元歌姫でいわくつきの若き公爵夫人パメラ。彼に思いを寄せるのがはねっ返りの伯爵令嬢アンジェラ(星空美咲さん)。
まったくちがう属性の女性2人から思われ揺れ動く主人公というのも柴田作品にはありがちですが、ほかの作品と様子がちがうのが、この主人公がきわめて純粋で容易く人から騙されてしまうような人物だと周りから思われていること。

この特性が曲者で、宝塚の主役がこれでいいのかと初見では戸惑ってしまいました。
柚香さんお得意の無条件に全方向カッコイイ人物では決してありません。
アントニオをよく知るアンジェラの身近の人たちはあきらかにその世間知らずぶりをもって、決して意地悪くではないけれども共通認識として彼を愛すべきお馬鹿さんだと思っているんだなとうかがえました。
彼のことを好きなアンジェラもそこは否定できないようでした。むしろ彼女にはそこが魅力なのかもしれません。

じっさい出会ったばかりの得体の知れない女性の身の上に同情し、打ち解け合ったから結婚する!と宣言してしまう人ですから、アントニオは。

そんな兄を心配して、パメラの正体を暴いて兄から手を引かせようとするのが、水美舞斗さん演じるレオナルド。兄とは違って自由奔放な弟という設定のよう。
パメラに対して、あんたは自分と同じ側の人間だと彼女の素性を見抜いていることを突きつける。それを聞いたパメラも我に返ってアントニオに自分を諦めさせる言動に及ぶ。

というのがヤマになる場面だと思うのですが、正直なところ水美さんのレオナルドが悪(ワル)に見えなくて。ん?そうなん?まぁそんならそういうことにしとこか、と思いましたし、パメラが観念するのも、そういう筋立てなのだと自分に言い聞かせて見ていました。
レオナルドがもっと粗野な人物に見えたらなぁ。
たとえば冒頭の夜会の場面でもっと下卑た雰囲気でパメラを見つめたり、父親と招待客の前で露悪的な態度をとって見せたり、ネガティブ方向の印象付けをしてほしかったなぁと思いました。
その印象があればこそ、旅立ちの日の父との和解と別れの感動が高まるのに。

理想を抱いて国家統一運動に参加する従兄弟のビットリオ(愛乃一真さん)に誘われ、断るところももっと何か見えてほしかったなぁ。
レオナルドは本心とはちがうことを口にする人物なはずなので。
彼の中で、何と何がせめぎ合っているのか。
ラストで義勇軍に参加するに至る心境につながっているはずだから。

彼のいちばん守りたいものは何なのか。
それは兄アントニオだと私は思うのです。穢れのない兄を守りたい。そのために自分がどんなに汚れても。
レオナルドとパメラに共通するのは、愛するアントニオのためには自分は悪者になってもよいと思っているところ。
だから2人は共犯になれるのだと思います。地獄までも。

木原敏江先生あたりの漫画を愛読していた私には、このセリフ、このシチュエーションでパッとイメージできる世界観があって。
どうかここまでたどり着いてーと、もどかしさで小走りしたくなる気持ちでした。
こんなに美味しい役なんだから、美味しくいただきたい欲でいっぱいになります。
美味しくなるはずの役と脚本なのにどうしてこんなにあっさりなのかと。エグ味はどこへ??
水美さんのレオナルドは冒頭から、自由だけれどとても兄思いの性格の良い弟に私には見えていました。

レオナルドは演技力で見せる難しい役だと思いますが、主役のアントニオは受け身の芝居で存在感を出さないといけないこれまた難しい役かなと思います。
純粋すぎて計算ではなく行動する。2人の女性に対しても。
まるで神の啓示を受けたかのように自分に使命を課す。
そんな理屈にはならないことを観客に納得させられる芝居を求められる役。
それでいながら愛すべき人物に見える芝居を求められる。

