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2024年6月の2件の記事

2024/06/16

倒せドラゴン

6月5日と6日に東急シアターオーブにて宝塚歌劇星組公演「BIG FISH」を見てきました。

東京のみの上演だったので観劇は難しいかなと思っていたのですが、おなじ原作の映画が好きだったのと、それを礼真琴さん主演で上演するのならやはり見てみたいと、思い切って上京することにしました。

礼真琴さんと星組メンバーのパフォーマンスに圧倒される

いやはや礼さんが凄いのは知っていましたが、ここまで凄いとは! 何を歌っても踊っても見ていて聴いていて心地よかったです。
いつもわくわくする未知の世界に連れて行ってくれる礼さん、その礼さんが演じるエドワード・ブルームの語る物語にどんどん引き込まれました。
彼の語りにわくわくするかウソっぽく感じて鼻白むかで見ているほうの気持ちはぜんぜん違うんじゃないかなと思います。

礼さん以外の出演者も歌も芝居も達者な人揃いで終始感嘆しながら見ることができました。
パフォーマンスに関してストレスなく見ることができたぶん物語そのものに没入することができたのですが、それゆえに心がざわつく箇所がいくつかありました。

映画よりもかなり保守的な脚本

原作となる小説は読んだことがないのですが、おなじ原作の映画に比べるとかなり保守的になっている印象を受けました。それは現代パートの女性の描かれ方と父の息子の関係性に濃く表れていたと思います。(映画よりもミュージカルのほうが10年も後に制作されているのに・・です)

小桜ほのかさん演じるサンドラが私はしんどかったです。
エドワードの自分語りに登場する若き日のサンドラ(詩ちづるさん)以上に夢物語のようなサンドラで。

映画を見ていて、カールが実際は5mではなくて2mの大男だったように、サンドラもエドワードが語る夢のような南部の美少女が、いまは現代を生きるリアルな妻であり母であることで私はホッとするところがあったのです。
小桜さんのサンドラは「カールが実際に5m、いやそれ以上の大男だった」くらいの夢夢しさでした。

1人の女性として現実を生きて、夫エドワードの言動に困ったり息子ウィルとのあいだで板挟みになりながらもエドワードを愛していることに揺るぎのない彼女の強さと人生の深みが滲むリアリティのあるサンドラとして「屋根はいらない」という比喩を聴きたかった。
小桜さんは実力のある娘役さんで、可愛らしい少女から「RRR」の悪辣な総督夫人までも見事に演じることができる方なので、きっと演出の意図通りに演じているのだと思います。
澄んだ美しい歌声で「私の中の2人」「屋根はいらない」を熱唱するサンドラはいまだに夢の中に閉ざされているように感じられて心がざわざわしました。(現実的な生活力は放棄して愛という依存で束縛する人だなぁと。『彼女には自分がいなければ』と思えるパートナーはそれがいいのだろうけど息子は・・)

星咲希さん演じるウィル(極美慎さん)の妻ジョセフィーンも見ていてだんだんしんどさを感じました。
世界を飛び回るTVジャーナリストの彼女がこんなマタニティドレスを選ぶのかな?とか、知的で相手をリスペクトし公正な感覚で夫やその家族に細やかな気遣いで接している彼女に対して誰もギブしていなくて、このままアラバマのこの家族の価値観に合わせていって大丈夫なのかなと。

身重なのに夫ウィルに対してひたすらギバーでいることもしんどかったです。妻というよりは母親のようでした。
ウィルには知的で彼の心を紐解く母親と夢々しいまま年を重ねた守ってやらなければならない母親の2人の母親がいるみたいでした。
自分のことで頭がいっぱいなウィルがジョセフィーンの優しさや有効なアドバイスを当たり前のように受け取ってその割に素っ気ないのも・・。もっと彼女のことをリスペクトしたらいいのにと思いました。

ジョセフィーンにしてもサンドラにしても現代パートの女性としてのリアリティに欠けるのは演じている彼女たちが宝塚の娘役ゆえというのもあるのかもしれません。
彼女たち宝塚の娘役が旧態依然の女性観を体現することから解放されないと、私は宝塚を見ること自体がしんどくなるだろうなと思いました。

