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2024年12月の2件の記事

2024/12/27

いのちのある限り求めつづける

11月30日に博多座にてミュージカル「モーツァルト!」を見てきました。
この日はツアーの大千穐楽でした。

感想を書こうとして前回この作品を見たのはいつだっけ?と記録を辿ったら2005年11月の博多座公演(19年前!)でした。
ああそれで、こんな内容だったっけ?と不思議なかんじがしたのだなと合点がいきました。
ヴォルフと父、コンスタンツェ、ナンネール、ほかの人物たち、そのそれぞれとの関係、そして男爵夫人の歌など、一つ一つが記憶していたものとはちがった印象でいまの私の心に映りました。
演出やキャストが変わったこともあるのでしょうが、なによりも自分自身の状況が変わったことが、そう思った一番の理由だったのかなと思います。なにしろ20年近くの歳月を経ているので。

博多座での上演自体が2005年以来19年ぶりの2回目のようですが、その間、帝劇にも大阪にも見に行っていなかったのも自分としては衝撃でした。
地元で公演がなかったこともありますが、中川晃教さんのヴォルフガングで正解を見た気がしていたのも遠征しなかった理由だったと思います。
(2018年と2021年は同時期に公演していた作品=「1789」とか星組ロミジュリとの日程調整も難しかったみたいです・・遠征の民のつらさ・・)

前置きが長くなりましたが、19年の月日を経て2024年版「モーツァルト!」を見た私の感想です。

古川雄大さんのヴォルフガングの解像度の高さに、なるほどそうなのかと肯きながら見ていました。
こんなに精神が幼くて気分の浮き沈みが激しく衝動的で自己管理が甘かったらトラブルばかりに見舞われて生きにくいだろうな。
本人に代わって管理してくれる人が必要なのに、そういう人とは距離を置きたいんだな。言いつけや約束を守る自信がないものね。正しい行いができなかったことを指摘され自己肯定感削がれるのはつらいものね。
「このままの僕を愛してほしい」んだよねと。
そのままが好きだと言ってくれたコンスタンツェにそばにいてほしかったんだなと。
だけど彼女は「彼女に見えるそのままのヴォルフ」が好きで。父レオポルドほどにはヴォルフのことを理解しているわけではなくて。だからすれ違ってしまうのはしょうがないなと思いました。

父レオポルドは息子の特性はよく理解していて、どうすべきかは示せるけれども、息子の気持ちを汲んで寄り添ってやることは得意じゃないみたい。
短絡的な息子に、そのままの彼をその特性ごと愛している父の深い思いを理解させるのは難しいことだなぁと思いながら見ていました。
狡さがなくては生きていけない世間を生きる人びとに簡単に騙され利用され尽くしていく息子の未来が父だからこそ見えてしまう。そうなってほしくはなかったから、自分の目の届く範囲にいてほしかったんだろうな・・と父の気持ちをしみじみと感じてしまったのは、いまの私だからこそだなぁと思いました。
ヴォルフを自由にしてあげればいいのにと思って見ていた19年前とはちがう感想を持ちました。
ただ自由に解き放ってあげればいいわけではない。それはいまだからこそわかります。

19年前は男爵夫人が歌う「星から降る金」に感じ入って感動の涙だったのですが、今回は「とは言っても・・」と思いつつ聞いている自分がいました。何より「王様は息子を愛していた」の歌詞が胸に刺さりました。こんなに奇跡のような、こんなに特性の強い息子をもってしまったら親はどうしたらいいのかな。
それにしても涼風真世さんの男爵夫人はキラキラとしていて、本当に特別な人なんだなぁと思わせられました。でも俗っぽさも見えて、そこが以前見た男爵夫人とはちがっていて惹かれました。

コンスタンツェ役の真彩希帆さんは、「LUPIN~カリオストロ伯爵夫人の秘密~」で演じたクラリスが面白かったのでどんなコンスタンツェになるのだろうと楽しみでした。
『推し』を目の前にして自分の妄想に耽るようなクラリスにいたく共感した記憶があります。
今回のコンスタンツェも1幕ではいまをときめくキラキラのヴォルフに気後れして距離を置いて眺めているような様子、才能ある姉にくらべて自分なんかと思っている風情がオタクっぽくて好きだなぁと思いました。
ヴォルフに「そのままのあなたが好き」と言うのも、タカラジェンヌのお茶会で憧れのスターへの告白タイムをいただいちゃって、気の利いた言葉も浮かばず振り切ったテンションのままとっさに口走ってしまった・・みたいなシチュエーションが思い浮かんで、既視感があるなぁなんて思ってしまいました。(どういう限定シチュエーション。。)