でも柚香さんにはその美貌という武器がある。
その瞳の揺らめき一つ微笑み一つで何百と想像をかきたてることができる人。
なのに、なにゆえ髭を生やした—!?と問い詰めたいです。
髭をつけることで動きに制約があるのか、口元が自由じゃなかったのが残念です。
髭がなかったらさらに見えるものがあったのじゃないかなぁ。もっと表情を読ませてほしかったなぁ。

星風まどかちゃんのパメラにももっとギャップがほしかったなぁ。
パメラの死に遣る瀬無さを感じさせてほしいです。
(欲しがり屋ですみません)

最も柴田作品らしさを味わえたのは、アンジェラたち三姉妹と母親のマルガレート(梨花ますみさん)の場面でした。
「バレンシアの熱い花」でもこんなふうに女性たちがパティオでお茶してたなぁとか。その会話で話題の人物や彼女たちの考え方などが知れるのが面白かったです。

カーニバルの場面では、アントニオとアンジェラの幸せを願うパメラのせつない本心を、同性の先達としてマルガレートは悟っているのだろうなぁと思いました。
おしゃべりで愉快だけれどもそういうところは心得ている頼もしい女性に思えました。
はねっ返りの娘アンジェラに向けられた「たまには自分の心に従わないと酷い目に遭いますよ」という言葉は、前日にバウホールで「殉情」を観劇したばかりの私の心に深く刺さりました。

そんなもののわかった女性なのに、長女のルチア(春妃うららさん)とレナート(聖乃あすかさん)のことに気づいていなかったのも笑いを誘いました。
マチネでは気づかなかったけれど、ソワレで注意してみているとレナートとルチアがさりげなく瞳を交わし合ったりしていて微笑ましかったです。

アンジェラ役の星空美咲さんはセリフを伝える力があるなぁと。言葉を発しながらどんどん気持ちが変化していくのがわかりました。
アンジェラのおしゃべりしながら自分の気持ちに気づいていくかんじは母親似なのだろうなとも思いました。

パメラ、そしてアントニオとレオナルドを付け狙う憲兵オテロを演じていたのは永久輝せあさん。
1人の女性に執着する昏い危ない眼をする役に説得力がありました。
彼をここまでさせるパメラという女性はいったい何をしてきた人なんでしょう。
オテロと一緒にフィレンツェに来たマチルド(咲乃深音さん)が酒場で男性客に絡みながら歌う姿は、冒頭のバルタザール侯爵家の夜会で好奇の目を浴びてパメラが歌っていた姿と重なって、パメラもこんなふうに酒場で歌っていたのだなぁと彷彿とさせられました。
こんな酒場の歌姫でオテロの情婦だった人が公爵夫人になったのかぁ。
そりゃあいろいろやってきただろうなぁと納得させる場面でもありました。

細部ではいろいろ楽しめたのですが物語のヤマがあっさりだったのがもったいなかったなぁと思います。
柚香さん、水美さん、星風さんの主要3人の本来の持ち味と役が合っていなかったのかもとも思います。
また、いまの音楽や舞台機構で隙間なく埋めている作品に慣れている目には、こんなふうに時間の流れと余白を役者と観客自身で埋めていく作品に戸惑いがあるのかもとも思いました。
さすがに50年近く上演されていなかった作品を再演するとなると超えなくてはならないハードルが高いなぁと思います。

つまらないわけではなかったのですが、なにかはまらない感覚に戸惑った観劇となりました。
公演を重ねてをいけばきっと良い方に変化すると思いますけど。
ということで千秋楽のライブ配信を楽しみにしたいと思います。


Fashionable Empire 」は大劇場で見た時も好みのショーでしたが、全国ツアーバージョンはさらに洗練されていてよかったです。
ビートが効いたかんじ、長尺のダンス場面はとくに好きでした。

大劇場と変わったところでは、MISTYの場面の侑輝大弥さんの女役のダンスがとても妖艶でスタイリッシュで印象に残っています。
大劇場では美風舞良さん、音くり寿さんが担当されていたところを歌われていた咲乃深音さん、湖春ひめ花さんの歌も素晴らしかったです。