父と息子

さらに物語全体に流れる「父と息子」の関係をことさらに特別視する雰囲気もしんどかったです。

「オフィスに閉じこもって仕事/俺にはとても無理さ/じっとしているのは死んでいるのと同じ」「芝刈りや料理や洗濯は向いてない俺じゃない」と、セールスの仕事で数週間家に帰らないエドワードが幼いウィルに向かって、自分が留守のあいだはお前が大黒柱として家と母親を守れと言うのもしんどかったです。自分はやりたいように生きて家に残す息子には呪いを掛けるんだと。
おそらく朝鮮戦争に召集されているのでエドワードは1930年代の生まれかなと思います。ジェンダー意識が強いのはこの世代の人なら普通かもしれませんが、2024年のいま舞台であえてこのセリフを使う必要があるのかな?と疑問でした。
なによりウィルが拗らせているのはこの父親のせいでしょう。

そんなウィルが、妻の妊婦健診につきあい超音波検査でお腹の子が「息子」であると知ったときの流れも胸がざわざわしました。
息子ってそんなに特別なんだ。
「父親と息子」の関係の構築はウィルにとって雲をつかむようなでも焦がれてやまない命題なんだろうなぁ。
満たされなかった子どもの自分を息子を介して満たしていこうとしているみたいだなと思いました。

ウィルの気持ちはとてもわかる気がしました。
エドワードは1対1ならとても面白くて素敵な父親だったけれど、成長して客観的な視点を持つと疑問も湧くし、世間を気にする視点を持つようになれば父親のことを恥ずかしく感じることもわかります。
でも根本は父親のことを好きだからこそ、そう思う自分が父親に対して申し訳なくなるジレンマもあるでしょう。つらいなと。

ウィルは賢い子どもだったし、優秀なまま大人になりいまは報道関係の職に就き世界中を回りニューヨークに住んでいる。
妻のジョセフィーンもおなじ業界の人で、結婚式の招待客も彼が交友関係をもった大学や業界の人びとなんだろうと思います。知的でリベラル寄りの。
そんな彼らに父親がどう思われるか・・? アラバマの片田舎でセールスマンをしながら家族を養ってきた父。いつもの荒唐無稽な自慢話さえしなければ彼には誇れる父親のはずです。
だからどうか自分の晴れ舞台である結婚式の場では黙っていてと願い、約束を取り付けたのに反故にされてしまった。
彼にとってはいちばんデリケートな話題を衆人の前で自分主体の話としてしまう父親に心底うんざりしてしまったよねと思いました。どうでもいい人ではない、本当は尊敬したい相手だからこそとても複雑なんだよねと。

映画だと老いて自分のホラ話の粗をさらに見え見えのホラ話で取り繕うみっともなく哀れにすら見える父親が、実は本当にビッグな人だったんだと認めることができた、そういう息子の心の救済の話だったんだ思うんですが、礼さんのエドワードは老いてもちっともみっともなくも哀れでもなく、むしろ素敵なので見る側が補正してしまって、少々ウィルに分が悪いなと感じました。

女の子もドラゴンと戦っていい

エドワードの語りパートの演出や各々の演者のパフォーマンスも面白くて楽しくて、殊に可愛い可愛い「アラバマの子羊」と「時が止まった」の流れが大好きでした。
憎々しいドン・プライス(蒼舞咲歩さん)や狼男のサーカス団長(碧海さりおさん)や大男カール(大希颯さん)、子ども時代のウィル(茉莉那ふみさん)などなど皆個性的でキャラが立ってて愛おしかったです。
弔問に現実の彼らが訪れるところはなんとも言えない気持ちになりました。
音楽はどれも素敵で時間が経っても口ずさんでしまうものばかり。
たのしいたのしいだけではないのが、きっとこの作品の魅力なのかなと思います。
深い作品だからこそ、いろんな見方で心に刻んでいていいよねと。