そんなコンスタンツェが2幕では、自分の存在意義がわからなくなって絶唱するところは、いったい彼女になにが?!と思いました。
いやいや。わかる気はしたのです。姉たちにくらべられ、出来が悪いと親に見下されて自己肯定感が低かった娘が、愛するヴォルフのために存在意義を示さなくてはと思えば思うほどなにもできなくて。やらなくてはと思えば思うほど逃げ癖が出てしまうそんなかんじなんだろうなぁと。
そんな不如意な現実もなにもかも忘れて無我の境地になれる、時間を忘れられる行為に没頭してしまう。
踊り続けることで到達する恍惚感は彼女に万能感を感じさせてくれるのだろうなと。
でも醒めると自分が放り投げたままの現実が目の前に。そのくりかえし。
しみついた負の行動パターンを変えられない。新しい行動に出る勇気をもてないのは成功体験が乏しいからだろうなぁとか。
ヴォルフに愛された理由もおそらく正しくは理解していなくて、なにかがきっと掛け違っている。彼にどうしてほしいかも言語化できていなくて。
そんな彼女をだれも助けてくれない。それどころか2人のあいだにあったものまで毟りとっていってしまう。
2幕までにどんなことがあったのかは描かれてはいないけれども、想像できました。

狡猾に見える人も居丈高な人物も、どの登場人物も時代を必死に生きていているのだなぁとそれはしみじみと思いました。生きていくというのは誰にとってもイージーモードではないんだと。
そんな世の中で才能(アマデ)とヴォルフとコンスタンツェはどう共生したらよかったのだろうと考えてしまうけれど。正解があるとしても、その通りに生きられる人など極々僅かなのだろうと思います。
それでも死ぬまでは生きていかなくちゃならないのだなぁ。そんなふうに思う作品でした。

大千穐楽の挨拶では、古川雄大さんが珍しく1人で長い間話つづけていたことが印象的でした。それくらい思いの深い作品なのかなと。
自分よりももっとこの役に相応しい役者がいるのではないかと思う中で主演のヴォルフガングを演じることになった2018年の頃の話や。(恐れながら私もそう思った1人です。それはまったくの見当違いだったと舞台を見て思い知りましたが)
そのときから父親役として成長を見守りつづけてくれた市村正親さんとの関係。さらにミュージカル俳優として駆け出しの頃にルドルフとトートとして対峙した山口祐一郎さんとのことや(なんと祐一郎さんから手を取られて一緒に『闇が広がる』のステップを披露!)。

古川さんの話を聞きながら、はじめてルドルフとしての彼を見て、なんという王子感だろうとドキドキしたことなども思い起こされて、その彼がいまここに主演として立っていることに深い感慨を覚えました。さらに今回同じヴォルフガングをダブルキャストで演じられた若い京本大我さんに先輩としてエールを贈られていることにも。
私が10余年ただただ劇場に通って観劇資金のためにちまちまと仕事をしている間に想像もつかないような努力を重ねて役者としても人としてもこんなに成長したのだなぁと尊敬の念が溢れました。(頼もしく成長されたなぁと思う様子もありながら周囲の人々が思わず見守りたくなるのではという雰囲気も相変わらずで、そういうところが魅力なのかなぁとも)

その後古川さんの紹介をうけて登壇された演出の小池修一郎氏の話はさらに長くて、さすが小池氏だなぁと思いました。
高みをめざして努力をつづけ成長を遂げていく1人の人と長く関わり見守りつづけることの喜びが感じられる話で、かつこの「モーツァルト!」という作品とも照らし合わせながら、どんなことがあろうと人は生きていかなくてはいけないという話に(話の内容は次々と多岐に展開していましたが)そうだよねぇと深く肯かずにいられませんでした。
作品に登場する人物にも、舞台上で演じる人びとにも、それを支える人びとにも、それぞれに生きなければいけない人生がある。きっと私自身にも。
と、そんな思いを心に刻んだ観劇でした。

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2024/12/09

この道が未来へと続いているから

11月20日に東京宝塚劇場にて星組公演「記憶にございません!」「Tiara Azul ーDestinoー」を見てきました。
9月22日の宝塚大劇場の千秋楽以来の観劇でした。
(その後12月1日に地元映画館にて東京宝塚劇場公演千秋楽のライブビューイングを見たのでその感想も混じります)

「記憶にございません」は開幕早々の黒田総理役の礼真琴さんのこれでもかという眼つきの悪い様子にうけました。ムラ(宝塚大劇場)ではここまで悪くなかったのにと思って。
記憶を失くして以降の彼の態度が真逆になるのがとても面白かったです。逆にこんなに誠実で人のよさそうな人がどうしてあんなに悪い人になっていたの??とそちらのストーリーが気になりました笑。

官僚の皆さんもいっそう誇張された芝居になっていてそれぞれのキャラクターを生きているかんじが面白かったです。いかにも星組だなぁと思いました。
演じている人びとが頑張っているだけに、ムラの観劇時から引っ掛かっている脚本上のあれこれが惜しいなぁと思わずにいられませんでした。
海難事故の犠牲者を「海の藻屑」というのはモズクの言い間違い以前に大臣の発言としてデリカシーに欠ける気がして笑えませんでした。

熊本のご当地アイドルが登場する意味も、彼女たちが投票を呼びかける仕事を請けて活動しているところまでは理解するとしても、特定の議員や政党の街頭演説に現れるのは変だなぁと思いました。
生活保護受給についての表現、特定の人物(国)にあてこすっているようなセリフやミソジニー臭いセリフなど一方におもねり訳知りに他方を踏みつけるセリフがどうにも苦手でした。