「殉情」チームも全国ツアーチームも下級生が活躍されていて、お名前を覚えていくのもうれしいですし、これからの花組がさらに楽しみです。

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2022/10/20

ふたりだけの世界。

10月14日に宝塚バウホールにて花組のバウ・ワークショップ「殉情」を見てきました。

谷崎潤一郎の「春琴抄」を原作にしたミュージカルで、今回が4回目の上演。
キャストを変えて10月13日〜21日と10月30日〜11月7日に上演されることになっているものです。
2008年宙組公演までは、石田昌也先生が脚本と演出を担当されていましたが、今回は竹田悠一郎先生が潤色と演出を担当されました。
10月14日に見たのは、主演の佐助が帆純まひろさんのバージョンでした。

帆純さんの佐助はとても人柄がよく、少しの濁りもなく春琴が好き。
朝葉ことのさん演じる春琴も佐助のことが好き。
けれども他人から憐れまれることが耐えられない彼女は、奉公人の佐助と社会的に夫婦になることを受け入れられない。
安息よりも誇りを選ばずにいられない、そんなままならない自分の思いに苦しみながらもそれを決して誰にも打ち明けることのない人でした。

彼女が佐助を受け入れさえすれば、誰もが納得する幸せな結末になりそうなのに。
あくまでも女主人として峻烈な態度を貫いて、佐助も下僕のごとくまたそれを悦びであるように彼女に仕える。
2人が選んだ生き方を首を傾げながらも見続けて、春琴を見舞った災難の後の佐助の行動にも首を傾げずにいられなかったのですが、なぜかラストの幸せそうな佐助と春琴の姿を見て涙してしまいました。
一晩経ってみるとまるで狐につままれたような心地で、あれはなんだったのだろうと思い返しています。
思うのは、原作とは趣の異なる宝塚らしい作品になっていたなぁと。

この舞台の原作となる「春琴抄」では、「私」なる人物が、「鵙屋春琴伝」という種本と実際に春琴と佐助に仕えたという人物の話を照らし合わせながら、この世にも稀な2人の関係を考察していき、どう判じるかは読者にゆだねる筋になっています。

原作を読んだ私は、
みずから盲になることで佐助は自分の理想の世界を完成させたのだと思いました。それは究極の自己愛ではないのかと。
もともと嗜虐的な性格の春琴と被虐に恍惚となる佐助は合わさるべくして合わさった一対だと思うのですが、その
主導権は実は佐助にあったのではないか。
いつしか春琴は佐助に背かれないために高慢であり続けることを自分に課していったのではないか。
佐助は自らを盲にすることで永遠に春琴を美貌のまま自分の記憶の中に閉じ込め、現実の春琴ではなく観念の中の春琴を愛し続けたのではないかと。
それは春琴をどんな気持ちにさせていたのだろうと思うとなんだか複雑で、果たしてこの関係は是といえるのだろうかと心に小石が沈みます。
うんと若い時分に読んだ時は春琴の気持ちを考えるという視点に思い及ばず、佐助の気持ちのほうはわかるような気がして、これもありな関係なのかなと思っていたと記憶します。
と、あくまでも原作の「春琴抄」の感想です。

この舞台で原作の「私」の役割をするのが、現代に生きる者として春琴と佐助の墓を訪れるマモルとユリコ、そして石橋教授だと思います。
冒頭に、そして明治の大阪を生きる人々の物語の途中途中に登場して、現代の視点から佐助と春琴の思いを考察する彼ら。
正直これまでの公演の彼らの在り方は、観客におもねりわかりやすくしようとするあまりか、逆に芝居に没入しているところに冷水を浴びせるといいますか、芝居を真剣に味わおうとする気持ちを茶化されているようでモヤモヤしました。

そんな苦手意識もあったので、今回の公演も若干の不安を抱いて観劇したのですが、あらあらあら? なんかスルスルと見られるんですけど? となりました。(逆に相手の出方をうかがってしまっていた私・・)
それはマモルやユリコが、佐助や春琴のことを卑しめることなく人間として見ていたからかなと思います。
本人たちも「真面目か」と言っていたけれど。

