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2023年8月の1件の記事

2023/08/13

朝まで歩こう肩を組み。

8月4日東京宝塚劇場にて星組公演「1789」を見てきました。

終演直後自分は成仏したんじゃないかなと思いました。
もしかして私は迦陵頻伽の聲を聞いていたんじゃないかなと。
これが法悦というものなのかな。
自分の語彙では表現できない満足感に脳がバグを起こしておりました。

数日経ち幾分冷静になってきたので感想を書こうとするのですが、やはりなかなか言葉がみつかりません。
刹那刹那に感じた技術的な凄さや舞台の上の1人1人から漲っていたものを表現する言葉を知らない自分にがっかりです。
でも感動を書き残しておきたいのでどうにか書いてみようと思います。

1か月ちょっと前に宝塚大劇場で見たものとは別物だと感じました。
あの時は大好きなナンバーをようやく自分の耳で生で聴けたことに心が震えましたが、今回は1つの作品としての完成度の高さに打ちのめされました。
舞台の上にいる1人1人から漲るものが凄まじかったです。
オケも宝塚大劇場よりもドラマティックで色っぽい印象でした。(音の聞こえ自体は大劇場の方がよかったのですが)

「ロミジュリ」初演を観劇してから13年(私は博多座で観劇)、タカラジェンヌがフレンチロックミュージカルをここまでアーティスティックに上演する日が来ようとは。頭を抱えたあの時には想像もできませんでした。

あの時は宝塚とフレンチロックとの音楽性のあまりの乖離に頭を抱えてしまったのでした。
宝塚には音楽性よりも「宝塚らしいもの」をという思いをいっそう強く抱き、以来宝塚で上演されるフレンチロックミュージカルには食指が動かなかったのですが、礼真琴さんなら・・とロックオペラ「モーツァルト」を見に行き「ロミジュリ」を見に行き、そのたしかな実力と感性に心酔し礼真琴さんの星組で「1789」が上演されることを熱望して、いまここ。
そしてこの満足感たるや。

でもこれはメインキャストだけが巧くてもどうにもならないことだということも実感しました。
この10余年で宝塚歌劇の音楽性が大きく変わったこと。下級生に至るまで1人1人の体にこのリズムが沁み込んでいるんだということをしみじみと感じました。
あの時無謀ともいえる挑戦をし宝塚ファンに衝撃を与えた初演「ロミジュリ」のメンバー・関係者の手探りの努力があってこそのいまなんだなぁということも強く思います。
さらに、宝塚の番手主義とは相容れない群像劇をそのヒエラルキーを崩してまでも上演した、2015年のあの「1789」月組初演があったからこそ。

すべてはあの一歩から。生みの苦しみを経て、綿々と積み重ねられた努力の末に結実した一つの公演がこの「1789」であり、そしてこれから生み出されていく作品なんだなぁと深く思います。

話を今回観劇した「1789」東京公演に戻します。
大劇場の観劇時にはもどかしく思ったところも、今回の観劇ではまったく感じませんでした。
それどころか期待以上のものを体感することができて感激もひとしお。

ラストのロナンのせり上がりも心の準備ができていたので問題なしでした。
座席の位置も関係があったのかもしれません。今回は1階の下手端っこだったので人権宣言をじっくり堪能してからロナンが登場した印象でした。(大劇場では2階最前センターだったので人権宣言が終わるか否かで目に入って来たのが大いに戸惑った原因ではと思います。座席位置大事)

礼真琴さんは私の快感のツボを全部圧していかれました。
こんなふうに歌って聞かせてもらえたらもう思い残すことはござらん・・です。
いえチケットさえあれば何回でも見たいし聞きたいですが。

父親を殺され農地を奪われて衝動的に故郷を飛び出したロナンが、若き革命家たちやともに働く印刷工たち、再会した妹、フェルゼン伯爵らを通じて成長しながら恋をし、憎しみや疑念、葛藤を抱きもがきながら成長していく様が手に取るように伝わり物語世界にどっぷりとはまりました。

「革命の兄弟」のロナンと、デムーランとロベスピエールとのやり取りは1人1人のキャラクターの違い、立ち位置、考え方、受け取り方の違いがよく見えました。
理想主義でロマンティストのデムーラン。懐疑的で原理主義のロベスピエール。

ロナンが「俺にも幸せ求める権利がある」と言えば「当然だ」と肯定するロペスピエール。
ロナンの「やりたい仕事につく権利がある」にはデムーランが「勿論だ」。
さらに「誰が誰を好きになってもかまわない」には前のめりに「その通りだ」と返すデムーランに対して反応薄めのロベスピエール笑。
さらに「自由と平等」でその違いが際立ちます。

