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2023年3月の3件の記事

2023/03/19

いまのおぬしとたたかうために。

3月18日に博多座にて「巌流島」を見てきました。

理屈っぽいチャンバラという印象でした。
武蔵と小次郎を戦わせるために設定を考え理屈を考えましたというかんじ。
最初から最後までボーイズクラブの理屈だなと。

社会性がなくこだわりの強い人物が主人公という昭和の任侠もののようなテイストで。
親も子も妻も存在せず自分の好きなことだけに打ち込むことができる世界。ある種の理想なのかな。
友か敵かの関係性。ホモソーシャル全開。男の絆バンザイの世界観。
ナルシシズムと自己満足。
そういったものが描かれていると思いました。

キャストのなかで唯一女性の凰稀かなめさんが2役で女性の役を演じていましたが、男たちの思想を肯定するために存在する役でがっかりしました。

セリフと殺陣で劇場空間を支配する横浜流星さんをはじめとする役者さんたちの能力は凄まじいなと思いましたが、それから舞台セットの代わりの映像も面白く全国のいろんなホールを回るのにこれはいいなぁと思いましたが、脚本的にはあまり語りたい舞台ではありませんでした。


<CAST>  (2023/03/20更新)

横浜流星(宮本武蔵)  侍らわぬ者。自己問答に周囲を巻き込む華が見事。リアル武芸者でした。
中村隼人(佐々木小次郎)侍らう者になろうとしてならない道を選んだ人。口跡とイントネーションが歌舞伎の人だなと思いました。スローモーションの殺陣が美しかったです。
猪野広樹(辰蔵) 自らの主を自らで選ぶ人。
荒井敦史(甲子松) どこにいても己が生きるべきスキマをみつける目敏さのある人。
田村心(伊都也) 己の良心に従う人。愛されて育った人なんだろうと思いました。
岐洲匠(英卯之助) 最終的に侍らうことに己の生き方を定めた人。つねに自分の美学を探している人のようでした。
押田岳(捨吉) 愛すべき可愛い人でした。ヒロイン的存在。
宇野結也(水澤伊兵衛) 静かな人かと思ったら実は怖い人でした。
俊藤光利(秋山玄斎/和尚) 俗で荒々しい野武士と仏に仕える和尚の物腰、同じ人とは気づきませんでした。
横山一敏(弥太右衛門/柳生宗矩) 宗矩の言葉に肯けました。
山口馬木也(藤井監物) 大変な食わせ者でした。
凰稀かなめ(おちさ/おくに) 人としての描かれ方がなおざりな気がしました。もっと葛藤を見たかったです。
才川コージ(望月甚太夫/大瀬戸隼人) 凄い跳躍を見た気がします。
武本悠佑(辻風一之進/細川忠利) きれいなお顔に思わず二度見してしまいました。

上川隆也  語り

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2023/03/15

よか夢見んしゃい (and all you've got to do is dream)

3月14日に博多座にてミュージカル「DREAMGIRLS」を見てきました。

とにかく聴かせる作品、ハイレベルの歌唱力をもったパフォーマーたちによるパワフルでソウルフルな舞台でした。冒頭からセリフの一声の張りも凄くて思わず笑ってしまい期待が高まりました。
チアフルなステージナンバーからバックステージの言い争いの歌へと自然に、迫力の歌声はそのままで繋がっていくところなど凄かったです。
劇中ナンバーでは「Steppin' To The Bad Side」のノリが好きでした。

ストーリー的にはエピソード不足かなと思いました。それを補うためにか言葉攻めみたいになっている箇所がいくつかあったのが可笑しかったです。
ジミーがドラッグをやっていたというのも告白で初めて知ったし。
エフィの体調不良の理由も見終わってからあれってそうだったの?と。
ディーナがエフィに電話しようとしていたのも知らなかったよーだったし。だからラストでどんな気持ちでエフィと向かい合っているのかドキドキしました。
デビュー前からのメンバー3人の繋がりとか、エフィがディーナと仲違いする理由とか、和解に至るところとかの脚本的書き込みがもっとあると感動的なんだろうなと思うけど、ミュージカルナンバーの披露に重きを置いているので仕方がないのかな。
1幕終演後にお隣の方が涙を流していらして、曰く映画を見ているのでエフィの気持ちを思うと涙が出てしまったとのことでした。

最初のオーディションの時からエフィの歌声がR&Bに向いているパワフルで深みのある声なのがわかって、彼女がセンターなのも彼女がイニシアティブをとるのも(みんなが彼女の顔色をうかがうのも)理解できました。
そういうところからも、セリフよりパフォーマンスで客席を納得させる方向なのかなと。