むしろつい下世話なことが気になってしまう私の思考を補正してくれていたように思います。
流行りのYouTuberを志す軽い若者かと思いきや、その根っこは思う以上に真面目なんだなぁ。
YouTubeで発信しながら自分探しをするのかぁと目から鱗もポロポロ。知らず知らず若い人に対して色眼鏡で見ていたのは私のほうかも。
彼らが春琴と佐助についてどんなことを発信しどういう反応を得ていたのかは具体的にはわからなかったのですが、真面目に考察しているのだろうと思いました。
ちなみに、谷崎潤一郎の「春琴抄」は世に出ていなくて、「鵙屋春琴伝」を手に入れたマモルがはじめて世に春琴について発信するという世界線のお話なんですよね?

原作が提示しているのは、2人が幸せならそれで良い、ということではなく、これを読んでどう思うか。
そこを大切にすべき作品だと思うのです。
YouTuberのマモルたちも、彼ら自身も考察しながらこれをどう見るのかと真面目に提示していたように思います。

帆純まひろさん演じる佐助は、原作の佐助とは異なり、被虐に悦びを感じる人ではなかったように思いました。
心から春琴のことが好きで尊いものと敬ってもいて、献身することが悦びのようでした。現代でいうならスター(推しの対象)を崇拝するような感じでしょうか。
非も是として全肯定しまう危うさは大いにありますが、こういう関係は実は珍しくないのかもしれません。
帆純さんの涼やかな美貌と邪気のない瞳に私もまた目が眩んでしまったのかも。
だから役者には用心しなくちゃ💦

春琴役の朝葉ことのさんは初めて意識して拝見したのですが、芝居も歌も出来る娘役さんでした。103期なのかぁ。
春琴の硬質な美しさ、激しさの裏に秘めた脆さも表現されていて素晴らしかったです。

峰果とわさん演じる利太郎は、これまでの上演では白塗りのキャラでしたが、今回は白塗りではなくなっていました。
原作の春琴は宝塚版よりも遥かに気性激しく人を見下して、いろんなシーンで人の恨みを買う女性であったとされ、あの卑劣で陰惨な事件も利太郎が犯人だと断定されているわけではありません。
宝塚版では犯人を利太郎としていて、春琴に尋常ではない酷い所業におよぶ理由を利太郎のキャラクターに置いているのでいままでは白塗りで奇をてらった役作りをしていたのかもしれませんが、峰果さんは芝居でそれを見せていて幇間役の天城れいんさんとのタッグもあわせてなかなかよい塩梅だと思いました。
それにしても。
私は佐助が目を刺すシーンよりはるかに寝ている春琴が熱湯をかけられるシーンが恐ろしかったです。

芸者のお蘭さんを演じていた詩希すみれさん。芝居がとてもお上手、所作もとてもきれいで婀娜っぽくて見入ってしまいました。
観劇後すぐにヅカ友さんにお名前を確認。なんとこの方も103期なんですね~~。

マモル役の希波らいとさんは、第一場からはっちゃけてらして、ああ今回はこんなマモルなのねとなりました。
なにぶん初日にかなりアドリブをぶちかまされたようで、今日は尺をとっては怒られるからアドリブはしませんよとおっしゃりながらすでに面白かったです。
そんな軽い面を出しながら実はとても真面目に物事を考える青年で、つくづく若い人を自分の偏った見方で判断してはいけないと教えを授かりました。
飲んでいる缶飲料がレッドブルかと思いきや、『マジメブル』(真面目ぶる?)だったり。
ユリコとお揃いのマグカップが『
オシャレテイコク』だったり。持っているノートPCが🍎かと思いきや♛ だったり。
甘酒屋さんのポスターが石田先生だったり。(石田先生愛されてる笑)
マモルのシーンはいろいろと面白い発見がありました。
来月一之瀬航季さん主演バージョンを観劇するときにも楽しみにしたいと思います。