柳先生との場面も初歩から政治を学びなおしたいという黒田総理の真面目な一面が描写できればそれで良いと思うのだけど、論点ずらしなことをよいことを言っている風情で言い出す柳先生とそれに同調する秘書たちにモヤりました。
「負けて得とれ」は納得しているわけではないという思いが根底にあるわけで、議論を諦めて受容したフリをするのは不誠実だろうと思いました。もちろん交渉事においては必要な局面はあるとは思いますけども。
納得もしていないし相手の言も軽く考えているからまたすぐに蒸し返す。
いつまで経ってもハラスメントを自覚しないのもこんな人だろうと思いました。

書き出すとあれもこれもになってしまいますが観劇中はなるべくスルーを心がけて楽しみました。
やはり筋の運びや場面の配分はさすがだなぁと思います。
レストランでの家族の会話は何回見ても面白かったです。3人ともセリフの間が絶妙。瞬発力があって快感でいつまでも見ていたいラリーでした。

「Tiara Azul ーDestinoー」も何度見てもワクワクしてどの場面も大好きであっという間のショーでした。
銀橋の板付きチョンパの幕開きからもう大好き。いや幕開きの前に銀橋にタカラジェンヌたちが集まってくるところからそわそわとして好き。
2番手の暁千星さんが出て来て継いでトップスターの礼真琴さんが高い装置の上に登場するそのエスカレーション感がわくわくして好き。
極美慎さんオーナーのブティックの場面がぜんぶ好き。詩ちづるさんのドレス姿が可愛くて好き。ミュージカルみたいなダンスシーンが好き。

山車がどんどん迫ってくるようなカルナバルの場面の一連がぜんぶ好き。客席降りで踊るタカラジェンヌにわくわく。
心を寄せ合う礼さんと舞空瞳さんのシーンから、それを見た暁さんが夜の店でヤケ酒をあおってタンゴの場面になる流れが大好き。店内の人間模様に視線を奪われるかんじも好きでした。
礼さんと舞空さんの裸足のダンスに心がふるえました。舞空さんの表情がせつなくて礼さんの表情がやさしくて。
サリダデルソルの小桜ほのかさんの歌に涙腺をやられて、希望に満ちた星組生の表情、躍動感あるダンスに涙して、退団する4名をしっかりと目に焼き付けることができる場面が大好きでした。

礼さんを中心に娘役さんたちと踊る場面は、礼さんの歌もダンスもグルーヴ感最高でした。もっと尺がほしいくらい。娘役さんたちもかっこよかったです。ドレスの色と照明も印象的な場面でした。
男役群舞は皆キザが過ぎて思わず笑っちゃいました毎回。お芝居の松爺だったとは思えない金髪のイケメンの天希ほまれさんととても気持ちよさそうに踊っている蒼舞咲歩さんに目を奪われていた記憶があります。

デュエットダンスの前に大階段を1人で降りてくる舞空瞳さんは豪華な生地とレースでふくらんだドレスを纏っているにもかかわらずまったく重さを感じさせない足取り・・というか水面をすーっと進む白鳥のようでこのうえなくアメイジングでした。
銀橋で礼さんによってティアラを戴く姿を客席の皆で見守る演出はなんど見ても素敵で、星のティアラを冠したプリンセスとして私たちの記憶に刻まれたのだなぁと思いました。

千秋楽は映画館でライブビューイングを見たのですが、サヨナラショーはやはり構成が素晴らしいなぁと思いました。
トップ娘役の単独サヨナラショーで、相手役のトップスターがここまで絡む構成はなかなかないのではないかと思いました。ファンが見たいのはこういうロマンティックな世界観だと思います。
「めぐり会いは再び~」の『ミッドナイトガールフレンド』からの「ディミトリ」の『運命に結ばれて』の流れは涙を誘われました。
ラストナンバーになる『The Next Generation!』(めぐり会いは再び~)はライブビューイングの画面では星組生とハイタッチしていく舞空さんが映し出されていたけれど、大劇場で見た舞空さんと星組生をあたたかいまなざしで見つめていた礼さんを思い出して、いまこの時も舞空さんと星組生たちを見守っている礼さんが舞台袖にいるのだなと思いながら感極まっていました。
サヨナラショーそして大階段での退団の挨拶、カーテンコールでの言葉、礼さんと並んで緞帳前でしあわせそうに言葉を紡ぐ舞空さんの姿・・さいごのさいごまで心にあたたかいものが満ち満ちた千秋楽でした。

それから・・場面が前後してしまいますが、ショーで極美慎さんが銀橋で未来への決意を歌うナンバーが、いつもは極美さんのこれからの道に思いを馳せながら聴いていたのですが、なぜか千秋楽だけは作演出の竹田先生の心情のように聞こえました。孤独の闇を払い大劇場デビュー作を世に送り出して決意もあらたに自分の道を歩んでいく若い演出家のこれからに心からのエールを送りたく思いました。
タカラジェンヌのみならず演出家の先生にまで親心?になっていくのも、宝塚ファンの通るさだめなのかなと思いつつ・・笑。

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