グループのデビューにあたってカーティスがディーナをセンターにすると決めたという流れの時は、大丈夫かな?と思ったのですが、それまで地味に見えていたディーナなのに、センターで歌うとさすがの真ん中力だったのでたしかにセンターに立つべき人だったよねとそれも納得。
歌うときのふとしたキメとかちょっと腕を動かすだけでも華がありましたし、撮影シーンのスター仕草もさすがでした。個人的には背中の開いたドレスのバックスタイルがたいそう素敵で好きでした。
雰囲気もうちょっとセクシーでもいいのかなぁと思うけれど、ちょっとでも過剰になるとちがうキャラになりそうで作品にも影響してしまうから難しいのかな。

さらに万事控えめで和やかなローレルが唯一感情的に歌うソロナンバーも見せ場でした。
感情を表す声色も自由自在で、彼女が決して数合わせの3人目ではないということがわかる大切な場面だと思いました。

ドリームズのメンバーはもちろん、これだけの実力のあるメンバーが揃ってポップでソウルフルなナンバーを聴かせてくれる贅沢な時間だったなと思います。

物語の舞台は1960年代~70年代のアメリカ。
アフリカ系アメリカ人による音楽はR&Bチャートで上位に入っても全米ヒットチャートには入らない時代。
でもその曲が白人アーティストにカバーされると全米でヒットするなんてザラ。
それが悔しいカーティスは自分たちが作り自分たちが歌ったナンバーが全米チャートに入ることを夢見てディーナたちのガールズ・グループ「ドリームズ」をプロデュースする。
彼よりも前の世代の音楽マネージャーのマーティはそんなことは無理だ、長くやっていればわかるはずだと首を縦に振らない。それくらい根深く骨身に染みていることなんだとわかります。

もちろんいままで通りのやり方では無理で、相手が自分たちの音楽をパクるならその上をいってやるとばかりにあらゆる音楽番組のDJたちに自分たちの曲を流すように促す。
それって買収してるってことですよね。
そもそもディーナたちがオーディションに遅れた時も、ジミーのバックコーラスに着ける時も、カーティスが懐からチップを取り出して意を通していたから、そういうことをやる人なのはわかります。
でもどこまでがOKでどこからがNGなんだろう。やりすぎなかった者が生き残るってことなのかな。

そもそも売れるも売れないもプロデューサー次第ってことか。
運よくやり手のプロデューサーと巡り合えるかがすべての分け目なんだなぁ。
彼女たちはそれにうまく乗せられただけになってない?
意に沿わない者は爪弾きにすればそれでいいの?(不必要にエフィをわからず屋に描いていない?)

子どもっぽさ未熟さを売りにする本邦のアイドル商法にもげんなりするけど、見かけは大人っぽくても中身はまだ未熟な10代の女性に「キミは大人だ」と自己決定権を与えたふりをして大人の意のままに動かすやり方もどうなの?と思いました。(「うたかたの恋」をまだ引き摺ってる)
彼女たちが心に傷を負うのは彼女たちのせい?
舞台は無理やりにでもハッピーエンドにしちゃうけど。
私はこのビジネスのシステムに納得がいかないなぁと思いました。(今の話じゃないのはわかってるんだけど)
成功例の裏には星の数ほどのハッピーで終われない結末もあるのじゃないのと。

エンターテイナーが守られていないと彼らのパフォーマンスを心から愉しむのは難しいと、エンタメを愛する側としてバックヤードものを見るたびに思う昨今です。

さて、この日のカーテンコールで挨拶をする望海風斗さんが、「それでは皆さん――」と切り出し間をおいて「さようなら」で締めたので両側にいるキャストの皆さんがずっこけて、口々に望海さんになにやら。
そこにいる誰もが別の言葉が続くと思っていたので。
望海さん的には、「それでは皆さん」と言ってしまったら後に続く言葉は「さようなら」しかないのではないかと釈明されていましたが、キャストの皆さん的にはほら「ドリームガールズ」らしいやつとか博多らしいやつとかあるでしょうってかんじかな。こそこそとアドバイスされているのですが明確に望海さんに伝わらないみたい。
痺れを切らした?駒田一さんが客席に向かって「皆さんは耳を塞いでいてください」で舞台上で打ち合わせて(見え見えのバレバレですが)、皆さんで「よか夢見んしゃーい!」で幕となりました。