ユリコ役の美里玲菜さんはポニーテールも清々しい素敵な娘役さんで、あっもしかして?と思う面影がありましたが、やはり綺咲愛里さんの妹さんですね。
意識して見たのも初めてでセリフを言われているのも初めて聞きましたが初々しさが魅力的でこれから花組を見るときに楽しみにしたい娘役さんになりました。

そのほか、鵙屋の奉公人や丁稚の役の方たちも1人ひとりに個性があって(かといってけっしてキワモノ・イロモノキャラというわけではなく)それぞれ一貫した個性が見えて愛着がわきました。
若い方たちが一生懸命に舞台に生きている姿に、感動したのかなぁ。
ラストシーンで思わず涙したのは、そんなところにも理由があったのかなと思います。

来月の一之瀬さん主演バージョンの観劇ではどんな気づきがあり何を思うのか、今回との違いなども含めて楽しみです。

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2022/10/07

強さってなに?

10月1日に久留米シティプラザ ザ・グランドホールにてミュージカル「DOROTHY」を見てきました。

福岡で凰稀かなめさんを見られることが観劇の動機で、「オズの魔法使い」のドロシーのお話なんだなぁという前情報しかない状態で観劇しました。

幕が開くと学生オーケストラの練習風景??? こんなお話だったっけ???

ドロシー(桜井玲香さん)はコンマスでソリストもできちゃうようなヴァイオリニストで見るからにお嬢様な風情。
前回は彼女のソロパートが秀逸でコンクールで賞をとったけど、今年は彼女のソロではなくみんなの演奏で賞を目指そうってことになったみたい。
なんだけど。
みんなの音がバラバラ。これじゃ賞なんて目指せない。コンクールは目前。
もっと練習時間を増やそう。「あと3時間!」って言えちゃうひと。それがドロシーみたい。
コンクールまでの間、毎日いまより+3時間練習しようってことですよね。

もとより学生オーケストラ(オケ部)。
バイトがある者もいれば遠くから通っている者もいる。
それぞれの事情で現状ですらいっぱいいっぱいの人も多いのだろうなと察せられる。
彼女と自分自身の間にある隔たりをメンバーのそれぞれが感じたよね。そんな気まずい雰囲気。

上手くなるには練習するしかない。自分は正しい。間違っていない。
でもみんなはついてきてくれない。
ドロシー最大の危機。

真剣に悩むドロシーの前に不思議な少女(横溝菜帆さん)が表れて、導かれるままにオズの世界へ——。
なるほど、こういう展開かぁ。

「オズの魔法使い」は子どもの時分に読んだのですが、正直なところその面白さがピンとこなくて読み進めるのが苦痛な物語でした。
ファンタジーの世界観って作者の思想がそのまま反映していると思うんですが、その世界観がどうもしっくりこなくて。
オズの国の住人たちを見下しているような感じに抵抗がありました。
自分と自分が属する側は常にまっとうで正しくて、自分サイドじゃないもの(オズの世界)は奇異で愚かで劣っていると思っているような受け答えが受け入れがたくて。
当時はこんなふうに言葉にはできなかったけれど、作者が提示する世界観に引き摺られることに抵抗がありました。
(異世界に迷い込んで「蒙昧なネイティブ」を啓蒙してリーダーになる物語がいまも好きじゃないのは、ここがはじめだったかも)
カカシが自分を頭が悪いとか、ブリキの木こりが自分を心がないとか、そのうしろに透けて見えるなにかも嫌だったのだと思います。
臆病なライオンはちょっと好きでした。近づいてくるものに怯えて吠えたら皆から恐れられてしまう。その孤独と寂しさを想像して。
いちばん面白く読んだのはオズの魔法使いの正体がわかるくだりでした。

もしかしてこのミュージカルのオケ部のドロシーも、さいしょはそんな原作と同じところに立っている人なのかな?
正しい自分と、なにもわかっていない彼ら。——みたいな。

なにもわかっていない彼らが正しい私を非難する。ピンチ! なんとかしてみんなの心を掴まなくては。
から始まるドロシーの旅なのだけど。
桜井玲香さん演じるドロシーは、恵まれた境遇で育った人らしく自己肯定感が高くて傲慢といえばそうなのだけど、どこか応援したくなる女性でした。
カカシたちとも対等で頭ごなしに馬鹿にしたりしない。ピンチになっても卑屈にはならない、自分に都合のよいエクスキューズもない、不器用だけど一生懸命な頑張り屋さんに見えました。