ダントンは人情派で寛容、ファシリテーター的なところもある。デムーランとロベスピエールがかなり強烈なのでその努力が不発に終わることもあるみたい・・天華えまさん演じるこの作品のダントンはそんな立ち位置かな。
「パレ・ロワイヤル」はそんな彼がよくわかるナンバーだなぁと思います。
「氏素性なんて関係ない」「学問がなくてもかまわない」――その意味のリアルがわかっているのは実は革命家3人のうちではダントンだけなのではないかなと思いました。
だからソレーヌも彼の言葉に耳を傾けることができたんじゃないかな。
デムーランとロベスピエールがそのことを理解するのはもっと後、ロナンという存在に関わって現実を突きつけられ、その行動力と人々からの信頼を目の当たりにしてからだと思います。

「サ・イラ・モナムール」での恋人との関係も三者三様で面白かったです。
同じ理想を目指していることが大事なデムーランとリュシル。そばにいて共に戦うのが当たり前なダントンとソレーヌ。
危険行動に恋人を連れていく気がないロベスピエール。そもそも志を共有するという気がないのかな。また後顧の憂いは断ちたい人なのかなと。

私が「1789」が好きな理由はやはりこの革命家たちにワクワクさせられるからだと思いました。
革命家それぞれがセンターに立つナンバーが、その大勢のダンスパフォーマンスも含めて心が昂るところ、三者三様の個性がはっきりしてそれぞれに異なったロナンとの絡み方が面白いからなのだということを実感しました。

大劇場で喉を傷めている様子だった極美さんも難なく高音で歌い上げていて最高でした。
「誰のために踊らされているのか」のダンスパフォーマンスは舞台上の全員がいっそう力強くなっていて、見ていてドーパミン的幸福感が凄かったです。依存性が高いナンバーだなと再確認。

暁さんの朗々とした歌声と礼さんとのハモリも最高。
声が安定しているからこそフェイクも効いていて心地よかったです。

大劇場公演では大人しめに感じた有沙瞳さんのマリー・アントワネットも印象がまったく違いました。
1幕では誰よりも華やかで無邪気にチャーミングだったアントワネットが、2幕では動じない威厳を身に纏い質素なドレスを着ても存在感が滲み出ていました。自分自身の人生を自分で選び択る決意に溢れた「神様の裁き」は感動しました。

オランプは居方が難しい役なんだなとあらためて思いました。
猪突猛進でロナンの人生を変えてしまう、無茶ぶりで父親を危険に巻き込んでしまう。一歩間違うと反感をもたれてしまいそうなキャラを舞空瞳さんはいい塩梅で演じているなぁと思いました。
これこそがヒロイン力かなぁと。

東宝版を見ていた時にも思っていましたが、オランプは平民なんだろうかそれとも下級貴族なんだろうかと今回もやはり思いました。
姓にDuがつくので貴族かなと思っていたのですがアルトワ伯がオランプに銃を突き付けられた時に「平民に武器を持たせるとろくなことはない」と言うのがちょっと引っ掛かったり。

お父さんは中尉ということなので、平民から中尉なら出世した方だと思うし平民の中では裕福な部類かなと思うけれど、貴族なら年齢的にも中尉止まりだと名ばかりの底辺の貴族ってことになるなぁと。
いずれにしても娘に王太子の養育係ができるほどの教育を受けさせているのは凄いことだなと思います。
そしてアントワネットは意外とそういう倹しげで教養の高い人が好きですよね。
マリア・テレジアの教育の賜物でしょうか。

「神様の裁き」を歌うアントワネットの背後で戯れるルイ16世と子どもたち。この後のルイ・シャルルの運命を思うと、この愛らしいマリー・テレーズがのちにアルトワ伯以上に怖い人になるのだと思うとなんともやりきれない思いになりました。
(マリー・テレーズにとって母はどんな人だったのだろう・・)

瀬央ゆりあさん演じるアルトワ伯は、大劇場よりさらにクセの強い印象でした。
妖しくてシニカルで。
国王の孫で王太子の弟として生まれ、国王の末弟として育つってどんな感覚だったんだろうと思わず考えてしまいました。
アルトワ伯の人生にとても興味が湧きました。
それから今のこの瀬央ゆりあさんにオスカー・ワイルドの戯曲の主人公を演じてもらいたいなぁと思いました。田渕作品なんて面白そう。
(いやそれって「ザ・ジェントル・ライヤー」やんって思いますが、いまの瀬央さんの「ザ・ジェントル・ライアー」を見てみたいなぁと)

どの登場人物も魅力的で、この作品を上演する星組は幸運だなぁと思いました。
作品を引き寄せるのも実力のうちだなぁとも。

幸せな体験に感謝です。

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