上質で心励まれるひとときをありがとうございました。

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2023/03/07

ハプスブルクを頼む。

3月1日に東京宝塚劇場にて花組公演「うたかたの恋」と「ENCHANTEMENT-華麗なる香水(パルファン)」を見てきました。

「うたかたの恋」は小柳奈穂子先生による新演出がとても良いと聞いて楽しみにしていました。
書き加えられた部分によってそれまでふんわりしていた時代背景や状況が顕らかになり、私は夢物語を見る目線ではなく、史劇を見るようなシビアな目線で見ていたようです。
結果としてマイヤーリンク事件の後味の悪さを噛みしめることになりました。

現実との折り合いが悪い大人が、自分は世の中の誰ともちがうと夢想しがちな年ごろの年少者の夢を喰らって利用している様が浮き彫りになったように感じました。
ことに酒場で自暴自棄のルドルフが罪のないマリーを責める様子が、モラ男の典型を見るようで心理的アラートが誘発されたようです。
思い通りにいかないことに腹を立てている甘えたオトナと、見たことのない大人の弱さを直にぶつけられてそれを愛しいと感じ彼を支えられるのは自分しかいないと思い込んでしまった少女の図にぞっとしてしまったのです
(あなたしかいないのではなくて、みんなが手を退いてしまった男なのよ、その男は)

この甘えたでダメな感じが真実に近いルドルフなんだろうなとも思います。
それに対してマリーも現実的な人物に描かれていたなら別の受け取り方ができたのかもしれないのですが、旧時代の夢を一身に背負ったようなマリーだったので、ルドルフ役の柚香光さんが心の機微を繊細に演じるほど、マリー役の星風まどかさんが宝塚ファンが求めるマリー像に近づけるほどいたたまれなさを感じました
その立場、その美貌で夢見るマリーを有頂天にさせたあげくに死出の道連れにする正当性をどうやっても見出せなくて。

従来の「うたかたの恋」を見るとき、私は頭で主人公がおかれた状況や心情を補完しながら見ていたと思います。そうするのは、すでに初演の頃とは見ているこちら側の感覚や価値観が変わっていたからだと思います。
聡明で孤独な皇太子とけなげな少女の悲恋にロマンを感じ、頑迷な父帝や権力に固執する政敵を憎み、母后や伯爵夫人の機知に富んだ会話や人間味あふれる従僕たちのやりとりに人の世の機微を感じてひとときの夢を味わう作品だったのかな、もともとは。
でもいつしか見る側も努力をしないと楽しめなくなっていました。

時代が進み自分も年齢を重ねたことで、責任ある立場の大人がうら若い女性と情死を選ぶには納得がいく理由がないと受け容れ難くなり。
また同時代を描いた新しい作品での同名のキャラクターの描かれ方に触れることで、父帝がただの頑迷ではなかったのではと考えたり。
機知に富んで見える伯爵夫人のセリフも宮廷の薄暗いところで権力者を相手に女衒のようなことして生き抜く女性ゆえのわきまえた仕草なのだと知るようになると、あの狂言回しが「キッチュ!(まがいものだ!)」とせせら笑ったおとぎ話を無垢な気持ちで見ることは適わなくなってきたのだと思います。

そういうわけで、今回の新演出に期待を抱いて観劇したのですが、こもごも雑念が膨らみ純粋な目線で見ることができなかったのかなぁと思います。
柴田先生が脚本を書かれた時代の価値観や史観が支配する場面、新しく書かれた現在の価値観や史観による場面がパッチワークのように交錯し視点を定めることができないまま見終わってしまった感じです。
さらに同作映画にこんな場面があったなぁと思うとその映画の世界観に私の意識も一瞬飛んだりもして。
物語に浸るより、考察しながら見てしまいました。

「おとぎ話フィルター」が外れてしまったために、いままで気にしないようにしていた部分に気を取られたのもあります。
そもそもなぜジャンはヨハンじゃないのかなぁとか。
クロード・アネの原作がフランス語で書かれたもので名前もフランス式になっていたと思うので、柴田先生もそれに由ったのかなと思いプログラムを見ると、フランツ・フェルディナント大公も「フランソワ・フェルディナンド大公」になっていました。(だから恋人もゾフィーじゃなくてソフィーなのか)
名前の表記は原作にならってフランス名で統一しているのでしょうか。
それで今回の新キャラであるマリーの兄の名前もジョルジュなのかな。観劇時なぜゲオルクじゃないんだろうと疑問に思っていました。(母親がギリシャ系でマルセイユ生まれらしいけど←観劇後に調べてみました)

かと思うと、従来は「ヨゼフ皇帝」と表記されていたフランツ・ヨーゼフが新演出では「フランツ」(ファーストネームのみ)になっていて、これも不思議に思います。
舞台を見るのにどうでもいいことなのかもしれませんが、意味なくそうされている訳ではないと思うのです。その理由がわかれば喉の痞えも取れるのではないかといろいろ考えてしまいます。