ドロシーと一緒にカカシ、ブリキの木こり、臆病なライオンは、偉大なオズの魔法使いに自分がいちばん欲しいものをもらうため、危機を乗り越えながら旅をする。
そうしているうちに友情を育むのだけど、けっしてべたべたしないのもよかったな。

東の魔女も西の魔女も、ドロシーの歌や彼女が奏でるヴァイオリンの音色を聴いて彼女を害する気持ちを収めて逆に彼女のためになにかをしてあげようとする。
音楽を愛し信じる人々が作ったストーリーだなぁと思うし。それを納得させるドロシーだったと思います。

自分が持っていないと思っていた知恵も心も勇気も、オズの魔法使いにもらわなくても自分の中にあったね。
必要なのはみんなの心を掴むことじゃなくて、みんなの気持ちに気づくことだったね。
素直にそう思える物語が清々しかったです。

鈴木勝吾さん演じるカカシさん。ずっと一生同じ場所に立っているものだと思っていた彼にとってドロシーやブリキさんたちと一緒に旅をすることは、些細なことさえしあわせだろうなと思いました。
ドロシーのために自分の一部でヴァイオリンを作ってあげたいと思う気持ちもわかるような気がしました。
ブリキさんはもうゼンマイはいらないのじゃないかと気づくのも彼だし。大切に思う誰かの存在が彼の原動力なんだな。そのためにどうしたらよいか考えて行動してて。願いが叶ってよかったねと思いました。

渡辺大輔さん演じるブリキさん。あれはズルイ笑。いやでもうるっとしてしまう。でもしあわせそう涙。
カカシさんが自分が求められる場所に残ると決意したとき、寂しくないと強がるところもとても好きでした。
心がないのではなくて、心を失くしたと思わないと耐えられないような辛い経験をして以来ずっと感情を封印してきたひとなんだなと思いました。

小野塚勇人さん演じるライオンさん。臆病なのは他者の心の動きに敏感だからですよね。自分がなにを望まれているかわかるからですよね。
それはけっして悪いことじゃなくて、そんなライオンさんだからこそできることがあるんだなと思いました。
他者のことも思いやりながら、自分の願いも口にできるようになるといいねと思いました。

伊波杏樹さん演じる東の魔女。なにより圧死してなくてよかった~。
火の竜を操るきれいな声の魔女でした。どうして悪い魔女になったのか不思議。
ドロシーの歌声に心を動かされて、困ったことがあったらいつでも呼びなさいと言ってくれるとっても優しい魔女でした。

凰稀かなめさん演じる西の魔女。緑色じゃなくてよかったです笑。
存在感が女王。でもめちゃくちゃ胡散臭いよ~あやしいよ~笑。面白がってやっているのが伝わりました。
ドロシーが奏でるヴァイオリンの音色に心をかき乱されてその音色に込められた願いに心が変化していく様が短い時間のあいだによくわかりました。こういうところに説得力をもたせられるのいいなぁ。
そしてドロシーをピリッと励ますところが先達として同性の先輩として素敵だなと思いました。

鈴木壮麻さん演じるオズ。こういうふうに出てくるんだ~~と思いました。なるほどなるほどの連続でした。
ちょっと下卑たふつうのオジサン感を醸し出されているのがさすが。そうだよねそうだよねオズの魔法使いってそうだよねとうんうん頷きながら見ていました。
壮麻さんが登場されることによる安心感は半端なかったです。
新しいミュージカル作品が生まれ若いミュージカル俳優さんが次々と生まれている昨今、後輩のリスペクトの対象となれる人が同じ舞台に立っていることって貴重だと思います。
文化は伝承!

ツアー公演なので派手な舞台転換などはないけれど、音楽を愛する人たちによる人柄の良いミュージカルを見たなと思いました。

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