♪倒せドラゴン~城を攻めて~と反芻しつつ、女の子だってドラゴンと戦っていいんだぞ、戦わなくてもいいけど、と思いながら帰路に就きました。

CAST

エドワード・ブルーム/礼 真琴 どのナンバーも最高でした。礼さんの歌声で聴けて幸せでした。
ジェニー・ヒル/白妙 なつ 終盤からの出番ですが、その説得力たるや。さすがでした。
ベネット/ひろ香 祐 ブルーム家の家庭医でエドワードの友人。なんども聞いているエドワードの自慢話を面白がって笑ってくれる良い人でした。
サンドラ・ブルーム/小桜 ほのか 澄んだ美しい歌声に聞き惚れました。エドワードの声色をまねるところも巧いなぁと思いました。
ドン・プライス/蒼舞 咲歩 登場するたびに笑ってしまう間の良さ、コミカルで憎めない憎まれ役でした。
人魚/希沙 薫 優雅な手の動きに登場のたびに思わず見入ってしまいました。
ウィル・ブルーム/極美 慎 父への複雑な感情がよくわかりました。愛しているからこそわかりたいし理解してほしいんだなぁと。
エーモス・キャロウェイ/碧海 さりお 怪しくて胡散臭くて狼男になると愛おしくて大好きなキャラクターでした。
ザッキー・プライス/夕陽 真輝 お兄さんのドンの引っ付き虫で、いつも兄に倣って罵倒にもならない罵倒「魔女好き男めー」で去っていくのに笑いました。
魔女/都 優奈 凄く圧のある魔女でした。「RRR」に続いて歌声が聴けて嬉しかったです。
ジョセフィーン/星咲 希 こんなにセリフが多い役をされているのをはじめて見たかもしれないのですが、お芝居がとても巧い方でした。
ジェニー(若かりし頃)/鳳花 るりな 映画とはちがうところで登場するので、さいしょはあのジェニーとは気づいていませんでした。2度目に登場した時にあああー!となりました。歌もお上手だし、いろんな場面でアンサンブルで踊っているのも目にとまりました。
サンドラ(若かりし頃)/詩 ちづる 「アラバマの子羊」可愛かったー。ヤング・ウィルとエドワードを窘める場面もツボでした。
カール/大希 颯 エドワードと2人で旅に出るときのナンバーが好きでした。あの高さで姿勢で歌えるの凄いなぁと思いました。

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2024/06/09

未来がこわい

5月25日に博多座にてミュージカル「クロスロード」を見てきました。

やまみちゆかさんのパガニーニの漫画を面白く読んでいたので、パガニーニがどのように描かれているのだろうと興味津々で観劇しました。

まず思ったのは「ツインリードヴォーカルみたいだなぁ」ということです。中川晃教さんのアムドゥスキアスと相葉裕樹さん(Wキャスト)のパガニーニによる歌のバトルが繰り広げられている印象でした。
お2人以外も歌唱力に定評のある方々がキャスティングされていて、それぞれに難しい楽曲に立ち向かっている印象。
音楽に聞き惚れるというよりはスポーツ観戦のようなハラハラドキドキ感。歌い切ったパフォーマーに「よっしゃ!」と言いたくなる感覚でした。
いますこし楽曲に華やかさがあるともっと楽しめるのになぁと思いました。

才能があるゆえに自分の不出来がわかるのは辛いだろうなぁ。それをわかってもらえず期待される辛さも。パガニーニが闇落ちしてしまうのはわかる気がしました。
芸術に身を捧げて限りない高みを目指すのはある意味で悪魔と契約するようなものかなぁ。
ほかには誰もたどり着けない場所に1人で居るのは孤独だろうなぁなどと思って見ていました。

契約関係を結んだアムドゥスキアスとパガニーニはその後芸術的な問題で相反し、芸術とは音楽とは創造とはということがテーマになるのかな?と思っていたのですが、アムドゥスキアスとの契約は既定の演奏回数に達したらパガニーニの魂を自分のものにする、演奏は私(アムドゥスキアス)のためにだけに演奏する、ということで、なんか悪魔せこくない?と感じてしまいました。いやいやそもそも悪魔ってそういうものなのかな。
アーシャ(有沙瞳さん)の練習のために弾くのはカウントされるのに、母親が歌っていた子守歌を舞台で演奏するのはカウントされないというロジックもよくわからんなーと思いました。論理的に抜けがあるからこそ悪魔なのかな。
中川晃教さんはノリノリで楽しそうだなぁと思いました。