こたびの新演出ではフェルディナント大公の恋人ゾフィー・ホテクも新キャラとして登場し、フェルディナント大公が彼女を「召使い」と紹介したのでそれにも、え?となりましたが(実際には彼女はフリードリヒ大公妃の女官をしていたボヘミアの伯爵令嬢だったのだけど)、これは貴賤婚をわかりやすくするために平民に改変したのかなと思いました。
この時代、ルドルフ皇太子を筆頭にハプスブルク家には大勢の大公殿下がいたそうですが、貴賤婚を選ぶ大公が次々増えていくのですよね。
彼らは家憲により王族以外との結婚が許されなかった(貴族もNG)けれど、それでは当時50名以上いたといわれるハプスブルク家の大公たちは結婚のチャンスを逃してしまうし、貴賤婚のたびに皇籍から除籍していては後継者の選定が難航していくのは顕らか。
フェルディナンド大公やジャン・サルヴァドル大公が自由恋愛で伴侶を選ぼうとしているのも時代の必然だなと思います。そんな彼らをルドルフが眩しく羨ましく思うのも肯けました。
これもまたハプスブルク帝国の崩壊を予感させるエピソードだなと思いました。

新演出でとくに好きだったところは、冒頭のプリンスたちのウィンナワルツです。
「うたかたの恋」というとプロローグでルドルフとマリーが歌う深紅の大階段、そしてそれに続く貴公子たちのウィンナワルツが最大の見どころですが、今回はそのウィンナワルツがさらに見応えのある見せ場になっていました。どのプリンスも麗しく、どのプリンスもダンスに長けていて、1人ひとりを眺めてうっとりしたいのに・・やがてこの場面が終わってしまうのを惜しまずにいられませんでした。

シュラット夫人がオフィーリアのアリアを歌う場面もよかったです。フランスオペラ「ハムレット」の音楽はこの作品の世界観にぴったりでした。(その衣装からして彼女は歌唱披露しただけでオフィーリアを演じたわけではないんですよね?)
バレエの場面も素敵でした。美しいものを見ることには価値があるのだとしみじみと感じました。
ザッシェル料理店にはこれまでもおなじみのロシアの歌手マリンカ、プラーター公園のタバーンには新キャラのミッツィと、歌姫に活躍の場があるのもいいなぁと思いました。
ミッツィってあのミッツィ?(ミッツィ・カスパル)と思うと、ルドルフの別の顔を思い起こしてしまい複雑な気持ちになってしまったのも否めませんが。

ルドルフを追い詰める包囲網がわかりやすく描かれたことで、柴田作品独特の「語らない中に語られているもの」が見えなくなってしまった気もします。
なにげないやりとりに込められた意味に気づいた時の面白さが柴田作品の真骨頂だったなぁと。
けれどいまの時代に「語らない中に語る」というようなことをすると、思いもよらない受け取り方をされたりもするので難しい。そういうことが通用しない時代になったんだなぁと思います。

それから柴田作品は、女性は分別をわきまえてどんなときでも微笑みを絶やさずけなげに振る舞いなさいのメッセージも強くて、いまこの時代にそのまま見せられると鼻白んでしまうのも確かです。当時はそのほうが幸せを掴めるという女性たちへの愛を込めたメッセージだったのかもしれませんが。(「バレンシアの熱い花」はどうなるのかいまから心配・・)

思えば、これほど宝塚の今と昔に思いを馳せられる作品もないなぁと思います。
そしてこれからの宝塚は、と思いを遣らずにいられません。


野口先生のショー「ENCHANTEMENT-華麗なる香水(パルファン)」は宝塚を見たぞという満足感に浸れる作品でした。
コスチュームが豪華な舞台は多々あれど、必然性などおかまいなしに次から次へと豪華なコスチュームを着替えて見せることができるのは宝塚しかないのではと思います。まさにそんなショーでした。

私がいちばん心に残ったのは、パリのベル・エポックの場面、盆の上を回る美男美女たちかなぁ。
聖乃あすかさんが凄まじいほどの美女でびっくりしました。
早くもここが私的クライマックス!と思ったところでしたが、次のNYの場面での柚香光さん登場で心が舞い踊りました。
やはり小粋に踊ってこそ花男。
中国の場面は艶やかで、ミュージカルナンバーの場面は洒脱で目にも麗しく軽快な黒燕尾も愉しくて、そしてデュエットダンスにうっとり。(影ソロもよかったです)
芳しいひとときはあっという間に終わってしまいました。

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