音楽的には凄いなと思いつつ、戯作としては期待ほどの面白味はなかったかなぁ。
とくにモヤったのはパガニーニと母親テレーザ(春野寿美礼さん)の関係性の描かれ方です。悪魔と対比させる母親という属性だけで存在していて生身の人間ではないなぁ。
テレーザの子どもはニコロ(パガニーニ)1人ではないし、子どもらを食べさせ育てなくてはいけないという現実のためには打算も必要だっただろうと思うのだけど、そういうことは見ようとしないし描かないんだなぁと思いました。
パガニーニのコンサートを後方の安価な席で見ているテレーザが隣に座ったアムドゥスキアスにわが子ニコロへの母の愛情を示す場面にはうるうるしましたが、そこに至るまでのテレーザの描かれ方がモヤりました。
娘であればこういう見方はしないだろうなと。これは息子にとって都合の良い物語だなぁと思いました。

パガニーニのパトロンであるイタリアの女大公であるエリザ(元榮菜摘さん)もまた都合良く描かれた登場人物だなぁと思いました。
ナポレオン・ボナパルトの妹である彼女に取り入ろうとする人びとに囲まれ傲慢に振る舞うこと、パガニーニの才能を気に入って独断で宮廷楽長に任命したり彼を兄ナポレオンに会わせようとすること。
決して望んだわけではない途方もない権力と立場を得たことと、それと引き換えに失ったものを惜しみ苛立つ心境はとてもわかるなぁと思いました。
パガニーニとの無責任でわがままな人間同士の男女の関係も、なににつけても「ナポレオン・ボナパルトの妹」であることに心の奥底で傷ついていることも伝わる人物でした。
良識を逸脱して人から陰口を叩かれる行動は一種の自傷行為だなぁと。
しかし、こんな闇深い内面を有した女性を登場させながら、「愛するがゆえに」彼に黙って自ら身を退く人物として描かれていたのががっかりでした。
いえ彼女の気持ちは痛いほどわかりました。がっかりだったのはそのことに気づいているのはアーシャだけで、パガニーニにはすこしも響いていないこと。
彼女から与えられるものはしっかり享受していながら、彼女の存在が不都合になったら、彼自身は与り知らぬかたちで彼女自ら退場しパガニーニは無傷のままなこと。
これってけっきょく母親テレーザのときと同じだなと思います。
彼女はパガニーニが都合よく放埓な性愛関係をもつために登場させた人物で、パガニーニと作劇にとって無用になったら退場させる、それでいいと思っている脚本にがっかりでした。

アーシャについてもおなじです。
気ままな猫を気ままに可愛がるように愛玩動物としての存在だなぁと。
すこし優しく接するとオーバーアクションで喜びを表現し、邪険に扱ってもなお彼だけを追いかけてくる存在。
彼が社会的に無責任で自堕落な行動をとってもそこを責めないし(女性関係にも口出ししない)、自己問答代わりの対話相手にもなってくれ、窮地を脱するヒントもくれる。そういうところはイマジナリーコンパニオンに近いともいえるかな。
面倒なことは求めず、彼が得意なことについての教えを請い、無条件に励まし彼自身を肯定してくれるとても都合の良い存在。
アーシャ自身のためではなくパガニーニのために存在する、それがアーシャでした。

パガニーニ自身はそんな都合の良い人びとたちに囲まれてケアされながらその誰とも向き合っていない。
彼女たちの人生なんてどうでもよい。
女性たちだけではなく、執事のアルマンド(山寺宏一さん、Wキャスト)ともそんな関係だったと思います。
これはパガニーニの姿に仮託したテイカーを描いた物語だったのかなとモヤモヤが残る観劇でした。

CAST

中川晃教 アムドゥスキアス
相葉裕樹 ニコロ・パガニーニ(Wキャスト)
有沙 瞳 アーシャ(Wキャスト)
元榮菜摘 エリザ・ボナパルト
坂元健児 コスタ/ベルリオーズ
山寺宏一 アルマンド(Wキャスト)
春乃寿美礼 テレーザ

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